第26話 春日井咲良
家を失った。
財布の中身は、ろくにない。
頼れる親戚も、泊めてもらえるような友人もいない。
そんな俺が次に向かった場所は──
「…………」
近所の公園だった。
休日の午前中。
暖かな日差しの下、親子連れが芝生の上でボールを追いかけている。
少し離れたところでは、小さな子供たちが遊具ではしゃぎ、その様子を両親が微笑ましそうに眺めていた。
実に平和な光景である。
一方、俺はというと。
ボロボロに焦げた学ラン姿のまま、公園のベンチに座って肩を落としていた。
隣には、爆風で全身の毛がチリチリになった喋る猫。
なんだろう。
俺たちの周囲だけ、文明が滅びた後みたいになっている。
『ロミオ……』
隣に座っていたフランが、こちらを見上げた。
「なんだよ」
『おみゃー、あんだけ強ぇんにゃから、ダンジョンでモンスター狩って、素材を売って現ナマ作りゃあいいんじゃにゃーか?』
「…………」
言い方はともかく、至極まっとうな意見だった。
この世界における探索者の主な収入源は、ダンジョンで得られる素材だ。
モンスターの牙や爪、皮、骨。
鉱石や薬草。
宝箱から発見される魔道具。
希少な素材であれば、たった一つで数百万円以上の値がつくこともある。
現在の俺はレベル五十六。
そこらの低級モンスターなら、まず負けることはないだろう。
普通に考えれば、金を稼ぐ方法としては最適だ。
普通に考えれば。
「いや……それが、そんなに簡単でもないんだよ」
『にゃんでにゃ?』
「モンスターを倒すつもりで攻撃したら、【一撃必死】が誤発動するかもしれないだろ」
『おみゃーのクソスキル、殺意を持って攻撃したら勝手に出るのかにゃ?』
「まだ正確な発動条件は分からないけどな。少なくとも、ゴキブリを叩いた時も、ミノタウロスに石を投げた時も、スケルトンを殴った時も、全部『倒す』つもりで攻撃してた」
『ふむふむ』
「だから、普通にモンスターを狩るなら、その日の五回を全部使い切った後じゃないと危ないんだ」
『だったら、さっさと適当な雑魚を五匹爆発させればいいだけじゃにゃーか。なんなら、そこら辺の虫とかでもいいにゃろ』
「だけどさ……」
俺が続きを口にしようとした、その時だった。
「おい! 今度は板橋第一ダンジョンのボスが、何者かに倒されたらしいぞ!」
「マジかよ!?」
公園の入口付近から、騒がしい声が聞こえてきた。
見ると、数人の探索者らしき男女が、カメラを抱えた撮影スタッフと共に歩いてくるところだった。
腰には剣。背中には盾。
そのうち一人は、手持ちの端末で何かの情報を確認している。
「板橋第一って、あのアンデッドだらけの?」
「ああ! あのクッセえ不人気ダンジョンだ!」
「ボスが倒されたのなんて、何ヶ月ぶりだよ!?」
「それが、ボス部屋には爆撃でも受けたみたいな痕跡が残ってたらしいぜ!」
「爆撃……?」
一同の足が止まった。
「まさか……ダイナマイト練馬か!?」
「練馬だけじゃなく、板橋にも出たっていうのか!?」
「活動範囲が広がってやがる!」
「いや、待て。板橋で出たなら、ダイナマイト板橋っていう別人なんじゃないか?」
「その可能性もあるな!」
「爆発系の謎の探索者が二人もいるってことか!?」
「こうしちゃいられねえ! 先を越される前に探すぞ!」
「おおっ!」
彼らは一斉に駆け出し、板橋第一ダンジョンの方向へ走っていった。
撮影スタッフも、カメラを担いだまま、その後を必死に追いかけていく。
「…………」
『…………』
俺とフランは、その背中を無言で見送った。
「……まあ、今のを見て分かっただろ」
『にゃるほど……』
「俺、今めちゃくちゃ正体を探られてるんだよ。【一撃必死】を使えば、モンスターだろうが虫だろうが、ド派手に爆発する。そんなことを一日に五回も繰り返してみろ」
『すぐバレるにゃ』
「そういうこと」
ダンジョン内だろうが近所の空き地だろうが、五回も爆発を起こせば、噂になるに決まっている。
しかも俺は、練馬第三ダンジョンに続き、板橋第一ダンジョンのボスまで爆破してしまった。
すでに複数のダンジョンを渡り歩く、謎の爆発系探索者として認識され始めている。
これ以上目立つ行動を取れば、正体が露見するのも時間の問題だ。
『そうは言ってもにゃあ……』
フランがチリチリの尻尾を揺らす。
『正体隠してたら、金稼げねーにゃ。けど、金稼がねーと家も飯も手に入らねーにゃ』
「そうなんだよ」
『しかも、今日もあと五回、何かを爆発させねーと、おみゃーが爆発するにゃ』
「そうなんだよ……」
八方塞がりだった。
最強の即死スキルを手に入れたはずなのに、その力を使えば使うほど生活が詰んでいく。
家を失い、金を稼ぐ手段まで制限されるとは。
このスキル、敵を殺す前に俺を社会的に殺しにきていないだろうか。
「…………」
『…………』
再び二人で項垂れる。
すると。
「門田くん?」
背後から、聞き覚えのある声がした。
「え?」
振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのある女子生徒だった。
肩にかかる程度の柔らかな茶色い髪。
大きな瞳。
親しみやすい、明るい表情。
俺のクラスメイト。
そして教室では隣の席に座っている、春日井咲良さんだった。
「春日井さん……?」
「やっぱり門田くんだ!」
春日井さんは一瞬嬉しそうに笑った。
だが、すぐに俺の姿を見て、目を丸くする。
「ど、どうしたの、その格好!?」
「あー……」
「制服、あちこち焦げてるよ!? 袖も破れてるし、髪にも煤がついてるし……!」
春日井さんの視線が、俺の隣へ移った。
「そっちの猫ちゃんも、毛先が全部チリチリになってるし……!」
『…………』
フランが、露骨に嫌そうな顔をした。
ただし普通の猫のふりをしているため、何も言い返せない。
「あっ! ひょっとして、ダンジョン帰りとか……!?」
「は、はい。まあ、そんなところです」
「やっぱり! まだ覚醒して2日しか経ってないのに、もうダンジョンに潜ってるんだね!」
嘘はついていない。
制服がボロボロになった理由の半分くらいは、ダンジョンで戦ったせいだ。
残り半分は、帰宅後にゴキブリを部屋ごと爆破したせいだが。
「えっ、制服のまま潜ったの?」
「他に装備を持っていなかったので……」
「危ないよ! いくらスキルに目覚めたからって、制服でダンジョンに入るなんて!」
「返す言葉もございません……」
今日は色々な人に怒られる日らしい。
春日井さんは、焦げた制服を改めて見回した。
「と、とにかく、一度家に帰って着替えた方がいいよ。この格好じゃ、風邪引いちゃうし」
「いやー……それがですね」
「うん?」
「今、ちょっと……帰る家がなくなってしまいまして」
「えっ!?」
春日井さんの顔色が変わった。
「い、家がないって、どういうこと!?」
「あ、でも、心配しないでください。大したことじゃありませんので」
「だいぶ大したことあるよ!」
即座に否定された。
そりゃそうか。
ボロボロの服を着た同級生が、公園で「帰る家がない」と言っているのだ。
どう見ても、事件性のある光景である。
「何があったの? ご家族と喧嘩したとか……?」
「いえ、そういうわけでは」
「じゃあ、家に何かあったの?」
「まあ……少々、事情がありまして」
俺が曖昧に笑うと、春日井さんは口を閉じた。
しばらく俺の顔を見つめる。
無理に事情を聞くべきか、迷っているようだった。
やがて──
春日井さんは大きく頷いた。
「分かった!」
「はい?」
「ちょっとついてきて!」
「どこへですか?」
「いいから!」
春日井さんが、俺の右手を掴んだ。
「えっ」
『にゃっ』
そのまま強引に引っ張られる。
突然、女の子に手を握られた。
柔らかい。温かい。
どうすればいいのか分からない。
「か、春日井さん?」
「門田くん、このまま公園にいたってどうしようもないでしょ!」
「それはそうですけど……」
「だったら、早く行くよ!」
「あの、せめて行き先くらいは……」
「すぐ近くだから!」
『ニャーを置いていくんじゃねーにゃ!』
普通の猫のふりを忘れかけたフランが、慌ててベンチから飛び降りる。
俺は春日井さんに手を引かれ、フランはその後ろを追いかける。
こうして俺たちは、目的地も告げられないまま、公園を後にした。




