第57話 A級、崩壊
地下四十階層。
広大なボスフロアの中央で、"崩壊グラフィティ"の四人が慣れた動きで戦闘陣形を組んでいた。
先頭には大盾を構えた男。
その斜め後方に双剣使いが立ち、さらに距離を取った位置で魔導士とヒーラーの二人が杖を構えている。
何度もダンジョン攻略を経験してきたA級パーティらしく、互いに声を掛け合うまでもなく役割を理解しているのだろう。
その動きに迷いはなかった。
対する二体の異形は、そんな彼らを前にしているというのに戦闘態勢すら取っていなかった。
五メートルほどの蝗と竜を掛け合わせたような大型の怪物が、ゆっくりと身体を屈める。
その先にいるのは、二メートルほどの細身の怪物。
蚊と竜を思わせる姿をしたそいつは、腕を組んだまま微動だにしていない。
蝗竜が顔を近づけた。
「ギ……ギギャ……グゥ……」
「……キィ……ギィ……」
人間の言葉には到底聞こえない。
甲殻を擦り合わせるような、低く濁った音。
だが──
二体は互いに顔を向け、蝗竜が何かを伝えるたびに蚊竜が僅かに首を傾げている。
(……会話している?)
朱里の背筋に、再び冷たいものが走った。
(ボスモンスター同士が……意思疎通を取っている……!?)
現在のダンジョン研究では、内部に現れるモンスター、特にボスモンスターは、生物というよりも一種の現象に近い存在だと考えられている。
ダンジョン内に蓄積された魔導素が一定の法則に従って形を成し、その環境を維持するために生み出される存在。
少なくとも、一般的なボスモンスターが高度な社会性や知性を持つという報告はほとんどない。
それなのに──
目の前の二体は、今確かにコミュニケーションを取っている。
(やっぱり……何かが違う)
ただ強いだけではない。
もっと根本的な部分から、これまでのモンスターとは違う。
朱里の中で膨れ続ける嫌な予感をよそに、周囲からは期待の声が上がっていた。
「頼んだぞ、《崩壊グラフィティ》!」
「A級ならいけるって!」
「さっさと倒して帰ろうぜ!」
声援を受け、盾役の男が力強く笑う。
「任せてください!」
大盾を正面へ構える。
「いつも通り行くぞ! 俺が引きつける!」
「了解!」
「バフ入れるよ!」
「回復は任せて!」
四人が動いた。
狙うのは、手前にいる大型の蝗竜。
盾役が地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。
「まずはお前だぁぁぁッ!!」
蝗竜は動かなかった。
ただ、自分へ突っ込んでくる男をじっと見下ろしている。
「──は?」
次の瞬間──
右腕が動いた。
ただ、それだけだった。
ドゴォォォォンッ!!
横薙ぎに振られた拳が、大盾ごと男の身体を捉えた。
金属がひしゃげる。
盾役の巨体が冗談のように宙を舞い、数十メートル先の壁へ叩きつけられた。
ズガァァァンッ!!
石壁に亀裂が走る。
男はその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「…………」
ボスフロアから音が消えた。
つい数秒前まで上がっていた歓声も、応援していた声も、全て。
「……え?」
後衛の女性が、小さな声を漏らす。
魔導士の隣で、ヒーラーが震える手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと……待って。今の……」
蝗竜が二人へ顔を向けた。
その口元が、ガパァッ、と大きく開く。
人間の顎とはまるで違う。
左右へ裂けた口の奥で、蝗を思わせる複雑な口器が蠢いた。
「──避けろッ!! 二人ともッ!!」
双剣使いが叫んだ。が、遅かった。
バァァァァンッ!!
空気そのものが爆発した。
蝗竜の口から放たれた衝撃波が、一直線に後衛二人を呑み込む。
「きゃあぁぁッ!?」
「うぐっ──!」
二人の身体がまとめて吹き飛んだ。
宙を舞い、そのまま反対側の壁へ叩きつけられる。
杖が床を転がり、二人は糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。
「……嘘、でしょ」
トリッシュの顔から笑みが消えた。
藤宮もゲーム機から完全に視線を上げている。
神は何も言わない。
朱里も。牧島も。
誰一人、動けなかった。
「ギィ……」
蝗竜が肩を竦めるような仕草をした。
それから振り返り、後方にいる蚊竜へ何かを訴えるように両腕を広げる。
蚊竜は腕を組んだまま細い目を僅かに伏せると、つまらなそうに首を左右へ振った。
(……今の)
朱里は唇を噛んだ。
(呆れている……?)
人間を三人倒したことではない。
その程度の相手だったことに、失望している。
そんなふうにしか見えなかった。
「そ……んな……」
唯一立っている"崩壊グラフィティ"の双剣使いが、震える声を漏らした。
「馬鹿な……俺たちは……A級だぞ……?」
剣を握る手が震えている。
「何年……何年ダンジョン潜ってきたと思ってんだよ……それが……こんな……」
A級──探索者にとって、最も"長く苦しい期間"とも呼ばれる階級だ。
新人の域を抜け、一人前のプロとして社会から認められる。
その目安となるレベル帯は、およそ二十五から四十。
素材収集。モンスター討伐。ダンジョン攻略。
時には救助活動や、配信による啓蒙活動まで。
探索者として社会へ貢献できるだけの実力と実績を持つ者たちが、A級と呼ばれる。
"崩壊グラフィティ"は、その中でも戦闘だけを売りにしたパーティではない。
ダンジョンという危険な場所を分かりやすく、時に面白く世間へ伝えることで、探索者という職業の社会的なイメージ向上に貢献した。
だからこそA級へ認定された。
それでも、"崩壊グラフィティ"が紛れもないプロの探索者たちであることに変わりはない。
少なくとも、この場に集められた大半の探索者より遥かに高い実力を持つ四人だった。
その仲間たちが、ほんの数秒で次々と倒されていく。
「う……うわああああぁぁぁッ!!」
一人だけ残された双剣使いは、恐怖を振り払うように叫ぶと、そのまま地面を蹴った。
「待って!」
朱里が咄嗟に声を上げる。
彼が向かっているのは、仲間たちを倒した蝗竜ではなかった。
そのさらに後方で、戦闘が始まってから一歩も動かず、腕を組んだまま立っている蚊竜。
「いけないッ!! そいつはダメッ!!」
「馬鹿野郎!! よしやがれッ!!」
朱里と牧島の制止がほとんど同時に響く。
だが、もう遅い。
双剣使いは蚊竜との距離を一気に詰め、両手の剣を振り上げた。
その瞬間。
シュッ──と、何かが視界を横切った。
「…………え?」
双剣使いの動きが止まる。
何が起きたのか理解できていない様子で、自分の左肩へ視線を落とした。
そこにあるはずの腕が、ない。
「……は?」
一拍遅れて赤い飛沫が宙へ散った。
男の視線が恐る恐る横へ動く。
蚊竜は、今なお腕を組んだまま立っていた。
変わっているのは、腰から伸びる細長い尾だけだった。
先端の鋭い針が男の横を通り過ぎた位置で静止し、そこには切り離された左腕が串刺しになっている。
「…………あ」
双剣使いの顔が引き攣った。
直後──
ドクン、と蚊竜の尾が脈打つ。
すると針に刺さっていた腕が、みるみるうちに萎んでいった。
血液を吸われているだけではない。
肉も皮膚も、まるでその奥にある何かまで根こそぎ奪われているように、切り離された腕は瞬く間に干からびていく。
「う……うわぁぁぁぁぁぁッ!!」
ようやく状況を理解した双剣使いが絶叫した。
だが、その声が最後まで響くより早く、横から蝗竜の拳が叩き込まれる。
ドゴォッ!!
双剣使いの身体は大きく吹き飛び、床を何度も跳ねながら壁へ激突した。
そのまま力なく崩れ落ち、動かなくなる。
周囲から声が消えた。
A級探索者パーティ"崩壊グラフィティ"。
そのパーティは、戦闘開始から一分も経たないうちに戦闘不能となり、崩壊していた。




