第28話 人の優しさ、温かさ
春日井武具店の奥は、そのまま春日井家の居住スペースになっていた。
廊下を進み、一つの部屋へ案内される。
晴子さんはクローゼットを開けると、中から何着かの服を取り出した。
「これなら、たぶん入ると思うんだけど〜」
「随分、大きいですね」
「背が高い人だったから」
晴子さんが選んだのは、白いTシャツ。
濃い色のジャケット。
それから、落ち着いた黒のスラックスだった。
「下着は新品があるから、それを使ってね〜」
「えっ、そこまで……」
「焦げた制服の下も、同じような状態でしょう?」
「……おっしゃる通りです」
爆発によって、シャツの一部にも穴が開いている。
このままでは、人前でジャケットを脱ぐこともできない。
「じゃあ、私は外にいるから。着替え終わったら声をかけて〜」
「ありがとうございます」
晴子さんが部屋を出ていく。
俺は改めて、渡された服を見下ろした。
きちんと手入れされている。
古びてはいるものの、傷みはほとんどない。
(誰の服なんだろう)
春日井さんの父親。兄弟。
あるいは親戚。
そう思いながら服へ袖を通した。
Tシャツもジャケットも、驚くほど身体に合っている。
スラックスも、丈を直す必要がない。
鏡の前へ立ってみる。
焦げた学ラン姿より、ずっと大人びて見えた。
正直、自分ではないような気さえする。
「着替え終わりました」
「は〜い」
扉が開き、晴子さんが入ってくる。
俺の姿を見た瞬間。
晴子さんは、目を見開いた。
「あら……」
先ほどまでの軽い調子が、一瞬だけ消える。
「晴子さん?」
「…………」
俺の顔を見つめ。
肩幅を見て。
ジャケット姿を眺める。
その目は、今ここにいる俺ではなく、遠い過去の誰かを見ているようだった。
だが、すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「あら〜! 門田くん、すっごく似合ってるわ〜!」
「そ、そうですか?」
「うんうん。旦那の若い頃を思い出しちゃって、ときめいちゃうわ〜」
「旦那さんの……」
改めて服を見る。
やはり、春日井さんの父親のものだったらしい。
「これ、咲良さんのお父さんの服なんですね」
「そうよ〜」
「お父さんは、今どちらに……?」
口にした直後。
晴子さんの笑顔が、僅かに寂しそうなものへ変わった。
「亡くなったわ」
「……え?」
「もう、大分前の話だけどね〜」
「す、すみません!」
俺は慌てて頭を下げた。
「無神経なことを聞いてしまって……!」
「いいのよ〜。知らなかったんだもの」
晴子さんは、静かに首を横へ振った。
「正確にはね、遺体が見つかったわけじゃないの」
「……どういうことですか?」
「あの人は、ダンジョンに入ったまま帰ってこなかったのよ」
晴子さんは、部屋の隅に置かれた一枚の写真へ視線を向けた。
写真には、若い男女と、小さな女の子が写っている。
女性は、今より少し若い晴子さん。
女の子は、幼い頃の春日井さんだろう。
そして二人の隣には、大柄な男性が立っていた。
背が高く、身体つきも逞しい。
明るく笑う顔には、どことなく春日井さんの面影もある。
「あの人は、第一世代のスキルホルダーだったの」
「第一世代……」
その呼び名なら、学校の授業で聞いたことがある。
二十年前──
世界へ初めてダンジョンが出現した時期に、スキルへ目覚めた人々。
現在は、基本的に十七歳の誕生日を迎えた者の一部にスキルが発現する。
だが、最初からそうだったわけではない。
「ダンジョンが現れたばかりの頃は、十七歳に限らず、色々な年代の人が突然スキルに目覚めたのよ〜」
「子供や大人にも……ですよね?」
「ええ。小学生もいれば、お年寄りもいたそうよ。年齢も、職業も、住んでいる場所も関係なし。まるでスキルの方が、人間を無作為に選んでいるみたいだったって」
「…………」
今では、十七歳の誕生日当日にスキルが発現することは常識となっている。
しかしダンジョン出現から約四年間は、覚醒年齢が安定していなかった。
世界中で混乱が続いた。
各国は、手探りの状態でスキルホルダーを集め、ダンジョンの調査に乗り出したという。
「あの人も、その一人だったの」
「旦那さんは、何歳の時に?」
「二十五歳」
二十五歳。
今の俺から見れば十分大人だが、命懸けで国の依頼を受けるには、あまりにも若い。
「国から依頼を受けて、探索者として活動していたわ。まだ探索者協会も、ランク制度も、今みたいに整っていなかった時代にね〜」
「危険な仕事だったんですね」
「そうね」
晴子さんは、写真の中の男性を見つめた。
「でも、あの人は人を助けるのが好きだったから。自分に力があるなら、使わない方がもったいないって、いつも笑ってた」
「…………」
「咲良が七歳の時だったわ」
晴子さんの声が、少しだけ遠くなる。
「国から依頼を受けて、あるダンジョンの調査へ向かったの。それっきり、戻ってこなかった」
「捜索は……」
「何度も行われたわ。でも、見つからなかった。遺体も、装備も、探索者証もね〜」
死亡が確認されたわけではない。
だが、十年近く帰ってこない以上……
生きていると信じ続けるには、あまりにも長い年月だった。
「それから、あの人が残していったダンジョン素材を使って、私が武具を作り始めたの」
「晴子さんが?」
「こう見えて、昔から手先は器用だったのよ〜」
晴子さんは、少し得意げに笑った。
「最初は知り合いの探索者に頼まれて、小さなナイフを作っただけ。それが評判になってね。売れたお金で新しい素材を仕入れて、また武具を作って……そうしているうちに、この店ができたの」
「一人で、ここまで……」
「咲良も手伝ってくれたし、周りの人にも助けてもらったから。一人じゃないわ〜」
晴子さんはそう言う。
だが、夫を失い。
幼い娘を育て。
武具店を一から立ち上げた。
簡単な道のりだったはずがない。
「あの……」
俺は、着ているジャケットの袖を見つめた。
「本当にいいんですか?」
「何が〜?」
「そんな大切な旦那さんの服を、俺なんかに貸してしまって」
「俺なんか、なんて言わないの」
晴子さんの声から、僅かに笑みが消えた。
「咲良から聞いた時、少し思い出したのよ」
「……何をですか?」
「突然スキルに選ばれて、今までとは違う人生へ放り込まれた、若い頃のあの人を」
晴子さんが、俺のジャケットの襟を軽く整えた。
「スキルに目覚めたばかりの子が、制服のままダンジョンへ入って、こんなにボロボロになってる。しかも帰る家までないなんて聞いたら、放っておけないでしょう?」
「…………」
「門田くんを見た時、ちょっとだけ重なったの。背格好もそうだけど……困ってるくせに、誰にも迷惑をかけないように平気なふりをしてるところが」
「俺は、そんな……」
「あの人も、よくそうしてたのよ〜」
晴子さんは、再び柔らかく笑った。
「だから、気にしなくていいの。この服も、ずっと箪笥の中で眠ってたんだもの」
「でも……」
「服は、誰かに着てもらってこそ服でしょう?」
そう言って、晴子さんは、俺の肩を軽く叩いた。
「あの人も、自分と同じようにスキルへ目覚めた若い子が着てくれるなら、きっと喜ぶわ〜」
「……ありがとうございます」
胸の奥に、温かいものが広がった。
何もかも失ったと思っていた。
家も。服も。これからの生活も。
それなのに、会ったばかりの俺へ、ここまで親切にしてくれる人がいる。
「門田くーん。着替え終わったー?」
廊下の向こうから、春日井さんの声がした。
「終わりました」
「入るよー」
扉が開く。
春日井さんが、フランを腕に抱えて入ってきた。
フランの口元には、何かの食べかすがついている。
どうやら、しっかり餌をもらったらしい。
『…………』
俺を見るなり、フランの目が細くなった。
何か言いたそうだが、今は普通の猫のふりをしているため黙っている。
「うわあ……!」
春日井さんが、俺の姿を見て目を輝かせた。
「門田くん、すごく似合ってる!」
「そ、そうですか?」
「うん! 制服の時より大人っぽい!」
「ありがとうございます」
「あ、それ、お父さんの服だよね?」
春日井さんはジャケットに気づくと、懐かしそうに笑った。
「お父さんが若い頃、よく着てたやつ」
「勝手に借りてしまって、すみません」
「なんで門田くんが謝るの?」
春日井さんが不思議そうに首を傾げる。
「すっごく似合ってるし、着てもらえてよかったよ!」
「でも、大切なものなんじゃ……」
「大切だからこそ、誰かが着てくれた方がいいよ」
晴子さんと、ほとんど同じ言葉だった。
やはり親子なのだろう。
二人とも、よく似た温かい笑顔を浮かべている。
「咲良もこう言ってるし、気にしないでいいのよ〜」
「はい……」
俺は二人へ向き直った。
そして、深く頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
着替えを貸してもらったことだけではない。
事情を根掘り葉掘り聞かず。
行き場のない俺を、公園から連れ出してくれたこと。
見ず知らずに近い俺を、家庭の中へ迎え入れてくれたこと。
その全てが、ありがたかった。
「大袈裟だよ、門田くん」
「そうよ〜。困った時は、お互い様なんだから」
二人の声を聞きながら、俺は久しぶりに──
誰かの家の中にある温かさを、感じていた。
※本日は3本立てです。21時頃、もう1話投稿します。




