第54話 ダンジョン災害
「マジの緊急事態って……どういうことだよ、フラン?」
俺は、ついさっきまで"崩壊グラフィティ"の四人が立っていた場所を見つめながら尋ねた。
地面にはもう魔法陣の光すら残っていない。
本当に、最初から誰もいなかったみたいに静まり返っている。
『どういうことも何もねーにゃ。言葉通りの意味にゃ』
フランは淡々と答えながら、スマートフォンを取り付けていた自撮り棒をカチカチと畳み始めた。
さっきまでのフランなら「撮れ高がどう」とか「配信続けるにゃ」とか言いそうなものなのに、今はそんな素振りがまるでない。
収納を終えると、さっさと来た道へ身体を向ける。
『さ、とっとと帰るにゃ』
「……え?」
『残り一発の【一撃必死】は、帰り道でそこら辺のカメでも適当に爆破すりゃいいにゃ。今なら『探査』使って最短ルート戻ればいいにゃ』
「ちょちょちょ! 待って待って!」
俺は慌ててフランの前へ回り込んだ。
「全然分かんないんだけど! さっきまで地下四十階まで行く気満々だったじゃん! 何で急に帰るの!?」
『だから緊急事態だっつってんにゃ』
「説明! 説明してよ!」
俺が食い下がると、フランはぴたりと足を止めた。
しばらく黙ったまま俺を見上げる。
そして──
いつものような乱暴さすら薄れた、妙に平坦な声で言った。
『──説明して、いいのかにゃ?』
「…………」
ぞくりと背中が冷えた。
その言葉の意味は、すぐに分かった。
数日前、フランと出会ったばかりの俺は、この猫が何かとんでもない秘密を抱えていそうだと察して、念入りに言ったのだ。
世界の秘密とか、人類が知らない真実とか。
そういう面倒な話は一切聞きたくない。
絶対に俺へ話すな、と。
(……つまり)
フランが今、改めて確認してきたということは、この異変は、俺がこれまで意識して避け続けてきた何かに繋がっている。
「…………」
聞きたくない。
本音を言えば、今でも全然聞きたくない。
聞いた瞬間に、戻れなくなる気がする。
俺が黙っていると、フランは大きく息を吐いた。
『はぁー……しゃーねーにゃ』
尻尾を一度だけ振る。
『核心に触れねーように、かいつまんで話してやるにゃ。それならいいにゃ?』
「…………うん」
少し迷ってから、俺は頷いた。
『たった今、この練馬区第一ダンジョンで──おみゃーら人間が言うところの"ダンジョン災害"が起きたにゃ』
「ダンジョン……災害……?」
聞いたことがある。
いや、聞いたことがあるどころか、ニュースで何度も耳にした言葉だ。
(……そうだ)
五年前。
沖縄県の那覇第一ダンジョンで起きた大規模失踪事件。
当時ダンジョン内にいた探索者たちが、ほぼ同じ時間帯に一斉に消息を絶った。
中には配信中だった探索者もいた。
映像には突然乱れが走り、その直後に本人の姿が消えたもの。
撮影機材だけを残して映像が続いていたもの。
様々な記録が残ったらしい。
その後、国がA級やS級探索者を多数投入し、大規模な捜索を行った。
だが──
見つかったのは、最深部のボスフロアに散乱していた装備品や私物だけ。
行方不明になった探索者たちは、五年経った今も一人として見つかっていない。
当時ニュースでは、物々しいテロップと一緒に、こんな言葉が繰り返されていた。
──探索者たちは、ダンジョンに喰われた。
「…………」
背中に嫌な汗が滲んだ。
さっきの光景。
"崩壊グラフィティ"の足元へ突然現れた魔法陣。
四人の姿が、一瞬で消えた。
あれと、五年前の事件が同じものだとしたら。
『分かったにゃ?』
フランが俺の顔を見る。
『今ここで起きてんのは、不測の事態ってヤツにゃ。馬鹿正直に付き合う義理なんてねーにゃ』
そう言って、また出口側へ歩き始める。
『これ以上下には行かねーにゃ。さっさと上へ戻ってネカフェ帰るにゃ』
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
俺は慌てて追いかけた。
「さっきの"崩壊グラフィティ"の人たちは!? 転移魔法陣みたいなので消えちゃったよね!? あの人たち、放っておいていいの!?」
フランの足が一瞬止まる。
しかし、振り返らなかった。
『……そんなの、ロミオが気にすることじゃねーにゃ』
「え?」
『アイツらもA級探索者にゃ。こういうこともあるって覚悟の上で、危険なダンジョン潜ってんにゃろ』
声は冷たかった。
『おみゃーがわざわざ首突っ込む理由はねーにゃ』
「それは……そうかもしれないけど……」
確かに、探索者は危険な職業だ。
さっきまで俺自身、そう考えていた。
A級ともなれば、その危険性なんて誰より理解しているはずだ。
だから、俺が助けなきゃいけない義務なんて──
「…………あ」
そこでふと、別の考えが頭に浮かんだ。
「フラン!」
『なんにゃ』
「これ……ひょっとして、"崩壊グラフィティ"だけじゃないんじゃない!?」
フランが黙る。
「他の探索者にも、同じような転移が起きてる可能性あるよね!? だとしたら……!」
脳裏に何人もの顔が浮かぶ。
江戸川会長。神先輩。藤宮先輩。トリッシュ先輩。
そして、ついさっきまで二十三階で配信していた牧島先輩。
「生徒会の皆さんや牧島先輩は!?」
俺はフランが持っていたスマートフォンをひったくった。
『なにすんにゃ』
「ニュース! SNS! 何か情報出てるかも!」
画面を操作する。しかし──
「…………繋がらない!」
アンテナ表示は圏外。
当たり前だ。
ここは地下三十階。
専用設備を介さない通常通信なんて届くわけがない。
「あああ……!」
頭を抱える。
「確認のしようがない! どうしよう!? 今から上へ戻りながら一階ずつ探すしかないのか……?」
三十階から地上まで。
いくら今の俺が速いとはいえ、枝分かれした通路を全部確認していたら時間がかかる。
そもそも、転移してしまったのなら探しても見つからない。
『はぁー……』
またフランがため息をついた。
『おみゃー、変なところで頭回らねーにゃ』
「え?」
『ダンジョン配信用の回線があるにゃろ。それなら中でも繋がるにゃ』
「…………あ」
そうだった。
俺たちが今まで配信していたのだから、当然だ。
『視聴者の連中に聞きゃいいにゃ。今このダンジョン入ってる他の探索者の配信がどうなってるか、地上のヤツらなら確認できるにゃろ』
「それだ!」
俺は顔を上げた。
「ありがとう、フラン!」
『……にゃ』
フランが小さく返事をする。
俺は急いで配信用アプリを立ち上げた。
「配信、繋ぐよ!」
『好きにするにゃ』
接続して数秒後。
画面に俺の姿が映り、すぐさまコメントが流れ始めた。
《お、戻った》
《再開きた》
《またトイレ?》
《トイレ休憩多すぎだろ》
《ダイナマイト頻尿》
《おはダイナマイト》
《おはD》
《おはD》
《おはD》
「…………」
今はそれどころじゃない。
そう思いながら、ふと画面上部の数字が目に入った。
同時接続数──11564。
「…………」
一万。
いや、一万一千人以上。
(…………多過ぎる)
軽く眩暈がした。
ほんの数時間前。
開始直後は三十人くらいしかいなかったはずなのに。
(いやいやいや、今それどころじゃない!)
無理やり意識を戻す。
俺はカメラへ顔を近づけた。
「ねぇ、視聴者のみんな! ちょっと確認してほしいことが──」
《あれ?》
《おはダイナマイトは?》
《挨拶は?》
《おはDやれよ》
《流行らせたいんじゃないのか》
《お前が始めた物語だろうが》
「…………」
なんでそこだけ妙に厳しいんだよ。
でも今ここで揉めている時間も惜しい。
「あーもう! はいはい!」
ヤケクソになって両手を胸の前へ持ってくる。
指でDの形を作り、声を張る。
「おはダイナマァァァイト!!」
《おはD》
《おはD》
《草》
《言えたじゃねえか》
《やればできるじゃん》
《今日一投げやりで草》
「そんなことより!」
強引に話を戻した。
「お願いがあります! 今すぐ、練馬区第一ダンジョンに入ってた他の探索者の様子を確認してほしいんだけど、できますか!?」
画面へ向かって頭を下げる。
「配信してる人がいたら、その人たちの配信が今どうなってるか見てください! お願いします!」
《急にどうした》
《ダイ練、強いのに腰低いな》
《好感持てる》
《まかせとけ》
《他の探索者?》
《今日ダイナマイト練馬追って潜った奴かなりいたぞ》
《崩壊グラフィティも入ってたよな》
《そういや途中から崩壊グラフィティ見てた》
《江戸川朱里も入ってるって噂あったぞ》
《ジュリたんは今日は配信してない》
コメント欄の速度が一気に上がった。
一万人以上が同時に情報を探し始める。
こんな時だけは、配信者になったのも少しくらい役に立つのかもしれない。
十秒。二十秒。
そして──
《……あれ?》
一つのコメントが流れた。
《崩壊グラフィティ、ドローンだけ映ってる》
《本人四人いない》
《いやさっきダイナマイトのとこで消えたやん》
《別の配信も見てきた》
《探索者いないぞ》
《こっちも》
《カメラだけ残ってる》
《○○チャンネル配信切れてる》
《△△パーティも誰も映ってない》
《待って》
《これ同時じゃね?》
《何これ》
《神隠し?》
《怖いんだけど》
「…………」
喉が乾く。
コメントは止まらない。
《牧島丑雄の配信もおかしい》
「……え?」
思わず声が出た。
《さっきまで亀解体してたのにいなくなってる》
《ドローンだけ残ってるぞ》
《マジだ》
《牧島消えた》
《何が起きてんの?》
「…………」
俺は画面を見つめたまま動けなくなった。
牧島先輩が──
(……消えた?)
胸の奥が冷たくなる。
(じゃあ……)
配信をしていなかった人たちは?
確認する方法がない。
(江戸川会長たちは……?)
六階で会った。
二十階ではメガサイクロプスと戦っていた。
その後も、もっと下へ進んでいるはずだ。
(まさか……)
冷や汗が背中を伝った。
配信していた探索者たちが、一斉に姿を消した。
なら──
配信していなかった人間だけ無事だと考える理由なんて、どこにもない。
「…………」
俺はスマートフォンを握ったまま、何も言えなかった。
その隣で、フランだけが──
いつものふざけた表情を完全に消し、じっと俺の顔を見つめていた。




