第58話 決意
「A級が……」
誰かが呟いたのをきっかけに、周囲から戸惑いの声が次々と上がる。
「A級パーティが……あんな簡単に……?」
「や、ヤバいんじゃないの……?」
「嘘でしょ……?」
「私たち……死んじゃうの……?」
一人の不安が隣へ伝わり、さらに別の誰かへと広がっていく。
五十人近い探索者たちの間に、恐怖がじわじわと浸透し始めていた。
「ど、どーすんのコレ……!? ウチらも普通にヤバくない!?」
トリッシュが珍しく青ざめた顔で周囲を見回す。
「ヤバいどころの話じゃないですね」
藤宮も低い声で答えた。
「敵の強さもそうですけど、このままだと先にこっちがパニックになりますよ」
実際、すでに泣き出している者もいれば、出口を探して走り回る者もいる。
武器を構えたまま後ずさりする者まで現れ、集団としての統率は急速に失われつつあった。
「──会長」
神が額に汗を浮かべながら、小声で朱里を呼ぶ。
「いかがなされますか」
朱里はすぐには答えなかった。
ぎゅっと目を閉じる。
怖くないはずがない。
ほんの少し前、朱里は変異種ミノタウロスを相手に、その規格外の強さを嫌というほど思い知らされたばかりだった。
自分たちが知るモンスターの常識など、変異種にはまるで通用しない。
そして、あの時は──最後の最後で、彼が現れた。
ダイナマイト練馬。
何者なのかも分からないまま突然姿を現し、自分たちでは到底勝てないと思っていた怪物を、一撃で吹き飛ばした謎の男。
だが──
(今回は……そんな都合のいいことが、何度も起きるはずがない)
崩壊グラフィティは倒れた。
周囲にいる探索者の大半はE級からC級で、他にA級の姿も見当たらない。
牧島は強い。
生徒会の仲間たちも頼りになる。
それでも、現時点で単純なレベルだけを見れば、この場で最も高いのは自分だった。
(……なら、私がやるしかない)
朱里はゆっくりと目を開く。
恐怖が消えたわけではない。
それでも、やるべきことだけはもう決まっていた。
「神君」
「はい」
「配信用ドローンを起動して」
「……は?」
予想外の指示だったのか、神が目を瞬かせる。
「し、しかし会長。現在は生徒会の職務中です。校則上、職務中の私的な配信行為は──」
「緊急事態です。責任は私が持ちます」
朱里は迷いなく言い切り、戦闘不能となった"崩壊グラフィティ"の四人へ視線を向けた。
彼らが起動した予備の撮影用ドローンは今も空中に浮かんでいる。
しかし、持ち主たちが倒れた今となっては、カメラがどこを映しているのかも、配信そのものが正常に続いているのかも分からない。
「"崩壊グラフィティ"の配信だけでは、現場の状況を正確に外へ伝え続けられる保証がありません。こちらからも映像を出します。ダンジョン配信用の回線なら、ここからでも外部へ繋がるはずです」
「……なるほど」
藤宮が納得したように呟く。
「私のアカウントから配信すれば、江戸川グループもすぐに異変へ気付くはずです。状況さえ伝われば、S級探索者を含めた救援を手配してもらえるでしょう」
「救援、ですか」
藤宮はそう言いながら、ボスフロアの奥に立つ二体の怪物へ視線を向けた。
「でも、ここ地下四十階ですよ。助けが来るまで、あの二匹が僕たちを大人しく待ってくれるとは思えませんけど」
「ええ。ですから──」
朱里は一歩前へ出た。
「私が時間を稼ぎます」
「──ッ!?」
その言葉に、牧島が勢いよく振り返った。
「馬鹿野郎、江戸川朱里!! テメェ、死ぬ気か!?」
「死ぬ気はありません」
朱里は二体の怪物から目を逸らさないまま、静かに答える。
「皆を生かすための選択です」
「だからってテメェ一人で──」
「会長」
牧島の言葉を遮るように神が前へ出ると、すでに銀白色の杖を握った状態で朱里の隣へ並んだ。
「お供します」
「……え? 神君?」
「当然、ウチも行くよ」
反対側からトリッシュも歩み出る。
「トリッシュ!?」
「だってさー」
そう言って笑うトリッシュの口元は、よく見れば僅かに震えていた。それでも彼女はいつもの明るさを崩さず、朱里の隣に立つ。
「皆を生かすって言うなら、その“皆”の中にはジュリにゃん自身も入ってなきゃ、ウチはやーだよ」
「…………」
カチッ、と携帯ゲーム機のボタンを押す音が響いた。
「僕も行きます。レイドにはタンクが必要でしょう」
いつの間にかスキル【操身遊戯】を起動した藤宮が、朱里の横を通り過ぎて前へ出る。
「藤宮君まで!? 貴方たちは下がっていて。相手がどれだけ危険か分からないのよ!」
「推奨レベル超えのボス初見討伐なんて、ゲームなら死ぬほど経験してますからね」
「現実はリトライできないのよ!?」
「知ってますよ。現実はクソゲーですから」
藤宮は相変わらず眠そうな目をしていたが、その視線だけは二体の怪物から一度も外していなかった。
「だから、初見ノーミスプレイで頑張ります」
「皆……」
朱里は三人の顔を順番に見つめた。
怖いのは自分だけではない。
神も、トリッシュも、藤宮も、目の前の怪物が尋常ではないことを理解している。それでも三人は逃げるのではなく、自分と一緒にここへ立つことを選んでくれた。
朱里は小さく息を吐くと、覚悟を決めるように頷いた。
「……分かったわ。皆で生きて帰るわよ」
「はい!」
「りょーかい!」
「善処します」
三人がそれぞれの調子で答えた、その時だった。
「待てやァァァァッ!!」
ボスフロアに大声が響き渡り、トリッシュが「ひゃっ!?」と肩を跳ねさせる。
振り返ると、牧島がガシガシと頭を掻きながらこちらへ歩いてきていた。
「な、何よ牧島君!」
「何よじゃねェ!!」
牧島は朱里たちの前まで来ると、両拳をガチンと打ち合わせた。
「テメェら、あんな面白そうな化け物を自分たちだけで独占するつもりじゃねェだろうなァ!?」
「……は?」
「俺様も混ぜろ!!」
「ま、牧島君まで!?」
朱里が目を見開く。
「貴方、ついさっきユニークモンスターと戦ったばかりでしょう!? 少しは自分の身体のことを──」
「だから何だァ!? レベルも上がって絶好調だっつーの!!」
「そういう話じゃ──」
「それによォ」
そこで牧島の声が不意に低くなった。
「なんでもかんでも、一人で背負い込むんじゃねェよ。江戸川朱里」
「…………え?」
思いがけない言葉に、朱里が目を瞬かせる。
牧島は気まずそうに顔を逸らしたまま、朱里と目を合わせようとはしない。
「今、何て──」
「ッシャアアアアァァァッ!!」
聞き返すより先に、牧島が突然大声を張り上げた。
「神!! 北條ォ!! そしてネクラの藤宮ァ!! 俺様に遅れんじゃねェぞォ!!」
「やれやれ……」
神が呆れたように肩を竦めながらも、口元には僅かな笑みが浮かんでいる。
「困った男だが、こういう時ばかりは……その空元気が頼もしく見えるな」
「ていうかマッキー!」
トリッシュが頬を膨らませた。
「ウチのこと苗字で呼ぶのやめてって前から言ってんじゃん! トリッシュって呼んでよ!」
「イヤじゃボケェ!!」
「アンタみたいなのを“明るい”って言うなら、僕はネクラで万々歳ですよ」
「んだと藤宮コラァ!?」
「喧嘩は後!」
朱里の一喝で、四人のやり取りがぴたりと止まった。
そして自然と五人が横へ並ぶ。
同じ練城高校に通う三年生五人が、二体の変異種へ向き合っていた。
そんな五人を眺めていた蝗竜が、ガパァッと大きく口を開く。
人間ならば、笑ったとでも表現するような仕草だった。
一方、その後ろに立つ蚊竜は相変わらず腕を組んだまま動こうともしない。
興味すらなさそうに五人を眺めるその姿は、まるで目の前に並んだ人間たちなど、自分がわざわざ手を下すほどの相手ではないとでも言っているようだった。
「……行くわよ」
朱里がスキル【紅蓮加速】を発動する構えを取る。
四人も、それぞれ構える。
「全員──生きて帰る!」
その言葉を合図に──
練城高校三年生、五人。
彼らは二体の変異種ボスへと向き合った。




