第55話 予定変更
間違いない。
練馬区第一ダンジョンで配信していた探索者たちが、軒並み姿を消している。
ほんの少し前まで地下二十三階でグランドタートルを解体しながら配信していた牧島先輩も、今では撮影用ドローンだけを残して消えてしまった。
配信をしていなかった江戸川会長たちの安否は確認できない。
だが──
同じダンジョンの中にいた以上、無事だと楽観視する理由もなかった。
《これヤバくない?》
《マジでみんな消えてる》
《まさかダンジョン災害?》
《那覇の時と同じじゃね?》
《洒落にならなくて草》
《いや草じゃねえよ》
《牧島どこ行ったんだ》
《俺のジュリたんが……》
《管理局にはもう通報入ってるらしい》
《ダイナマイト練馬は無事なのか?》
配信画面を埋め尽くす文字を眺めながら、俺はスマートフォンを握る手に力を込めた。
背中を冷たい汗が伝っていく。
そんなコメントの中、一つの短い文章が、目に留まった。
《どうすんの? ダイナマイト練馬》
「…………」
肩がびくりと震えた。
(どうするって……)
そんなことを俺に聞かれても困る。
俺は探索者になりたくてここにいるわけじゃない。
人助けを生業にしているわけでもない。
ただ今日中に【一撃必死】を五発使い切らないと自分が爆発するから、仕方なくダンジョンへ来ただけだ。
それなのに──
(──フラン)
念話で呼びかける。
俺の声が自分でも驚くほど低くなった。
(教えてほしい)
『……なんにゃ』
(先輩たちは……探索者の皆は、死んじゃったのか?)
フランはすぐには答えなかった。
少しだけ視線を伏せる。
やがて──
『……死んではいねぇはずにゃ』
(本当!?)
『少なくとも──まだ、にゃ』
最後の二文字が、胸へ重く落ちた。
(じゃあ、どこに……? 皆が飛ばされた先って、普通の転移魔法陣と同じで最深部のボスフロアなのか?)
『恐らくにゃ』
フランが地下深くへ続く通路を見る。
『にゃけど──そこで待ってんのは、いつものダンジョンボスじゃねぇにゃ』
(……え?)
フランの翠色の瞳が細くなる。
『おみゃーら人間が“変異種”って呼んでるヤツがいるはずにゃ』
「…………」
思わず息を呑んだ。
(変異種……)
やっぱり。
フランは分かるのだ。
変異種がダンジョンにいるのかどうか。
十三階で俺が聞いた時、フランは確かに言った。
このダンジョンには、変異種は"来ていない"と。
つまり──
俺たちが練馬区第一ダンジョンへ入った時にはいなかった。
だが、さっきの異変と同時に、何かが起きた。
(……来たんだ)
変異種が。
このダンジョンへ。
(だったら!)
俺はフランへ顔を向けた。
(皆が最深部に飛ばされたっていうなら、今すぐ俺が向かえば間に合うかもしれないじゃん!)
残っている【一撃必死】は一発。
相手がどれだけ強くても、攻撃さえ成立すれば倒せるはず。
今の俺はレベル五十六だ。
地下四十階まで十階層。
本気で走れば、それほど時間はかからないはずだ。
だが──
『ロミオ』
フランの声が、俺の思考を遮った。
『おみゃーが欲しいのは、地味で目立たねぇ生活にゃろ?』
(……え?)
『公務員になって、決まった時間に仕事終わらせて、帰ったらゲームして、休みの日はゴロゴロする。そういう人生が欲しいって、ずっと言ってたにゃ』
(それは……そうだけど)
『なら帰るにゃ』
いつになく真剣な声だった。
『余計なこと気にしてねーで、残り一発どっかの雑魚に使って地上へ戻るにゃ』
フランは少し間を置いた。
『“力があるヤツには責任が伴う”とか、どっかの映画で聞いた気もするけどにゃ。そんなもん知ったこっちゃねーにゃ』
尻尾がゆっくり揺れる。
『責任なんてもんは、力が強ぇから勝手に背負わされるもんじゃねぇにゃ。自分で選んだことに、自分で背負うもんにゃ』
「…………」
『アイツらは自分で探索者って道を選んだにゃ。危険だって分かった上でダンジョンに潜ってるにゃ。それで何かあったからって、おみゃーが全部背負う必要なんかねーにゃ』
(でも……)
『せっかく転移魔法陣を避けられたんにゃぞ』
フランは俺を真っ直ぐ見上げた。
『帰るにゃ、ロミオ。ネカフェ戻って、カレーでも食って、シャワー浴びて寝るにゃ。それでいいにゃ』
「…………」
……何でだよ。
さっきまでは、俺が嫌がっているのに無理やり配信を始めさせて、勝手に地下四十階まで攻略する予定を立てて、撮れ高がどうとか、技名叫べとか、あれだけ好き放題言っていたくせに。
何で──
今になって、こんなに帰れ帰れと言うんだ。
(…………)
いや。
本当は少しだけ分かっていた。
(……もしかして)
今回のこれは、恐らく……
本当に洒落にならないのだ。
レベル五十六になった俺でも、【一撃必死】を一発残している俺でも、危険な目に遭うかもしれない。
だからフランは──俺を遠ざけようとしている。
(……優しいところあるじゃん)
短い付き合いだ。
まだ、こいつのことなんてほとんど知らない。
それでも──
そのくらいは何となく分かった。
(……ごめん、フラン)
俺はスマートフォンの画面へ視線を戻した。
コメントは今も流れ続けている。
《管理局まだ?》
《絶対行くなよ》
《那覇の件知らんのか》
《でも中にいる奴らどうすんだ》
《ダイナマイト練馬ならいけるんじゃ》
《無茶言うな》
《崩壊グラフィティ助けてくれ》
《ジュリたん……》
《頼むから誰か助けて》
俺は一度、大きく息を吸った。
それから、カメラへ向かって、ゆっくり口を開く。
「えー……どうやらですね」
自分でも分かる。
声が少し震えていた。
「この練馬区第一ダンジョンで、かなり大変なことが起きてしまっているみたいです」
コメントの流れが少しだけ変わる。
「正直、俺もまだ状況をちゃんと理解できてません。どうやら"ダンジョン災害"ってヤツみたいで……皆さんの方が詳しいかもしれないですけど」
一度言葉を止めた。
フランがこちらを見る。
俺は続けた。
「それでですね……」
喉が乾く。
怖い。
普通に怖い。
五年前の那覇第一ダンジョンでは、大勢の探索者が消えたまま帰ってこなかった。
それと同じようなことが今起きている。
それでも──
「まあ……不幸中の幸いと言いますか」
俺は自分自身を指差した。
「このダンジョンには、たまたま今、この私──ダイナマイト練馬が居合わせているわけです」
『……ロミオ?』
フランの念話が届く。
俺はカメラへ向かって、ぎこちなく笑った。
「ですので──」
少し考える。
どう言えばいいんだろう。
「えー……通常のダンジョン攻略配信から予定を変更しまして」
そして──
「『ダンジョン災害に巻き込まれた探索者を救ってみた』配信に切り替えていきたいと思うんですけど……どうでしょう、みなさん?」
『ちょっ──ロミオ!?』
フランが目を見開いた。
《うおおおおおおお!!》
《マジか!!》
《行くの!?》
《いや待て危険すぎる》
《管理局に任せろって!》
《那覇と同じなら洒落にならんぞ》
《行くなダイナマイト》
《でも今その場にいるのダイ練だけだぞ》
《崩壊グラフィティ頼む!!》
《牧島助けてやってくれ》
《ジュリたんを頼む!!》
《頼むダイナマイト練馬!!》
《これは熱い》
《絶対生きて帰れよ!!》
画面が一瞬で文字の洪水になった。
俺はそれを見ながら、念話で小さく謝る。
(ごめん、フラン)
『おみゃーなぁ……!』
フランが頭を抱えた。
『せっかくニャーが気ぃ遣ってやったのに、よくも全部台無しにしてくれたにゃ!』
(マジでごめん……でも)
別に俺の責任じゃない。
フランが言ったことは正しい。
崩壊グラフィティの人たちも、牧島先輩も、江戸川会長たちも……
皆、自分で探索者という道を選んだ人たちだ。
俺が助けなければならない義務なんてない。
(でも……)
もし今ここで帰ったとして。
明日、学校へ行って。
生徒会室の前を通って。
第二体育館の前を通って。
顔見知りになってしまったあの人たちが、もう二度と戻ってこないと知ったら──
(……たぶん、俺は後悔する)
それだけだった。
正義とか、責任とか、そんな立派な理由じゃない。
ただ──
目の前で助けられるかもしれない人を見捨てて、そのことを引きずらずに平然と生きていけるほど、俺は強い人間じゃないんだ。
『……ロミオ』
フランが、低い声で言う。
『おみゃーが──死ぬかもしれにゃーぞ』
(…………)
やっぱり。
そこまで危険なんだ。
(怖いなぁ……)
本当に……
何で俺がこんなことをしているんだろう。
それでも、だ。
俺はなるべく軽い調子を作って答えた。
(レベル八で変異種ミノタウロスと向かい合った男だよ、俺)
『…………』
(もう今さらじゃない?)
少しの沈黙。
やがて──
『はぁぁぁぁぁ……』
フランが、今日一番長いため息を吐いた。
『しょーがねぇにゃ』
(……え?)
『付き合ってやるにゃ』
フランは俺の足元へ歩いてくる。
『どうせおみゃー、ニャーがいなきゃ道にも迷うし、敵の場所も分かんねーし、配信すらまともにできねーにゃ』
(最後のは今いらなくない?)
『本当にロミオは、ニャーがいなきゃ何も出来ねぇんだからにゃー』
いつもの調子が、ほんの少しだけ戻った。
俺は小さく笑う。
(ありがとう、フラン)
『礼は生きて帰ってから言えにゃ』
「……うん」
俺はカメラへ向き直った。
「えー、それではですね」
肩を回し、首も左右へ倒す。
膝を軽く曲げて、アキレス腱を伸ばす。
「ちょっと急ぎ足で、最深部まで行ってみたいと思います」
《急ぎ足って》
《散歩みたいに言うな》
《頼んだぞ》
《絶対無茶すんな》
《頑張れダイナマイト練馬》
《救ってくれ》
俺は息を吸った。
地下四十階まで、残り十階。
ここから先は、隠れる必要もない。
誰かを避ける必要もない。
むしろ──
一秒でも早く行かなければならない。
(フラン)
『にゃ』
(最短ルートお願い)
『任せろにゃ』
フランが『探査』を広げる。
『三十メートル先を右。その後すぐ左にゃ。モンスターは全部無視して突っ切るにゃ』
(了解)
俺は腰を落とした。
「それじゃ──行きます」
地面を蹴る。
ドンッ!!
景色が弾けた。
今まで配信中に見せていた速度なんて、比べ物にならない。
洞窟の壁も、魔晶石も、一瞬で後方へ流れていく。
《!?》
《はっや》
《消えたw》
《カメラ追いついてない》
《待って今まで全然本気で走ってなかったの!?》
《速すぎて背景見えねえ》
《ダイナマイト練馬いけええええ!!》
コメントが猛烈な勢いで流れる。
だけど、もう見る余裕はなかった。
(待ってて、皆)
俺は、今日初めて、人から逃げるためではなく、誰かのところへ駆けつけるために──
本気でダンジョンを走った。




