第59話 ボス戦:練高3年生 vs. 蝗竜アポリオン①
「皆さん! 落ち着いてください!」
江戸川朱里の声が、地下四十階層のボスフロアに響き渡った。
「あの変異種ボスの相手は、私たちが引き受けます! 皆さんはなるべく後方へ下がって、安全な場所に避難してください!」
恐怖に呑まれかけていた探索者たちが、次々と朱里へ視線を向ける。
「えっ……あれって……」
「高校生探索者の江戸川朱里じゃないか?」
「パーティメンバーの三人もいるぞ!」
「じゃあ、あっちは……」
「“練城高校の暴れ牛”、牧島丑雄!?」
「誰が暴れ牛だコラァ!!」
牧島が即座に怒鳴った。
そして何を思ったのか、両手の人差し指を自分の頭へ立てる。
さらに右足で地面をカッ、カッと蹴りながら前傾姿勢になった。
「突き殺すぞテメェらァ!!」
「…………」
探索者たちの間に、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。
やがて──
「……ふっ」
「いや、自分から牛やってんじゃん……」
張り詰めていた空気の中から、小さな笑い声が漏れた。
「こういうお茶目なとこあるから、マッキーの配信けっこー人気なんだよねー」
トリッシュが苦笑する。
「これを天然でやってるからズルいんですよ、この人」
藤宮は心底嫌そうな顔をしていた。
「実際はただのアホなのに」
「んだとネクラ野郎!?」
「おふざけはそこまでにしておけ!」
神が銀白色の杖を構えた。
「来るぞ!」
「…………!」
五人が一斉に表情を引き締める。
前方では、蝗と竜を掛け合わせたような巨体が、こちらへ向かってゆっくり歩き始めていた。
そのさらに後方。
二メートルほどの蚊竜は、相変わらず腕を組んだまま動こうともしない。
「頑張って! 江戸川さん!」
「牧島、頼んだぞー!」
「絶対死ぬなよ!」
朱里の指示を受けた探索者たちが、声援を送りながらフロア後方へ下がっていく。
それを確認した朱里は長剣を構えた。
「フォーメーション!」
凛とした声が飛ぶ。
「タンク、藤宮! メレー、江戸川、牧島! レンジ、トリッシュ! サポート、神!」
「了解です」
藤宮が携帯ゲーム機を両手で構え、最前列へ立つ。
その斜め後方左右に朱里と牧島。
さらに後ろでは、トリッシュが派手に装飾された魔導杖を胸元へ引き寄せていた。
「じゃ、ウチも本気モードでいくよー」
トリッシュの笑みが消える。
「【蒼炎魔女】!」
スキルを発動すると、杖の先から蒼い炎が灯った。
小さな火種だった炎が、周囲の魔力を取り込みながら徐々に膨らんでいく。
「チャージ開始! 時間稼ぎよろしく!」
「任せて!」
朱里が答える。
「藤宮! バフは!?」
神が短く問う。
「INTでお願いします」
「了解した!」
神が杖を掲げた。
「【神聖十字架】!」
神がスキルが発動すると、銀白色の光が十字を描き、そのまま藤宮の身体へ吸い込まれる。
視界が澄んでいく。
思考速度が一段階跳ね上がり、目の前の情報が細かく認識できるようになる。
「……相変わらずエナドリより効きますね」
「比較対象がおかしい!」
神のツッコミを聞き流しながら、藤宮はゲーム画面へ視線を落とした。
「【操身遊戯】……レディ」
蝗竜が踏み込む。
五メートル級の巨体が一瞬で距離を詰めた。
「来ます!」
右拳、左拳、そして右腕を大きく振りかぶった三撃目。
藤宮の指が高速でボタンを叩く。
「ここ……!」
ドガァンッ!!
最初の拳を、藤宮の右脚が横から蹴り払った。
続く左拳へ身体を滑り込ませ、今度は足裏を合わせる。
ドンッ!!
二撃目。さらに──
「っ……!」
最後の一撃。
振り下ろされる拳に対し、藤宮は寸分違わぬタイミングで回し蹴りを合わせた。
ガァァンッ!!
凄まじい衝撃がボスフロアに響く。
だが──藤宮は立っていた。
「『ジャストガード』……成功」
額から汗が流れ落ちる。
「さすがに、タイミングかなりシビアですね……これ」
「やるじゃねェか、ネクラ野郎!!」
「ナイスよ、藤宮君!」
藤宮が蝗竜の攻撃を引き受けた、その一瞬。
朱里と牧島が左右から飛び出した。
「【紅蓮加速】!」
紅い魔力が朱里の全身を包む。
「【赤腕百面相】!!」
牧島の右腕が巨大な杭打機へ変形した。
二人が蝗竜の左右を交差するように駆け抜ける。
「はぁぁぁッ!!」
「ブチ抜けやァァァ!!」
朱里の長剣が胴を斬り裂き、ほぼ同時に反対側から牧島のパイルバンカーが脇腹へ叩き込まれる。
ガギィィンッ!!
硬質な音が響いた。
「っ……!」
「クッソ……!」
二人が距離を取る。
蝗竜の外骨格には僅かな傷こそ入っていたものの、致命傷どころか深手にすら届いていない。
「かってェな、オイ!!」
牧島が牙を剥く。
朱里も息を整えながら蝗竜を睨んだ。
「焦らないで! このパーティの最大火力は、最大までチャージしたトリッシュの一撃よ!」
後方を見ると、トリッシュの周囲では蒼い炎が少しずつ勢いを増している。
「チャージが終わるまで、私たちで時間を稼ぐ!」
「上等だァ!!」
朱里は視線だけをさらに奥へ向けた。
蚊竜はまだ動いていなかった。
腕を組んだまま、まるで自分たちの戦いなど見る価値もないと言わんばかりに、無感情な目で朱里たちを眺めている。
(……今なら)
朱里は目を細めた。
(あいつが私たちを侮っている今のうちに、大きい方だけでも倒す!)
長剣へ紅い魔力を集中させると、【紅蓮加速】の出力をさらに引き上げる。
次の瞬間、朱里の姿が残像を引いた。
「はぁぁぁぁッ!!」
高速の斬撃が一閃、二閃、三閃と続けざまに蝗竜の外骨格へ叩き込まれる。
ギギィンッ!ガギィッ!!ザシュッ!!
「ギギャァァァッ!!」
初めて蝗竜が苦痛を訴えるような声を上げた。
肩口の外骨格に亀裂が走り、そこから粘つく緑色の体液が飛び散る。
「入った!」
朱里が叫ぶと、その姿を見ていた牧島がニィッと歯を剥いた。
(江戸川朱里……やっぱ強ェじゃねェか!!)
自分より五つ高いレベル。
数日前までは一つしか違わなかったはずなのに、今は見ただけでも分かるほど強くなっている。
悔しさがないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に血が滾った。
「ギィィィィァァァッ!!」
蝗竜が怒りに満ちた咆哮を上げると、背中を覆っていた外骨格が左右へ大きく開いた。
その内側から現れたのは、巨大な半透明の翅だった。
「なっ……!」
神が目を見開く。
「あの体格で、空中戦までこなすというのか!?」
「来るわ!」
朱里が叫んだ直後、翅が激しく震えた。
ブゥゥゥンッ!!
耳をつんざく羽音とともに、五メートルもの巨体がふわりと宙へ浮かぶ。
そして次の瞬間──
ドンッ!!
蝗竜の姿が弾けるように消えた。
空中を弾丸のような速度で駆け抜け、一直線に朱里へ迫る。
「速いっ……!」
朱里も【紅蓮加速】を使って後方へ飛んだ。
それでも蝗竜の方が速い。
みるみる距離を詰められ、巨大な右手が朱里の身体を掴もうと伸びてくる。
「くっ……!」
あと少しで届く──
そう思われた瞬間。
ガクンッ!!
蝗竜の巨体が不自然に空中で止まった。
「ギ……!?」
怪物が足元を見る。
左脚には金属製のワイヤーが何重にも巻きついていた。
「ブンブンブンブンって小蠅みてェによォ……」
地上では、牧島の右腕が三本爪のワイヤーアンカーへ変形している。
「飛び回ってんじゃねェよ──」
さらに左腕が展開し、無数の銃身が回転を始めた。
「カトンボがァァァァッ!!」
ドドドドドドドドッ!!
ガトリングガンから放たれた魔力弾が、一斉に蝗竜へ殺到した。
蝗竜は鬱陶しそうに左腕で顔を庇いながら弾丸を受け止める。
「へっ! どうしたァ!? 降りてこいやァ!!」
牧島がさらにワイヤーを引いた。
だが蝗竜は、自分の脚へ巻きついた金属線へ視線を落とすと、太い右手でそれを掴んだ。
「……あ?」
グンッ!!
「うおおぉッ!?」
逆だった。
蝗竜を地上へ引きずり下ろすはずだった牧島の身体が、いとも簡単に宙へ持ち上げられる。
「おいおいおいおい!!」
ワイヤーに引かれた牧島は、凄まじい勢いで蝗竜へ近づいていく。
その先では、蝗竜がすでに右拳を引いていた。
「……やべェな、こりゃ」
言葉とは裏腹に牧島は笑っていたが、その額には大粒の汗が浮かんでいる。
「牧島ッ!!」
神が叫びながら杖を振り上げた。
「【神聖十字架】──AGI強化!!」
銀白色の光が藤宮の身体へ吸い込まれる。
「……っ!」
藤宮の視線が跳ね上がり、ゲーム機を操作しながら地面を蹴った。
「だからアンタは……!」
一度壁へ飛び移ると、そのまま斜め上へ跳躍。
さらに反対側の壁を蹴り、三角跳びで一気に高度を稼ぐ。
「バカだって言うんですよ!!」
牧島と蝗竜の間へ飛び込んだ藤宮に向かい、怪物の拳が振り抜かれた。
「藤宮ァ!?」
ゲーム機を握る藤宮の指が動く。
(今!!)
空中で身体を捻り、回転の勢いを乗せた右脚を蝗竜の拳へ正確に重ねた。
ガァァァァンッ!!
「『ジャストガード』!!」
攻撃そのもののダメージは完全に無効化される。
だが、拳に込められた凄まじい運動エネルギーまでは消せない。
「ぐっ……!」
「うおおおおッ!?」
藤宮と牧島の身体がまとめて吹き飛ばされ、そのまま壁へ叩きつけられた。
ズガァァンッ!!
咄嗟に身体を入れ替えた牧島の背中が先に石壁へ激突する。
「ぐふっ……!」
口元から血が零れた。
藤宮は牧島をクッションにする形で地面へ落ちる。
「牧島さん、アンタ……」
顔をしかめる藤宮に対し、牧島は壁に背を預けたまま無理やり笑った。
「こ……これで貸し借り無しだ、ネクラ野郎……」
「そもそもアンタがヘマしなきゃ、こうなってないんですけど」
藤宮も脇腹を押さえる。
着地の衝撃で痛めたのか、呼吸するたびに肋骨の辺りがズキズキと痛んだ。
「……でもまあ、いいですよ。チャラで」
携帯ゲーム機を握り直す。
「へっ……!」
二人が再び立ち上がるのを確認し、朱里は蝗竜へ長剣を向け直した。
(やっぱり……次元が違う)
藤宮が完璧に防ぎ、牧島が拘束し、自分が全力で斬ってもまだ倒し切れない。
荒くなった呼吸を整えながら、朱里は後方へ視線を向けた。
(まだなの、トリッシュ……!?)
そして、その姿を見て目を見開く。
トリッシュを中心に、凄まじい蒼炎が渦巻いていた。
最初は杖の先へ小さく灯っていただけの炎が、今や人の背丈を優に超え、ボスフロアの天井近くまで舞い上がっている。
その熱量で周囲の空気すら歪んでいた。
トリッシュは両手で杖を握り、目を閉じたまま魔力を一点へ集中させている。
やがて──
「──よしっ!」
カッと目を開いた。
「オッケー! ウチの最大火力──チャージ完了だよー!!」
「間に合った!」
朱里の表情が明るくなる。
蝗竜の爪を長剣で逸らしながら、仲間たちへ叫んだ。
「皆! 敵の周囲から離脱して!! 距離を取って!!」
「了解!」
「やっとかァ!!」
「巻き込まれたら洒落になりませんね」
藤宮と牧島も一気に後退する。
「トリッシュ! 撃って!!」
「まかせて!」
トリッシュが杖を構えると、その先端へ凄まじい密度の蒼炎が集まっていった。
「これなら……!」
神も思わず声を上げる。
最大までチャージされた【蒼炎魔女】。
まともに命中すれば、あの異常に硬い外骨格すら焼き切れるかもしれない。
「ギィ……?」
ここへ来て、蝗竜もようやくトリッシュの存在に気づいた。
膨れ上がった蒼炎へ視線を向け、ほんの一瞬だけ動きを止める。
そして──
「ギ……ギギ……」
ガパァッ、と大きく口を開いた。
「…………え?」
朱里の動きが止まる。
笑っている。
あの怪物が、また人間を嘲笑うような仕草を見せた。
その直後──
ボコッ、と蝗竜の腹部が不自然に膨らんだ。
「……何?」
トリッシュが眉を寄せる。
さらに一度、二度と腹部の外骨格が内側から脈打ち、腰の後ろから節くれ立った細長い管状の器官が伸びてきた。
「……まさか」
朱里の顔が引き攣る。
それが何なのか理解した時には、もう遅かった。
ポンッ!!
ポポポポポンッ!!
ボウリング球ほどの大きさをした白濁色の物体が、次々とフロアへ放り出される。
「た……卵!?」
神が叫んだ。
蝗竜が身体を振るたびに、一つ、二つと数を増やしながら大量の卵が床へばら撒かれていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
トリッシュの声が震えた。
ミシッ。
最初に落ちた卵へ亀裂が走る。
続けて白い殻が内側から押し広げられ、やがてバキッと音を立てて割れた。
「ギィィィ……!」
中から這い出してきたのは、小型の蝗竜だった。
親とは比べ物にならないほど小さいとはいえ、それでも全長は一メートル近くあり、鋭い爪と牙を備えている。
さらに一匹。また一匹。
次々と卵が割れ、十を超える幼生がボスフロアへ姿を現した。
「ギィ!」
「ギギィィ!」
「ギャァァ!」
そして幼生たちは、まるで示し合わせたかのように一斉に同じ方向へ顔を向ける。
「……っ!」
朱里が息を呑んだ。
幼生たちが見ているのは、自分たちではない。
その視線の先にいるのは、後方へ避難したE級からC級の探索者たちだった。
「ひっ……!」
「こ、こっち見てるぞ……」
「何だよアレ……」
「来る……!」
幼生たちがゆっくりと身体の向きを変え、低ランク探索者たちへ狙いを定める。
朱里たち五人は、その光景を前に言葉を失った。
ようやく見え始めた勝ち筋。
トリッシュの最大火力を本体へ叩き込むために、全員が身体を張って稼いだ時間。
だが蝗竜は、その勝ち筋そのものを嘲笑うかのように、新たな絶望を大量にこのボスフロアへ産み落としていた。




