葬列の終わり
「今よ、ベル! 動かしなさい!」
「変形、完了。最大推力、開放!」
ベルの宣言と同時に、アッシュキャリアーの四輪が複雑な歯車の噛み合わせによって車体内側へと折り畳まれ、車体下部からは蛇腹式の重厚な真鍮スカートが勢いよく展開された。
二基の巨大な水平ファンが暴風を巻き起こし、海水の混じった空気を床へと叩きつける。
摩擦という概念を捨て、ホバー形態へと完全変貌を遂げたアッシュキャリアーが、沈みゆく船の傾斜を利用し、弾丸のような速さで加速を開始した。
「……ナァァン!(飛ぶぜ! 死神のクソ野郎に、精一杯の泥水をぶっかけてやりな!)」
ススの咆哮に合わせ、ベルがアクセルレバーを限界まで押し倒す。
キャリアーは勢いを増し、海水が滝のように流れ込む格納庫のハッチへと突進した。
背後では、処刑執行人が信じがたいという表情で次弾のチャージを試みていたが、アッシュキャリアーの後部排気管から放たれた、高濃度の石炭殻を含んだ「目眩ましの黒煙」が、彼の紅い照準を完全に無効化させた。
「掃除屋さん! 没にするのは、あなた自身の歪んだ歴史よ! 突き抜けなさい、アッシュキャリアー!」
ロイスは、意識の混濁の中で「トリプル・バースト」の第二段、そして本日ニ度目の、禁忌の第三段を同時に解放した。
装具のボイラーが内側から弾け飛び、凄まじい反動推進力が生まれた。それは一撃で敵を粉砕するための爆圧だが、今はアッシュキャリアーを外海へと押し出す、究極のブースターと化した。
真鍮の車体は、沈みゆくエリザベス号の船腹を力強く蹴り、正午の光が微かに届く荒れ狂う海原へと、重力から解き放たれてダイブした。
ドォォォォンッ!
海面を叩く凄まじい着水音。しかし、ホバーのクッションがその衝撃を吸収し、キャリアーは沈むことなく、荒波の上を滑り出した。
背後では、豪華客船クイーン・スチーム・エリザベス号のメインボイラーがついに海水の侵入に耐えかね、最後にして最大の大爆発を起こした。
ドドォォォォォォォン!
海面に巨大な火柱が立ち上がり、豪華客船という名の「旧世界の象徴」が、無数の真鍮の破片となって空に舞う。処刑執行人と、生き残っていた掃除屋たちの姿は、その火炎と、崩壊する鉄の渦の中に永遠に飲み込まれていった。
「……逃げ切ったのね。私たち、まだ生きてる……」
ロイスは熱で真っ赤に腫れ上がった右腕を、ベルが差し出した冷却シートで抑えながら、遠ざかる火の海を見つめた。アッシュキャリアーは、後部スラスターから青白い炎を噴き出し、ホバー特有の浮遊感を保ちながら、北へと針路を取っていた。
正午を過ぎた太陽が、ようやく厚い霧を切り裂き、海面を鈍い真鍮色へと照らし始めている。
「ああ。だが、これは勝利ではない、ロイス。本当の戦いの始まりだ。……ベル、周辺の音響解析を最大感度で。奴らの本隊が、まだ海中から俺たちを追っている可能性がある」
「了解いたしました、ジェミニ様。……アッシュキャリアー、巡航高度を維持。目的地である最初の寄港地まで、残り六十海里。推定到着時刻は、日没前です」
ベルの冷静な声に安堵しつつも、ロイスはポケットから血のついたレンズの破片を取り出す。ヴィクトルが最期に守ろうとした「記録」、そして彼がその命を賭して暴こうとした、この船に乗っていた者たちの「不都合な過去」。
この六日間の旅で目撃したものは、ただの優雅な航海記ではなく、血と蒸気で綴られた、残酷で救いようのない歴史の断片であった。
「……ナァ〜ン(ロイス、そんな顔すんなって。お前さんは、あの死神のシナリオを真っ向から叩き割ってやったんだ。……それは、アッシュウォーカーの名に恥じない、最高の探偵の仕事だったぜ)」
ススがロイスの膝に顎を乗せ、ゴロゴロと力強い鼓動を伝えてきた。ロイスはその温もりに触れ、ようやく震える指先を固く握りしめた。瞳には、悲しみを焼き尽くすほどの、新たな決意の火が灯っていた。
「ええ。……解体すべきは、この船の残骸だけじゃないわ。……この世界を覆っている、偽りの歯車を、すべて一本ずつバラバラにして……私たちが、本当の平和の設計図を作り直してあげるんだから」
アッシュキャリアーは、霧の晴れ始めた紺碧の大海原を、真鍮の飛沫を上げながら突き進む。七日目の目的地、最初の港へ辿り着くまでに、彼女たちはまだ多くの「美しくない真実」と対峙しなければならないだろう。
だが、三人と一匹の背中には、かつてないほど強固な絆と、真実を求める不屈の意志が宿っていた。真鍮の葬列は、ここに終わりを告げる。




