第45話 断腸の思いのデビュー
午後四時半。
学校を出た俺──門田露澪は、昨日と同じネットカフェへ戻ってきていた。
もちろん、このまま今日一日を終えられるわけではない。
今日の【一撃必死】は、まだ一発も消化していない。
つまり、この後はダンジョンへ潜って、日付が変わるまでに五体のモンスターを爆発四散させなければならない。
我ながら、放課後の予定としては物騒極まりない。
では、なぜわざわざ一度ネットカフェへ戻ってきたのか。
理由は単純。
今夜の寝床を確保するためである。
昨日と同じ鍵付き個室ブースを押さえ、俺は学校の鞄を床へ置いた。
「はぁぁ……疲れた……」
椅子へ深く腰を沈める。
今日は朝から学校へ行っただけなのに、精神的な消耗がとんでもない。
クラスでは昨日のダンジョン配信について質問攻めに遭い、生徒会室ではダイナマイト練馬の正体を疑われ、その直後には牧島先輩に捕まり、第二体育館でガトリング砲を乱射された。
普通の高校生の一日ではない。
少なくとも、中学生の頃の俺が思い描いていた高校生活とは一ミリも一致していなかった。
『おみゃー、今日はちゃんと着替え持ってきたんにゃ?』
机の上では、フランが紙カップに顔を突っ込み、ソフトクリームをぺろぺろ舐めている。
「持ってきたよ。昨日買ったやつ」
『にゃるほど』
制服や下着については、昨日の夜に近所のコインランドリーで洗濯済み。
さらに、ネットカフェで過ごすためのスウェットと肌着も、安いファストファッションの店で一式購入してある。
予定外の出費ではある。
だが、これは必要経費だ。
(ただでさえ妙な目立ち方してるんだ……)
その上さらに、
『門田って最近なんか臭くない?』
などという噂まで立った日には、今度こそ俺は学校へ行けなくなる。
謎の新人探索者としてバズるのは、まだギリギリ耐えられる。イヤだけど。
『なんかでかくて臭い奴』略して『でかくさ』としてバズるのだけは絶対に嫌だ。
こればかりは金を惜しんでいる場合ではない。
「それよりフラン」
『んにゃ?』
「ちょっと真面目な相談がある」
『またかにゃ』
またとは何だよ。
俺がどれだけ真剣な顔をしていると思っているのか。
まあ、その相談相手が口の周りにソフトクリームをつけた猫という時点で、かなり締まらないのだが。
「今日、学校で聞いたんだけどさ……どうも、このままだと門田露澪本人の人気が、ダイナマイト練馬を追い越す可能性があるらしい」
『ほー』
「反応薄くない?」
『だってニャーからすりゃ、どっちもおみゃーにゃ』
「そうなんだけど! そこが重要なんだよ!」
俺は机へ身を乗り出した。
「ダイナマイト練馬は、あくまで正体不明の誰かだからいいんだ。いくら有名になっても、俺自身の日常には直接関係ない。でも門田露澪として有名になったら、学校でも街でもずっと顔を見られることになるだろ?」
『もう既にそこそこ見られてるにゃ』
「言わないで」
『現実にゃ』
「俺には何も見えない」
傷口へ塩を擦り込む従魔である。
俺が項垂れていると、フランはカップの底に残ったソフトクリームを舐め取りながら、尻尾をゆらゆら振った。
『だったら、いっそ諦めて有名配信系探索者になるにゃ』
「絶対イヤ」
『即答にゃ』
「当たり前だろ」
有名人。インフルエンサー。配信者。
どれも俺にとって、将来なりたくない職業ランキングのかなり上位だ。
インフルエンサーになるくらいなら、インフルエンザにかかって高熱にうなされている方がまだマシである。
『ニャーはもう、二日目にしてカレーとソフトクリーム中心の生活に飽きてきたにゃ。もっと稼いで、まともな部屋借りるにゃ。マグロも食わせるにゃ』
「軽く言うなよ。俺が人前に顔出して配信なんかするわけないだろ」
『じゃあ一生ネカフェでカレー食って暮らすにゃ?』
「それも嫌だけど……」
とはいえ、だからといって有名配信者になるという選択肢はない。
「そんなことになるくらいなら、俺は国外逃亡も辞さない」
『おみゃー、なにを言ってんにゃ?』
「俺のことを誰も知らない新天地へ旅立つ。海外なら、さすがに今よりは静かに暮らせるだろ」
『ロミオは海外行ったって、どーせ今と同じように不本意に目立って世間から追い回されるに決まってるにゃ』
「ひどくない?」
『事実にゃ』
完全には否定できないのがもっとひどい。
俺自身、何となくそんな気がする。
渡航初日に空港でモンスター騒ぎへ巻き込まれる未来が、妙に具体的に想像できてしまった。
『まあ聞けにゃ』
フランは前脚で口元を拭うと、俺を見上げた。
『ニャーは別に、門田露澪として有名配信者になれって言ってるわけじゃねーにゃ』
「……どういうこと?」
『ロミオ本人じゃなくて、“ダイナマイト練馬”が有名配信者になりゃいいにゃ』
「……えぇ?」
意味が分からない。
俺が首を傾げると、フランはやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。
猫なのに。
『よーく考えるにゃ。おみゃーは今、“門田露澪がダイナマイト練馬より人気になる”のを恐れとるんにゃろ?』
「まあ……そうだけど」
『だったら簡単にゃ』
フランがニヤリと笑う。
『ダイナマイト練馬の人気を、もっともっと上げればいいにゃ』
「…………」
『そうすりゃ移り気な世間なんざ、ロミオのことなんかすぐ忘れて、ダイナマイト練馬の方に夢中になるにゃ』
「…………なるほど」
言われてみれば、一理ある……のか?
「……いや待って」
危うく納得しかけた。
「それ、結局俺が有名になることには変わらなくない?」
『有名になるのは“ダイナマイト練馬”にゃ』
「中身、俺なんだけど」
『正体さえバレなきゃ、門田露澪には関係ねーにゃ』
「いや、でも……」
『つーか、もうおみゃーの顔はある程度世間に知られちまってるんにゃろ? なら、新しい話題で上から塗り潰さねーと、自然に鎮静化するの待ってるだけじゃ遅いんじゃにゃーか?』
「…………」
痛いところを突かれた。
確かにそうだ。
今の俺はもう、『これから目立たないようにしよう』で済む段階ではない。
百万再生を超えた切り抜き動画が存在している以上、ネットから完全に忘れ去られるまでには時間がかかる。
その間にも、また何か起きれば話題が再燃する可能性は十分ある。
だったら──
もっと大きな話題をぶつける。
ダイナマイト練馬という別の存在を、意図的に目立たせる。
そうすれば、門田露澪への興味が薄れる可能性はある。
(……嫌だけど)
ダイナマイト練馬として目立つのも嫌だ。
だが──門田露澪として目立つのは、その百倍嫌だ。
「……案としては、なくはないかも」
『にゃろ?』
「イヤだけどね?」
『おみゃーの好き嫌いはこの際どうでもいいにゃ』
「俺の人生なんだけど」
その時、俺はある重大な問題に気づいた。
「あっ!」
『今度はなんにゃ』
「駄目だよフラン!」
俺は椅子から立ち上がる。
「俺、ダイナマイト練馬としてテレビに映った時より、めちゃくちゃ身長伸びてるじゃん!」
『あー、そういやそんな事言ってたにゃ』
「当時は百七十二センチくらいだったのに、今は百八十五くらいあるんだぞ! この身長で学ラン頭に巻いて『ダイナマイト練馬、参ッ!上ッ!』とかやってみろよ!」
江戸川会長。神先輩。
藤宮先輩。トリッシュ先輩。
今日の生徒会室でのやり取りを思い返す。
「『やっぱり正体、門田露澪じゃない?』ってなるよ!!」
『にゃるほど……』
フランも少し考え込む。
やはり駄目か。
そう思った、次の瞬間だった。
『確かに、身長バレの線はあるかもにゃ』
フランの口元が、不敵に吊り上がる。
『にゃが、しかし!!』
「え?」
『それは、このスーパープリチー有能従魔のニャーがいなかったら、の話にゃ!!』
カッ!!
フランが目を見開いた。
『幻視変身にゃ!!』
ポンッ。
「……え?」
何かが変わった。
慌てて個室の壁に備え付けられた鏡を見る。
「…………えぇ!?」
そこに映っていたのは──
俺……なのだが。
今の俺ではない。
身長は一気に低くなり、視覚上は以前の百七十二センチ程度へ戻っている。
顔には、あの時と同じように学ランを巻いた覆面姿。
体格も、今の妙にガッシリした身体ではなく、変異種ミノタウロスを倒す前の細身の少年体型に見える。
「これって……変身魔法!?」
『厳密には、身体そのものを変えてるわけじゃねーにゃ』
フランが胸を張る。
『見てるヤツの視覚に幻覚を重ねて、“そう見せてる”だけにゃ。声の響きも多少ズラしてあるから、そこからバレる心配も減るにゃ』
「すごい……!」
『ただし、実際の身体は今のままにゃ。見た目百七十二でも、頭の位置はちゃんと百八十五にあるから気をつけるにゃ』
「えっ」
俺は自分の頭へ手を伸ばす。
鏡の中では何もない空間に手を置いているように見えるが、ちゃんとそこには自分の頭があった。
「怖っ!」
『あと、消費する魔導素量も結構多いにゃ。ずっとかけっぱなしは無理にゃけど、ダンジョン潜ってる間くらいなら維持できると思うにゃ』
「日常生活でもかけてもらえない?」
『無駄遣いは出来ねぇにゃ』
「ですよね……」
少し残念だ。
これが常用できれば、元の目立たない身長と体格へ戻って日常生活を送れたのに。
だが、贅沢は言えない。
『これで、おみゃーを“ダイナマイト練馬”として配信探索者に仕立て上げるにゃ』
「仕立て上げるって言い方やめて」
『ダイナマイト練馬が話題になる。世間の目はロミオからダイナマイト練馬へ向く。ロミオは門田露澪として静かに暮らせる。そしてニャーは配信収益でマグロにありつけるにゃ』
「最後だけ目的違わない?」
『いいことずくめにゃ!』
俺だけ完全には得してない気がする
−100が−30くらいになった感じだ。
それでも──
確かに、今まで考えた中では一番現実的かもしれない。
配信をやる。
ぶっちゃけ、絶対に嫌だ。
しかし──
門田露澪名義で有名人になる。
もっともっと、凄まじく嫌だ。
(…………)
嫌と、もっと嫌。
究極の二択だった。
「……分かったよ」
『決まりにゃ!』
「でも、あくまで門田露澪への注目を逸らすまでだからな? 人気者になりたいわけじゃないからな?」
『わーってるにゃ。大丈夫にゃ』
絶対聞いてない。
『そうと決まれば即行動にゃ!』
フランは俺の膝から机へ飛び移ると、前脚を器用に使ってパソコンを操作し始めた。
カタカタカタカタ。
「…………」
肉球で、普通にキーボード打ってる。
『まずダイナマイト練馬名義でOurTubeのアカウント作るにゃ。ライブ配信できるように設定して……ロミオ、ゴーグルのアカウントくらい持ってるにゃろ?』
「持ってるけど……」
『必要事項ここに入力するにゃ』
「はい……」
言われるがまま、画面へ情報を入力する。
その横ではフランが慣れた手つきで配信ページを開き、アイコン設定だのチャンネル説明だのをテキパキと進めている。
「…………」
前から薄々思っていたことがある。
(フランって……幻界とかいう別世界から来たんだよね?)
なんで俺より人間社会のネットサービスに詳しいんだろう。
今までも「なんでそんな事知ってるの?」という言動もちょいちょいあった。
ものすごく気になる。
気になるのだが。
(……聞くのやめとこう)
ここで突っ込んだら、
『そもそも幻界ってのはにゃ──』
とか始まって、世界の秘密だの何だのという、俺が絶対に知りたくない話へ繋がる気がする。
知らぬが仏。
俺はもう学んだ。
余計なことは聞かない方がいい。
カタカタカタカタ。
『よし、これでいいにゃ』
「早っ」
フランが得意げに前脚を上げる。
パソコンの画面には、新しく作成された配信チャンネル。
【ダイナマイト練馬の爆殺チャンネル】
その文字が、大きく表示されていた。
「…………チャンネル名、物騒過ぎない?」
『こういうのはインパクトが大事にゃ』
本当に作ってしまった。
俺は何とも言えない気持ちで画面を見つめる。
目立たないために。
平穏な高校生活を取り戻すために。
俺はこれから──
自分から進んで、配信者になるらしい。
「……大丈夫かな、これ」
『大丈夫にゃ! 絶対上手くいくにゃ!』
「その台詞、ものすごく不安になるな……」
俺はそう呟きながら──
テキパキと配信設定を進めるアメリカンショートヘアの背中を眺めつつ、ソフトクリームを一口舐めた。
甘かった。
今後の展開も、これくらい甘ければいいのだけれど。
多分──そんなわけはないんだろうな。




