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七海と誠が見る甘い夢、朝の別れ

 布団の中。窓の外から、虫の声がまだ続いていた。誠は七海の指を握った。七海の手のひらが、ゆっくりとその形に馴染んでいく。温度の境界がわからなくなるほどに。やがて、七海が身を寄せた。肩と肩が触れ、頬がかすかに触れ合う。互いの呼吸が同じリズムを刻みはじめ、胸の鼓動がひとつの拍のように溶けていった。七海の髪が誠の頬をかすめる。その感触がまるで波のようで、誠は目を閉じた。彼女の体温が流れ込む。同時に、自分の心の奥にあるものが静かに流れ出していく。どちらが先に眠りはじめたのか、もう分からなかった。意識の境目が淡く滲み、現実と夢の距離が近づいていく。呼吸のひとつひとつが、互いの中で循環していた。最後に残ったのは、ほんの小さな囁き。それが声だったのか、想いだったのかも曖昧なまま、ふたりは額を寄せ合い、月の光のなかで、ゆっくりと夢の世界へ落ちていった。

 

 ***

 

 ベッドは、雲のように柔らかかった。ラグジュアリーなホテル――それよりも、どこか現実を超えた静寂と香りが漂う空間。誠は仰向けに横たわっていた。すでに衣服は脱がれ、肌には柔らかな体温が幾重にも重なっている。

「んふふ……まーくん、さっきの凄かったね?」

 左から、瑞希がぴとりと腕に身体を絡めてくる。シャンパンピンクのベビードールが、彼女の柔らかな胸元をふわりと包み、その甘い香りが誠の肩に溶けていった。

「誠さん……ふふ、さすがにすこしお疲れでしょうか」

 右からは七海。深めのネイビーのベビードールに包まれた大人の色香。その指先が、ゆっくりと誠の胸元を撫でるように這ってくる。声のトーンは優しく、でもその瞳はとろけるように濡れていた。

「……ずるいよ、あたしだけ見てて」

 そして――正面から、飛鳥がそっと膝をつき、誠の腰に跨った。透けるような白のベビードールが、彼女の華奢な肩をすべり落ち、淡い肌が月光に照らされるように浮かび上がる。そのまま、顔を近づけ、目と目が重なる距離。

「夢……かな?」

 誠がぽつりと呟くと、三人は同時に微笑んだ。

「夢じゃないよ、まーくん」

「そう。だって、わたしたち……」

「……あなたの恋人なんだから」

 三人の柔らかな唇が、同時に、額・頬・胸元に落ちる。それはキスであり、祝福であり、愛の証明。腕の中にふたりの体温、そして目の前には、頬を赤らめた飛鳥の笑顔。

「ん……やだ、そんな顔されたら……また好きって言いたくなる……」

「まーくん、もっと撫でて……」

「誠さん、なにもかも、忘れさせてあげます」

 ──胸が熱い。──肌が蕩ける。──これは、きっと愛そのものだ。

 

 ***

 

「ねぇ、まーくん……わたしのこと、好き?」

 左から抱きついていた瑞希が、上目づかいで問いかける。胸元を誠の腕に押しつけながら、わざと唇を尖らせるようにして。

「誠さん、わたしにも言ってください。……好き、って」

 右から寄り添っていた七海が、声をひそめて囁く。彼女の指先が、誠の頬をなぞるように滑っていく。

「……あたしも、聞きたい」

 正面で跨っている飛鳥は、まっすぐに誠を見つめた。けれど、どこか照れたように――両手で誠の胸をそっと押さえながら、小さく唇を噛んだ。

「なに、これ……ずるいよ……」

 誠はそう呟きながら、笑っていた。だけど、その直後――

「ねぇ、“瑞希のこと好き”って、ちゃんと言ってくれないと……キスしちゃうよ」

「“七海のこと、大好き”って囁いてくれたら……いっぱい撫でてあげますね」

「……“飛鳥のことしか見てない”って言って……じゃないと、もう……動いちゃうかも……」

 三人の“好き好き”攻撃が一斉に始まった。瑞希のキスが頬に落ちる。七海の唇が肩を這う。飛鳥の唇が、おでこに、まぶたに、鼻筋に――ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。

「まーくん、まーくん、大好き……」

「誠さん……誠さん……だいすき、です……」

「まこと、……すき……すき……ほんとに、すき……」

 誠の全身は、愛の嵐に包まれていた。視界のすべてが、肌のすべてが、心のすべてが――彼女たちで満たされていく。

「……ずるいよ、みんな……好きすぎるって……!」

「ふふっ、じゃあもっと“好き”って言って?」

「“いちばん好き”って……わたしだけに」

「まことが困る顔、……可愛い……」

 誠が言葉を返そうとすると、今度は三人が、誠の唇を狙って……同時に顔を寄せてきた。

「ちょ、まっ――」

「ちゅっ」

「ん……」

 誠の唇に、頬に、顎に、次々とキスが降る。もはや愛の飽和――夢の中でしか許されない、幸福の洪水。……これが、夢だとしても――こんなに幸せなら、もう目覚めたくない。

 

 ***

 

 からだが重なって──やわらかな吐息と、火照りが交錯する静かな夜。誠は、仰向けになったまま、左にいる瑞希、右の七海、そして胸元に抱きついている飛鳥を、それぞれ愛おしげに見つめた。そして、言った。

「みんな……可愛すぎて、ちょっと困ってるんだけど」

「え〜、なにそれ〜」

 瑞希が先にくすくすと笑い出す。

「それ、褒めてるようで責任放棄してない?まーくん」

「違うよ。本気で──惚れてるって意味」

 誠は、まず左の瑞希に視線を向ける。

「瑞希はさ、いつも明るくて、人のことを元気にする天才で……いつも明るくて、自分の気持ちに真っ直ぐで、俺のこともまっすぐに好きって言ってくれる。その素直さに、何度も救われてる」

「……そ、そんなの……ずるいじゃん……」

 耳まで赤く染めながら、瑞希は誠の胸にぴったりと額をすり寄せてくる。

「だって、まーくんにしかそうしないもん……わたし……」

 次に、右の七海に。

「七海は……綺麗で、お姉さんみたいに包み込んでくれるのに、ふとしたとき、誰よりも恥ずかしがる。そのギャップが……もう、可愛すぎて、どうしていいか分かんなくなる」

「誠さん……」

 七海はそっと目を伏せて、指先で誠の手を優しくなぞる。

「そんなふうに言っていただけると……わたし、もっともっと、好きになっちゃいます……」

 そして、胸元にいる飛鳥。

「飛鳥は……ツンツンしてるのに、本当は誰よりも甘えたがりで。俺にだけ弱いとこ見せてくれるのが……正直、もう、反則だと思う」

「……っ、なにそれ……」

 飛鳥は顔を隠すように、誠の首元にぎゅっとしがみついた。

「そういうの……いちばん、きく……から……」

「ほんとにさ──こうして三人に囲まれてると、なんか……人生で最高の夢を見てる気分」

「夢じゃないよっ」

 瑞希が、ちょこんと顔を上げて言った。

「ぜんぶ現実。わたしたち、ほんとにまーくんのこと好きだし」

「そうよ。わたしも、誠さんがいてくれるから……毎日が輝いてます」

「……わたしも……好き……ずっと、好きでいるから……」

 三人の言葉が、胸に降ってくる。誠は、ぎゅっと三人を抱き寄せて、そのまま、耳元に囁いた。

「ほんとに……ありがとう。好きだよ、みんな。心の底から──全部、愛してる」

 

 ***

 

 誠は仰向けのまま、三人を感じていた。ベビードールの薄布越しに伝わる体温、まだ乾ききらない汗の匂い、それぞれの髪が肌に絡む感触。それが、あまりにも愛しくて――気づけば、口が動いていた。

「……なんかさ、馬鹿みたいなこと言うけど……」

 ぽつりとこぼれたその言葉に、三人の視線が同時に向く。

「……俺、ずっと……みんなと一緒にいたいんだ。本気で……ずっと、ずっと、こうして……」

 瑞希の手が、きゅっと誠の胸元を掴んだ。

「まーくん……」

「本当は、誰か一人と向き合うべきだって……そういうの考えたんだ。でも……どうしても、だれかを選ぶとか、できなくて。だって、みんなが好きなんだ。誰かを外して、なんて……そんなの、無理で……」

 声が少しだけ震えていた。それを見た七海が、そっと頬に手を当ててくれる。

「……誠さん。それって……とっても誠さんらしいです」

 そのまま、優しく微笑んだ。

「ずっと、悩んでくれてたんですね。わたしたちのこと……」

 飛鳥も、小さく顔をうずめたまま、喉の奥でかすれるように呟く。

「……わたしも、わかってたよ……まことが、ちゃんと……全部大切にしてるって。まことの、そういうとこ……ほんとに、ずるい……」

 けれど、涙まじりの声には、責める気配はなかった。そして、瑞希が――

「じゃあさ、まーくん」

 唇を誠の胸元に押し当てながら、目だけを見上げる。

「その“ずっと”って……今日だけのことじゃないよね?」

「うん……ずっと、ずっと、未来のこと。一緒に、歳をとって、笑って、同じ思い出を作って……そういう、“ずっと”がいい」

 三人が、同時に小さく息を呑んだ。次の瞬間――

「……うぅっ」

「……だめだ、そんなこと言われたら……っ」

「誠さん、ずるいです……本当に……」

「もう、泣いちゃいます……」

「まこと、ほんとに……ほんとに、好き……!」

 三人とも、涙ぐみながら、今度はそっと、誠の頬にキスをしてくれた。まるで――一生分の”ありがとう”を込めるように。温かくて、切なくて、嬉しくて。そのキスが、誠の心をまた締め付ける。

「ありがとう……ありがとう……」

 何度も、何度も、それしか言えなかった。けれど、その夜の静けさは――どんな言葉よりも、確かに四人を結びつけていた。

 

 ***

 

 夜はまだ、明けていない。けれど、カーテン越しの窓が、わずかに群青に染まりはじめていた。誠は、ベッドの真ん中にいた。裸の胸に、三人の柔らかな体が寄り添っている。左に瑞希、右に七海、そして胸元には飛鳥。ベビードールの薄布はところどころ乱れて、みんな汗と愛の余韻に包まれていた。そんな静けさの中――

「ねぇ、まーくん」

 瑞希が、ふいに呟いた。誠の首筋に顔を埋めたまま、小さく。

「わたし、いつか……お弁当とか、作ってあげたいな。いつも、ご飯はまーくんに作ってもらってばかりだから。朝、早起きしてさ、にんじんをハート型に切ったりして……。まーくんが会社行くとき、渡して……。一緒に行ってきますして。帰ってきたら、『おいしかった』って、言ってもらうの」

 それは、少し照れくさそうで、でも真っ直ぐな、未来の夢だった。

「……すごくいいね」

 誠がそう返すと、瑞希は嬉しそうにくすっと笑った。その横で、七海が静かに話しはじめた。

「わたしは……あの……毎朝キスして起きて、一緒に歯磨きして、朝ごはん食べて、バタバタして……。そのあと、誠さんが『行ってきます』って言うとき、わたしが『いってらっしゃい』って、ぎゅーってして……」

 柔らかな声だった。そのまま誠の手を握り、優しく指を絡めてくる。そして――

「……わたしはさ」

 飛鳥の声が、喉の奥から小さく届いた。

「……本を一緒に読んだり……したいかな。ひとつのソファに並んで、まことが好きな本と、わたしが好きな本、それぞれ読んでて……。でも、途中で肩にもたれて、眠っちゃったりして……。なんか、そんな時間をずっと……過ごせたらなって。それから……」

 言葉が途切れた。でも、その先にあるイメージは、言葉にせずとも伝わっていた。三人とも、目を閉じて、誠の胸に耳を当てていた。心音を聴きながら、それぞれの未来を重ねていた。同じベッドで、同じ温度で、同じ夢を見ていた。それが、とても、幸せだった。

 

 ***

 

 三人のぬくもりに包まれながら、誠は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。――お弁当。――毎朝のキス。――読書の午後。どれも、他愛のない日常だ。けれど、それが、どれほどかけがえのないことか。それがこの胸に、どれだけ刺さるか――呼吸が、少しだけ乱れる。瑞希が気づいて、顔を上げた。

「……まーくん?」

 飛鳥も、七海も、不思議そうに見つめてくる。誠は何かを言おうとしたが、声が詰まって、出てこなかった。瞼が、じんわりと熱を帯びる。喉の奥が震え、頬を伝う雫の気配に、自分で気づいた。

「……ごめん、なんか、すごく……」

 言葉にならない。胸の奥で膨らみすぎた感情が、溢れ出してしまった。

「すごく、嬉しくて……馬鹿みたいだけど……こんな風に、みんなと……過ごせて……」

 言いながら、笑っていた。でも、涙は止まらなかった。すると、瑞希がそっと抱きしめてくる。

「……泣き虫まーくん、大好きだよ」

 その声が、耳元に触れて、さらに胸を締めつける。七海が手を重ねてきた。

「誠さんの優しさ……いつも、ちゃんと届いてますから」

 その温もりが、言葉以上に優しかった。飛鳥は、口元をぎゅっと引き結び、そっと誠の胸に顔をうずめた。

「泣いていいよ、まこと。……全部、わたしたちが、受け止めるから」

 三人の体温が、ぴったりと重なる。誠の涙が、ひとしずく――また、ひとしずく。だけど、それは悲しみではなく、心がいっぱいになって、こぼれてしまった、幸せのしずくだった。

 

 ***

 

 光がやわらかく差し込むベッドの上。まだ汗の余韻を肌に残しながら、三人のヒロインが誠に身を寄せていた。呼吸は穏やかで、けれど心の奥には、さっきまで交わした愛の熱が――まだ、残っていた。ふと、瑞希がぽつりと呟いた。

「……ねえ、もしも……三人一緒に、まーくんと結婚できたら、って思わない?」

 唐突で、でもどこか子どものような純粋な響き。そしてそれは、あとのふたりの心にも、そっと火を灯す。

「ふふ……それ、わたしも考えたことあります」

 七海が微笑むように応じる。

「……ありえないって、分かってるけど……でも、みんなで一緒に暮らせたら、毎日がほんとに……幸せで、優しくて……。朝起きたら、三人で“おはよう”って言って、夜寝る前は、誠さんを真ん中にして……“おやすみ”ってキスして……」

 飛鳥は少し照れたように、誠の胸元に指を置いた。

「でも……まことがいっちばん、疲れそう。毎晩、三人相手に……ねぇ?ふふっ……無理じゃない?」

「せっかく夢みたいなな話してるのに!やだあ、飛鳥ちゃんえっち!」

 口調こそ軽やかだったが、その言葉の奥には――

「それでも、あなたが選んでくれたら……わたし、ちゃんと“あなたのお嫁さん”になりたいの」

 ――そんな願いが、はっきりと感じられた。

「……ね、まーくん」

 瑞希が、甘えるように囁く。

「夢の話、してもいいよね?三人でお揃いのエプロンつけて、お弁当作ったり、夏祭りのときは、みんなで浴衣着たりして……帰ってきたまーくんを、ぎゅって抱きしめて……『おかえりなさい』って、言いたいの」

「わたしも……」

 七海が、やわらかく微笑みながら続ける。

「誠さんの服、洗ってたたんで、時々、みんなで旅行に行って……そういう、ふつうの幸せ……ちゃんと大事にしたい」

 三人とも、現実を知っている。こんな未来が、きっと叶わないことも。でも、それでも語らずにはいられない。それほどまでに、愛しくて、尊くて、胸がいっぱいになる夢。

「……ほんと、バカみたいだね」

 飛鳥がぼそっと言った。

「でも、……わたし、信じたい。だって――こんなに、好きなんだもん……」

 その瞬間、誠の胸にまた熱いものがこみ上げてきた。三人のぬくもりが、夢のように重なって、肌の感触も、声の余韻も、涙も、ぜんぶが――愛だった。

 

 ***

 

「……そしたらさ」

 瑞希が、小さな声でつぶやいた。

「三人で、結婚式もできたら……って、思わない?」

 その言葉に、部屋の空気がふわりとやわらかくなる。誠の胸に頬を預けたまま、七海がそっと笑った。

「それ……すてき、ですね。純白のドレス、三人でお揃いにして……誠さんを真ん中にして……」

「わたしは……ベール、すっごく長いやつがいいな」

 瑞希が手を広げるように、空に指をなぞった。

「チャペルのドアが開いて、まーくんが祭壇の前にいて……わたしたち三人が、同時に歩き出して……『ねぇ、どの花嫁にする?』って」

「……バカ」

 飛鳥が小さく突っ込む。

「そんなの、選ばせたらかわいそうでしょ……」

 照れたように言いながら、でもその頬はほんのり赤い。

「だったらさ――三人並んで、誓いのキスしちゃえばいいんじゃない?」

 瑞希がにやりと笑うと、

「……順番どうするの、それ」

 飛鳥がそっぽを向く。

「年上順?身長順?……それとも、まことの好きな順?」

「それは……揉めるからダメですね」

 七海がやんわりと微笑む。

「でも……並んで歩いて、みんなで誓って、みんなで指輪をはめて……それだけで、幸せだと思います」

「指輪、三つとも違うデザインにしよう」

 瑞希が目を輝かせて言った。

「飛鳥はシンプルなシルバー、七海はエレガントなプラチナ、わたしは……んー、ピンクゴールドにちっちゃいダイヤ!かわいくない?」

「……それ、自分が一番目立ちたいだけじゃん」

 飛鳥がジト目で見つめる。

「ちがうもん!それぞれに似合うやつがいいんだもんっ」

「……でも、三人並んで“花嫁”って、ちょっと恥ずかしいね」

 飛鳥がぽつりとこぼす。

「だけど……わたし、ちゃんと言うから。“誠のこと、一生愛します”って。ちゃんと、言いたいの」

「……わたしも」

 七海が頷く。

「みんなで一緒に……誠さんと家族になれたら、って思います。ちゃんと幸せにしたいし、ちゃんと幸せにされたいんです」

「……わたしもっ」

 瑞希がそっと手を重ねる。

「まーくんに、一生分の“好き”を言いたい。毎日、毎晩、ずーっと。どこにも行かせないくらい、大好きでいたいの」

 そして、三人の手が、誠の胸の上で重なる。涙じゃない。でもそれは、胸がいっぱいになるほどに、甘くて、夢のような時間だった。

 

 ***

 

「じゃあ、じゃあ……っ」

 瑞希がぱっと手を挙げて、子どもみたいに笑う。

「いまから“結婚式ごっこ”しよっか!このまま、まーくんと、三人で――けっこん、するの」

「……ごっこ、って……また急に……」

 飛鳥が呆れたように呟くが、目の奥には照れとときめきが混ざっていた。

「でも……いいかも。誠さんに、誓いたい気持ち……ありますから」

 七海が頬を染めながら、ふわりと微笑む。即席の“結婚式”が、始まった。ベッドのシーツをヴェール代わりにして、テーブルに飾ってあった花をブーケにして、瑞希が

「じゃあわたし神父やる!」

 と騒いだあと、

「やっぱり無理だからみんなで誓おう!」

 と笑いながら声を上げた。三人のヒロインが、順に誠の目の前に立ち、まっすぐに想いを告げていく。

「まーくん。わたし、今日、あなたと誓います。楽しい時も、寂しい時も、甘えたくなった時も……ぜーんぶ、まーくんと一緒にいたい。世界一、大好きな人と、ずっと一緒に生きていきたいの」

「……わたしも、まことと誓う。これから何があっても、ずっと……手を繋いで、離さない。喧嘩しても、不安になっても――好きって気持ちだけは、絶対に、変わらないから」

「誠さん……。あなたの隣で、微笑んでいられる毎日が、どれほど幸せなものか、私は知っています。これからも、何度でも……誓わせてください。あなたを、心から愛し続けると」

 そして、三人が誠の前でそっと手を取り合い――

「わたしたち、まーくんと、結婚しますっ」

「……一緒に、いてください」

「――誠さん、あなたの“花嫁”でいさせてくださいね?」

 誠はもう、返す言葉が見つからなかった。ただ、笑って、泣いて、頷いた。

「……ありがとう。みんな、ほんとに……大好きだよ」

 そのあとは、ふざけた

「誓いのキス」

 の流れになって――。瑞希はすかさず

「じゃあ誓いのキス×3連続で」

 と宣言。三人が順に、誠に愛のキスを届けて――。そのまま、四人でベッドにくずれこむように、幸せな笑い声が弾ける。ほんの数分の、儀式みたいな、でもちゃんと本気な“結婚式ごっこ”。誰かが

「ありえないよね」

 と笑いながらも、その胸の奥には――叶わなくてもいい、でもずっと夢見たい、甘く切ない想いがあった。

 

 ***

 

 ふわり、シーツが揺れて。四人はそのまま、柔らかなベッドにくずれ落ちた。ドレスもタキシードもない、指輪も神父もいない、即席の“結婚式”。けれど、笑顔とぬくもりだけは、どんな本物よりも確かにあった。誠は、左右にいる三人の手を、ぎゅっと握る。

「……なんかさ」

 ベッドの天井を見上げながら、ゆっくりと呟いた。

「またやろうな。今度は、もうちょっとちゃんと……式っぽく。写真とかも撮ってさ。みんなで」

 その声に、しんと静かな間が落ちたあと――三人のヒロインが、同時に頬を染めながら、くすっと笑う。

「……もぉ、まーくん。そんなこと言われたら……したくなっちゃうじゃん」

 瑞希が、誠の肩に頬をのせながら囁く。

「……ほんとに、今からでも……“本番”でもいいのに」

 飛鳥が、そっと小さく呟いた。けれどその声は、確かに熱を帯びていた。

「ええ……。このまま、今夜が永遠に続けば……って、思ってしまいます」

 七海は微笑みながら、けれどその目は真剣で、まっすぐだった。三人の“お嫁さん”たちが、それぞれの体温で誠を包み込む。ぎゅっと、寄り添う。手も、肩も、脚も、心も――全部。そして、誰からともなく、ふわりとキスの気配が近づく。愛しい夜は、まだまだ終わりそうになかった。

 

 ***

 

「……ねぇ」

 瑞希が、ぽつりと呟くように言った。

「子ども……欲しいなって、思ったことある?」

 誠が一瞬、まばたきをした。けれどその隣で、七海がそっと頷いていた。

「あります。誠さんとの子……どんな子になるのかなって。ちょっと想像して、ふふって……なるんです」

「……わたしは」

 飛鳥が顔を伏せながら、かすかに呟いた。

「……別にいらないって言ってるけど、興味がないわけじゃない……」

 誠の胸が、ゆっくりと熱くなる。何かがこみ上げてくるのを感じながら、言葉を探した。

「……俺も、考えたことあるよ」

 息を呑む三人の前で、誠は静かに続けた。

「みんなに似た……きれいな女の子が生まれて。その子たちが、みんな仲良しで、一緒に笑ってて……」

「……まーくん、それ、ずるい……」

 瑞希が、涙をこらえるように笑う。

「そんなこと言われたら、もう……ほんとに欲しくなっちゃうじゃん……」

「……現実には、きっと難しいけど」

 七海がそっと言葉を添えた。

「でも……夢に見るくらいは、いいですよね?」

「夢で終わらせたくないな」

 誠はそう言って、三人を見つめた。

「叶うかどうかなんてわからないけど……でも、みんなとがいる未来を、俺は信じたい。馬鹿みたいに、信じたいんだ」

 その瞬間、三人の頬に、それぞれ一筋の涙がつたった。温かくて、優しくて、でもどうしようもなく切ない――それでも確かに、希望に満ちた涙だった。

「……うん」

「……うん……」

「……わたしも、信じる」

 それは、いつか来るかもしれない未来の、誰にも言えなかった、でもずっと願っていた――“ありえないくらい素敵な夢”だった。

 

 ***

 

 誠は、まだ裸のままベッドに横たわっていた。その胸の上で、三人の体温がふんわりと重なっている。瑞希が左肩に頬をくっつけ、指先で誠の胸をなぞる。七海は右側で、腕をそっと絡ませながら、安心したように微笑んでいた。飛鳥は正面、誠の腹のあたりにうつ伏せになり、頬をすり寄せながら――

「……でもさ」

 と、ぽつりと呟いた。

「うちの子たち、もし女の子だったら……まーくんみたいな人、好きになっちゃうよね」

「……あっ」

 誠が反射的に声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って、それは……あの……」

「ふふっ、動揺してる」

 七海が小さく笑いながら、指先で誠の耳をくすぐる。

「わたしはちょっとイヤかもしれません。誠さんみたいな人が相手だと……」

「毎晩あんな風にされちゃうわよ?お嫁に行けなくなっちゃう」

「え、まってまって!?」

 誠は顔を赤くしながら、あわてて身体を起こしかけるが、三人の柔らかい重みがそれを許してくれない。

「まーくんみたいな子が、うちの娘たちを泣かせるなんて……絶対に許さないんだから」

 瑞希がわざとらしく怖い声を出して、でもすぐにぷっと笑った。

「……じゃあ、ずっと私たちで囲っておく?」

 飛鳥が、顔を赤らめたまま、でも目だけは真剣にそう言った。沈黙――誠は言葉を失って、ただ三人を見つめていた。

「……バカだな、俺」

 ぽつりと呟いたその声に、三人が同時に微笑む。

 

 ***

 

「でも……ほんとは、独り占めしたいのに」

 左からくすぐるように囁いた瑞希が、しがみつく腕に力を込めた。まるで、そうすることで誠を逃がさないとでも言うように。

「えっ……」

 誠が思わず息を呑むと、右側で七海が微笑んだ。けれどその笑みには、わずかな切なさが滲んでいた。

「……わたしも、何度もそう思ってしまいます。本当は、誠さんを誰にも触れさせたくないって……」

「ちょっと」

 飛鳥が小さく声を上げた。正面で誠の胸に頬を乗せていたその顔が、きゅっと眉を寄せている。

「そういうの、ずるい」

「ふふっ、飛鳥ちゃんも思ってたんでしょ?」

 瑞希が意地悪く笑うと、飛鳥は照れたように視線を逸らした。

「……べ、別に……そんなの、思ってても言わないし」

「思ってるんだー」

「言わないだけで、思ってるんですね、飛鳥ちゃん」

 両側から攻められて、飛鳥は頬を膨らませた。

「うるさいっ……!でも……まことが、みんなのものになるのは……やだ、かも……」

 その声は、誰よりも素直だった。

「ちょ、ちょっと待って!」

 誠は慌てて両手を挙げる。柔らかな肌と甘い匂いに囲まれて、思考がふわふわと揺らぐ中で――三人の“本音”が突き刺さる。

「そ、そんなの……俺だって……」

 胸の奥に波紋が広がって、言葉が追いつかない。けれどその震えに、ヒロインたちはすぐに気づいた。

「……まーくん、ほんとは、わたしのことだけ見ててくれたら、それだけでいいのに」

 瑞希が、頬をすり寄せながら囁く。その声が、ちょっと泣きそうで――甘くて、苦しかった。

「誠さんが優しいから……こんな気持ち、我慢できなくなっちゃうんですよ」

 七海は静かに笑うけど、その手は誠の指をぎゅっと握っていた。

「……まこと。わたしだって、本当はね……」

 飛鳥がそっと、誠の胸に額を寄せる。指先が、胸元を探るように震えている。

「一人だけに、なりたいよ……っ」

 それは、誰の心にも響いた。三人の気持ちが、それぞれ違って、それでも重なって。誠の胸に、深く、優しく――刺さった。

 

 ***

 

「……なーんてねっ♪」

 瑞希が、急に明るい声を出した。頬をくっつけたまま、くすっと笑いながら、誠の胸を指先で軽くつつく。

「びっくりした?でも、ほんとだよ。二人きりで愛し合ってるときって、やっぱり――『わたしだけ』になってほしくなっちゃうの」

 その瞳は、笑っているのに、ほんの少し潤んでいた。

「でも……でもね、わたし、飛鳥ちゃんのことも、七海ちゃんのことも、だいすきなの。だから――離れたくないんだよ」

「瑞希さん……」

 七海が、柔らかく目を細める。右側から伸ばした手が、瑞希の手の甲にそっと重ねられる。

「……わたしも、そうです。おふたりとも、可愛くて、眩しくて……でも、だからこそ――誠さんと一緒に、こうしていたいって思うんです」

「……ふん、わたしは、素直にそういうの言えないけど」

 飛鳥はふいっと顔をそらしながらも、両手で誠の頬をはさんでいた。まるで、“逃がさない”っていうように。

「でも……離れたくないのは、ほんと。三人でいるの、わたし……けっこう、好きだから」

 誰かの目が合って、ふっと笑いが生まれた。甘くて、切なくて、でもどこか可笑しい――そんな、心の温度。誠は、喉の奥が熱くなるのを感じた。言葉じゃないものが、胸いっぱいに広がっていく。

「……ありがとう」

 その声に、三人が一斉に頷いた。

 

 ***

 

「――ねぇ、まーくん?」

 ぽそっと、瑞希が小さく囁いた。けれどその声は、しっかりと三人の間に落ちた。

「誰とのえっちがいちばん……好き?」

「……ッ!!?」

 誠は、その場で硬直した。指先がぴくりと動き、背筋が反射的に伸びる。まるで戦場で“地雷”を踏んだ兵士のように。

「ちょ、ちょっと待って瑞希さんっ!?」

 飛鳥が真っ赤になって手を振る。

「なに聞いてんの!それって、そ、それって……!」

「えー、だって気にならない?わたしは気になるよ?」

 瑞希は小首を傾げながら、唇をとんがらせる。

「だってさ、えっちって……すごいじゃん?体も心も、まーくんとひとつになれるんだよ?そりゃ“誰がいちばん好きか”って、ちょっとはあると思うんだよね〜」

「……ま、誠さん……」

 七海までもが、静かに見つめてくる。恥ずかしそうに頬を染めながら、だけど真剣なまなざしで――

「わたしも……少しだけ、気になります」

「や、やめてよほんとにっ」

 誠は両手をぶんぶん振って、顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

「無理だって!選べるわけないし!どのえっちも最高だったし、みんな……みんな大好きだしっ!」

「じゃあ……」

 瑞希がまた、にんまりと笑った。

「今度、改めて“三人同時”で、もっとすごいえっちしよっか?そうしたら、比べようがないくらい……“好き”って思ってもらえるように、がんばるから」

「う、うわああああ……っ」

 誠は顔を覆って、頭をぐらぐらさせる。けれど、耳まで真っ赤になっているのは、誰の目にも明らかだった。

 

 ***

 

「ちょっと待って!?ねぇ!?ほんとに!?」

 誠が全力で叫ぶ。けれど――その声は、完全に熱に呑まれていた。

「……ふふっ」

 七海が優しく笑った。

「誠さんって、そうやって焦るとき……ほんとに、可愛いです」

「えっ、いや、ちが、いや、可愛くはないでしょ俺っ!?」

「……うん。可愛い」

 飛鳥までもが、ぽつりと呟く。

「いちばん、あたふたしてるとき、ちょっと好き……」

「わたしも〜」

 瑞希が両手を胸の前で組みながら、誠をのぞき込む。

「こういうときのまーくん、たまんないって感じ」

「うああああ……っ」

 誠は完全にうろたえ、ベッドの端で半身をよろけさせる。けれど、三人の視線は容赦なく突き刺さる――いや、愛おしそうに包み込んでくる。

「じゃあ、こうしましょうか」

 七海が提案するように静かに言った。

「今日から毎日、ひとりずつ順番に……誠さんと“えっち”を行うことにして。それで、三日ごとに……“一番感じた人”に、正直に言ってもらうんです」

「やめてぇぇぇぇえええ!!!」

 誠が頭を抱えて絶叫すると、三人はついに――

「

「あはははははっ!!!」

 」

 爆笑した。

「……っぷ、だって、まーくん、ほんっと分かりやすいんだもん」

「ちょっとからかうと、すぐこうなる……っふふ」

「照れてる顔、可愛すぎて……たまりませんね」

 三人は、まるで息ぴったりのトリオのように、笑いながら誠を囲む。そして――ぴとっ、ぴとっ、と、三方向から同時にくっついてきた。肌の熱。髪の香り。瞳の潤み。

「……好きだよ、まーくん」

「……好き。まこと」

「……大好き、誠さん」

 誠の胸の奥が、じんわりと、熱く、甘く、満たされていった。

 

 ***

 

「……あの」

 少しして、七海が口を開いた。誠の右肩に頬を寄せたまま、視線だけで瑞希と飛鳥を交互に見る。

「わたし、こうして三人でいるの……とっても幸せなんです。瑞希さんの明るさも、飛鳥さんのまっすぐさも、ほんとに大好きで」

 やわらかい声だった。照れるでもなく、誇らしげでもなく――ただ、本音だけを、そっと差し出すような。

「……きっと、わたし、瑞希さんや飛鳥さんとなら……その……愛し合えます」

「……」

「……え?」

 最初に反応したのは、瑞希だった。きょとんとしたあと、みるみるうちに頬が染まっていく。

「え、えええ!?えっ、えっ、いま……な、なんて……!?」

「え、ちょ……ちょっと七海!?なにサラッと言ってんの!?」

 飛鳥も目を丸くして身を起こしかけるが、すぐに誠の胸の上で動けなくなって――それでも真っ赤な顔で、七海を凝視していた。

「ふふっ、すみません……でも、ほんとうに、そう思ってしまったんです。だって……おふたりとも、愛しくて、綺麗で……」

 言いながら、七海はふわりと微笑む。それは悪戯でもなく、冗談でもなく――限りなく純粋な告白だった。

「ちょ、ちょっと待って……!?」

 誠は、思わず両手を挙げて叫ぶ。心臓がばくばくして、冷や汗まで出てきそうだった。

「えっ、それって、ど、どこまでの話……?え?どういう意味での……!?」

「……バカ、まことのそういうとこ、ほんと鈍感」

「わ、わたし……なんか、やばいかも……ほっぺた、爆発しそう……」

 真っ赤になってうずくまる瑞希。腕を交差させて顔を背けながらも、じわじわと目を潤ませる飛鳥。そして――そんな二人の反応を、嬉しそうに見つめる七海。誠は完全にパニック状態だった。

「……え、ええと、あの……みんな、落ち着こ?な?」

「わたしは落ち着いてますよ?ほら、誠さん」

 七海は優しく、誠の胸にそっとキスを落とした。それが“爆弾の追撃”になるとも知らずに――。

 

 ***

 

「……べ、別に……わたし、そういうの、ありかもと思ってるし」

 ぽつりと、飛鳥が呟いた。さっきまで真っ赤だった頬は、少しだけ落ち着いて、それでもまだ熱を残している。

「七海のことは……尊敬してる。わたしにはできないこと、いっぱいできて……すごいって、ずっと思ってたし」

 その声は、まっすぐだった。そして――ほんの少しだけ、照れくさそうに続ける。

「……瑞希は、まあ。うるさいけど……でも、可愛いし」

「なにそれ〜!褒めてるようで褒めてない〜っ!」

 瑞希がぷくっと頬を膨らませたが、その目はにこにこと笑っていた。誠の左腕にぎゅっとしがみついて、指先をぴくぴくと動かしている。

「でもでも、わたしも、飛鳥ちゃんのそういうとこ大好きだよっ。ほんと、素直じゃないけど、可愛いの……っふふっ」

「……やめてってば、ほんと、そういうの……」

 飛鳥は小さく身を縮めてうつむいたが、頬がふるえていた。それは――たしかに、嬉しさの証だった。

「七海ちゃんも……ありがとう。そんな風に言ってもらえて、すごく嬉しかった」

「こちらこそ。飛鳥さん、瑞希さん……ほんとに、大好きです」

 七海が微笑むと、そこには、もう一切の壁がなかった。三人のあいだにあるのは、愛情と、少しの照れ、そして、確かな絆。そして――誠は、ベッドの中心で。

「あの……俺って、いま……どうしたらいいの……?」

 完全にフリーズしていた。

「え、まって、これって……俺が“邪魔者”みたいな空気になってない……?」

「ふふっ、違いますよ」

「まーくんが一番、中心にいるんだからね?」

「……まこと、ほんとにバカ」

 三人が同時に誠を見て微笑んだとき、彼はただ、真っ赤になって、ベッドに沈み込むしかなかった。

 

 ***

 

「あのね」

 瑞希が、ふと声を落とした。ベッドの上。誠の左腕に頬を寄せたまま、瞳だけをふたりに向ける。その表情は、驚くほどまっすぐで、照れも誤魔化しもなかった。

「……わたしね、ほんとに、大好きなの。人間としても、友達としても……そして――」

 言葉が、いったん止まる。けれどすぐに、優しい笑みが浮かんだ。

「女の子としても、二人のこと……好きだよ?」

 瑞希の声は、甘くて、温かくて、でも芯が通っていた。

「だって、だって……こんなに可愛くて、大事な人たちなんだもん」

 ぽかんとする飛鳥。目を瞬かせた七海。けれど――次の瞬間には、ふたりとも、ふわっと頬を緩めていた。

「……瑞希さん」

「……バカ」

 言葉はそれぞれでも、滲んでいたのは、同じ感情。くすぐったくて、嬉しくて、ちょっと泣きたくなるような、そんな愛おしさ。瑞希はその反応に嬉しそうに笑って、両手を広げてみせる。

「みんなで、ぎゅーしよっ♪」

「はい……」

「……しょーがないな」

 両側から七海と飛鳥が近づいて――三人は、誠を真ん中にして、ぎゅうっと抱きしめ合った。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待って!?」

 誠は完全に動揺していた。耳まで真っ赤にして、三方向から抱きしめられながら、目をぱちくり。

「えっ、俺、なにこれ……え、どうしたらいいの!?」

「ふふっ、誠さんはそのままでいいんですよ」

「まーくんは、ぎゅってされる役なの」

「……まことが変なこと言い出す前に、封じ込めるの」

 三人の声が重なって、誠はもうなにも言えなかった。そしてその夜、部屋には、くすくす笑いと、ぎゅっと抱きしめる音が、しばらく続いた――。

 

 ***

 

「えっ……ちょ、まって、これって、どういう、えっ……?」

 三人にぎゅうぎゅうに抱きしめられて、誠は混乱していた。目のやり場もなく、心拍は跳ね上がり、体温は上がる一方。そんな彼のすぐ右側――優しく微笑む七海が、そっと顔を近づけてきた。

「……誠さん」

 耳元で囁く声は、静かで、でも確かな強さを含んでいた。

「わたしたち、みんな……あなたのことが、大好きなんですよ」

 言葉に、誇りがあった。優しさだけじゃなく、自分たちの感情に嘘がないことを、丁寧に伝えるように。

「それって……とても素敵なことですよね?」

 七海は、にこっと笑った。抱きしめる腕に、そっと力をこめる。瑞希も飛鳥も、何も言わない。でも――それぞれが、ゆっくりと頷いていた。誠は、何も言い返せなかった。胸の奥が、ぐっと熱くなった。何かを返そうとしても、うまく言葉にならない。

「……あ、あの……俺、そんな……」

 声が震える。けれどそれすら、三人にはとても大切なもののように思えた。

「ふふっ」

「……まこと、かわいい」

「ほんと、素直で素敵なひと」

 言葉と、ぬくもりが、誠のすべてを包み込む。涙が、にじみそうになっていた。でも、それを見透かしたように、三人はそっと――また、ぎゅっと、抱きしめてくれた。

 

 ***

 

「ねえ、まーくん」

 瑞希が、誠の胸元に頬を寄せながら、くすっと笑った。

「さっきの……わたしたちの“告白タイム”……どうだった?」

 唐突な問いに、誠の全身がびくっと反応する。七海と飛鳥も、にやりとしたり、ふいっと視線を逸らしたり、それぞれに恥ずかしさを隠そうとしているのが分かる。

「え、あの、それは……」

 誠は焦った。顔が熱い。心臓が痛いくらいに跳ねている。

「……いや、正直、ちょっとビックリはしたよ。っていうか……だいぶ、動揺した」

 正直な言葉。だけど、それだけじゃなかった。

「でも……」

 誠は、ゆっくりと三人を見つめ直す。左には瑞希。右には七海。胸の上に顎を乗せているのは飛鳥。

「……嬉しかった。ほんとに」

「えっ?」

 と、三人がほぼ同時に小さく声を漏らす。

「みんなが、ちゃんとお互いのこと、尊敬してたり、大事にしてたり……しかも、そんなふうに……好き、って、言えるのって……すごいなって思った」

 言いながら、誠の声が少し震えていた。こみあげる感情を、言葉に乗せきれないもどかしさが、そこにあった。

「だから……俺、すごく……幸せだった。みんなが好きで……俺は、ほんとに、嬉しいよ」

 誠の言葉に、三人の表情がふわっとほどける。

「まーくん……」

「……まこと」

「誠さん……」

 三人はそれぞれ、そっと誠の顔にキスを落とした。ほんの一瞬、けれど、永遠みたいな温度で。誠はまた、あたふたした。けれど、その顔は、今まででいちばん、幸せそうだった。

 

 ***

 

 しばらくの静寂のあと。ベッドの上、柔らかな余韻の熱が漂うなかで、七海がゆっくりと身を起こした。

「……あの、誠さん」

 声が小さく、けれど凛としていた。

「はい?」

 誠が思わず上体を起こしかけると、七海は少し照れたように視線を落としながら、でもしっかりとこう告げた。

「瑞希さんに……キス、してもいいですか?」

 瞬間、空気が震えたような気がした。誠は思わず、七海の顔を見つめ、瑞希の方へ目を向ける。瑞希もまた、目を丸くしていた。けれど、すぐに頬を染め、ちょっと困ったように、でも優しい笑みを浮かべる。

「……えへへ。なんか、はずかしい……でも、イヤじゃないよ。ううん……むしろ、ちょっと嬉しいかも……」

 誠は戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。

「……うん。いいと思う。ぜひ……」

 その言葉に、七海は静かに瑞希へと向き直る。お互い、距離を詰めすぎないように、でも心はすでに近くて――ふわりと、おでこが触れるくらいに顔を寄せた。

「瑞希さん……いつもありがとうございます。ほんとうに、大好きなんです」

「わ、わたしこそ……七海ちゃん、きれいで、優しくて……だいすき……」

 まるで、女神たちがそっと手を取り合うように。言葉より先に、唇がふれあった。静かなキス。熱くないのに、深くて、甘くて――まるで儀式のように、ゆっくりと時間が流れていった。それを見つめる誠の胸に、なにかが広がっていく。羨望じゃない。独占欲でもない。ただ、尊いと思った。こんなにも清らかで、優しくて、互いを大切に想えるキスを、自分の大切な人たちが交わしている――それだけで、胸がいっぱいになった。瑞希と七海が、ふっと唇を離す。二人の目が合い、同時に小さく笑った。

「……ふふっ」

「んふふ……」

「……誠さん、ありがとうございます」

 七海が恥じらいを滲ませながら、けれど真っ直ぐに、誠を見つめて言った。誠は、何も言えずに、ただ静かに頷くしかなかった。女神たちの連帯。それは、愛の形がひとつじゃないことを証明してくれていた。

 

 ***

 

「……ふたりとも、すご……」

 飛鳥が、ぽつりと呟いた。枕をぎゅっと抱えて、視線だけで誠を見やる。

「はいはい、もうおしまいでしょ。そういうのは……」

 わざとらしく顔をそむけるけれど、その頬は耳まで真っ赤だった。

「……じゃあ、次は……飛鳥さん、ですね?」

「――――っ!?」

 七海の微笑みとともに放たれたその言葉に、飛鳥はまるで心臓を撃ち抜かれたような顔をした。目をまんまるに見開き、身体をちいさく震わせている。

「な、な、なに言って……っ」

「い、意味わかんないし……!」

「でも……飛鳥さんも、わたしと……嫌じゃ、ないですよね?」

「……っっ……!」

 飛鳥は言葉を失い、誠の方に助けを求めるような目を向けてきた。その視線に、誠は少しだけ笑いながら、優しく口を開いた。

「飛鳥、いいと思うよ。ううん……きっと、嬉しいって思う」

 その言葉は、決して無理やりじゃなくて。飛鳥のことを信じてるからこそ、背中を押すような――温かい励ましだった。

「まこと、ずるい……」

 飛鳥は顔を隠すように、指の隙間からちらりと七海を見た。七海は、何も言わず、そっと手を差し出していた。ゆっくりと、優しく。まるで、春の日差しのように。

「……っ、い、いかな……まこと、見ててよ……っ」

 決意のように呟いて、飛鳥はおずおずと身を起こす。目の前に座る七海と向かい合って――少しずつ、距離を詰めていく。

「……変なことしたら、噛むから……っ」

「ふふ、大丈夫です。優しくしますから」

 そして、ほんの一秒、息を合わせるように目を閉じて――二人の唇が、ふわりと触れあった。短くて、儚い。けれど確かに、そこにあったのは“信頼”と“愛情”だった。

「……っっっ、も、もうムリ……っ!」

 飛鳥はすぐに顔を背けて、七海の胸に突っ伏した。

「ふふっ……ありがとうございます、飛鳥さん」

「もう、だから、そーいうのじゃ……っ」

 誠は、そんなふたりを、ただ黙って見つめていた。胸の奥が、きゅうっとなる。この瞬間が、どれほど尊く、奇跡のような時間かを、痛いほど感じていた。三人の女神たちが、互いを尊び、受け入れ、繋がっていく――そこに、自分がいていいなんて。誠は、泣きそうになっていた。

 

 ***

 

「……じゃあ、次はわたし〜」

 ぱたん、と音を立てて、瑞希が飛鳥の隣に身を寄せた。笑顔はいたずらっぽくて、でもその瞳にはほんのり甘い光が宿っている。

「ちょ、な、なに……」

「んふふ〜。わたしも飛鳥ちゃんと、したいなーって思って♪」

「あんたねぇ……っ、まこと見てるし……っ」

「じゃあ、まことも――いっしょに、見る?」

 不意に、飛鳥が照れ笑いを混ぜた小声でそう言った。少しだけ唇を尖らせて、目をそらすように、でもちらりと誠を見る。誠は、軽く肩をすくめて笑った。

「もちろん。……楽しみにしてる」

 その言葉に、飛鳥は“ちょっとだけ”得意げな顔を見せる。だけど、次の瞬間――

「……あのね」

 瑞希の声が、ふっとトーンを変えた。少しだけ低く、けれど温かく。

「飛鳥ちゃん、ほんとに……だいすきだよ」

 そのまま、瑞希は飛鳥の頬をそっと両手で包むと――唇を、重ねた。ちゅ。なんて可愛らしい音が鳴るようなキスじゃ、なかった。それは、確かな想いを伝えるための、少しだけ長くて情熱的なキスだった。飛鳥の体が、びくんと揺れる。

「――っ、んっ……!」

 戸惑いと、驚きと、でも受け入れてしまう柔らかさが混ざった声。指先が震えて、思わず誠の腕を掴んでしまう。唇が離れると、瑞希はほんの少しだけ、にこっと笑った。

「好きだよ、飛鳥ちゃん。ほんとに。一緒にいてくれて、嬉しいの。ありがとうね」

「……っっっ、な、なにそれ……ズルい……っ」

 飛鳥はもう顔真っ赤。耳まで燃え上がるように赤くなって、バタバタとその場に倒れ込んでしまう。

「や、やめてってば……そーいうの、ホントにムリ……っ」

「えへへ〜、でも、嬉しそうだったよ?」

「う、うるさいっ!もう、しばらく誰ともキスしないっ!」

「それって、やきもち……?」

「違うっ!!」

 誠は、二人のやり取りを見ながら、ふっと笑ってしまう。愛しさと、あたたかさが、胸いっぱいに広がっていた。こんなに愛し合えて、じゃれあえて、笑いあえる――奇跡みたいな夜だった。

 

 ***

 

「……もう一度、飛鳥さんと……いいですか?」

 七海が静かにそう囁いたとき、空気がまたひとつ、甘く染まった。飛鳥は目を丸くする。

「え、わ、わたし?ま、また……?」

 戸惑いながらも、逃げようとはしない。頬はすでに桃色に染まり、視線は落ち着きなく揺れている。七海は一歩、飛鳥へ近づき――そのまま、そっとその頬に手を添えた。

「……さっきの、嬉しかったんです。だから……もっと、ちゃんと」

 ためらうような一瞬。けれど次の瞬間には――唇と唇が、静かに、でも確かに重なっていた。誠は、思わず息をのむ。瑞希が

「きゃーっ!」

 と小さく叫び、口を手で覆う。けれど、目はキラキラしていた。

「ちょ、ちょっと濃いんじゃない……?でも……でも、綺麗……」

 二人のキスは、優しくも深く、まるで互いの心の奥を確かめ合うように。飛鳥は目を閉じて、身を預けていた。肩が少し震えて、指先が七海の腕をそっと掴む。誠はその光景に、ただただ心を奪われていた。うっとりと蕩けてゆく飛鳥。包み込むように微笑む七海。そして、七海の唇がそっと離れると――

「……ふぅ……」

 飛鳥はそのまま、ふにゃりと七海の胸に顔を埋めた。

「やば……とろけた……」

 その呟きに、瑞希はまた

「きゃーっ」

 と叫び、誠も思わず笑ってしまった。

 

 ***

 

「……あれ?」

 瑞希の声が、不意に耳元で弾けた。ふと見ると――彼女の視線は、誠の下半身に向いていた。

「ま、誠さん……っ」

 七海が顔を赤くしながらも、手で口を覆った。次の瞬間、瑞希がそれに気づき――

「えっ、まーくん!?また起っきしてるの!?」

 そして飛鳥も顔を覗きこみ、

「ちょ、なにそれ……ほんとバカじゃないの!?え、うそ、すご……っ」

 全員が揃って、誠を取り囲む。

「なんでーーーー!?」

 誠は言葉に詰まって、ただ必死に弁解しようとするが――言い訳にならない。

「ち、ちが……違うんだ、これは……その、みんなが、可愛すぎて……!」

「ふふっ……可愛すぎて、ですか?」

 七海が潤んだ瞳で微笑みながら、そっと髪をかきあげる。

「そんなの、しょうがないよね〜?」

 瑞希が悪戯っぽく口元を尖らせ、すぐに笑う。

「……バカ。そう言われると、嬉しいけど……でも、ほんとにもう……」

 飛鳥は呆れ顔のまま、顔の端だけがゆるんでいた。そして――三人は、声を揃えてこう言った。

「でも、……嬉しい」

 誠は――もうどうしていいかわからなかった。体も心も、全部、愛しすぎて、抱えきれないくらいで。

「まこと、ほんとにおかしくなっちゃってるよ……」

「ふふっ、可愛いです……でも……抑えきれないの、ですね?」

「まーくん……しかたないなぁ、もぉ〜……」

 

 ***

 

「……ねぇねぇ、ほんとに、なんで起っきしちゃったの?」

 瑞希がいたずらっぽく笑いながら、指先で誠の胸をつついてくる。

「もしかして……わたしが七海ちゃんとキスしてるの見て、興奮しちゃったの〜?」

「えっ、それ……それって……」

 七海が思わず顔を赤らめ、両手を頬に当てた。

「ち、違っ……!」

 誠が慌てて否定しようとすると――

「じゃあ、わたしのキス?」

 今度は七海が、潤んだ目で首をかしげるように、可憐に囁く。

「それとも……わたしの『い、いかな……まこと?』が効いたわけ?」

 飛鳥がツンとしながらも、ちらりと目を逸らして赤くなる。

「えっ、うそ……どれなの?まーくん?」

 瑞希がぐいっと近づき、顔を覗き込む。

「誠さん……正直におっしゃってください」

 七海が優しく微笑んで、手を重ねてくる。

「……言わなきゃ、シメるから」

 飛鳥はそっぽを向きつつも、耳まで真っ赤だ。三人に囲まれて、責められるように追い詰められ――誠は、ついに観念して、声を上げる。

「ぜんぶ……っ!ぜんぶ可愛すぎて……みんなが、好きすぎて、無理なんだよ……っ!」

 沈黙。次の瞬間――笑い声と、頬をつつく指先と、髪を撫でる手のひらと、額にそっと重なるキス。

「そんなの、聞いたらもっと好きになるじゃん……」

「誠さん、ほんとうに……可愛いんですから……」

「もー……しょうがないやつ。……ずっと、こうしててあげる……」

 ヒロインたちは、いじりながらも愛が止まらない。

 

 ***


 

「ねぇ、決めよっか?」

 瑞希がぱちんと指を鳴らしながら、満面の笑みで言った。

「誰のキスが、エッチで……どきどきするか、競争しよ?」

「……競争?」

 唐突な提案に、一瞬みんなが固まる。

「えっ……なんでそうなるの?」

 飛鳥が眉をひそめる。

「ふふっ、いいじゃん。まーくんが審査するの。ね?」

「ま、待て、なんで俺が審査員なの!?」

「だって、一番わかりやすく“反応”に出るでしょ?」

 瑞希がにやっと笑いながら、ちらっと誠に目をやる。三人の視線が一斉に集まり、誠は慌てて毛布を引き上げる。

「じゃ、先行は――わたしたちね?」

 瑞希が、一歩前に出る。誠の肩越しに、飛鳥の前に立ち、少し照れたように笑った。

「飛鳥ちゃん……目、閉じて?」

「は……?ちょ、なんでわたしからなの……」

「いーからっ、はい、素直に~♪」

 くすぐったそうに笑いながら、飛鳥が口を尖らせて目を閉じると――瑞希はそっと、肩に手を添え、唇を重ねた。やさしい、温度のあるキス。だけど、その一瞬で空気が変わった。誠の中で何かが音を立てて跳ね上がる。

「ふふっ、飛鳥ちゃん、可愛い……」

「な、なにそれ……バカ……っ」

 瑞希は頬を染めながら戻り、七海と目を合わせる。

「じゃあ、次は……七海ちゃん?」

「……はい。失礼しますね、飛鳥さん」

 七海の手が、そっと飛鳥の頬に添えられた。その所作は、どこまでも静かで、やさしくて――唇が触れ合う瞬間には、時間がすこし止まったように見えた。

「……っ」

 飛鳥は声を漏らさなかったが、肩がわずかに震えた。その光景を見つめながら、誠の鼓動が跳ね脈動する。

(……やば……)

 誠は動かないまま、けれど明らかに起動の波が加速していくのを自覚していた。最後に、七海が瑞希に微笑む。

「……瑞希さん、わたしからも……」

「う、うん……えっと、ちょっと緊張するかも……」

 ふたりが近づき、互いの指先が絡む。目を合わせて、笑い合って――そっと、口づけを交わした。軽く、でも長く。確かな愛情をそこに込めるように。誠の胸の奥で、なにかが熱く跳ねる。

「……ちょ、ちょっと……なんでそこでそんな……」

「まーくん……どうしたの?」

「完全に“きちゃってる”よね?」

「誠さん……目、潤んでます……?」

 三人がいたずらっぽく、でもやさしい眼差しで見つめてくる。誠は言葉にならず、ただ赤面しながら息を整えていた。

 

 ***

 

「……ねえ、まーくん」

 ベッドの端、瑞希が身を乗り出してきた。

「どのキスが……いちばん“効いた”の?」

 唐突すぎる質問に、誠は瞬時に固まった。

「へっ……?」

「うふふ」

 七海がそっと手を口元に添えて笑う。

「そうですね。三人で交わしたキス、誠さんの“反応”……どれが一番だったのか、知りたいです」

「え、ちょ、えっ……!?」

 飛鳥は顔を真っ赤にしながら誠を睨むように見てきた。

「……まこと。変な答えしたら、ぶっ飛ばすからね」

「いやいやいやいやいやいや!」

 誠は必死に手を振る。

「選べるわけないだろ!だって、全部すごく……すごく……」

「すごく、なに?」

 瑞希がにこっと笑う。

「えっちだったの?ねえねえ?」

「ち、ちが……いや、ちがくはないけど……っ」

「まこと、うろたえすぎ」

 飛鳥がぷいっと顔を背けた。でも耳まで真っ赤だった。

「誠さんが、どれにも反応してくださったこと……わたし、うれしかったですよ」

 七海がそう言って優しく微笑むと、誠は思わず目を伏せた。

「ほんとにさ……ばかみたいだけど、みんなのこと、大好きなんだよ俺。どのキスが、じゃなくて……全部、愛しくて、全部、効いた……嘘じゃない。ほんとに」

 その言葉に、ヒロインたちの頬が一斉に染まる。

「……まーくん、そう言われたらもう、怒れないじゃん……」

 瑞希が目を潤ませながら笑った。

「ずる……」

 飛鳥も、小さく呟いたあと、誠の肩にもたれかかる。

「誠さん……好きです。もっと、困らせたくなっちゃいます」

 七海はそっと誠の手を取った。

(だめだ……このままじゃ……)

「じゃあ、もう一回、キスしよっか?」

 瑞希が無邪気な声で言う。

「それで、“ほんとに効いたのどれか”……また、試してみる?」

「えっち……」

 飛鳥が顔を隠す。

「誠さんの反応、もう一度……ちゃんと見てみたいです」

 七海はそっと笑う。その声は、静かな熱を帯びていた。

「……俺、もう限界かも……」

 

 ***

 

 誠の手が、ゆっくりと――三つの温もりに包まれた。左手には、瑞希の小さな指。右手には、飛鳥のきゅっとした掌。そして胸元に、七海の長くしなやかな手がそっと重なる。

「まーくん」

「まこと」

「誠さん」

 三人が、同時に彼の名を呼んだ。それぞれの声、それぞれの温度。だけど、不思議と一つに溶けていた。

「好きだよ」

「……うん、好き」

「……誠さん、大好きです」

 三人が、輪になるように、ゆっくりと顔を寄せる。誠の顔の中心へ――まるで導かれるように、三方から、やさしく、唇が触れ合った。

「――ん……っ」

 唇と唇が重なる。三つの熱が、一つに溶けていく。柔らかさ。吐息。鼓動。何もかもが、美しかった。誠は、何も言えなかった。呼吸さえできないほど――胸が詰まっていた。心が震えて、目が霞んで、喉が熱くなった。三人のヒロインは、まるで女神たちのように。まるで“誓いの輪”を描くように――唇で、想いで、誠を包み込んでいた。

「まーくん、泣いてる……?」

 瑞希が、そっと涙を拭う。

「……ばか」

 飛鳥が、唇を噛んで言う。

「そんな顔されたら、……こっちまで、ぐちゃぐちゃになるじゃん……」

「誠さん」

 七海がそっと囁いた。

「いま、世界でいちばん幸せな顔を、なさってますよ……」

 誠は――泣き笑いのまま、声にならない声を洩らした。

「――きれいすぎて、無理……ほんとに、無理……」

 三人が手を繋ぎ、そっと額を寄せ合ったまま、彼を囲み、見つめ、愛していた。

 

 ***

 

 何もかもが、美しかった。時間が止まり、音が溶け、世界が光で満たされていく。それは、幸福の形をした夢だった。けれど、その光は、少しずつ淡くなっていく。指先の温もりが薄れ、声が遠のいていく。輪になっていた三人の姿が、ゆらゆらと揺れながら、朝霧のように滲み、透明になっていく。七海は、夢の中で手を伸ばした。掴もうとした指先が、空を切る。光が砂のように零れ落ち、頬に触れた温もりも、静かに消えていった。──行かないで。誰の声だったのかも、もう分からない。けれど、たしかに胸の奥で、誰かがそう呟いた。そのとき、七海はふと気づく。

「この幸福は、きっと現実では続かない」

 ――そんな確信が、夢の光の奥から、静かに滲んできた。それでも、もう少しだけ見ていたかった。ありえない幸福の、その最後の一瞬を。手を伸ばす。けれど、世界はやさしいまま、輪郭だけを残して、静かに遠のいていく。まぶたの裏に、白い光が差し込む。七海はゆっくりと目を開けた。すぐそばに、誠の寝顔があった――。彼の額と、自分の額がくっついている。呼吸が重なって、朝の匂いが溶け合っていた。夢の続きを見ているのか、それとも──誠が見ていた夢が流れ込んできたのか。判然としないまま、七海はただ、その顔を見つめた。やがて、誠がわずかに眉を動かし、ゆっくりとまぶたを開いた。二人の視線が、静かに重なる。

「……おはようございます、誠さん」

 七海の声は、まだ夢の名残を帯びていた。

「おはよう、七海」

 誠は微笑み、わずかに体を寄せた。お互いの唇がやさしく触れ合う。短い時間。でも、それだけで胸の奥にあたたかい波が広がる。外では、朝の風がカーテンを揺らしていた。光が部屋の隅に流れ込み、夜の残り香を少しずつ押し出していく。幸せな朝だった。けれど、どこかで、さっきの夢の余韻がまだ疼いていた。内容はもう朧になっている。でも、もう一度、あの光景に触れたい──そう思った。

 

 ***

 

 七海が少し顔を上げ、囁くように言った。

「……誠さん、夢、見ていましたか?」

「夢?」

 誠は少し考えて、苦笑いを浮かべた。

「うん……すごい甘いやつ。砂糖菓子みたいな夢だった気がする。なんか、自分でも“そんなのありえないだろう”って突っ込みたくなるくらい」

 七海はふっと笑った。

「わたしもです。……みんなで愛し合って、誠さんを囲んでわちゃわちゃしていたような……」

「そうそう、それそれ。でも途中から変な展開になったんだよな。AIコンパニオンが出てきて、なぜか世界の命運レベルの話をしてさ。……でも、不思議と幸せだったんだ。理由はもう思い出せないけど」

「……そんな感じでした?わたしの夢はどうだったかな……」

 七海は首をかしげながら微笑む。やわらかな朝の光が、頬に透けていた。

「でも、あれですね。夢って起きた瞬間はつかめた気がするのに、だんだん曖昧になっていきますよね」

「そうなんだよ、もうたぶん思い出せない」

 二人は顔を見合わせて、同時に笑った。静かな笑い声が、朝の空気のなかに溶けていく。その笑顔の奥に、どこか淡い切なさが滲んでいた。しばらくして、誠が思い出したように言った。

「こないだなんか、すごい変な夢見てさ。飛鳥に話したら、めちゃくちゃ呆れられたよ」

「なんですかそれ、気になります」

「ないしょ!飛鳥にも聞かないでね」

「ぜったい聞き出します!」

「やめて!自分で言わなきゃよかった!」

 笑いながら誠が頭を抱え、七海がくすくすと笑う。朝の光が二人を包み、部屋の空気がすこしずつ透明になっていく。──夢はもう遠ざかっていた。でも、その温もりだけは、まだ胸の中に残っていた。

 

 ***

 

 秋の朝の光が、カーテンのすき間から細く差し込んでいた。涼しい風が、まだ少し湿った空気を揺らしている。目を覚ました二人は、顔を見合わせて少し照れくさく笑った。──お互い、シャワー浴びたほうがいいよね、昨日の夜もあったし。そんな話をしながら、また照れて、笑い合う。自然な流れで、

「一緒に入ろうか」

 という言葉がこぼれた。浴室には、せせらぎのような笑い声と水音が溶けていく。互いに湯をかけ合い、肩を流し合いながら、ただ心の底から幸福だと思った。その後、二人は着替えを済ませ、誠は大学へ、七海はいったん自宅へ戻ることに決めた。朝ご飯は途中のコンビニで何か買おう──そう言って、軽く笑い合う。そして、玄関に立ったとき。七海はポケットから、銀色の鍵を取り出した。小さな金属音が鳴る。

「……これ、預かっていた鍵です。ありがとうございました」

 手のひらに乗せた瞬間、わずかな痛みが胸の奥を走った。ほんの数日のことだったけれど、あの鍵には、特別な時間の重みがあった。まるで同棲していたみたいに。同じ部屋で、同じ時間を過ごしていた記憶が、ひとつひとつ、指の間から零れ落ちていくようだった。誠が微笑みながら受け取る。七海はその背中越しに、部屋の中をゆっくりと見渡した。カーテン、テーブル、読みかけの本、ベッド代わりの布団、机の上のマグカップ。どこにでもある平凡な景色なのに、今はなぜか、胸がいっぱいになるほど愛おしく感じられた。──この光景を、きっとずっと忘れない。二人で玄関を出て、並んで歩いた。外の空気は澄んでいて、街路樹の葉がかすかに色づきはじめていた。道の途中、大学へ向かう角で、立ち止まる。

「じゃあ、ここで」

 誠がそう言って微笑む。その笑顔に、七海は胸が詰まった。気づけば、体が動いていた。どうしても、いま抱きしめたくて──この気持ちを、言葉より先に伝えたくて。七海は誠の胸に飛び込むように腕をまわし、そのまま唇を奪った。深く、激しく、溺れるように。胸の奥から込みあげる熱が、涙のように伝わっていく。誠は一瞬、驚いたように目を見開いた。けれど次の瞬間には、彼の手がそっと七海の背中を抱きしめ返していた。迷いも、拒絶もなかった。そのすべてを、まるで約束されていたかのように受け止めてくれた。短い時間だった。けれど、七海にはそれが、永遠に届いたような気がした。やがて、七海がそっと腕をほどいた。微笑みながら、少しだけ首を傾ける。

「……また学校で」

 その言葉に、誠は静かに頷いた。

「また」

 と手を上げ、背を向けて歩き出す。その姿が小さくなるまで、七海はじっと見つめていた。朝の街は、どこまでも平凡だった。でも、七海の心には、たったいま過ぎ去った時間がきらきらと残光のように輝いていた。──ありふれた日。けれど、二度と同じには戻らないかもしれない朝だった。


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