逆襲の狼煙
七日目、未明。
アッシュキャリアーの室内を、予備電源の微かな真鍮色の光が照らしている。
ロイスは、泥のような深い眠りから、急激に意識を浮上させた。左腕の痛みは鈍い疼きへと変わっており、傍らではジェミニが、すでに目を覚まして手元の資料を広げていた。
「……目が覚めたか、ロイス」
「……お兄様。……どれくらい、眠っていたの?」
「六時間ほどだ。ベルの報告によれば、あと二時間ほどで出港した最初の港、セント・ジュードの灯台が見えてくるはずだ」
ロイスは体を起こし、ジェミニが整理していた資料……ヴィクトルの遺品である砕けたレンズの破片と、彼が死の間際にアッシュキャリアーの端末へ転送していた暗号化データを見つめた。
ベルがすでに解析を終えたそのデータには、豪華客船クイーン・エリザベス・スチーム号に同乗していた善良な市民たちの、真実の経歴が克明に並んでいた。
「……これ、全部本当のことなのね。ハワード夫妻は、ヴィクトルの故郷を焼いた兵器の考案者。音楽家のハンスは、旋律に暗号を混ぜて内乱を扇動した工作員。……そしてあの老騎士ガウェインは、王立暗殺部隊の教育係……」
ロイスは震える指で、ホログラム投影されたリストをなぞった。
そこには、彼女がこの六日間で接してきた人々の、隠された顔が剥き出しになっていた。彼らは単なる犠牲者や被疑者ではなく、過去に犯した消えない罪から逃れるために、あの豪華客船という偽りの聖域に集まっていたのだ。
「ヴィクトルは、それを許せなかった。……自分だけがすべてを奪われ、罪人たちが平和な余生を送っていることが。だから彼は、カメラという銃を持って、彼らの過去を現像しようとした……」
「だが、ロイス。もっと深刻な真実がある。……見てくれ、この資金の流れを」
ジェミニが示したのは、掃除屋たちの活動資金の出処だった。
それは、旧体制の残党というレベルを超えていた。現政府の中枢、あるいは海軍の極秘予算までもが、複雑なダミー会社を経由して、あの処刑執行人たちに流れ込んでいたのだ。
「つまり……掃除屋たちは、ただの復讐者じゃない。政府や権力者にとって、生かしておくと都合の悪い生きた証拠……つまりあの乗客たちを一箇所に集め、船ごと沈めて証拠隠滅を図ったということか」
「……ナァ(それだけじゃねえぜ、ロイス。ヴィクトルの野郎、死ぬ間際に見つけたらしい。このリストの最後に、俺たちのよく知る名前が載っていやがる)」
ススが前足で示したリストの最下段。そこには、一つの名前と、見覚えのある紋章が記されていた。
“アッシュウォーカー家・現当主、ロイス・アッシュウォーカー”
ロイスの息が止まった。
「私たちが……掃除屋のターゲットになっていたというの?」
「……いいえ、ロイス様。正確には監視対象から排除対象への格上げです。皆様がヴィクトルの真実に近づきすぎたため、掃除屋組織は、豪華客船の沈没をもってアッシュウォーカー家もろとも、この事件のすべてを闇に葬る計画だったと推測されます」
ベルが冷静に重い事実を告げた。
ロイスは、包帯を巻いた左腕を強く抱きしめた。
偽りの平和を享受していた乗客たち。彼らを狩ることでしか自己を保てなかったヴィクトル。そして、すべてを消し去ろうとした巨大な組織。
「……分かったわ。お兄さ、いいえ、ジェミニ、情報の整理はついた。……私たちは、船と一緒に死んだことになっている。それを利用しましょう」
ロイスの瞳から、迷いが消えた。
彼女は、ヴィクトルのレンズの破片を、決意の証として強く握りしめた。
「解体すべき対象は、想像以上に巨大だったみたい。……でも、アッシュウォーカー家の探偵は、一度引き受けた依頼は投げ出さない。ヴィクトル、あなたの記録の続き、私が絶対に完結させてあげる」
七日目の朝。未明の薄明かりを切り裂いて、アッシュキャリアーは加速した。
最初の港、セント・ジュード。
そこは、彼女たちが死者として、新たな真実を暴き始めるための、反撃の拠点となる場所。
三人と一匹の物語は、ここからより深く、より危険な真鍮の深淵へと潜っていく。




