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響姫の操作だと微妙に足もとが覚束ないことがあるみたいで、桜さんがさっき足を引っかけて転んでしまったのも、どうやらそのせいだったようだ。
波長が合ってはいるけど、完全に一致まではしていない、といったところだろうか。
とはいえ操作はできるし、調子に乗らなければ問題ないだろうということで、響姫に任せる方向で話は進んでいった。
「それじゃ、行ってくるわね」
「えっと、行ってきますの」
「おう、行ってこい」
「行ってらっしゃい、頑張ってね」
そんなわけで、僕たちは今、女子トイレの前で、中に入っていく響姫と桜さんを見送っていた。
女子トイレに入るのに、行ってらっしゃいって。それに、なにを頑張ってなのか。
周りに誰かいたら怪しまれるところだろうけど。
幸い、さっきまでひそひそと話していたような人たちも含め、トイレ付近には僕たち以外の誰の姿も見えなくなっていた。
女子トイレに入っていく女子ふたりの背中を見送ったあと。
僕と友雪にできることといったら、ふたりが消えていった女子トイレの入り口をじっと見つめながら、戻ってくるのを待つくらいだった。
しばらく経つと、通りかかった生徒がこっちを見て、なにやらひそひそ話している声が聞こえてきたりしたけど。
また変な噂が広まってしまいそうな予感……。
「戻ってこないな……。聞き耳でも立ててみるか」
不意に友雪が、女子トイレの入り口近くに片ひざをつき、言葉どおり聞き耳を立て始める。
周囲にはまだひそひそ話している生徒が残っているというのに。
友雪、それは自らトドメを刺すようなもんだよ……。
そう思って僕がこうべを垂れた、そのとき。
「きゃ~~~~~~っ!?」
女子トイレの中から悲鳴が聞こえてきた。
一番奥のほうにいるのか、個室の中なのか、それとも途中で曲がっているトイレの通路の構造のせいなのか、聞こえてきた悲鳴はさほど大きなものではなかった。
だけど……。
今の声、響姫だ!
しかも、嘘とか冗談とかじゃない、切羽詰った余裕のない様子が感じられる、そんな叫び声……!
「響姫!」
僕は迷わず女子トイレに飛び込んでいた。
友雪もすぐさま僕に続く。
「あ……あのふたり、女子トイレに入っていったよ……?」
「やっぱり変態コンビなんだ……」
このとき、変な噂に関するトドメを自ら刺してしまったわけだけど。
僕がそのことに気づいたのは、すべてが終わってからだった。
☆☆☆☆☆
「うらめしい……うらめしい……」
そんな恨みの声を吐き出しているのは、真っ直ぐに切り揃えられた前髪で両目を完全に覆い隠した、長髪黒髪の女の子だった。
なぜか体操着にブルマという服装。上着の肩口に縫われている校章の図柄を見る限り、学園指定のもののようだ。
ただ、女子の体操着は十数年前にブルマからハーフパンツに変えられたと聞いている。
とすると、それ以前に生徒だった女の子の幽霊、ということになるのだろう。
その女の子はトイレの個室のドアの辺りで、床に座り込んでいる状態だった。そして女の子は、同じように床に座り込んだ響姫に、背後からしがみついている。
響姫は女の子の腕から逃れようと、必死にもがいていた。
そんなふたりの横には、おろおろした様子で立ちすくむ桜さんの姿もある。
「うらめしい……うらめしい……」
「きゃんっ! やめてよ、ちょっと! あんっ!」
もがいてあがいて、スカートも乱れまくっている響姫が、なんだか艶かしい声を響かせる。
よく見ると、背後から抱え込んでいる女の子の両手は、そのまま前方へと回されている。
そして、がっしりと、というよりは、ふんにゃりと、と表現したほうがいいだろうか、響姫の大きな膨らみをすっぽり包み込み、激しく揉みしだいていた。
「おおっ! 女の子同士で! これはこれで、興味深い!」
なにやら友雪が歓喜の声を上げていたけど。
「こ……こら、友雪! 見るんじゃない! っていうか、助けろ! この役立たず! 人間のクズ! ゴミ男!」
当然ながらの、罵詈雑言。
「ぐえっ!」
しかも、激しく抵抗している響姫の右足からすっぽ抜けた上履きが、バッチリ友雪の顔面にクリーンヒットしていた。
偶然すっぽ抜けた、というよりは、おそらく狙ったんだろうな……。
と、そんなことよりも。
「ねぇ、キミ! やめなよ! 響姫が嫌がってるじゃん!」
僕の声で、女の子は頭を上げてこちらに顔を向ける。
それでも彼女の両目はまったく見えない。どれだけ長い前髪なのやら。
ちなみに、こちらに顔を向けてはくれたけど、彼女の両手の動きは止まる気配がない。
「やめなよ。ね?」
努めて優しく、僕は微笑みを浮かべながら諭す。
女の子は、なにも答えてくれなかった。
両手も動かし続けたまま。響姫が身をよじるたびに、スカートから太ももがちらちらと見え隠れする。
「女子トイレにいるってことは……もしかして、トイレのハナコさん……ですか?」
響姫と女の子のそばで立ちすくんでいた桜さんが、控えめにそう声をかける。
そんなベタな、とツッコミを入れそうになる僕だったけど。
「…………」(こくん)
無言のまま、女の子は頷いた。続いて、視線を自分の胸の辺りに下げる。
響姫を抱きかかえているような格好なので、見えづらくはあったけど、そこにはしっかりと「1‐3」「浦飯華子」と書かれた布製の名札が縫いつけられていた。
こんな大きな名札って……小学生か! と思わなくもなかったけど。
今は胸もとに小さな名札をつける程度でいいことなっているけど、きっと昔は違っていたのだろう。
「うらめしい……」
さっきから、幽霊としてはあまりにもベタなセリフをこぼしまくっている華子さん。
それはいいとして、どうして響姫の胸を揉みまくっているのだろう……?
僕の疑問を感じ取ってくれたのか、華子さんはこう答えてくれた。
「ボクのはこんな小さいのに、この女はこんなにも大きい……。うらめしい……」
「って、そういうことかい!」
思わずツッコミの声も出てしまうというものだ。
「でも、揉んだからって、響姫の胸が小さくなるわけじゃないんじゃ……」
もちろん幽霊だから、両手から吸い取ることができる、なんて能力がないとも限らないけど。
どうやらそういった能力があるわけではないらしく、華子さんはきっぱりと言い放った。
「揉めば大きくなるって聞いたことがあるから……」
「そんなの根も葉もないデマ話だし、もし効果があるとしても、他人のを揉んだって意味ないじゃん!」
再び僕の口から飛び出したツッコミ。その勢いに、華子さんは怯んだ様子だった。
ここでようやく、激しく揉みしだいていた両手の動きをピタリと止める。
「ううう……うらめしい……」
動きは止まっても、まだ華子さんの口からは、恨みの言葉がこぼれ落ちていた。
「そんなの気にすることないですのに」
華子さんを優しく諭すつもりなのだろう、桜さんが穏やかな口調で話しかける。
そんな桜さんに、華子さんから返された言葉は……。
「いや、あなたは気にすべきでしょう……?」
「……ふぇ? どうしてですの?」
「だって、ボクよりもずっと、真っ平らのぺったんこだから……」
そう言われた桜さん。
視線をゆっくりと下に向け、自分の胸の辺りを何度か軽くさする。
そして……、
「ううう、うらめしいですの……。呪ってやるぅ~!」
と言いながら、僕につかみかかってきた。
「やめなさい!」
スパーン!
僕の鋭い平手ツッコミによって、桜さんのサラサラの髪の毛は見事なほど綺麗な弧を描き、舞い上がるように勢いよく広がっていた。




