第9話 謎の覆面ヒーロー
赤く輝く小石が、変異種の額へ命中した。
──カッ!!
一瞬。
ボス部屋から、すべての音が消えた。
変異種の巨体が、内側から膨れ上がる。
赤黒い皮膚の亀裂から、真紅の光が噴き出した。
「え……」
嫌な予感がした。
ゴキブリより、ゴブリンの方が爆発は大きかった。
ゴブリンより大きいコボルトの爆発の方が、さらに大きかった。
だったら……
あの巨大な変異種が爆発したら──
「ちょ、ちょっと待っ──」
ボッッッガァァァァァァァァァァンッ!!
世界が、真っ赤に染まった。
変異種の身体を中心に、巨大な火球が膨れ上がる。
衝撃波が石床を削り取り、円形のボス部屋全体を駆け抜けた。
壁際に並んでいた松明が一斉に吹き飛ぶ。
撮影用ドローンが木の葉のように宙を舞い、何機かが壁へ叩きつけられた。
俺の身体も、後方へ勢いよく吹き飛ばされる。
「どわぁぁぁぁぁっ!?」
石床の上を何度も転がり、最後は壁際に積まれていた瓦礫へ背中から突っ込んだ。
「ぐふっ……!」
背中が痛い。
腰も痛い。
多分、明日は全身筋肉痛だ。
いや、明日まで生きていれば、の話だけど。
顔を覆っていた学ランがずれていないことを確認し、俺は恐る恐る身体を起こした。
部屋の中央には、黒煙が渦巻いていた。
赤黒いミノタウロスの姿は見えない。
代わりに、そいつがいた場所を中心として、巨大な穴が開いている。
石造りの祭壇も。
変異種が持っていた戦斧も。
全部まとめて消えていた。
「…………」
何これ。
こんなの、爆発って言っていいの?
地形が変わってるんだけど。
「俺のスキル……怖っわ……」
思わず本音が漏れた。
あれほど巨大だった怪物が、肉片一つ残さず消滅している。
まさに"マジ死んだ"ってヤツだ。
もし狙いが少しでもずれていたら。
もし江戸川先輩を十分に引き離せていなかったら。
考えただけで、背筋が寒くなった。
『レベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
『レベルが……』
頭の中へ、無機質なアナウンスが連続して響く。
「また!? ちょっと待って! 一気に言わないで!」
『称号【格上殺し】を獲得しました』
『称号【変異種討伐者】を獲得しました』
『称号【ダンジョン攻略者】を獲得しました』
「称号とかいらないから!」
俺は頭を抱えた。
こんなものが増えるほど、俺の望んでいた平穏無事な人生から遠ざかっていく気がする。
『本日の使用義務を達成しました』
その一言だけは、少し嬉しかった。
「……終わった?」
急いでステータスを開く。
──────────────────
《固有スキル》
【一撃必死】
残り使用回数:0/5
本日の使用義務:達成
次回リセットまで06:32:17
──────────────────
「た、助かった……!」
俺は全身から力が抜け、その場へ座り込みそうになった。
これで少なくとも、今日の午前零時に俺が爆発四散することはない。
明日になれば、また五発撃たなければならないけど。
今は考えない。
考えたら泣いてしまいそうだ。
「あなた……」
背後から、か細い声が聞こえた。
振り返る。
壁際に倒れていた江戸川先輩が、上半身を起こしてこちらを見ていた。
赤い軽装鎧は傷だらけ。
長い黒髪も乱れ、額からは血が流れている。
それでも意識ははっきりしているらしい。
「あっ……大丈夫ですか!?」
俺は慌てて駆け寄った。
顔を隠したままなので、視界が狭くて走りにくい。
途中で足を滑らせそうになりながら、何とか先輩の前へ辿り着いた。
「怪我、ひどくないですか? 立てます?」
「え、ええ……。何とか」
先輩は差し出した俺の手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
近くで見ると、本当に綺麗な人だった。
マジで芸能人って感じだ。
始業式の壇上でも目立っていたけど、こうして向かい合うと余計に緊張する。
別にドキドキしているわけではない。
全国的に有名な先輩に、自分の正体がバレそうで怖いだけだ。
多分。
「あなたが……倒してくれたの?」
「いや、その……なんか勝手に爆死したみたいですね」
「あなたが石を投げた直後に、よね」
「……偶然じゃないですかね」
「これほど見事な偶然があるかしら……?」
ありませんよね。
俺もそう思います。
でも認めるわけにはいかない。
俺は目を逸らした。
その時。
ジジッ、と機械音がした。
爆風を耐え抜いた撮影用ドローンが一機、ゆっくりと高度を戻す。
レンズが、真っ直ぐこちらを向いていた。
「…………」
全国放送。
そうだった。
これ、生放送だった。
今の爆発も。
俺が変異種を倒したところも。
多分、全部テレビに流れている。
『映像が復旧しました!』
『江戸川探索者は無事です!』
『そして、変異種の姿がありません! 完全に消滅しています!』
『あの覆面の人物が投げた石が命中した直後、巨大な爆発が発生しました!』
『正体不明の探索者です! いったい何者なのでしょうか!?』
部屋のどこかに落ちていた中継機器から、実況者の興奮した声が聞こえてくる。
(最悪だ……!)
俺はずれかけた学ランを、慌てて鼻の上まで引き上げた。
こんなところをクラスの誰かに見られたら。
いや、制服を頭から被っている時点で、普通は誰かなんて分からない。
落ち着け。
顔さえ見られなければ、まだ何とかなる。
「助けてくださり、本当にありがとうございました」
江戸川先輩が、深々と頭を下げた。
「い、いえ! 別に! 石を投げただけなんで!」
「あれを『石を投げただけ』と表現する方を、私は初めて見ました」
先輩は小さく笑った。
あれ?
さっきまで命の危機だったのに、意外と余裕がある。
やっぱり有名な探索者は精神力も違うらしい。
「その……貴方の、お名前を教えていただけますか?」
「えっ?」
「命を救っていただいた恩人の名前を、知らないままにはできません」
まずい。
来ると思っていたけど、やっぱり来た。
本名は言えない。
始業式で同じ体育館にいたのだ。
門田露澪なんて名乗れば、後で調べられたら一瞬で同じ学校の生徒だと気付かれる。
何か偽名を。
今すぐ。ライトナウだ。
自然で、ある程度格好良くて。
絶対に身元へ繋がらない名前を。
「えっと……」
頭が真っ白になった。
格好いい偽名なんて、急に出てこない。
俺の目が、助けを求めるように周囲をさまよう。
視界の端に、破損した撮影機材が見えた。
その側面には、番組用に貼られた文字がある。
【練馬区第三ダンジョン完全攻略】
練馬。
次に、中央の巨大な爆発跡が目に入る。
爆発。火薬。
俺の頭の中で、二つの言葉が合体した。
「ダ……」
一度、止まる。
いや、違う。これは駄目だ。
絶対に駄目な気がする。
でも、江戸川先輩も撮影用ドローンも、俺の返事を待っている。
もう引き返せない。
「ダイナマイト練馬です」
言った。
言ってしまった。
「…………」
先輩が瞬きをする。
『ダイナマイト……練馬!?』
実況者が叫んだ。
いや、何言ってんの俺……!?
もっとあっただろ!
ブラックボマーとか!
クリムゾン何とかとか!
いや、それも大概だけど!
少なくとも『ダイナマイト練馬』よりはマシだったはずだ!
「ダイナマイト……練馬さん」
江戸川先輩は、その名前を大切に確かめるように繰り返した。
やめて。そんな真面目な顔で呼ばないでください。
恥ずかしさで、俺の方が爆死しそうなので。
「覚えました。決して忘れません」
「できれば忘れてください!」
「え?」
「あ、いや……何でもないです!」
その時。
ゴゴゴゴゴッ、と重い音が響いた。
閉ざされていたボス部屋の巨大な扉が、ゆっくりと開き始める。
変異種が討伐されたことで、封印が解除されたのだろう。
扉の向こうには、救護班と護衛の探索者たちが集まっていた。
「朱里さん!」
「急いで治療を!」
「覆面の男を確保しろ! 事情を聞くんだ!」
後半の一言に、俺の身体が反応した。
「それじゃ!」
俺は江戸川先輩へ短く頭を下げると、開きかけた扉へ向かって走り出した。
「あっ、待ってください!」
背後から先輩の声が聞こえる。
待てるわけがない。
捕まったら、身元を調べられる。
スキルの詳細を聞かれる。
テレビに出される。
俺の公務員になって定時帰宅する人生が、完全に終わる。
「止まれ!」
「所属を明かせ!」
「ダイナマイト練馬さん!」
「その名前で呼ばないでぇぇぇぇ!」
思わず叫んでしまった。
俺は開いた扉の隙間をすり抜け、そのまま全力で通路を駆け抜けた。




