第60話 ボス戦:練高3年生 vs. 蝗竜アポリオン②
「ギィ!」
「ギギィィ!」
「ギャァァァッ!!」
次々と卵から這い出した蝗竜の幼生たちは、鋭い爪を床へ突き立てながら一斉に駆け出した。
狙っているのは朱里たちではない。
ボスフロアの後方へ避難している、E級からC級の探索者たちだった。
「来るぞ!」
「ひっ……!」
「武器を構えろ! 迎え撃つんだ!」
探索者たちにも動揺が走る。
自分たちより遥かに高い実力を持つ"崩壊グラフィティ"が、ほんの一分も経たずに全滅したばかりなのだ。
親に比べれば遥かに小さいとはいえ、目の前へ迫ってくる怪物がどれほどの力を持っているのか誰にも分からない。
「いけない!」
朱里が顔色を変え、助けに向かおうとする。
だが、その正面へ蝗竜が立ちはだかった。
「ギギィ……!」
「くっ……!」
振り下ろされた爪を長剣で受け流す。
ここで朱里が離れれば、今度は本体が後方へ抜ける可能性がある。
「トリッシュ!」
朱里が叫んだ。
最大までチャージされた蒼炎をまといながら、トリッシュも幼生と蝗竜を交互に見る。
「…………っ」
杖を握る手が震えた。
この一撃は、ボスを倒すために、全員が身体を張って作ってくれたものだ。
藤宮が命懸けで攻撃を受け止めた。
朱里と牧島が傷を負いながら時間を稼いだ。
神も絶えず補助魔法を使い続けている。
ここで本体へ撃てば、もしかすると、倒せるかもしれない。
少なくとも大きな傷を負わせられるはずだ。
「助けてぇぇっ!!」
後方から悲鳴が響いた。
幼生の一匹が、転倒した若い探索者へ飛びかかろうとしている。
トリッシュの瞳が揺れた。
「…………もーっ!!」
次の瞬間、彼女は杖の向きを大きく変えた。
「トリッシュ!?」
朱里が目を見開く。
「そんなの……見捨てられるわけないじゃん!!」
トリッシュが杖を振りかぶった。
蓄積されていた蒼炎が一気に伸び、巨大な刀身へと形を変えていく。
人間の身長など遥かに超える、蒼い炎の大剣。
「【蒼炎剣】ッ!!」
蒼炎の大剣が、小型の蝗竜の群れへと振り下ろされた。
ゴオオオォォォォッ!!
蒼炎の大剣が床すれすれを薙ぎ払い、探索者たちへ迫っていた幼生の群れを一気に呑み込む。
「ギィィィィッ!?」
「ギャァァッ!!」
灼熱の蒼炎がボスフロアを駆け抜ける。
幼生たちは逃げる暇すらなく次々と炎に包まれ、その身体を炭化させながら崩れ落ちていった。
最後の一匹まで焼き尽くし、蒼炎が消える。
蒼炎が消え去ったあと、ボスフロアには一瞬だけ静寂が訪れた。
「た、助かった……」
「江戸川さんたちが……」
「いや……今の、あの子が……!」
後方から安堵の声が上がる。
だが、その声を聞くより早く、トリッシュの手から魔導杖が滑り落ちた。
「あ……」
膝から力が抜け、そのまま床へ手をつく。
「トリッシュ!」
神が振り返る。
「大丈夫……大丈夫だから……」
そう答えるトリッシュの顔色は青ざめ、肩で大きく息をしていた。
限界まで溜め込んだ魔力を、先ほどの一撃でほとんど使い切ってしまったのだ。
震える自分の手を見つめながら、トリッシュが小さく呟く。
「……ごめん。みんな、ごめん……」
いつもの明るさは消えていた。
目元にはうっすらと涙が滲んでいる。
「ウチが……ボスにダメージ入れなきゃいけなかったのに。せっかく、みんなが時間作ってくれたのに……」
朱里はその言葉を聞きながら、唇を強く噛んだ。
(違う。トリッシュの判断は、絶対に間違ってない)
あそこで幼生を止めなければ、後方にいた低ランク探索者たちへ間違いなく犠牲が出ていた。
トリッシュは自分たちの勝利よりも、人の命を優先した。
それは正しい。
正しいはずなのに。
(……これで勝ち筋が消えたのも事実……!)
朱里は蝗竜の爪を長剣で逸らしながら、必死に次の手を考える。
最大までチャージした【蒼炎魔女】の蒼炎は失われた。
朱里の剣では外骨格を傷つけることはできても、決定打には届かない。
藤宮の『ジャストガード』も永遠に成功し続けられるものではなく、神も補助と回復を使い続ければ、いずれ魔力が尽きる。
(どうする……!?)
その迷いが生まれた、ほんの一瞬だった。
「ギィィッ!!」
蝗竜が朱里の長剣を大きく弾く。
「しまっ──!」
朱里の横をすり抜けた巨体が、一直線にトリッシュへ向かった。
「トリッシュ!!」
魔力を使い果たしたトリッシュは、まだ床へ膝をついたままだ。
朱里の声に気づいて顔を上げた時には、巨大な拳が目前まで迫っていた。
「え……?」
間に合わない。
朱里がそう思った瞬間。
ガシュンッ!!
蝗竜の横にある石壁へ、三本爪のアンカーが突き刺さった。
金属線が一気に巻き取られ、その勢いに引かれて一つの影が猛烈な速度で飛び込んでくる。
「うおらァアアッッ!!」
牧島だった。
左腕から伸びるワイヤーを利用し、壁から壁へと身体を飛ばしながら、立体的な軌道でアポリオンの側面へ回り込む。
そのまま地面すれすれまで高度を落とし、拳がトリッシュへ届く寸前で彼女の身体を片腕に抱え上げた。
「マッキー!?」
ドゴォンッ!!
直後、二人がいた場所へ蝗竜の拳が叩き込まれ、石床が大きく陥没した。
牧島は間髪入れずに次のアンカーを射出する。
ワイヤーを巻き取りながら空中で軌道を変え、壁を蹴って柱へアンカーを打ち込み、さらに別方向へ跳ぶ。
その動きは地面だけに縛られず、三次元の空間そのものを足場として駆け回っているかのようだった。
「ったくよォ!!」
最後に大きな弧を描いてアポリオンから距離を取ると、牧島は着地し、抱えていたトリッシュをゆっくり床へ下ろした。
「無茶しやがって!」
「ご、ごめん……マッキー……」
トリッシュは俯いたまま、小さな声で謝った。
「ウチがヘマしたから……せっかく溜めた攻撃、ボスに使えなくて……」
「あァ!?」
突然響いた大声に、トリッシュがびくりと肩を震わせる。
牧島は眉間へ深い皺を寄せたまま、真正面から彼女を睨んだ。
「テメェ、何言ってやがる! 何も間違っちゃいねェだろうが!!」
「え……?」
「テメェの力はテメェのもんだ! テメェが使いてェように使えばいいんだよ!!」
牧島はさらに声を張り上げる。
「後ろのヤツら助けてェと思ったから助けたんだろ!? だったらそれでいいじゃねェか!!」
「マッキー……」
呆然とするトリッシュの頭へ、牧島は大きな手を乗せた。
そして──
「ちょっ……!」
ガシガシガシッ!!
金髪と淡いピンクの髪を容赦なく掻き回す。
「髪! 髪ぐちゃぐちゃになるって!」
「うるせェ!!」
牧島は気にした様子もなく牙を剥いて笑った。
「見直したぜ──北條……いや、トリッシュ!!」
トリッシュが顔を上げた。
牧島はどこか気まずそうに視線を逸らしたあと、改めてニィッと笑う。
「…………!」
トリッシュの目が大きく見開かれた。
「……マッキーのくせに」
トリッシュは目尻に溜まった涙を指で拭い、小さく笑った。
「そーいうとこ、ズルいんだけど……」
「あァ? 何言ってんだテメェ?」
「何でもない!」
牧島は訳が分からないとでも言いたげに首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
そしてすぐに笑みを消すと、朱里たちが戦い続ける蝗竜へ振り返った。
「神!! 藤宮ァ!! 江戸川朱里!!」
牧島の怒鳴り声に、三人が一斉に振り返る。
「あと三十秒、稼ぎやがれ!! 俺様が奥の手を使う!!」
「……奥の手?」
朱里が眉を寄せる。
「どういうことだ牧島! 何をするつもりだ!?」
神が問いただすが、その横で藤宮が淡々と口を開いた。
「無駄ですよ。あの人に説明を求めたところで、どうせ要領を得ませんからね」
そう言いながら、すでに携帯ゲーム機を操作して蝗竜へ向かって走り始めている。
「聞こえてんぞネクラ野郎ォ!!」
「でもまあ、今は藁にも縋りたい状況ですからね」
藤宮は地面を蹴った。
牧島へ顔を向けようとした蝗竜の視界へ割り込み、その顔面へ鋭い飛び蹴りを叩き込む。
ガギィンッ!!
着地と同時に二撃目、さらに三撃目。
硬い外骨格を前に、まともなダメージはほとんど与えられていない。
それでも、蝗竜の意識を牧島から逸らすには十分だった。
「乗るしかないでしょ。その奥の手ってヤツに」
「藤宮君……!」
朱里も長剣を握り直す。
自分の【紅蓮加速】だけでは、この敵を倒し切れない。
トリッシュはすでに魔力切れ。
牧島が何をしようとしているのかは分からない。
それでも、迷っている時間はなかった。
(こうなったら、牧島君に賭けるしかない!)
朱里の全身を紅い魔力が包む。
「神君! 藤宮君の回復を優先して! 私は右から入る!」
「了解した!」
神が杖を掲げる。
「【神聖十字架】──治癒!!」
銀白色の光が藤宮を包み、痛めていた脇腹の痛みが和らいでいく。
「助かります」
「無茶はするな!」
「それ、僕より牧島さんに言ってください」
「テメェらうるせェぞォ!!」
背後から牧島の怒鳴り声が飛ぶ。
だが本人は、もう三人の方を見ていなかった。
トリッシュを背後へ庇う位置に立ち、アポリオンへ正面から向き直る。
「……ったく。これはよォ」
牧島は両手を胸の前まで持ち上げた。
「"対校戦"まで取っとくつもりだったんだけどなァ……!」
パンッ!!
勢いよく両手を打ち合わせ、そのまま前へ突き出す。
「【赤腕百面相】……!!」
両腕が赤い光に包まれた。
ガキンッ。ガシャッ。ギギギギッ!!
右腕と左腕を覆っていた装甲が複雑に展開しながら互いへ伸び、二本の腕そのものが絡み合うように一つへ集約されていく。
やがて現れたのは、これまで使ってきたガトリングガンともパイルバンカーともワイヤーアンカーとも違う、巨大な砲身だった。
「な……」
後ろで見ていたトリッシュが目を見開く。
「なんなの、それ……」
「へっ……!」
牧島が口元を吊り上げた。
「俺様の、とっておきだァ!!」
その瞬間、全身の魔力が一気に両腕へ流れ込んだ。
ギュイイイイィィィィン……。
砲身の奥に灯った赤い光が、少しずつ密度を増しながら圧縮されていく。
「ぐっ……!」
牧島の顔が歪み、額から大量の汗が噴き出した。
全魔力を一撃へ注ぎ込む大技。
途中で止めることはできず、撃ち切ればその後しばらくの間、牧島自身もまともに戦えなくなる。
「あと……二十五秒だァ!!」
前方では、朱里と藤宮が必死に蝗竜を食い止めていた。
「はぁぁぁッ!!」
朱里の長剣が外骨格を打ち、藤宮の蹴りが爪を逸らす。
「→、←、→、△……!」
アポリオンも背後で膨れ上がる魔力に気づいたらしく、牧島へ視線を向けようとする。
「行かせない!」
朱里がその眼前へ飛び込み、長剣へ紅い魔力を集中させて正面から斬りつけた。
ガギィィンッ!!
「ギギャァァッ!!」
蝗竜の腕が朱里を襲う。
「会長!!」
神の回復魔法が飛ぶ。
傷を負いながらも朱里は退かず、さらに一撃、もう一撃と斬撃を重ねる。
反対側では藤宮も、ゲーム画面を凝視しながら蹴りを叩き込み続けていた。
「あと十五秒ォ!」
「長いですよ!!」
藤宮が思わず叫ぶ。
牧島のキャノン砲へ、さらに魔力が集まる。
周囲の空気が震え始め、赤い光は直視することすら難しいほどの輝きを放っていた。
ギュオオオオォォォン……!!
「十秒!!」
アポリオンが咆哮する。
「ギィィィィァァァッ!!」
朱里と藤宮を力任せに振り払い、牧島へ向かって踏み込んだ。
「させるかァ!!」
神が杖を突き出す。
「【神聖十字架】──『破邪障壁』!!」
銀白色の壁がアポリオンの前へ出現した。
ドゴォンッ!!
一撃で大きな亀裂が走る。
さらに二撃目。
ドゴォンッ!!
障壁全体へひびが広がり、神の額にも汗が滲む。
「ぐ……っ!!」
「神君!」
「構わない! 続けろ!!」
三撃目。
バキャァァンッ!!
銀白色の障壁が粉々に砕け散り、蝗竜がその向こうから突き抜ける。
「五秒!!」
朱里が再び追いついた。
「はぁぁぁッ!!」
脚部へ長剣を叩き込み、反対側から藤宮も飛び蹴りを合わせる。
二人の攻撃が重なり、ほんの一瞬だけ蝗竜の動きが止まった。
「三!!」
牧島の両脚が震える。
「二ィ!!」
砲身の先端へ赤い光が収束する。
「一ィィィッ!!」
ギュウウウウゥゥゥン……!!
全ての魔力が一点へ集約され、巨大砲の内部で限界まで圧縮された。
「──整ったァァァァァッ!!」
牧島が吠える。
「どきやがれ、テメェらァァァ!!」
「藤宮君!」
「分かってます!!」
朱里と藤宮が左右へ飛び退き、一直線に射線が開く。
その先にいるのは、蝗竜。
「喰らいやがれェェェェッ!!」
牧島が巨大な砲身を正面へ固定した。
「『赤熱破壊砲』ッッッ!!!」
次の瞬間。
両腕から形成された巨大砲が、牧島の全魔力を一本の灼熱の光へ変えて──解き放った。




