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幽霊ズを飲み込んだアンナ先生は、残るターゲット――僕と友雪、響姫、桜さんのほうへと、血走った真っ赤な瞳を向ける。
ぐをををををををををん、と、声とも音とも言えない響きを伴って、その巨体は一歩、また一歩と迫ってくる。
距離が縮まるたびに、あいだの空気が凝縮されて威圧感が増す。
そう感じるのは、精神的に追い込まれているからだろうか。
不意に、僕の手がポケットにある固い物体の存在を感じ取る。
「あっ、そうだ! この0コンで……!」
僕はいそいそと0コンを引っ張り出し、その先端を巨大なアンナ先生の顔の辺りへと向ける。
「職員室でもダメだったじゃない! きっと無理よ!」
「だけど、僕たちができることなんて、もう他には……」
桜さんは黙ったまま、なにも語らない。ただじっとアンナ先生を見据えるばかり。
「強い想いが悪霊に対抗する力になるって、言ってたよな? だったら……」
ぎゅっと、友雪が響姫の左手を握る。
「な……っ!? あ……あんたはこんなときに、なにやってんのよ!」
「手をつなぐんだ! 俺の想いと響姫の想いを、玲に集めれば……!」
「……そういうことね、わかったわ! ……あれ? でもそれなら、友雪も玲の手を握ればいいんじゃ……」
「ごちゃごちゃ言ってる暇はないだろ! ほら、響姫、お前も早く、玲の手を!」
「う……うん」
響姫は若干納得のいっていない顔をしながらも、友雪の勢いに圧され、空いているほうの右手を伸ばし、僕の左手をしっかりと握った。
雨に濡れて冷えた響姫の手のひらから、なんだか穏やかで心地よい温もりが伝わってくる。
「これで……効くのかな?」
半信半疑ではあったけど、今の僕たちにできることは、これくらいしかない。
右手にぐっと力を込め、響姫とつながっている左手にも同じように力を込め、僕はアンナ先生の動きを止めようと必死に0コンを振り回した。
ブンッ、ブンッ!
雨粒を受けながら、0コンが空を切る音が響く。
だけど……。
ぐをををををををををん!
アンナ先生の動きは止まることなく、それどころか、狙いを僕の右手――すなわち0コンへと定め、勢いよく巨大な腕を伸ばしてくる。
「あっ!」
なんとも、あっけなく。
僕の右手から、0コンはすっぽ抜けた。
いや、アンナ先生の巨大な手のひらに引き寄せられてしまったのだ。
くそっ! 急ぎすぎて、ストラップを手首に固定し忘れてた!
もっとも、ストラップがあったとしても、アンナ先生の強大な力によって引きちぎられていたかもしれないけど。
引き寄せられていく途中で、光の屈折などの影響なのか、それとも他の不可思議な力が働いているのか、僕の手から離れた0コンは、アンナ先生の手のひらにピッタリ収まるサイズへと巨大化していった。
「ふっふっふ……。これでようやく、お前も私の思いどおりに……」
アンナ先生はそう言って、0コンの先端を桜さんへと向ける。
対する桜さんは、やっぱり黙ったまま、鋭い視線を返すのみ。
「波長が合わないと、操れないはずだぞ!?」
僕たち三人の中で唯一波長が合わず、桜さんを操れなかった友雪が叫ぶ。実は結構根に持っていたのかもしれない。
それでもアンナ先生は怯む様子もない。
「私ほどの霊力があれば、力でねじ伏せてコントロール可能だろう」
……確かに、これだけの圧倒的な霊力の差があれば、そういったことができても不思議ではないか……。
「だが! そ……そのコントローラーは俺たちのものだ! 人のものを勝手に使うのは、教師としてどうなんだ!?」
どうにか食い止めようとしているのだろう、友雪はさらに声を張り上げる。それはあまりにも苦しい理屈だった。
「なにを言うか。お前らのものでもないだろう? だいたい、このコントローラーを旧体育倉庫に置いておいたのは、この私だしな。つまりこれは、私のものだから返してもらった、とも言えるわけだ」
「えっ?」
続けられたアンナ先生の言葉に、僕は驚きの声を上げる。
「このコントローラーに最初に霊力を込めたのは、なにを隠そう、この私だ。近くに幽霊がいたらその霊力を吸い取り、操ることができるようになる、そういう力をこのコントローラーに与えておいたのさ!」
語り終えると、アンナ先生は桜さんに向けた0コンのボタンを押す。
「さぁ、朧木桜! お前も飛ぶがいい! 私の糧となるために! お前の強大な霊力は、この私が有効に活用させてもらおう!」
勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべると、アンナ先生は0コンをつかんだ右腕を、大きく振り上げた!
上に向けて投げたピーナッツを、ぱくっと口でキャッチして食べるように、桜さんを食べてしまうつもりだ!
僕たちには、成すすべもない。ただ事態を見守るしかなかった。
そんな中……、
「…………あれ?」
僕の漏らしたつぶやきだけが、静かに響く。
なにも、起こらなかった。
桜さんは、さっきまでと変わらず、僕の肩にそっと手を触れながら、すぐそばに寄り添っている。
そして彼女は、「ふふっ」と笑った。
☆☆☆☆☆
「な……なぜ操れない!? むっ、なんだこれはっ!?」
アンナ先生が、焦りの咆哮を響かせる。
せっかく奪い取った0コンで桜さんを操ることができなかった上、その0コンからなにやら白い糸のようなものがたくさん伸び始めて、アンナ先生の腕に絡みついてる!?
「うぐ、おおおおおおお……っ!?」
激しいうめき声を発し、身をよじって苦しみ出すアンナ先生。
巨体を折り曲げて、ズシンと片ひざを着く。
その口から、ポンッ! と、なにかが飛び出した。
「うにゃ! 無事生還なのだ!」
それは、るなちゃんだった。
さらに、
ポンッ! ポンッ!
「……ただいま……」
「ちょっと、だ液とか胃液とかで私の制服が汚れたりしてませんこと? 誰か、確認お願いしますわ!」
華子さんと優美さんも吐き出された。みんな、無事だったんだ!
「うぐおおおお、これは、どういうことだ……!?」
アンナ先生は苦しみながらも、疑問をぶつけてくる。
答えは、桜さんから返された。
「0コンで幽霊をコントロールできるなんて、そんなの真っ赤な嘘だったんですの!」
「え?」
驚きの声を上げたのは、僕だった。
だって、実際に0コンを使って、桜さんや、他の幽霊ズの三人を操ったりしていたのだから。
「ふふっ、最初からあなたの霊力が込められているのは感じていましたの。ですからまず、その霊力を排除しました。わたくしの力だけでは、そこまでしかできなかったのですが、華子さん、るなちゃん、優美さんの霊力もお借りして、コントローラーに霊気を注入し続けてきたんですの」
桜さんの説明はさらに続いた。
0コンで桜さんを操作できていたのは、彼女が僕や響姫の思念を感じ取り、そのとおりに動いて、操られているフリをしていたからだった。
思念を読み取れるのは、波長の合っている人だけ。だから僕と響姫だけにしか反応しなかった。
他の三人の幽霊も操作できていたのは、桜さんが操っていたからだった。
僕の肩や腕などに触れ、直接考えを読み取り、そのとおりに三人の幽霊を導いていたらしい。
桜さんは力の強い幽霊みたいで、そうやって華子さんたちを操ることもできたのだそうだ。
「あなたが先生方の誰かに取り憑いていることは感じていました。でも、心の奥底に巧妙に潜んでいて、誰に憑いているかまでは、わかりませんでした。だから先生方に会うときには、霊気で気づかれにくくして、なるべく喋らないようにしていたんですの」
そうやって、じっくりと時間をかけて、この機会をうかがっていましたの。
桜さんは、そう語った。
それにしても……。
いったい桜さんって、何者なの?
ただの幽霊ってわけじゃないの?
それに、先生に取り憑いている『あなた』っていうのは……?
やっぱり悪霊なのかな……?
僕の疑問に答えてもらう時間は、残念ながら、ありそうもなかった。




