第12話 誰これ?
学校へ到着した俺は、駐輪場へ自転車を止め、校舎へ向かった。
廊下でも、やはり視線を感じた。
すれ違う女子生徒が振り返る。
別のクラスの女子たちが、こちらを見ながら小声で話している。
(間違いない。制服の着こなしが変すぎるんだ)
疑念が確証に変わる。
正直、今すぐ帰りたい。
しかし、ここまで来て引き返す方が目立つ。
俺はできるだけ早足で教室へ向かった。
二年三組の扉へ手を掛ける。
大丈夫。入って席へ座ればいい。
俺は生粋の陰の者だ。
いつも通り、誰とも話さず、静かに授業を受ける。
それだけだ。
俺は教室の扉を開けた。
「おはようございま──」
教室内の会話が、ぴたりと止まった。
クラスメイトたちの視線が、一斉にこちらへ集まる。
「…………」
長い沈黙が流れる。
次の瞬間。
「えっ!?」
「誰!?」
「ちょ、待って!」
「きゃっ……!」
女子の数人が、小さな悲鳴を上げた。
(やっぱり!?)
俺は身体を固くした。
始業式に遅刻。
その翌日には、サイズの合っていない制服で登校。
7部丈のパンツに、だらしなく胸元の開いたシャツ。
さすがに引かれたのだ。
高校二年生のスタートとして、最悪すぎる。
「お、おはよう……ございます」
なるべく目立たない声で挨拶し、自分の席へ向かう。
歩くたび、周囲の視線がついてくる。
「誰だ……あれ?」
「え? マジ!? モデル!?」
「昨日、あんな奴いたか?」
「ていうか、背高っ……」
何か話している。
聞き取らない方がいい気がする。
制服のサイズが合っていないとか。
胸元を開けて格好つけているとか。
そういう陰口に違いない。
(違うんです。イキって格好つけてるんじゃないんです。何故かボタンが閉まらないんです)
心の中で必死に弁解する。
もちろん、誰にも伝わらない。
俺は席へ座ると、できるだけ小さくなって教科書を開いた。
◇◆◇
午前中は、地獄だった。
授業中も、何度も視線を感じた。
特に女子から見られている気がする。
休み時間になると、何人かがこちらを見ながら話していた。
絶対、陰口だ。
一年生の頃、俺は基本的に一人で過ごしていた。
休み時間は本を読むか、スマートフォンを見る。
昼食も一人。
放課後も寄り道せず、すぐに帰宅。
二年生のクラスには、一年の頃に同じクラスだった生徒もほとんどいない。
誰も俺の顔を覚えていなくても不思議ではない。
だからこそ。
もしかして、頭のおかしい新入生が、急にニ年教室へ入ってきたと思われてるのか……?
二年生の教室へ迷い込んだ一年生。
それなら、先ほどの「誰?」という反応にも説明がつく。
いや──
なんなら、胸元が開いているせいで、校則を守らない不良生徒に見えている可能性もある。
どう考えても貧弱なボディなのに、無理してイキってる、なんちゃってヤンキー的な。
(早く制服買い直そう……)
俺はそう決意しながら、なるべく誰とも目を合わせずに昼休みまで耐えた。
昼休み。
弁当を取り出そうとしていると、隣の席の女子がこちらを見ていることに気づいた。
肩まで伸びた茶色い髪。
可愛らしい子だ。
朝から何度か目が合っていたが、そのたびに慌てて逸らされている。
(やっぱり、何か言いたいことがあるんだ……)
覚悟を決める。
制服の着方を注意されるのだろうか。
それとも、「胸元開けて格好つけるの、キモいからやめた方がいいよ!」とか忠告されるのか。
想像しただけで胃にスリップダメージが入る。
やがて女子は、意を決したように口を開いた。
「ね、ねえ!」
「は、はいっ」
思わず姿勢を正す。
女子の顔が、ほんのり赤くなっていた。
「門田くんって……転校生?」
「……え?」
意味が分からなかった。
俺の机の角には、ちゃんと名札が貼ってある。
それに彼女は今、「門田くん」と呼んだ。
「転校生ではないですけど……」
「えっ?」
「一年生の時から、この学校にいました」
「嘘っ!?」
女子が大声を上げた。
その声を聞きつけ、周囲の女子たちが一斉に集まってくる。
「何々?」
「この人、転校生じゃないんだって!」
「えっ!? ウソッ!?」
「一年の時からいたって!」
「嘘でしょー!?」
「こんなイケメン、去年いた!?」
「絶対いなかったよ!」
「いたら覚えてるもん!」
女子たちが、口々に騒ぎ始める。
「……イケメン?」
誰の話だろう。
俺は思わず周囲を見回した。
教室内に、新しい男子生徒でも入ってきたのだろうか。
しかし、女子たちは全員、俺を見ている。
「昨日の始業式もいた?」
「一応……遅刻して、後ろの方に」
「えー!? 見てない!」
「こんなに背が高かったら気づくでしょ!」
「モデルみたい!」
「ねえ、身長何センチ?」
「彼女いる?」
「部活やってるの?」
次々と質問が飛んでくる。
「えっ……いや……」
何だこれ。
怖い。
一年生の頃、女子からこれほど話しかけられたことは一度もない。
むしろ、必要な連絡事項以外で会話した記憶すらほとんどなかった。
ははーん。なるほど。
これは……新手のいじめか?
最初は褒めておいて、こちらが調子に乗ったところで梯子を外す。
そういう手口なのかもしれない。
だとしたら恐ろしい。
高校生の集団心理を甘く見てはいけない。
俺は鞄から出しかけていた弁当を、静かに机へ戻した。
「あの……ちょっと、トイレに行ってきます」
「あっ、待って!」
「まだ話したいことが──」
「すみません。も、漏れそうなので!」
俺は椅子から立ち上がると、女子たちの隙間を抜けた。
そのまま逃げるように教室を飛び出す。
「速っ!」
「足長っ!」
「やっぱり格好いい……!」
背後で何か聞こえたが、振り返る余裕はなかった。
◇◆◇
男子トイレへ駆け込む。
幸い、中には誰もいなかった。
「何なんだよ、昨日から今日にかけてずっと……」
俺は洗面台へ両手をつき、大きく息を吐いた。
通行人から見られ。
学校中で見られ。
教室へ入れば悲鳴を上げられ。
昼休みには女子に囲まれた。
やはり、昨日の事件で、俺の人生の何かが狂ってしまったのだろうか。
「制服、そんなに変かな……」
洗面台の正面には、大きな鏡がある。
そういえば、今朝は部屋の鏡が割れていたため、自分の姿をきちんと確認していない。
俺は顔を上げた。
鏡の中に、一人の男子高校生が映っていた。
高い身長。広い肩幅。
制服越しでも分かる、引き締まった身体。
首元の開いたシャツからは、これまで自分には存在しなかったはずの胸板が覗いている。
寝癖気味だった髪は自然に整い、ぼんやりしていた顔立ちは、輪郭も目鼻立ちもくっきりとしていた。
どこかの若手俳優か。
探索者の広告に出てくるモデル。
少なくとも、昨日までの俺とは別人だ。
いや、ベースは俺なんだけど、バリバリに修正された詐欺写真みたいだった。
「…………」
俺は後ろを振り返った。
誰もいない。
もう一度、鏡を見る。
鏡の中のイケメンも、同じように正面へ向き直った。
俺は右手を上げる。
鏡の中の男も右手を上げた。
頬へ触れる。
鏡の中の男も、自分の頬へ触れる。
「…………」
間違いない。
鏡の中にいるのは、俺だった。
俺はしばらく無言で、自分とは思えない顔を見つめた。
そして──
心の底から困惑しながら、呟いた。
「……誰これ?」




