第30話 豊島区第二ダンジョン
豊島区北部。
高層ビルと年季の入った雑居ビルが入り混じる、街の一角。
そのダンジョンは、まるで周囲の建物に挟まれるようにして存在していた。
『豊島区第二ダンジョン』
ビルとビルの狭間に設けられた、円形の広場。
その奥では、青白い光を放つ巨大なダンジョンゲートが、地面からそそり立つように口を開けている。
入り口で探索者証をかざし、広場に入る。
ゲートの向こうに見えるのは、薄暗い洞窟だった。
岩壁は海水に濡れたように青く輝き、天井から垂れ下がる鍾乳石の先から、水滴が絶え間なく滴り落ちている。
足元には、透き通った浅い水路。
その水面には、青や緑の光を放つ小さな結晶が揺らめいていた。
洞窟の奥からは、一定の間隔で波が打ち寄せるような音も聞こえてくる。
まるで海底に沈んだ洞窟を、そのまま切り取り、地上へ繋げたような景色である。
「綺麗なダンジョンだな」
『綺麗が何にゃ。んなもん、腹の足しにはならねーにゃ』
俺の隣に座るフランは、幻想的な景色など微塵も興味がないらしい。
ダンジョンゲートではなく、広場の端に並んだ屋台の方ばかり見ている。
焼きイカ。魚介串。
貝の出汁を使ったスープ。
よりによって、海底洞窟の前で海産物を売っているらしい。
『ロミオ。あの串焼き、買ってくれにゃ』
「金がないんだって。いや、切実に」
『食い物一つ買えねーのかにゃ。甲斐性なしの主人を持ってニャーは悲しいにゃ』
「いや、最悪今夜ネカフェに泊まれる分の現金は残しておきたいし……」
服も借り物。
武器ももらい物。
住む家はない。
外見だけなら、それなりに装備を整えた、将来有望そうな探索者。
中身は、ほぼ無一文の住所不定高校生。
我ながら、見た目と実情の落差がひどい。
豊島区第二ダンジョン。
海底洞窟のような内部構造を持ち、青く発光する鉱石や、透明度の高い地下水で知られるダンジョンだ。
幻想的な景観から、若い探索者の間では撮影スポットとしても人気が高い。
探索者専門の情報サイトでは、『東京都内で一度は訪れたい映えダンジョン』の上位へ、毎年のように選ばれているらしい。
その影響もあって、入口前の広場には多くの探索者が集まっていた。
装備を整える者。
仲間と端末を覗き込みながら、攻略ルートを確認する者。
ダンジョンゲートを背景に、揃いのポーズで記念写真を撮る者。
派手な装備に身を包み、配信用のカメラへ向かって明るく手を振っている者までいる。
「はーい! 今日は豊島区第二ダンジョンへ来てまーす!」
「見て見て! 入口からもう、めっちゃ綺麗じゃない?」
「今日は地下三階にある『蒼月の入り江』まで行っちゃいまーす!」
近くでは、三人組の女性探索者が配信の準備をしていた。
年齢は、二十歳前後だろうか。
おそらく大学生。
揃いのジャケットに、動きやすそうなショートパンツ。
武器や防具も実用性だけではなく、見栄えを意識して選ばれている。
一人が小型カメラを持ち、残る二人が画面へ向かって明るく笑っていた。
『遊び感覚で来てる奴が多いにゃ』
「このダンジョンは見た目が綺麗だからな。配信者にも人気らしい」
『モンスターはいねーのかにゃ?』
「当然いる。むしろ、難易度は練馬第三や板橋第一より高いぞ」
『こんだけ人がいるのにかにゃ?』
「入口付近の階層は、比較的安全に整備されてるらしい。奥へ進むほど、水棲系のモンスターが強くなる」
『ふーん』
「推奨レベルも、練馬第三より高い」
『おみゃー、レベル五十六にゃろ? スケルトン・ジェネラルをソロで倒せるヤツが心配する必要なんかねーにゃ』
「まあ、レベルだけなら問題ないと思うけど……」
俺は周囲を見回した。
人が多すぎる。
入口前だけでこれなら、内部にも相当な人数がいるだろう。
練馬区や板橋区から離れれば、誰にも見られず【一撃必死】を消化できる。
そう考えて、わざわざ豊島区まで足を延ばしたのだが──
完全に見通しが甘かった。
「あの人、すっごい格好よくない?」
「えっ、どこ?」
「ほら、ジャケット着てる背の高い人!」
「うわ、本当だ! モデルみたい!」
「腰の武器も、あれ何かな? 格好いい!」
「高校生かな? 若くない?」
「隣の猫、ちょっと焦げてない?」
少し離れたところにいた女性探索者たちが、こちらを見ながら声を潜めている。
潜めているつもりなのだろう。
だが、レベル上昇で聴力まで強化されてしまった俺には、ほとんど丸聞こえだった。
「…………」
『どうしたにゃ?』
「まずい」
『何がにゃ?』
「もう怪しまれてる」
『はぁ?』
「俺の格好を見て、何かヒソヒソ言ってる」
女性探索者たちの視線が、明らかにこちらへ集まっている。
中には端末を取り出し、こちらへカメラを向けようとしている者までいた。
もしかすると、すでにダイナマイト練馬の身体的特徴が拡散されているのかもしれない。
顔は隠していたはずだ。
だが、背丈や体格。年齢。
目撃された時間帯や、移動経路。
そういった断片的な情報から、正体を割り出そうとしている可能性はある。
もはや、気分は指名手配犯である。
「俺の事を"すごく格好いい"とか言ってる。罠に違いない。ダイナマイト練馬の正体が俺でないかと疑ってるんだ。俺には分かる」
『普通に、おみゃーの顔を見て騒いでるだけじゃねーかにゃ? 人間から見ると相当イケてるらしいにゃ。』
「違う、そんなわけない。俺はごくごく普通、十人並みという言葉がよく似合う、可もなく不可も無い、どこにでもいる平凡な男子高校生。そうに違いない。そうであって欲しい。そうじゃなきゃイヤだ」
『……認知の歪みが酷いにゃ』
そんなことを話しているうちにも、例の女性探索者たちが、何やらこちらを見ながら相談を始めた。
三人のうち、先ほどカメラへ向かって話していた、明るい茶髪の女性が俺を見る。
目が合った。
女性はにこりと笑った。
そして──
「すみませ〜ん!」
こちらへ向かって歩いてきた。
「……っ」
『何で身構えてんにゃ』
俺は反射的に一歩下がる。
来た。早くも声をかけられた。
やはり何かを疑われているのだ。
もしくは、壺とか買わされるのかもしれない。
女性は小型カメラを片手に持ったまま、俺の前で立ち止まった。
背後には、残りの二人もついてきている。
三人とも、にこにこの笑顔で迫ってくる。
「突然すみませ〜ん」
茶髪の女性が、親しげに笑う。
「お兄さん、豊島区第二ダンジョンに来るの、初めてですか〜?」
「えっ」
「うちらここよく来てるんですけど〜、見ない顔だったから、そうなのかなって」
「あ、はい。初めてですけど……」
「やっぱり〜!」
何がやっぱりなのだろう。
すでに初心者だと見抜かれている。
これはまずい。
初心者をターゲットにした新人狩りか?
もしくは、美人局的なものを仕掛けるつもりなのかもしれない。
「お兄さんって、配信とかしてます?」
「配信!?」
「はい。見た目もめっちゃ映えそうだし、装備も格好いいから、有名な人なのかな〜って」
「ゆ、有名ではないです!」
「本当に? どこかで見た気がするんだけどな〜」
「っ!?」
やはり気づかれかけている。
どこかで見た。
つまり、ダイナマイト練馬の映像か。
顔は映っていないはずだが、後ろ姿や体格を覚えていたのかもしれない。
『いやこれ、『どこかで見た』って口実で、おみゃーを逆ナンしてんじゃにゃーのか?』
「黙ってろ、そんな訳ないだろ」
『にゃ?』
俺が小声で返すと、女性が不思議そうに首を傾げた。
「今、何か言いました?」
「い、いえ! 猫に話しかけただけです!」
「かわいい〜。この子、飼い猫ですか?」
『…………』
フランは、女性を見上げたまま黙っている。
ただし、焦げた尻尾を不機嫌そうに一度振った。
「ちょっと毛、チリチリじゃない?」
「珍しい品種なのかな?」
「えー、かわいい! 触ってもいいですか?」
『…………!』
女性の手が伸びる。
フランは素早く俺の足の後ろへ回り込んだ。
「あっ、逃げられちゃった」
「ひ、人見知りなので……」
『チリチリとか言うヤツには触らせねぇにゃ……』
背後から、聞こえるか聞こえないかの声でフランが毒づいた。
頼むから黙っていてくれ。
「それで、お兄さん!」
茶髪の女性が、さらに一歩距離を詰めた。
「よかったら、うちらとコラボして、一緒にダンジョン潜ったりとかどうですか〜?」
「コ、コラボ!?」
「はい! うちら三人で『ダンジョン三人娘チャンネル』っていう配信やってるんです」
「登録者も、もうすぐ二十万人なんですよ〜」
「お兄さん、絶対画面映えするし、初見攻略なら反応も面白そうだし!」
「お兄さんのスキルなんかも気になるから、使ってるところ撮らせてほしいな〜って」
「使ってるところ!?」
それはまずい。
非常にまずい。
俺がモンスターへ攻撃する。
その瞬間、対象が爆発四散する。
配信中なら、映像はワールドワイドウェブに流れる。
ダイナマイト練馬の正体が、五分と経たずに特定されるだろう。
「顔出しNGなら、モザイクも入れられますよ?」
「あ、声も加工できますよ〜!」
「それか、お兄さんが配信始めたいなら、うちらがやり方教えますし!」
「いや、その、俺は……」
「一緒に潜ってくれるだけでいいんで〜」
「ほら、今日の配信タイトルも『海底洞窟で謎のイケメン探索者と遭遇』とかにすれば──」
「い、いえっ!! 結構です〜!!」
俺は大声で叫んだ。
「えっ」
「す、すみません! 俺、急いでますので!」
「え? でも、ダンジョンに入るんですよね?」
「急いでダンジョンに入らないといけないので!」
「だったら一緒に──」
「失礼します!!」
俺はフランを抱き上げると、その場から勢いよく退散した。
『にゃっ!? 急に持ち上げんなにゃ! セクハラで訴えるのにゃ!』
「黙ってろ!」
『何で逃げるんにゃ!?』
「配信に映ったら正体がバレるだろ!」
『あいつら、おみゃーがイケメンだから声かけてきただけにゃ!』
「そんな都合のいい話があるか!」
『あるから声かけられたんじゃねーかにゃ!?』
背後から女性たちの声が聞こえる。
「行っちゃった……」
「めっちゃ警戒心強かったね」
「配信者じゃなくて、芸能人探索者だったのかな? 事務所通さなきゃコラボ出来ないとか〜」
「でも声も格好よかったよね〜」
「ホントホント! 後でネットで検索してみよー!」
最後の言葉だけが、はっきり耳へ届いた。
「ほら! やっぱり探す気だ!」
『いや、意味ちがうにゃ!』
「別の意味って何だよ!」
『おみゃーは鈍感クソ野郎にゃ!』
俺はダンジョンの入場ゲートすぐ近くまで逃げたところで、ようやく足を止めた。
レベル五十六の身体能力で走ったせいか、一瞬でかなりの距離を移動してしまったらしい。
近くにいた探索者たちが、驚いた顔でこちらを見ている。
「…………」
『…………』
さらに目立った気がする。
俺はゆっくりフランを地面へ下ろした。
「こ、これは……」
青白い光を放つダンジョンゲートを見つめる。
女性配信者たちは、まだこちらを気にしている。
それ以外の探索者からも、先ほどの猛ダッシュのせいで視線を集めてしまった。
「このダンジョンでも、目立たず敵を爆殺するのは難しいかもしれない……」
思わず肩を落とした。
練馬区は駄目。
板橋区も駄目。
豊島区まで来ても、人だらけ。
しかも今度は、正体を探る者だけではなく、配信への勧誘まで寄ってくる。
今日のノルマは、あと五回も残っている。
人目を避けるために奥地まで進むとしても、その間、一度もモンスターへ攻撃できない。
レベル五十六になったとはいえ、攻撃を避け続けながら移動できる保証もない。
俺が敵を倒せば、どのみち爆発音が周囲へ響き渡る。
それが配信に映れば、今度こそ逃げ切れない。
「どうすれば……」
『……仕方ねぇにゃあ』
フランが俺の足元から声をかけた。
「……なんだよ、フラン」
『ロミオ。おみゃー、目立たずに、あのクソスキルを消化してーのにゃ?』
「それができるなら苦労してない」
『本当、おみゃーはしかたねぇヤツにゃあ』
フランが、ずずい、と一歩前へ出た。
短い脚。チリチリになった毛。
口元には、春日井家でもらった食べ物の欠片がまだ少し付いている。
どう見ても頼りになる外見ではない。
しかしフランは、何やら策があるとでも言いたげに、得意そうな顔で胸を張った。
『安心するにゃ』
そして、俺を見上げる。
『今日のおみゃーには、頼れる従魔のニャーがついてるのにゃ』




