第10話 伝説が生まれた日
都内某所。
江戸川グループ本社最上階。
巨大なモニターに映し出された中継映像を、一人の男が険しい表情で見つめていた。
江戸川グループ総帥。
江戸川剛蔵。
朱里の父親であり、国内有数の財界人でもある。
画面の中では、何度目かの再放送として、覆面の人物が石を投げる場面が流れていた。
石が命中した途端、変異種が爆発。
そして、巨大なクレーターだけが残る。
「……ダイナマイト練馬」
剛蔵は低い声で、その名を口にした。
娘を救ったことには、心から感謝している。
だが──
最深部へ突然現れ。
未知の変異種を一撃で討伐し。
素性を隠したまま、名誉も報酬も求めず立ち去った。
偶然迷い込んだ一般探索者とは、到底思えない。
しかも、娘のダンジョン攻略が全国放送される日に現れた。
娘の晴れ舞台を狙い、意図的に乱入した可能性も否定できない。
「何者だ……?」
剛蔵は背後に控えていた秘書へ視線を向ける。
「調べろ」
「ダイナマイト練馬について、でしょうか?」
「そうだ。所属、経歴、目的、すべてだ」
「しかし、本人の申告した名前が本名とは……」
「本名なわけがないだろう」
剛蔵は即答した。
秘書も眼鏡の位置を直し、静かに頷く。
「かしこまりました」
「娘の命を救った恩人ではある。無礼な真似はするな。だが、正体不明のまま放置することもできん」
「必ず見つけ出します」
「ああ……必ずだ」
モニターの中。
学ランを頭から被った怪しい男が、情けない走り方で逃げていく。
剛蔵は鋭く目を細めた。
「ダイナマイト練馬……。お前は、いったい何者だ」
◇◆◇
同じ頃。
救護班による治療を受けながら、朱里は何度もボス部屋の出口へ視線を向けていた。
もちろん、そこに覆面の青年の姿はない。
護衛の探索者たちが追いかけたものの、結局、彼を見つけることはできなかったらしい。
「江戸川さん、少し染みますよ」
「あ……はい」
救護班の女性が額の傷を消毒する。
普段の朱里であれば、痛みなど顔に出さず、治療が終わるまで静かに座っていただろう。
だが今は、まるで集中できなかった。
頭の中に浮かぶのは、先ほどの出来事ばかりだ。
ほんのわずかな時間しか話していない。
顔も見ていない。
声も、学ランの覆面越しにくぐもっていて、はっきりとは覚えていない。
分かっているのは、巨大な変異種を小石一つで倒したこと。
そして、自分を助けたあと、名誉も報酬も求めずに立ち去ったことだけだった。
「ダイナマイト練馬さん……」
小さく、その名前を口にしてみる。
少しだけ変わった名前だと思う。
いや、正直に言えば、かなり変わった名前かもしれない。
だが、朱里にとっては不思議と格好悪く聞こえなかった。
むしろ、その名前を思い浮かべるだけで、胸の奥がくすぐったくなる。
「……どうしたのかしら、私」
自分の胸元へ、そっと手を当てる。
心臓が、まだ速く脈打っていた。
戦いの直後だから。
怪我をしているから。
きっと、そういう理由なのだろう。
朱里はそう考えようとした。
けれど──
あの青年が変異種の前へ立った瞬間を思い出すたび、心臓はさらに強く跳ねた。
江戸川グループ総帥の娘。
練城学園の生徒会長。
高校生でありながら、スキルホルダーに目覚めてから僅か一年でB級へ昇格した、将来有望な探索者。
朱里は、幼い頃からずっと「強くあらなければならない」と教えられてきた。
人前で弱音を吐かない。
期待を裏切らない。
誰かに守られるのではなく、自分が皆を守る。
それが当然だと思っていた。
学校でも。
探索者としても。
いつだって自分は、誰かの前に立つ側だった。
だから──
「初めて、だったかもしれないわ……」
自分を守るために、誰かが前へ立ってくれたこと。
倒れて動けない朱里を守るため、恐ろしい怪物を自分へ引きつけた。
あの背中を思い出す。
格好いい装備を身につけていたわけではない。
立派なマントを翻していたわけでもない。
頭から学ランを被った、とても不思議な姿だった。
なのに──
朱里には、これまで見たどんな探索者の背中よりも、頼もしく見えた。
「大丈夫ですか、って……」
助けた直後、彼が最初に口にした言葉。
自分が起こした爆発に驚き、全国放送に慌てながらも、真っ先に朱里の怪我を心配してくれた。
それを思い出すと、頬がじわりと熱くなる。
朱里は誰にも気づかれないよう、そっと俯いた。
「江戸川さん? お顔が赤いようですが、熱でも?」
「い、いえ! これは、その……戦闘直後だからです」
思わず、いつもより大きな声が出た。
救護班の女性が不思議そうに瞬きをする。
朱里はますます顔を伏せた。
おかしい。
こんなことで動揺する自分など、今まで知らなかった。
もう一度会えたら、何を話せばいいのだろう。
まずは、きちんとお礼を伝えたい。
怪我はなかったのか確かめたい。
どうして最深部にいたのかも聞きたい。
それから──
あの覆面の下に、どんな顔が隠れているのかも──少しだけ気になった。
「ダイナマイト練馬さん……」
もう一度、名前を口にする。
今度は先ほどよりも、ずっと優しい声になった。
「もう一度、お会いしたいわ……」
朱里は胸元へ手を置き、まだ収まらない鼓動を感じながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
───────────────────
翌朝。
半分焦げた六畳一間の部屋で、俺はテレビを見ていた。
割れた窓にはブルーシート。
壁紙は黒焦げ。
昨日のゴキブリ爆発の傷跡が、まだそのまま残っている。
テレビでは、朝からどの局も同じ映像を流していた。
『昨日、練馬区第三ダンジョンの最深部にて、未確認の変異種が出現しました』
『絶体絶命の江戸川朱里さんを救ったのは、突如現れた謎の覆面探索者!』
『変異種を一撃で爆破した、驚異のスキルとは!?』
『そして、本人が名乗った名前は──』
画面いっぱいに、太い文字が表示される。
【謎の覆面探索者 ダイナマイト練馬】
ババァーーン!!
「…………」
俺はリモコンを握ったまま、固まっていた。
『現在、SNSでは“ダイナマイト練馬”がトレンド一位!』
『正体は有名なS級探索者ではないか、海外から来たエージェントではないかなど、様々な憶測が飛び交っています!』
『専門家は、ダイナマイトという名前に、爆発系スキルへの絶対的な自信が表れているのではないかと──』
「違う……」
苦し紛れに考えた名前だ。
自信なんて1ミリもなかった。
むしろ、言った直後から猛烈に後悔している。
『江戸川朱里さんは、命の恩人であるダイナマイト練馬さんとの再会を強く望んでいるということです!』
「やめて……」
テレビには、昨日の映像が繰り返し流れている。
学ランを頭から被った俺。
石を投げる俺。
爆発に吹き飛ばされる俺。
ダイナマイト練馬と名乗る俺。
叫びながら逃げる俺。
全国に。全部。流れている。
「最悪だ……」
俺は両手で顔を覆った。
こうして──
十七歳の誕生日に探索者になった俺は、わずか一日で……
日本中から正体を追われる、謎の覆面探索者になってしまった。
第一章終了です。
明日からは、第二章を1日1話ペースで更新予定です。




