第46話 練馬区第一ダンジョン
午後八時。
俺──門田露澪は、練馬区第一ダンジョンの地下五階にいた。
練馬区内に存在するダンジョンの中では、最も難易度が高いと言われている場所らしい。
内部は巨大な鍾乳洞のような造りになっていて、ゴツゴツとした岩壁や地面のあちこちから、青や紫の光を放つ結晶が生えている。
魔晶石。
ダンジョン内で採掘できる代表的な資源の一つで、内部に微量の魔導素を蓄えているらしい。
大小様々な魔晶石の光が薄暗い洞窟内を照らしているおかげで、松明や懐中電灯がなくても、周囲を見渡す程度なら困らない。
幻想的で、神秘的。
普段の俺なら、もう少し感動していたと思う。
だが、今の俺に景色を楽しむ余裕はなかった。
「……ねぇ」
『なんにゃ』
「これ、本当に大丈夫?」
地下五階の一角。
他の探索者の気配がない小さな広間で、俺は何度目か分からない確認をした。
少し離れた場所では、フランが後ろ脚で立ちながら、両前脚で俺のスマートフォンを抱えている。
対する俺の格好はというと──
顔にはプロレスラーの様な黒い覆面。
身体には、上から下までピッタリと身体へ張りつく黒いトレーニングウェア。
放課後、ここへ来る途中に寄った量販店で、フランが選び、俺が言われるまま購入したものだ。
「鏡で見た時から思ってたけどさ……覆面ヒーローっていうより、道場から抜け出してきたメキシカンプロレスの練習生みたいじゃない?」
『大丈夫にゃ』
「その大丈夫、即答過ぎて逆に信用できないんだけど」
『OurTubeの視聴者なんて、動物園に珍獣見に来る客みてーなもんにゃ。変な格好のヤツが変な挙動してるくらいの方がバズるにゃ。そういうもんにゃ』
「無茶苦茶言うな、お前」
ものすごい偏見だった。
しかも、フランから見てもこの格好は変なのか。
それはそれで聞きたくなかった。
『さ! そろそろ始めるにゃ! いつまでもウダウダしてたら今日のノルマ終わらねーにゃ!』
「分かってるけどさ……」
俺は自分の格好をもう一度見下ろした。
そういえば。
「あれ?」
『今度はなんにゃ』
「今思ったんだけど、『幻視変身』使うなら、本物の覆面とか衣装って必要なくない?」
『…………』
「魔法でそれっぽい格好に見せればいいだけじゃん」
『おみゃーな』
「はい」
『配信途中でニャーの魔力切れたら、生放送で素顔晒すことになるけどいいのにゃ?』
「…………」
『万が一に備えて、実物でも顔隠しとくに決まってんにゃろ。この期に及んでごちゃごちゃうるせーにゃ。始めるにゃ』
「……はい」
覆面をしっかり締め直した。
正論だった。
『幻視変身』
フランが小さく唱える。
俺の身体を淡い魔力が包み、見た目の輪郭がゆっくりと変化していく。
百八十五センチ近い現在の体格から、あの日、江戸川会長を助けた時と同じ百七十二センチほどの身長へ。
発達した肩や胸回りも細く見える。
声の響きも僅かに違う。
鏡がないので確認はできないが、これなら少なくとも見た目だけで門田露澪と結びつけられる可能性はかなり低いはずだ。
『準備いいにゃ?』
「よくはない」
『始めるにゃ』
「聞いた意味なくない?」
フランがスマートフォンの画面を前脚で器用に操作する。そして──
『三、二、一……開始にゃ!』
配信が始まった。
「…………」
スマートフォンのレンズが、こちらを向いている。
全国……いや、場合によっては世界中の誰かが、今、この映像を見ているかもしれない。
(落ち着け……)
昨日までただの高校生だった俺が、今から配信者として、インターネットの向こう側にいる不特定多数の人間へ話しかける。
胃が痛い。
『打ち合わせ通りにゃ!』
フランの声が、従魔契約を通じて頭へ直接響く。
(本当にやるの?)
『やるにゃ!』
(今からでも変更しない?)
『はよやれにゃ!!』
仕方ない。
俺は両手を胸の前へ持っていき、右掌をピーンと伸ばし、左手の指を丸くして──
どうにかアルファベットのDっぽい形を作った。
「し、視聴者の皆さん……」
息を吸う。
「おはD!」
『…………』
静寂。
鍾乳洞の奥から、水滴の落ちる音がした。
「…………」
耐えられない。
「ねぇ!? この挨拶、本当にやらなきゃ駄目!? バカみたいじゃない!? 俺、今ものすごく辛いんだけど!?」
『もう配信始まってんにゃ!! ニャーに話しかけるんじゃねーにゃ!!』
「そんな事言われてもさぁ!」
『OurTubeなんざ、開始数秒で動画飛ばされるのが常にゃ! インパクトだけのバカみてぇな挨拶でも、最初に何か引っかかり作っとくのが定石にゃ!』
「バカみたいではあるのかよ……」
項垂れる。
ちらりとスマートフォンの画面を見ると、配信開始直後にもかかわらず、同時視聴者数は三十数人。
意外だった。
アカウントを作ったばかりなのに、既にこんなに見ている人がいる。
恐らく『ダイナマイト練馬』という名前で検索に引っかかり、冷やかし半分で覗きに来た人たちなのだろう。
「えー……改めまして」
俺は咳払いした。
「私が……その……ダイナマイト練馬です」
《嘘乙》
《はいはい偽物》
《なりすましキター》
《本物がこんな過疎配信するわけなくて草》
《おはDって何だよ》
《腹を切れ》
「…………」
心が折れそうだ。
「あ、あの……本物なんですけど……」
《証拠は?》
《本物がこんなキョドる訳無くて草》
《覆面しただけの別人だろ》
《声もなんか違くね?》
「…………」
声はわざと変えてるんです。
とは言えない。
(どうしよう、フラン)
念話で問いかける。
『埒あかねーにゃ』
フランがカメラを構えたまま、顎をクイッと動かした。
その先。
少し離れた広場状の空間に、一体の巨大な魔物がいた。
全長五メートル近い、トカゲ型のモンスター。
黒緑色の分厚い鱗。太い四肢。地面を引きずる長い尻尾。
ヒュージリザードだ。
『ろ……じゃにゃかった、ダイナマイト練馬』
(念話なんだからロミオでいいでしょ……)
『本物の証拠として、ちょっとアイツ爆殺してこいにゃ』
「えぇ……」
思わず声が出た。
「そんなコンビニでパン買ってこいみたいなノリで……」
《誰と喋ってんだこいつ》
《独り言多すぎて草》
《配信に映しちゃいけない人なのでは》
「…………」
しまった。
念話への返事を普通に口に出してしまった。
(最悪だ……)
とはいえ、だ。
ヒュージリザードを爆破すること自体は問題ない。
むしろ好都合だ。
今日の【一撃必死】は、まだ五発丸々残っている。
「まあ……いいけどさ。どっちみち消化しなきゃいけないし」
俺はスマートフォンのレンズへ向き直った。
「そ、それでは視聴者の皆さん。本物の証拠と言っては何ですが……今から、あそこにいる巨大なトカゲを爆破してみたいと思います」
《滅茶苦茶で草》
《爆破予告》
《やれるもんならやってみろ》
《映像合成だろどうせ》
《そのトカゲ普通に結構強いモンスターじゃね?》
俺はヒュージリザードへ視線を向けた。
ここで一つ注意しなければならない。
今の俺はレベル五十六。
下手に殴ったり蹴ったりしたら、【一撃必死】が発動する前に普通に殺してしまう可能性がある。
そうなればノルマは減らない。
だから。
(軽く……本当に軽く……)
姿勢を低くする。
「それじゃ……行きます」
ドンッ!!
床を蹴った。
一瞬で景色が後ろへ流れる。
ヒュージリザードがこちらへ顔を向けるより先に、その懐へ潜り込んだ。
「そーっと、そーっと……」
人差し指を伸ばす。
殴らない。突かない。
本当にただ触れる程度。
ツン。
分厚い鱗を砕き、指先が僅かに肉にめり込む。
瞬間──
ヒュージリザードの巨体を、淡い光が包む。
(よし、発動した!)
俺は即座に踵を返した。
再び地面を蹴る。
次の瞬間には、フランの構えるスマートフォンの前へ戻っていた。
「…………」
カメラを見る。
《今何した?》
《速っ》
《消えた?》
《どこいった?》
《何だ今の》
俺はヒュージリザードを指差した。
正確にはもう、スキルは発動している。
技名を言う必要なんてない。
だが配信前、フランから言われていた。
『必殺技には名前叫んどけにゃ。その方が映えるにゃ』
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
でも、もう『おはD』までやった。
ここまで来たら同じだ。
巨大なトカゲを人差し指で指し、呟く。
「【一撃必死】」
呟いた、その直後。
──カッ!!
ヒュージリザードの身体が、真っ白な光を放った。
ボガァァァァァァァンッ!!
轟音。
巨大な火球が、地下五階の広場いっぱいに膨れ上がる。
爆風が鍾乳洞を駆け抜け、俺のトレーニングウェアと覆面を激しくはためかせた。
「うわっ……!」
分かってはいたが、やっぱり威力がおかしい。
隣ではフランも、スマートフォンを抱えたまま踏ん張っている。
『相変わらずやべー威力にゃ……!』
(俺に言われても!)
『人払いの結界は張ってあるけど、これ以上ここで爆発させたら流石に誰か来るにゃ! 場所変えるにゃ!』
(分かった!)
俺は爆炎の向こうを見ながら、カメラへ軽く頭を下げた。
「えー……そんなわけでですね」
ものすごく気まずい。
「私が本物のダイナマイト練馬です。はい」
《…………》
《は?》
《え》
《今の何???》
《本物じゃね?》
《えっ待って》
《あの時の爆発と同じじゃん》
《誰か切り抜け》
《SNS貼ってくる》
《マジで本物だろこれ》
《ダイナマイト練馬本人配信してんぞ!!》
「それじゃ、ちょっと移動しますね……」
俺はスマートフォンを抱えたフランの後を追って、足早にその場を離れた。
その時の俺は──後ろで流れ続けているコメント欄など、ほとんど見ていなかった。
ましてや、三十数人だった同時視聴者数が──
五十。百。三百。七百。千。
さらにその先へと。
ものすごい勢いで桁を増やし始めていたことなど、知る由もなかった。




