第21話 世界の秘密なんて知りたくない
『この人間……なんなんにゃ……!?』
灰色の猫が、金色の瞳を大きく見開いて俺を見ていた。
背中の毛も、太い尻尾も、完全に逆立っている。
俺としては、喋る上に雷を吐く猫の方が、よほど「なんなんだ」と言いたい存在なのだが。
猫はしばらく俺を凝視した後、警戒するように身体を低くした。
『おみゃー……ニャーに嘘ついてやがったにゃ?』
「嘘?」
『何が「昨日スキルに目覚めたばかり」にゃ……!』
猫の声から、先ほどまでの軽い調子が消えていた。
俺を見上げる金色の瞳に、明らかな緊張が浮かんでいる。
『スケルトン・ジェネラルを一人でぶっ飛ばしておいて、覚醒したてなわけねぇにゃ。とんでもにゃい猛者じゃにゃーか……!』
「いや、本当に昨日なんだけど……」
嘘ではない。
嘘ではないのだが、まあ、そう思われても仕方がないのは分かる。
覚醒二日目の高校生が、A級上位モンスターを一本背負いで投げ飛ばして爆殺した。
自分で思い返しても、だいぶ意味が分からない。
俺は制服へ付着した埃を払いながら、猫から視線を逸らした。
「まあ……俺のことは気にしなくていいから」
『気にするに決まってるにゃ!』
「それより、君こそ何なの? 猫なのに喋ってるし」
『そこを今さら聞くのかにゃ!?』
猫は口を大きく開け、呆れたように俺を見上げた。
普通の猫より表情が豊かだ。
喋る猫だからというだけでなく、眉毛があるように見えるほど顔へ感情が出ている。
猫は一度目を閉じると、フッと小さく息を吐いた。
そして、どこか覚悟を決めたように俺を見つめる。
『……ニャーの正体が気になるのにゃ?』
「まあ、一応」
『命を助けてもらったことだし、それに……おみゃーみたいな強力な探索者と出会ったのも、ニャーの運命なのかもしれねぇにゃ』
猫がゆっくりと立ち上がる。
先ほどまでのふざけた雰囲気とは違う。
妙に神妙な声音だった。
青白い炎が揺れるボス部屋の中で、猫の翠色の瞳が不思議な光を帯びる。
『聞かせてやるにゃ。〝幻界〟から来たニャーのこと……そして、なぜニャーが、あの〝尖兵〟と戦っていたのかを、にゃ』
「ちょちょちょちょ、ちょっと待った」
『にゃ?』
俺は両手を突き出し、猫の言葉を遮った。
今、聞き慣れない単語が二つ出てきた。
幻界。そして尖兵。
「尖兵」の方は先ほども聞いたが、意味までは分からない。
どう考えても、普通の野良猫の身の上話に登場する単語ではない。
俺の脳内で、危険を知らせる警報が鳴り響く。
ピキュリーーン、と。
もちろん、実際にそんな音がしたわけではない。
だが、確実に嫌な予感がした。
「……ひょっとして今、まだ人類が知り得ていないような、ダンジョンに関する重要な何かの話をしようとしてない?」
『ああ、そうにゃ』
猫はあっさり頷いた。
『おみゃーら人間は、まだこの“ダンジョン”ってやつが何なのか、まるで分かってねぇのにゃ。いいかにゃ? ダンジョンってのは──』
「ワーーーーーオイ!!」
俺は大声を上げ、両手で耳を塞いだ。
「それ以上喋らないで! 聞きたくない! 聞きたくないから!」
『な、なんでにゃ!?』
猫が驚き、目を丸くする。
なぜも何もない。
どんな有名探索者の配信でも、猫が喋ってるところなんて見たことがない。
この喋る猫が、何か非常に特別な存在であることは、さすがの俺にも分かる。
そして今から、まだ人類が知り得てない世界の秘密的なものを俺へ打ち明けようとしている。
そんなもの、絶対に聞きたくない。
世界の真実。
人類の知らないダンジョンの正体。
謎の異世界、"幻界"。
正体不明の変異種ボス。
そして、“尖兵”という謎の呼び名。
どう考えても、選ばれし勇者がエンカウントするイベントである。
俺は選ばれし勇者ではない。
選ばれたくもない。
公務員志望の高校二年生だ。
「いいかい!? そういうのは、もっと勇敢で好奇心旺盛な探索者に話して!」
『おみゃーより強い探索者なんか、そうそういねぇにゃ!』
「強さの問題じゃないんだよ!」
気にはなる。
そりゃあ、気にはなる。
ダンジョンが何なのかなんて、人類が二十年間研究しても分からなかった最大級の謎だ。
その答えが、目の前にいる猫の口から聞けるかもしれない。
だが、知ってしまえば、絶対に面倒なことになる。
秘密を守るために狙われるとか。
世界を救ってほしいと頼まれるとか。
謎の組織から勧誘されるとか。
何らかの大いなる宿命を背負わされるとか。
そんな未来しか見えない。
百歩譲って、そういうイベントが俺に起きるとしても、早すぎる。
だって俺、まだスキルに目覚めて四十八時間も経ってないんだ。
覚醒初日。
ゴキブリを爆破した。
アパートも爆破した。
変異種のミノタウロスも爆破した。
謎の探索者、ダイナマイト練馬になった。
覚醒二日目。
ゾンビを爆破した。
転移罠を踏んだ。
A級上位モンスターを爆破した。
喋る猫と出会った。
明らかに、イベントの進行速度がおかしい。
リアルタイム形式の海外ドラマ並みのスピード感だ。
このままでは一週間後くらいに、世界を救う旅へ出発させられかねない。
俺はそんなの絶対に嫌だ。
高校卒業後は安定した職業に就きたい。
定時に帰宅したい。
休日は家でゲームをしていたい。
世界の真実など知らなくても、人生は十分楽しいのだ。
俺は耳から手を離すと、猫へ向かって真剣な表情を作った。
「いいかい?」
『な、なんにゃ……?』
「俺は、帰宅途中にダンジョンへ立ち寄っただけの、しがない高校生。君は、たまたま知能が高すぎて人語を理解するに至った天才猫ちゃん。もしくは、ストレスに蝕まれた俺の心が見せている幻覚だ。そして、あの骸骨たちは、勝手に爆死した。俺は何もしていない。運悪く未撤去の地雷でも踏んだんだろうね。かわいそうに。じゃ、そういうことで」
俺は早口でまくし立て、そのまま踵を返した。
『うおぉーーい!? ちょっと待つにゃ!!』
猫の声を無視し、ボス部屋の入口へ向かって歩く。
スケルトン・ジェネラルを倒したことで、巨大な扉の外には転移魔法陣が出現していた。
予想通り、地上一階まで戻れるらしい。
助かった。
あれに乗れば、腐臭の漂う二十九階分の道のりを歩かなくて済む。
そのまま地上へ帰り、風呂に入って寝よう。
今日起きたことは全部忘れよう。
『待てにゃ! ニャーは、おみゃーをこのまま帰すわけにはいかねぇのにゃ!!』
その言葉を聞いた瞬間。
俺は足を止め、ぎょっとして振り返った。
「えっ……?」
『にゃ?』
「やっぱり、もう一匹のボスだったの?」
『は?』
「“生かして帰すわけにはいかねぇ”的な……?」
俺は制服のポケットへ手を入れた。
小石は、まだ一つ残っている。
その動きを見た瞬間、猫の全身が大きく跳ねた。
『ギニャーーーーーーッ!?』
猫が毛を逆立て、飛び上がる。
『違う違う違う!! そういう意味じゃないのにゃ!!』
「そうなの?」
『殺さないでほしいのにゃ! 爆死するのはイヤにゃーーー!!』
猫は床へ腹をつけ、両前脚で頭を抱えるような姿勢になった。
完全に怯えている。
少し悪いことをした気分になった。
「よかった……。俺もなるべく猫は爆散させたくないし」
『その「必要があればやる」みたいな言い方が怖ぇのにゃ……!』
俺はポケットから手を出し、深いため息を吐いた。
「でも、本当にこれ以上、面倒事に巻き込まれたくないんだ。勘弁してよ」
『面倒事じゃねぇにゃ! このままじゃ、おみゃーら人間の世界が──』
「ワーオイ!! ワーオイ!! 聞きたくない聞きたくない!!」
『まだ何も言ってねぇにゃ!』
「もう帰るから!」
俺は小走りで、ボス部屋の外へ向かった。
『あっ! 待ってにゃ!』
背後から、猫の足音が追いかけてくる。
『ニャーの話を聞いてほしいにゃ! おみゃーみたいな強い人間、滅多に会えないのにゃ!』
「嫌だ!」
『ニャーを助けてほしいのにゃ!』
「ごめん! うちのアパート、ペット禁止なんだ!」
『いいから一回ちゃんと話聞けにゃ!!』
猫の叫びを背に受けながら、俺は転移魔法陣へ飛び乗った。
床に刻まれた紋様が、強い青白い光を放つ。
視界が光で埋め尽くされる直前──
猫が必死に跳びかかり、俺の制服の裾へ爪を引っかけた。
『あっ』
猫が小さく声を上げる。
そして俺たちは、そのまま光に呑み込まれた。




