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気を失ったアンナ先生は、保健室へと運んだ。
一応養護教諭だったるなちゃんが倒れた先生の様子を確認したところ、「気を失ってはいるが大丈夫だろう」とのことだった。
とはいえ、雨に濡れた地面に横たえたままというわけにもいかないため、保健室まで運ぶことにしたのだ。
運んだのは友雪。ここは俺の役目だろう、とのたまう友雪に任せたら、お姫様抱っこで運んでいた。
響姫は少々呆れていたけど、べつに悪いことをしているわけでもないし、友雪を殴ったりはしなかった。
自分もお姫様抱っこしてほしいとか、そんな思いでもあったのだろうか。
なお、養護教諭である里中先生は、僕たちの見ている前で白い球体にまとわりつかれていたけど、すでに意識を取り戻している。
起き上がって早々、倒れている生徒たちが心配だと、様子を見に行ってしまったけど。
どういう根拠があるかはわからなかったものの、倒れている生徒たちについて、桜さんは控えめな声で「大丈夫ですの」と断言していた。
桜さんがそう言うなら大丈夫なのだろう。
保健室のベッドに横たえられたアンナ先生は今、規則正しい寝息を立てている。
僕たちはアンナ先生を取り囲むようにして、様子を見守っていた。
さっきペンダントを引きちぎり、先生が倒れたとき、周囲を取り巻いていた霊気が空に散っていった。
だけど桜さんいわく、霊の本体とも呼べる強い思念は、今も先生の心の奥底に居座っているらしい。
「んんんん~~~~~っ!」
桜さんは両手を先生の胸の辺りにかざし、自分の霊気を当てることで、その思念を追い出そうと試みてはいたのだけど。
「……ダメですの」
と、あっさり諦めていた。
「心のかなり奥のほうに逃げ込んでしまってますの」
「それじゃあ、そのうちまた、今回みたいなことが起こっちゃうってこと!?」
桜さんの言葉に、僕は慌てる。
こんな大変な事態がもう一度起こったら、次はもっと被害が大きくなる可能性だってあるわけだし……。
不安を膨らませる僕の心をまたしても読み取ったようで、桜さんは、ふっと目を細める。
「それは大丈夫だと思いますの。ペンダントは、もうありませんから」
「……だが、どうしてペンダントだったんだ? なんか、光ってたけど……」
「アンナ先生、元彼から貰った思い出のペンダントって言ってたわよね。その想いの強さが原因だったのかな? その後彼氏ができなくて、怨念が募っていったとか……」
友雪の疑問に、響姫がちょっと失礼な意見を重ねる。
なるほど。確かにアンナ先生、妙に男っ気のない生活をしているようだったしなぁ。
でもアンナ先生って、ショートカットでぱっと見キツそうだけど、実際にはすごく優しくて女性らしい感じだから、決してモテないわけじゃないと思うけど……。
再び僕の思考を読んだのだろう、桜さんがさらに説明を続けた。
「募っていったのは、元彼さんへの想いだと思いますの。元彼さんについて話しているときのアンナ先生は、とても寂しそうでした。おそらくですが、亡くなってしまった方なのではないかと思いますの」
「……形見の品、ってわけか……」
友雪のつぶやきに、みんな沈黙する。
その沈黙を破ったのは僕だった。
「だったら僕、その形見の品を引きちぎってしまったってことに――」
「それでよかったのよ……。いつまでも、過去を引きずっているわけには、いかないもの……」
僕の言葉を遮って不意に響いたのは、眠っていたはずのアンナ先生の声だった。
今気づいたのか、それとも少しのあいだ黙って話を聞いていたのか、それはわからないけど。
「アンナ先生!」
友雪が心配の声を向ける中、アンナ先生は「大丈夫よ」とでも言いたげに微笑んだ。
「私の元彼も、教師をやっていたの。赴任先は別の学校だったけどね。大学在学中に知り合って、つき合っていたわ。
でもね、彼が教師になって二年目、初めての担任となったクラスで、激しいいじめ行為があったの。その結果、生徒が自殺してしまった……。
彼は悔やみ、悩んでいたわ。私の声が届かないくらいに。もちろん、会いに行って慰めたりもしたけどね。
そんなときに貰ったのが、このペンダントだったの。私が自分みたいな苦しい目に遭わないように。そんな願いが込められていたんだと思う……」
「それは違いますの」
アンナ先生の独白に、桜さんが口を挟み異論を唱えた。
「ムーンストーンの石言葉には、純粋な愛とか、幸福な人生というのがあります。一緒に幸せになろう。元彼さんは、そんな気持ちを伝えたかったんだと思いますの」
「えっ!? それって、プロポーズ!?」
響姫が場違いな黄色い声を上げる。
その勢いに反比例して、アンナ先生の声は小さく、か細くなっていく。
「……それじゃあ、もしかして、私がプロポーズに気づかなかったから、彼は……」
「いいえ、それも違いますの」
消え入りそうなアンナ先生の声を途切れさせたのも、やっぱり桜さんだった。
「今の自分ではまだダメだから、言葉にできなかったんだと思います。この試練を乗り越えられたら、そんな想いだったに違いありませんの。ですが、おそらくさらにつらい事態に陥って、耐えられなくなってしまったのではないかと思いますの……」
「……あ……そういえば電話で話してたわ。自殺した生徒が幽霊になって襲いかかってくるって……。その頃は私も忙しくて、なかなか会いに行けなかったけど……」
「でも、電話では毎日のように話していた。きっとそれは、力強い支えになっていたと思います。だからこそ、先生にプレゼントしたペンダントに、心が宿ったんですの」
「心が……?」
「その元彼さんが、乗り移ったと言ってもいいかもしれません」
アンナ先生が沈みきってしまいそうだったから、というのもあったのかもしれないけど、桜さんはとても温かな声で言葉を編む。
あれ? でもそれだと……。
「やっぱり、引きちぎったらダメだったんじゃ……」
「いいえ、そんなことはないですの。ペンダントに宿ってしまったのは、元彼さんの想いだけではなかったから……」
☆☆☆☆☆
桜さんは語る。
もうひとつ宿ったのは、問題を起こして辞職したあと自殺した教頭先生の幽霊だった。
もちろん今の教頭先生ではなく、何年も前の教頭先生ということになる。
以前、響姫がそんな幽霊の話もあると言っていたけど、その幽霊が今回の黒幕だったのだ。
学園の資金を着服したことが発覚して辞職し、自殺してしまったという話だったけど、事件にはさらに裏があった。
その教頭先生は女性で、この学園の教師をしている彼がいた。資金の着服をしたのは、実は彼のほうだった。教頭先生は、彼に罪をかぶせられたのだ。
ただ、彼のほうも罪の意識に苛まれ、遺書を残して自殺してしまった。
すでに辞職したあとだった教頭先生は、無実が証明されはしたものの、気持ちが晴れることはなかった。
ひとりで部屋にこもる日々。
彼の幽霊が夜な夜な自分を迎えに来ると、怯えていたという証言もあるらしい。
そして、最後には自分自身も命を断ってしまった。
「アンナ先生の元彼さんもこの教頭先生も、真実かどうかはともかく、幽霊に殺されたとも言える状況だったんですの。ですから、幽霊を拒む気持ちが強かった。自らが幽霊になってしまっていることなんて、棚の上に放り投げて……」
「だから私は、霊媒師まで呼んで除霊しようと考えたのね……。確か、生徒たちが幽霊の話をしているのを聞いて、それからおかしくなった気がする……。どうにかして排除しないと、って……」
「それも、その教頭先生の幽霊に思考を誘導されたから……というより、同調し始めていたから、と言ってもいいかもしれませんの」
アンナ先生の元彼の想いが宿ったペンダントに、教頭先生の幽霊が同調し、アンナ先生の心の中に入り込んだ……。
それが、今回の事件の原因だったようだ。
「ムーンストーンの石言葉には、感受性とか調和とか、そういったものもありますの。ですので、そのペンダントを通じて、アンナ先生の心の中に入れたんだと思いますの」
「だから、それを引きちぎることで調和が乱れて、教頭の幽霊を排除することに成功したってわけか」
友雪の言葉に、桜さんは首を横に振る。
「いいえ。調和は乱れましたけど、教頭先生の幽霊を排除したわけではありません。周りを覆っていたたくさんの想いを、振り払っただけですの」
「周りを覆っていた想いって、あの白い球体?」
「そうですの」
響姫の言葉に、桜さんは頷く。
あの白い球体は、幽霊ではなくて、この学園で生活していた生徒たちの様々な想いの塊なのだという。
学校には多くの学生が集まる。そんな中で、楽しいこと、つらいこと、いろいろな経験をする。
それらすべてが、学校の記憶として積み重ねられ、永遠に残っていくものらしい。
大正時代からの歴史があるこの学園には、果たしてどれだけの想いが残っているのか。それは想像もつかないほどの数となるだろう。
そういった想いが、あの白い球体として現われたということのようだ。
教頭先生の幽霊――悪霊となっていたそれは、激しい霊力を放出していた。
その霊力の波にさらされた結果、校舎に埋もれていた想いの塊が、ふらふらと漂う結果となったのだろう。
白い球体が生徒たちを襲っていたのは、実際にはその生徒とじゃれ合いたいという感じに近かったらしく、数が多すぎたために意識を失う結果になってしまっただけだったとのこと。
だからこそ桜さんは、倒れた生徒たちに危険はないと断言できたのだ。
「危険があるとしたら、教頭先生の霊力を至近距離から直接あてられたことによって、悪霊と同じような存在となってしまった想いの塊くらいだと思いますの。解体業者の人たちは、そんな想いの塊に取り憑かれて操られている状態でしたから……」
「そうだったんだ……。でも、それじゃあ、教頭先生の幽霊を排除してないのなら、まだ危険なままなんじゃないの……?」
僕のつぶやきに、桜さんは「安心してください」と、笑みをこぼす。
「幽霊と悪霊は紙一重。本質的には同じものですの。ペンダントの調和が崩れた今、教頭先生の幽霊からは、悪い気を感じることはなくなりました。もともと学園を愛している方でしたから、もう問題はありませんの」
僕も友雪も響姫も、アンナ先生本人も、安堵の息をつく。
「ただ……」
「ただ?」
「アンナ先生が本気で怒ったりすると同調して出てきてしまいますから、今回のようにいきなり巨大化して、もしかしたら火を吐いたりまでしてしまうかもしれませんの」
……とりあえず、アンナ先生の怒りを買うようなことは控えよう。そう心に誓う僕たちだった。




