第44話 ダイナマイト練馬の被害者
「…………」
練城高校、第二体育館屋上。
俺──門田露澪は、硬い床の上に仰向けになり、目を閉じていた。
すぐ近くでは、牧島先輩が白目を剥いて倒れている。
そして俺もまた──倒れていた。
もちろん、気絶しているわけではない。
気絶したフリである。
(……まだかな)
目を閉じたまま、耳だけを澄ませる。
こうなったのには理由があった。
フランのステルス猫パンチによって牧島先輩が気絶した直後、俺たちは話し合ったのだ。
このまま三人の取り巻きが屋上へ来たとして、牧島先輩だけが倒れていて俺がピンピンしていたら、どう見えるか。
答えは簡単。
俺が牧島先輩を倒したように見える。
それは非常に困る。
ただでさえ百万再生超えの切り抜き動画のせいで目立っているのに、
『覚醒から数日の二年生が、三年の先行覚醒者を撃破!』
なんて話まで学校中に広まったら、俺の平穏な高校生活は今度こそ完全に息を引き取る。
ならどうするか。
フラン先生から提示された解決策が、これだった。
『おみゃーも倒れてりゃいいんじゃねーかにゃ?』
『……なるほど!』
かくして俺は今、白目を剥く牧島先輩の数メートル横で、仲良く死体のように転がっているのである。
(これなら相打ちに見えるはず……!)
俺が牧島先輩に勝ったわけでもない。
牧島先輩が一方的に俺を倒したわけでもない。
双方ダウンの痛み分け。
完璧だ。
平和的解決である。
その時。
ドタドタドタドタッ!!
階段を駆け上がってくる複数の足音が聞こえてきた。
「牧島さぁぁぁん!!」
「上だ! 屋上にいるぞ!!」
「早くしろって!!」
来た。
ノッポとチビと……恐らくアキオくん。
俺は慌てて全身から力を抜き、呼吸までできるだけ浅くする。
ガチャッ!!
屋上へ続く扉が勢いよく開いた。
「いたぞ!!」
「牧島さん!!」
「って、二人とも倒れてる!?」
「マジかよ……相打ちか!?」
よし……計画通り。
足音がこちらへ近づいてくる。
「牧島さん! しっかりしてください!」
「牧島さーん!」
「起きてくださいって!」
身体を揺すられたらしく、牧島先輩が低く呻いた。
「う……うーん……」
「牧島さん!」
「よかった! 生きてる!」
「……俺様は、一体……?」
目を覚ましたらしい。
なら、俺もそろそろ頃合いだろう。
俺は眉間に皺を寄せながら、ゆっくり瞼を開いた。
「う、うーん……イテテテ……」
「こっちも起きたぞ!」
「門田、大丈夫か!?」
「あ、あれぇ……? 俺は確か……」
ここだ。
俺は額へ手を当て、記憶を失った人っぽい演技をしながら言った。
「牧島先輩の強烈な一撃を受けて、倒されたような気がするぞお……」
「…………」
若干、棒読みになった気がする。
いや、大丈夫だ。
完璧な演技だった……多分。
「何ィ!?」
牧島先輩が目を見開いた。
「そうなのか!? 俺様、全ッ然記憶にねェんだが!?」
「ええ、そうみたいですね!」
よし、食いついた。
ここで押し切る。
「牧島先輩の痛烈な一撃を食らった俺が、苦し紛れに出した手が、本ッッ当にたまたま、偶然、運良く先輩の顎にヒットしたみたいです。それで一部、記憶が飛んでるんじゃないでしょうか」
「そうなのか……?」
牧島先輩が顎へ手を当てる。
よし。納得してくれ。
「……なんか顎より、鳩尾が痛ェんだが」
「…………」
『雑すぎるにゃ……』
姿を消したまま、どこかに潜んでいるフランの声が頭へ響いた。
(うるさい!)
俺は引きつった笑みを浮かべる。
「た、倒れた拍子に打ったんじゃないですかね?」
「そうかァ?」
「そうですよ。きっとそうです」
知らないけど。
俺はすかさず畳みかけた。
「と、とにかく! 今回の模擬戦は、限りなく僕の負けに近い相打ちということで、いかがでしょうか!」
「…………」
頼む。
ここが落とし所だ。
俺を勝者にしない。
牧島先輩も敗者にしない。
俺だけほんの少し負け寄り。
これ以上ないほど全方位に配慮した判定である。
「…………いや」
牧島先輩が立ち上がった。
「え?」
「スッキリしねェ!!」
「えぇ……」
「決着の瞬間を俺様が覚えてねェんじゃ、勝ったも負けたも分かんねェだろうが!!」
拳と拳を、ゴツンッと打ち合わせる。
「もう一回だ、モンタァ!!」
「勘弁してください……!」
なんでそうなるんだ。
こうなったら、フラン先生にもう一発ステルス腹パンをお願いするしかないのでは。
二度ほど気絶させれば、そのうち模擬戦そのものを諦めてくれるかもしれない。
物騒な考えが頭をよぎった、その時だった。
「そこまでよ、牧島君」
凛とした女性の声が、屋上に響いた。
「……あ?」
全員が振り返る。
屋上への扉の前。
そこに立っていたのは、江戸川会長だった。
その後ろには神先輩、トリッシュ先輩、藤宮先輩。
生徒会メンバー勢揃いである。
「江戸川朱里……」
牧島先輩が目を細めた。
「なんでテメェがここにいやがる……?」
「それはこちらの台詞よ。まったく……」
江戸川会長は俺を見ると、少し怒ったように眉を寄せた。
「もうっ! 門田くん! あれほど牧島君には気をつけてって言ったでしょう!」
「…………」
そんなこと言われても。
俺、生徒会室を出てから二回しか廊下の角を曲がってないうちに捕まったんですけど。
回避する暇すらなかった。
「あ、ヤベッ……!」
「え?」
横から声がした。
見ると、アキオくんが明らかに焦った表情を浮かべている。
「俺、ちょっと用事思い出した!!」
「は?」
「お、おいアキオ!?」
「どこ行くんだよ!」
二人の制止も聞かず、アキオくんは物凄い勢いで階段を駆け下りていった。
「…………」
えぇ……。
そんなんだから牧島先輩に顔を覚えてもらえないんじゃないだろうか。
「チッ……」
牧島先輩が江戸川会長を睨む。
「邪魔すんじゃねェよ。これは俺様とコイツの問題だろうが」
親指で俺を指差す。
違います。
俺は強制的に連れてこられただけです。
こちら側から共有すべき問題は何一つない。
「それともよォ……」
牧島先輩の口元が、再び吊り上がった。
「テメェが相手してくれんのか!? なァ!? 江戸川朱里!!」
「牧島君──」
「【赤腕百面──」
「【紅蓮加速】」
江戸川会長が、小さく呟いた。
瞬間──その姿が、赤い閃光に変わった。
「……ッ!?」
一瞬だった。
いや、俺には動きが見えた。
床を蹴り、牧島先輩の視界から外れ、その横を駆け抜けて背後へ回る。
ただ、それは今の俺の知覚力があっての話だ。
牧島先輩からすれば、本当に消えたようにしか見えなかったのだろう。
「動かないで」
江戸川会長はいつの間にか牧島先輩の背後に立ち、閉じた扇子を刃物のように首筋へ押し当てていた。
「…………!」
牧島先輩の目が、驚愕に見開かれる。
「テメェ……いつの間に……」
「今日はもう終わり。門田くんは覚醒したばかりなのよ。これ以上無茶な模擬戦を続けるのは認められないわ」
「そうじゃねェ!!」
牧島先輩が叫んだ。
「テメェ……いつの間に、そんな力をつけやがった!?」
「…………」
「レベル十九だっただろうが!! 俺様と一つしか違わなかったはずだ!! なのに、今の動きは……今までのテメェと全然ちげェじゃねぇか!!」
十九。一つ違い。
ということは──
(牧島先輩、レベル十八なんだ……)
スキルに目覚めて一年以内と考えれば、十分凄い数字なんじゃないだろうか。
ただ──今の江戸川会長との差は、明らかだった。
以前の会長の速度を知らない俺でも分かる。
牧島先輩は、今の【紅蓮加速】に全く反応できていなかった。
「……ごめんなさい」
江戸川会長が、静かに告げる。
「今の私は、以前までの私とは違うの」
「…………」
「あー、そっかぁ」
その様子を見ていたトリッシュ先輩が、ぽんと手を叩いた。
「ジュリにゃん、ダイナマイト練馬に助けられた時、変異種ミノタウロスの経験値が入って一気にレベル上がったんだもんね〜」
「…………え?」
思わず声が出た。
「トリッシュ」
江戸川会長が振り返り、少しだけ厳しい顔をする。
「自分以外の探索者のレベルについて、本人の許可なく話すのはお行儀が悪すぎるわよ」
「ごめんごめん〜。でも数字は言ってないし、大目に見てよ〜」
「そういう問題ではありません」
二人の会話を聞きながら、俺は別のところで固まっていた。
(変異種ミノタウロスの……経験値?)
そうだ。
経験値は、最後に倒した人間だけが総取りするわけじゃない。
戦闘への貢献度に応じて分配される。
あの時、俺が【一撃必死】で変異種ミノタウロスを爆殺するより前に、江戸川会長は一人でずっと戦っていた。
当然、かなりのダメージも与えていたはずだ。
つまり──あのミノタウロスを倒した経験値の一部が、会長にも入った。
その結果、元々ほとんど同じだった牧島先輩とのレベル差が、一気に開いたのだ。
(……マジか)
俺の知らないところで、そんな影響まで出ていたとは。
「…………」
牧島先輩が黙り込む。
そして──
「……どけ」
「牧島君?」
「もう暴れやしねェよ」
江戸川会長が僅かに迷った後、首筋から扇子を離す。
牧島先輩はそれを右手で静かに押し退けると、一度だけ会長の顔を見た。
続いて、ちらりと俺を見る。
「…………」
何も言わない。
そのまま屋上の扉へ向かって歩き出した。
「ま、牧島さん!」
「待ってくださいよ〜!」
ノッポとチビが慌てて後を追う。
牧島先輩は一度も振り返ることなく、そのまま階段を降りていった。
(……俺、何か悪いことしたかな)
少しだけ胸がざわつく。
でも──あの時は、ああするしかなかった。
江戸川会長を助けるには、あの変異種ミノタウロスを倒さなければならなかった。
その結果、会長のレベルが上がって、牧島先輩との力関係まで変わってしまった。
そんなところまで予想できるわけがない。
「門田くん、大丈夫? 怪我はない?」
「あ、はい。俺は大丈夫です」
「そう……よかった」
江戸川会長が安堵したように息を吐く。
それから生徒会の面々は、
「牧島君にも事情を聞いておかないと」
と言って、彼の後を追って屋上を去っていった。
やがて、俺一人だけになった屋上に、静けさが戻る。
「はぁ……」
今日一番長いため息を吐いた、その横で。
スゥーッ……。
空気が歪み、何もなかった空間から、灰色のアメリカンショートヘアが姿を現した。
『……よく分かんにゃいけど』
フランが、牧島先輩の消えていった階段を見ながら首を傾げる。
『つまり、あのバカ先輩も、おみゃーのクソスキルに人生狂わされたヤツってことかにゃ?』
「…………」
俺はしばらく黙った。
江戸川会長を助けた。
経験値が入った。
牧島先輩との差が開いた。
牧島先輩はもっと強さを求めるようになった。
そして今日、その結果として──
俺がガトリング砲で撃たれた。
「……そうね」
否定できなかった。
俺はがっくりと肩を落とす。
どうやら俺の【一撃必死】は、爆発した相手だけではなく──
その周辺にいる人間の人生まで、じわじわ巻き込み始めているらしい。




