七海、繋がったまま初デートをやり直す
何度、名前を呼んだだろう。何度、体を重ねただろう。何度、体勢を変えても、愛は途切れなかった。最初は彼女の上に覆いかぶさりながら、ゆっくりと結びあった。七海は息を呑みながら、それでも静かに誠を受け入れた。次は、彼女の身体をそっと持ち上げるようにして座り合わせた。唇を重ねたまま、ふたりの間に灯りがともるようだった。その後も、布団の上で転がるように体勢が変わる。横からそっと抱え込んだり、後ろから深く沈んだり、膝を立てた彼女の脚の間から奥まで満ちていく感覚が、指先まで震わせた。柔らかなその密壺は、どの角度でも誠を離さなかった。肌が打ち合う音、息が溶ける吐息。それらが交わるたび、七海の声は甘く掠れ、微かな涙が目尻に宿る。
「……誠さん……奥されるの……好きです……っ」
そんなふうに言われたら、理性なんてどこかへ飛ぶ。彼女を抱え上げ、膝に乗せ、布団を揺らしながら深く重ねた。そのたびに、七海の髪が乱れ、背中が汗に濡れ、声にならない吐息がこぼれた。──もう一度、と彼女が言うたびに、体勢は変わっていった。ぴたりと密着したまま絡まり、膝を割って、脚を組み、胸に吸い寄せ、まるで神事のように、夜がふたりを包んでいた。最後は、仰向けに倒れた七海の胸元に額を埋めながら、溶け合うように、静かに、深く……すべてを満たし合った。
「誠さん……ぜんぶ……わたしの中に……」
その言葉のあとの静寂が、どんな喘ぎよりも甘かった。──どの体勢でも、どんなふうに繋がっても、心まで、深く重なっていた。それだけは、確かだった。闇の中で重なった指先が、どちらのものか分からないほどに絡み合っていた。風が、カーテンの隙間を抜けて通り過ぎる。そのたびに、布団の中の空気がわずかに揺れ、二人の呼吸の音が重なっていく。世界が音を失い、ただ温度と心臓の鼓動だけが残った。――どれほどの時間が過ぎたのだろう。七海は誠の胸に頬を寄せ、目を閉じたまま小さく息を吐いた。
「……誠さん」
「ん……?」
「大好きです」
その声は囁きにもならないほど、かすかだった。誠は答えず、ただ彼女の髪を撫でた。その指先に、夜の余熱がまだ残っている。七海は少し笑って、続けた。
「風邪……ほんとに、うつっちゃったかもしれませんね」
「それなら……二人で治そう」
「はい……」
***
ふたりは、まだ繋がっていた。ゆるやかに身体を重ねたまま、動かずに、ただ肌を重ね合っていた。温もりが静かに満ちる中で、七海が囁く。
「……ねえ、誠さん。わたしたち……このままの姿で、もう一度、はじめまして、してみませんか?最初の、告白からやり直してみせるんです」
誠は、息を飲んだ。けれどすぐに笑みを浮かべて、頷く。
「……いいよ。やろう」
七海の目を見ながら、深く身体を抱いたまま、誠が囁いた。
「七海。……好きです。付き合ってください」
言葉は、肌の中まで染みこんでいく。既に愛し合ったはずなのに、このひとことが、胸の奥に火を灯す。七海はくすぐったそうに笑って、けれど――ほんとうに嬉しそうに、答える。
「はい、よろこんで……」
身体は、もう結ばれている。けれど、心が“いま”重なったのが分かる。
「……じゃあ、次はわたしからしてみたら……」
七海は照れくさそうに、唇を噛んだ。そして、繋がったまま、囁いた。
「誠さん。……前からずっと、好きでした」
誠の目が細まり、笑みが深くなる。
「……俺もだよ。……ずっと、ずっと好きだった。両想いだったんだね」
「うん……両想い、です……」
もう何度目か分からないキスを、ふたりはまた、重ねた。けれどそれは、はじめてのキスのように甘くて、ずっと隣で生きていく誓いのように深かった。
***
ベッドの中、シーツの熱がまだ残るなかで、ふたりは身体を繋げたまま、ぴたりと抱き合っていた。顔はすぐそこにある。吐息も感じるほど近い。けれど、七海がにっこり笑って、ベッド脇のスマホに手を伸ばした。
「誠さん。メッセージ開いてもらっていいですか?」
「……え?」
「付き合いたての頃みたいに、スマホ越しに“好き”って送り合ってみませんか?」
誠も、少し呆れた顔で笑いながら、自分のスマホを手に取る。
「繋がったまま、スマホで遣り取りって……」
「そこがいいんです。いま、身体も心も全部つながってるのに――“画面越しに好きって伝える”のが、なんだか初恋みたいで」
そして、七海がぽちぽちとスマホを操作した。少しして、誠の画面にメッセージが届く。
「好きです///ドキドキしてます…」
誠が吹き出す。
「おい、照れてるのはこっちだよ……」
でも、指はもう返事を打ち始めていた。
「俺も。ずっと前から好きだったよ」
すぐに、七海から。
「両想い……ですもんね?」
誠は、もう堪えきれずに笑って、それでもスマホを通じてメッセージを送った。
「ねえ、そのままキスしてもいい?」
少しして、画面に表示される。
「はい、よろこんで////」
スマホを枕元に置いて、誠はそっと顔を近づけた。ふたりは、もう何度目か分からないキスを、初恋みたいな、画面越しの言葉を経て、もう一度交わした。触れ合っているのに、わざわざ「好き」と打ち合って。抱きしめているのに、あえて距離をつくって、埋めるように「好き」と伝えて。それが、たまらなく愛おしかった。
***
肌と肌が、ぴったりと重なり合っている。熱も、呼吸も、心拍も、全部共有していた。けれど――ふたりの手には、それぞれスマホが握られていた。
「……じゃあ、次は初デートの相談しましょう」
七海がくすぐったそうに笑いながら言う。
「え、もう繋がってるのに?」
「うん。でも“付き合いたて”ごっこなんですから。ちゃんと“どこ行きたい?”から始めないと」
誠は苦笑して、親指でキーボードを打ち始めた。
「映画館とか、どうかな?」
すぐに七海の返信が届く。
「いいですね!でも……誠さんと並んで座るとドキドキしちゃいそう……」
誠は思わず声に出して笑った。
「それ俺もだから」
返したその文を、七海が見て、肩を震わせて笑う。
「……手とか、つないでくれますか?」
誠はスマホ越しに、指で彼女の文字をなぞったあと、その手をそのまま現実の七海の手に重ねた。
「もちろん。むしろ、今日から毎日ずっとつなぎたい」
七海はスマホをぎゅっと抱きしめて、頬を染めながら文字を打つ。
「じゃあ……どこかで二人きりになれたら……ちゃんと触れたい、です……」
その言葉に、誠はスマホを置いて、すぐ目の前の七海をそっと見つめる。現実の彼女は、顔を真っ赤にしながら、指で画面を叩いていた。なのに――身体はもう、ぴったりと重なっている。それが、たまらなく愛おしかった。初恋のようで、でももう全部知っていて、“また恋に落ちる”って、こういうことなんだと分かった。
***
ふたりは、まだ重なっていた。そんな中で、スマホの通知が小さく鳴った。
「デートって……何時まで一緒にいられますか?」
七海からのメッセージ。誠は小さく笑いながら、親指で打つ。
「最後まで一緒にいたいな。夜ごはんも食べて、駅まで送って……名残惜しそうにバイバイするのもいいね」
少しして、七海の返信。
「……それもいいけど」
一拍おいて。
「……夜、ホテルって、わたしたちにはやっぱり早いでしょうか……?」
誠は目を瞬かせた。けれど次の瞬間、ふっと苦笑してしまう。今、身体は繋がっている。ついさっきまで、愛し合っていた。それなのに、彼女は画面の向こうで、“付き合いたての七海”として、本気で悩んでる。
「本当は、もう全部知ってるよ。でも“はじめての七海”がそうやって迷ってるの、可愛くて、たまらない」
誠の画面に、すぐ返信が返る。──
「……誠さん、ずるいです。そんなこと言われたら、もう、恥ずかしくて動けません……」
誠はスマホを置いて、現実の七海の額にそっとキスを落とした。そして囁く。
「……じゃあ、また“はじめて”をしよう。デートも、キスも、ホテルも――ぜんぶ、何度だって」
七海は、顔を真っ赤にして、頷いた。
「……はい、よろこんで」
***
ふたりは、スマホをそっと枕元に置いた。そして、繋がったまま、もう一度ぎゅっと抱きしめ合う。
「……じゃあ、ここからは、はじめてのデートの再現ですね」
七海が真剣な顔で言う。でも目の奥は、笑っていた。誠も頷く。
「了解。……演技指導は、よろしくお願いします」
「ふふっ、厳しいですよ」
一度、大きく息を吸って、ふたりは深く、また深く、抱きしめ合ったまま、動きを止めた。そして、はじまる。
「……あの、今日は来てくれて……ありがとうございます」
「いえ……こちらこそ。誘ってくれて、うれしかったです」
「……駅の前で待ってたとき、七海が見えた瞬間、ほんとに、心臓止まるかと思いました」
「そ、それ、わたしのセリフなんですけど……」
「かぶっちゃいました?」
「かぶりました」
ふたりはくすくす笑って、けれど、演技はやめない。
「……あ、あの、手……つないでも、いいですか?」
「もちろん、よろこんで……」
そう言って、実際に繋いだ指先を、ぎゅっと絡め直す。すでに肌も、体温も、奥まで重なっている。なのに、この指先のやり取りが、どうしようもなく初々しい。
「……緊張してます?」
「してます……すごく……」
「じゃあ……無理に進まなくていいです。駅まで、ずっと、手をつないで歩くだけでも、十分ですから」
「……でも、もうちょっとだけ……寄り添っても、いいですか……?」
七海は、すでに頬を染めていた。ほんとうに、まるで初恋の少女みたいに。誠もまた、その姿に心を奪われながら、抱きしめる腕に、もう少しだけ力を込めた。
「……寄り添ってもらえるなら、今日のデート、もう大成功です」
「じゃあ、次も……また会ってくれますか?」
「もちろん。明日も、明後日も……その先も、ずっと」
ふたりはそのまま、抱き合っていた。言葉も、動きも、ぜんぶ“演技のふりをした本音”だった。そしてもう一度、はじめてみたいに、唇を重ねた。何度でも、恋ができる。何度でも、はじめてをやり直せる。それが、いまのふたりだった。
***
肌と肌、鼓動と鼓動を密着させたまま、身体は一体のまま。けれどその中で、ふたりだけの“初デートエチュード”が始まっていた。
「じゃあ、映画館からにしよっか」
「うん……わたし、あの話題作ずっと見たかったんです」
「じゃあ……隣の席、予約してあるから」
誠が笑うと、七海も小さく頷いた。
「……でも、映画中に、手をつなぐのって……」
「え、だめ?」
「……いいですけど……ドキドキします……」
実際には、すでに手どころか、すべてを繋げている。それなのに、ふたりはスクリーンを見ているふりをして、微かに触れ合う指の震えを楽しんでいた。
***
映画が終わったあとの設定で、ふたりは喫茶店に“移動”した。誠がアイスコーヒーを出すふり。七海はケーキにフォークを入れる演技。
「さっきのシーン、泣きそうだった……」
「わかります……わたし、ああいう不器用なヒロインに弱くて……」
「でも、最後に手を取って走るところ、良かったね」
「……わたしたちも、ああやって……」
「え?」
「な、なんでもないですっ」
ふたりは笑いながら、演技を続けた。
***
次に訪れたのは、本屋。ふたりは“お互いに似合いそうな本を選ぶ”という設定。誠が七海に文庫を“渡す”。
「この短編集……きっと、好きだと思う」
「えっ……こういうの、わたし……初めてです……でも、読んでみたい……」
その“紙の本”を、七海は胸に大切そうに抱えた。
***
そして、小物屋。
「……これ、似合いそう」
誠が手に取ったのは”小さなシルバーのチャーム”。”星形の中に、きらりと光るガラスが一粒”という設定。
「え……でも、わたしに?」
「初デートの記念。受け取ってくれたら嬉しい」
七海は一瞬戸惑ったように見せて、それから顔を赤くして、うなずいた。
「……ありがとう。すごく、嬉しいです」
***
夜。夕食は、ちょっとおしゃれな店に“入ったふり”。メニューを眺めて、ワインを頼むふり。誠が七海の頬に、ナプキンで“クリームを拭う”。
「……七海、ほっぺにちょっと」
「えっ……あ……ありがとうございます……」
目が合って、二人とも、笑う。照れながらも、愛しさが溢れて。
***
そして――
「今日は……ほんとうに楽しかったです」
「俺も。七海と歩けて、話せて、笑えて。……最高の初デートだった」
「また、次も……ありますか?」
「もちろん。……明日も、来週も、一生ずっと」
誠は、繋がったままの彼女の手をそっと握り返した。
***
ベッドの中、ふたりはぴったりと抱き合い、肌も奥も、深く重なり合ったまま――ふたりの“ごっこ”は、まだ続いていた。
「……じゃあ、映画見て、ご飯食べて……デート、終わりだね」
誠が囁く。それに、七海がほんの少しだけ間を置いて、ゆっくりと、演技の声色で返す。
「……はい。今日は、ありがとうございました」
「楽しかったです」
「……はい。わたしも……すごく……」
ふたりの視線が合う。けれど、それは“役の中のふたり”として。演じているのに、どこまでも本気だった。七海が、そっと唇を震わせた。
「……あの、誠さん……わたし……今日は、やっぱり……帰りたくないです……」
すでに抱きしめている腕の中で、七海の頬が真っ赤に染まっていくのがわかった。繋がっている。もう、ひとつになっている。それなのに、このセリフが、まるで“はじめての夜を告げる言葉”のように響く。誠は、ごくりと喉を鳴らして真面目に、演技を崩さず返した。
「……そっか。じゃあ……泊まっていこうか」
七海は、顔を伏せるようにして、首をこくん、と小さく動かした。
「……はい、お願いします……」
ふたりの脚が絡み合い、ゆっくりと、熱が再び高まっていく。それでも、まだ“演技”を続けるふたり。誠が、そっと囁く。
「じゃあ……ホテル、こっちだよ。部屋、もう予約してあるから……」
「……ありがとうございます……手、つないで……」
現実では、指も脚も、すべてが触れ合っていた。それでも、そのひとことが、ふたりの胸をまた甘く震わせた。
「……じゃあ、鍵、開けるね」
「……うん」
「……ベッド、こっち」
「……あの、誠さん」
「ん?」
「……やさしくしてください……。わたし、はじめてなんです」
誠は息を呑んだ。
「……もちろん。大切にするよ」
ふたりはもう一度、体を重ねる。“初めての夜”として。すでに何度も愛し合った身体が、今だけは“初恋の緊張”で震えていた。
***
空気が、甘く張りつめる。そして、沈黙。“演技”としての沈黙なのに、現実の鼓動が早まっていくのがわかる。誠が、ゆっくりと顔を近づけながら――
「……キス、しても……いい?」
七海は、目を伏せて、頷いた。
「……はい。……お願いします……」
すでに何度もキスをしているのに。しかもいま、繋がっているのに。それでも、このひとことが、たまらなく初々しくて、甘くて、可愛かった。誠は、七海の唇に、そっと触れた。触れるか触れないかの距離。その緊張が、ふたりの全身に火を灯す。そして、ようやく重なった――“ごっこ”のはずの、ほんとうのキス。舌も入れない。ただ、唇を合わせるだけの、“はじめてのキス”みたいなキス。でも、七海の身体は細かく震えていて、誠の手は彼女の背を優しくなぞっていた。キスのあと、ふたりはそっと目を合わせて、顔を真っ赤に染めて、笑い合った。
「……なんか、緊張したね」
「はい……すごく、です……」
***
すでに唇を重ねたあとだった。でもそれは、“はじめてのキスごっこ”の中でのこと。ふたりはまだ、演技を続けていた。繋がったまま、顔を寄せ合い、微笑みながら――でも、少しだけ照れている。誠が、小さく訊いた。
「……七海。もう一回、してもいい?」
七海は目をぱちぱちと瞬いて、それから、ふわりと笑った。
「……はい、よろこんで……」
誠はもう一度、彼女の唇に触れた。今度は、少しだけ長く。優しく、でも確かに想いを込めて。指先が背中をなぞり、肌と肌の熱が、ふたたびじんわりと交差していく。唇を離すと、ふたりは同時に、少しだけ笑った。でも、まだ何かを伝えきれていない表情だった。そのとき――七海が、そっと誠の胸に顔を寄せて、小さな声で言った。
「……あの……わたしからも……」
誠が目を見開く。
「……してもいいですか?」
その言葉が、とんでもなく初々しくて、可愛くて、胸をぎゅっと締めつけた。
「……もちろん。……もらえるなら、すごく、うれしい」
七海は少しだけ身を起こして、恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら――けれど、しっかりと唇を近づけた。そして、七海から、そっと、ふたりの“初めてのキス”をもう一度。重ねて、溶け合って、そっと引いて。指先が頬を撫で、唇がほんの少し震えていた。キスを終えたあと、七海は頬を赤くしながら、こう言った。
「……両想いのキス……です」
誠は、心からの微笑みを返した。
「うん。何度でも、好きになれる。何度でも、はじめてになれる。……七海がいるから、俺は何度でも恋できる」
そしてまた、ふたりはキスを交わした。もう何度目か分からない、でも、はじめてみたいなキス。ふたりの“ごっこ”は、やがて、また現実の愛に溶けていく。けれどその瞬間瞬間が、どこまでも“ほんとうの気持ち”だった。
***
ふたりはシーツの中で向かい合った。指先が触れ合う。その瞬間、数えきれない思い出が肌の下で呼吸した。初めて触れたときのぎこちなさ、何度目かの夜に交わした笑い声、別れを恐れたあの瞬間――すべてが溶け合い、いま一つの温もりになる。
「……改めて、誠さん。お願いします」
「……こちらこそ、七海。よろしくお願いします」
冗談のような言葉。でもその声を聞いたとき、心がきゅっと鳴った。抱きしめる。動きはゆっくりで、慎重で、まるで初めて触れる人のように。それなのに、身体が自然に覚えている呼吸のリズムがあって、二人はその“記憶のテンポ”に身を預けていった。
***
夜の静けさが、ゆっくりと部屋を包み直していた。交歓の熱が残るベッドの上で、二人はただ、互いの肌のぬくもりに寄り添っていた。七海は誠の胸元に頬をすり寄せると、すこしだけ口角を上げて、恥じらうように笑った。
「……演技、忘れちゃいました」
かすれた声。けれど、そこには柔らかい光が宿っていた。誠は、少しだけ黙ってから、優しく頷いた。
「……一緒だね」
肩にかかる髪をそっと指で払って、そのまま額に軽くキスを落とす。七海は、その動きに目を閉じて、小さく息を吐いた。
「だって……あんなに、されて……」
囁きながら、指先で誠の胸をつんと押す。甘えるような、わざと責めるような声音で続けた。
「もう、“演技”なんて、無理です……っ」
恥じらいと笑いが混ざった吐息。頬は火照ったままで、まつげにはまだ涙の粒が残っている。誠はその涙を見つけて、すこし困ったように、けれど嬉しそうに笑った。
「ごめん。……でも、うれしい」
その言葉に、七海の目がまた少し潤んだ。時を重ねてきたからこそ生まれた、この気安さと、深いところから滲む喜び。それがいま、ベッドの上に、静かに満ちていた。七海はゆっくりと顔を上げて、誠の唇に、そっと自分の唇を重ねた。キス。そしてもう一度。キス。甘えるように、何度も。指先が頬を撫で、唇が確かめるたびに、
「好き」
という言葉の代わりに、二人の身体が過去と未来を繋ぎ直していく。
「……誠さん、もっと、してください」
その言葉に込められたのは、欲望ではなく、ただこの“今”を抱きしめたいという願い。誠は黙って彼女の背中を抱きしめた。重ねたキスの数だけ、ふたりの時間はまた、深く、美しく積み重なっていく。
***
身体を重ねたまま、ふたりはしばらく沈黙していた。動かず、話さず、ただ肌と心をひとつにして、呼吸だけを揃えていた。やがて、誠が小さく息を吐く。どこか照れくさそうに、でもあたたかく笑って言った。
「……本当の最初の最初はさ、お互い、けっこうぎこちなかったよね?」
七海は誠の胸に頬を寄せたまま、一瞬だけ動きを止めて、くすっと笑う。
「はい……わたし、緊張して震えてしまって……誠さんの目も、まともに見られませんでした」
「……あったね、それ。目をそらして、声もちっちゃくて」
誠はくすぐったそうに笑ったあと、冗談めかして、ひと言。
「いまの七海を、あの頃の七海が見たら──たぶん、びっくりするだろうな?」
「っ……や、やめてください……っ!」
七海は顔を真っ赤にしながら、指先で誠の胸をぺしぺしと叩いた。けれど誠は構わず続ける。
「だって……自分から上に乗ってきて、俺のこと、搾り取るみたいな顔して……」
「~~~~っ!!」
七海はベッドの上でもがくように身をよじり、
「そんな、改めて言わないでくださいぃ……!」
と、布団に顔を埋めて呻いた。誠はそれを見て、たまらず吹き出す。
「ごめんごめん、でも……ほんと凄かったよ。別人みたいに巧くなって……俺は最後とか必死だもん」
冗談まじりの口調だったが、それは確かに、愛情と賞賛を込めた本音だった。七海はそっと顔を上げる。その目は、笑いながらも、どこか潤んでいた。
「……幻滅、しますか?」
ぽつりと落とされた言葉。
「むかしは大人しかったのに」
と、続くその声には、微かな不安が滲んでいた。誠はゆっくりと身体を起こし、七海の頬に両手を添えると、まっすぐに見つめて応えた。
「……そんなこと、あるわけないよ」
少しだけ言葉を切り、静かに、でも力強く続けた。
「前も言ったでしょ。むかしの七海も、今の七海も──同じ“七海”で、俺は……その全部が大好きなんだから」
その一言に、七海の肩の力が抜けていった。頬にまた涙が浮かぶ前に、誠は彼女を抱き寄せた。そのまま、ゆっくりとキスをする。焦らず、途切れず、長く、深く、抱きしめながら、唇と想いを重ねていく。七海は、くたりと誠に身を預けたまま、小さく、吐息のように囁いた。
「……よかった……誠さんに、そう言ってもらえると……嬉しいんです」
その言葉は、もう演技ではなかった。心の奥から、素直にこぼれ落ちた本音だった。そしてまた、ふたりはなにも言わずに、静かに唇を重ねた。
***
やわらかな掛布が、まだほんのりと熱を帯びていた。誠の腕の中、七海はすっかり溶けたように身を沈めていた。肌の温度と鼓動が、まだ互いをなぞっている。
「……ねぇ、七海」
誠がぽつりと尋ねる。
「やっぱり……上に乗ってするの、特に好きなの?」
その問いかけに、七海の頬がふわりと赤くなった。胸元に顔を寄せたまま、小さく
「……はい」
と頷く。声も熱も、ほんのりと照れている。
「やっぱり……あれ、なんていうか……」
誠が少し悪戯っぽく口角を上げる。
「“支配してる!”って感じ?」
「ち、違いますっ……!」
びくりと肩を震わせて、七海が顔を上げた。けれどすぐに視線を泳がせて、あたふたと続ける。
「そ、そういう部分も……なくはないですけど……あー……いや……その……誠さんが、女の子みたいに……喘いでるの、見ると……うれしくなっちゃうっていうか……支配っていうより……逆、かもしれません……」
声がどんどん小さくなっていく。頬の火照りは強くなり、胸のあたりまで赤く染まっていた。
「もっと、誠さんに……喜んでもらいたい……気持ちよくなって欲しいなって……ご奉仕したい、みたいな……」
そこまで言って、七海は顔を覆った。
「……わたし、なに言ってるんだろ……!」
布団に顔を埋めて、身をよじる。誠はその様子を見ながら、嬉しそうに笑った。
「うん、知ってた。ずっと伝わってたよ、その気持ち。……ちゃんと、届いてるから」
その言葉に、七海の背中がゆっくり緩んでいく。やがて振り向き、ほんの少し唇をとがらせるようにして――ふいにキスをした。軽く、啄むように。そのあと、もう一度。今度は深く、唇を押し当てて。舌は絡めない。けれど熱が、静かに揺れる。目を閉じたまま、七海は小さく囁いた。
「……好きです、誠さん。もっと、もっと……喜ばせたいです。夢中になってもらいたいです」
誠も静かに微笑んだ。
「……俺も、同じだよ。ずっと同じ気持ち」
言葉の代わりに、またキス。ひとつ。またひとつ。触れ合うたび、ふたりの“今”がもう一度、愛で満たされていく。照明は落ちていて、外の夜は深く、静かだった。でもこの部屋の中だけは、まだほんのりと、ぬくもりの灯りが消えずにいた。
***
再び唇を重ねたあと、誠はそっと七海の背に腕をまわした。言葉を探すように、けれど最初から決まっていたように、静かに、少し照れくさそうに言った。
「……ありがとう、七海」
七海が目を瞬かせる。誠はそのまま、ゆっくりと続けた。
「俺ね、たぶん……七海に、上から愛されるの……好きなんだと思う」
その言葉に、七海の頬がわずかに染まった。
「えっ……?」
「うん。……不思議な気持ちだけど。上にいる七海が、俺のこと……見下ろして、触れてくれると、なんていうか……安心するというか……嬉しい」
少し笑って、指先で七海の頬をなぞる。
「頼られてばかりじゃなくて……七海が、自分から愛してくれるのが分かると……“ああ、ちゃんと伝わってるんだな”って、嬉しくなるんだ」
その言葉の一つ一つが、七海の胸に静かに染み込んでいった。
「……わたし、そんなふうに思ってもらえてたんですね……」
頬を染めながら、七海はぽつりと呟く。誠は微笑んだまま、彼女の額にキスを落とす。優しく、あたたかく。触れるだけで、感情が伝わるように。
「……いつもありがとう、七海。ちゃんと、全部……受け取ってるから」
その言葉に、七海は目を細めて、そっと誠の胸に頬を預けた。
「……よかった。わたしの愛が伝わっていて……幸せです」
静かな夜の中。その幸福は、もうなにかを演じなくても伝わるほどに、深く、確かなものだった。
***
身体を重ねたあとの静けさの中、ふたりの吐息だけが、ほんのりと部屋をあたためていた。抱きしめ合ったまま、誠がぽつりと呟く。
「……七海に上から愛されてるとさ、俺、果物になった気がするんだよね」
七海はきょとんとした顔で、彼を見上げた。
「……果物、ですか?」
「うん。果汁がさ、搾り取られるみたいな感じで……」
その瞬間、七海の頬がぱあっと赤く染まる。
「……っ、誠さん……!」
けれど誠は、どこまでも真剣な顔で続ける。
「いや、ほんとに。それぐらい気持ちいいってこと。自分の形が、崩れて溶けちゃうようなさ。これ褒めてるからね?」
「……う、嬉しいような、恥ずかしいような……っ」
七海はシーツを指先できゅっとつまみながら、小さく肩をすくめた。
「最後にはもうさ……撹拌されて、ドロドロになっちゃうの。……ミキサーで、ぐわんぐわんって」
「……えっ、わ、わたし……ミキサーなんですか……?」
七海が半分笑い、半分呆れた声でつぶやくと、誠は大真面目に頷いた。
「うん。ミキサー大帝」
「なんですかそれーっ!!」
七海は思わず枕を誠の顔に押し当てた。
「やめてくださいもうーっ」
と叫びながら、笑いが止まらない。誠もぐふっと笑い声を漏らしながら、そのまま枕越しに彼女を抱きしめ返した。
「でもほんとにさ、七海の中に包まれてると……俺、完全にとろけてるよ。甘くて、やわらかくて、もう全部……まるごと預けたくなる」
真面目な声に戻ると、七海は口元を引き結んで、でもその奥に笑みを隠せずにいた。
「……じゃあ、わたし……ミキサー大帝として、また誠さんをぐるぐるにしても、いいんですか?」
「光栄です、陛下」
「ふふっ……!」
ふたりは笑いながら、再び唇を重ねた。ほんのひとときの沈黙。でもその中には、愛情と信頼と、“恋人以上”の、なにかあたたかなものが満ちていた。
***
誠の胸元に顔を埋めながら、七海がぽつりと呟いた。
「……でも、誠さんだって、すごいですよ?」
誠が視線を下ろすと、七海は小さく頷いた。頬はほんのり赤く、でも目はまっすぐだった。
「誠さんに、抱かれて、真っすぐ貫かれると……ああ、わたしって“女の子”なんだなって、実感するんです」
その言葉に、誠は目を瞬かせる。
「……そうなの?」
「はい。誠さんの、熱と重みが内側に届くと……わたしの身体の真ん中に、“芯”が通るような感じがして。それが、わたしを中から愛してくれるような……ふわ〜って、満たされて……気持ちよくなるんです」
囁くような声に、誠の胸がじんわり熱くなる。
「……ありがとう、そんなふうに言われると……照れるよ、俺」
そう返すと、七海はくすくすと笑いながら、そのまま唇で誠の胸にキスを落とした。
「ふふふ……でも、ほんとに。誠さんは、すごいんです。こんな人、他にいません」
「……そんな言い方してさ」
誠は冗談めかして眉を上げる。
「他の人、知ってるの?」
七海はすぐに顔を上げた。大きな瞳が真っ直ぐ、誠を見つめる。
「……知りません。知りたくも、ないです」
その言葉には、冗談のかけらもなかった。ただひとつの確信が、そこにあった。
「誠さんだけで、十分ですから」
誠は言葉を失って、ただその瞳を見つめ返した。胸が、あたたかくて、くすぐったくて、何も言えないまま、七海の髪を撫でた。
「……ありがとう」
そのまま唇が重なる。言葉のかわりに、肌と熱で、感謝と愛を伝えあう。ふたりだけの夜は、言葉ひとつ、笑いひとつ、すべてが特別だった。
***
あたたかい沈黙の中、頬を寄せたまま、誠がふと口を開いた。
「……でもさ、七海のほうが、すごいよ」
すると、七海がむくっと顔を上げた。目をまんまるにして、きっぱりと言い返す。
「違いますっ。誠さんの方が、すごいです!」
「いやいや、俺はただ頑張ってるだけで……」
「七海はさ、受け止めてくれて、愛してくれて、……もうそれだけで、すごいんだよ」
「それを言うなら……誠さんが、いつも優しくて、丁寧で、わたしのこと大切にしてくれるから……すごいんですっ!」
「でもでも、上に乗ってあんなに……その……搾るほどなんて、七海しかできないと思う」
「搾るって言い方やめてくださいぃっ……!」
頬を赤くしながらも、ぷくっと膨れて抗議する七海。その姿が愛しすぎて、誠は笑いが止まらない。
「ほら、そうやって可愛く怒るのも、すごいよね」
「可愛く……!もう……!」
再び枕でぺしぺしと誠の肩を叩きながら、でも七海も笑っていた。
「でも、やっぱり誠さんがいちばんです。……わたしが、そう思ってるんですから」
「……じゃあ、俺は七海がいちばんって思ってるから、引き分け、ってことでいい?」
「……うーん……勝ち負けじゃないですもんね、恋人は」
「……うん。お互い“世界一”ってことで」
その言葉に、七海は小さくうなずきながら、そっと誠にキスをした。たった一つのキスで、どちらが上でも下でもなく、ただ“ふたりでいる幸せ”がそこにあった。
***
布団の中、灯りを落とした部屋には、虫の声だけが小さく響いていた。七海の髪が、誠の肩に流れている。静かな呼吸が、互いの胸に触れていた。
「……ねぇ、七海。将来のこと、考えたことある?」
誠の声は小さく、どこか頼りない。七海は少しだけ顔を上げ、誠の横顔を見つめた。
「将来……ですか?ずっと、ずっと、こんなふうにしていたいです」
「……俺も、そう思うよ」
少し間があって、誠は視線を天井に移した。
「……でも、飛鳥がこのあいだ言ってたんだ。卒業までに、決めてほしいって」
その言葉に、七海の呼吸が一瞬止まった。
「……飛鳥さんが?」
誠は頷いた。
「うん。いまはすごく楽しいけど、いつかは、はっきりさせないといけないって」
しばらく沈黙が落ちる。その沈黙は、決して重くはなかったけれど、どこか、切なかった。七海は小さく笑って、ぽつりとつぶやいた。
「……そうなんですね。飛鳥さんは、ちゃんと考えていたんですね……。わたしはただなんとなく、このままみんなで楽しくやっていけたらいいな、って……ぼんやり考えていたくらいで」
「……社会人になっても、こんな感じでいいかも、って?」
「ええ、そう思ってました。だって、誠さんたちといると……楽しくて、嬉しくて、優しい気分になって。何も怖くない気がして。きっと、それで十分なんだろうなって」
誠は少し笑って、小さく頷いた。
「……正直、俺も。そう思ってた」
「でも、飛鳥さんは違うんですね」
七海の声は、かすかに震えていた。
「たぶん……飛鳥さんは今を“特別なもの”として残しておきたいんだと思います。他の人からしたら、誠さんとみんなでお付き合いしてるって、爛れた関係に見えるのかもしれません。でも、わたしたちにとっては、これは特別なものなんだって。学生の間は、そう言い張れるのかもしれませんね」
誠は小さく息を吐いた。
「……社会人になったら、それは通用しないのかな」
「どうなんでしょうね」
七海は少し目を伏せた。
「スケジュールをすり合わせて、仕事の合間に時々会うだけの……“愛人”みたいな関係、って、そう思ってしまうのかも。他人がどうこう、というより……飛鳥さん自身の気持ちの問題なのかもしれませんね」
静かな間。誠は、七海の手をそっと握った。その手が、あたたかかった。
「……七海は、いま幸せ?」
七海は微笑んだ。
「はい。……とても、幸せです。だから、怖いんです。このままじゃ、いけないって、分かっても……手放したくないから」
誠は何も言わなかった。ただその手を、強く握り返した。
***
布団の上で、しばらく言葉を探すようにしていた。互いの呼吸の音だけが、部屋に残っている。やがて、七海がそっと顔を上げた。月明かりのなかで、その瞳がうっすらと潤んで光る。
「……誠さんは、どうしたいですか?」
その声は、小さく、でも真っすぐだった。誠は少し間を置いて、静かに息を吐いた。
「……虫の良い話だけど、本当は、みんなとずっと一緒にいたい」
七海は小さく頷いた。
「……わたしも、同じです。誠さんと、飛鳥さんと、瑞希さんと。ずっと笑っていたいです」
言葉が、そこで途切れた。沈黙が降りて、夜の音だけが耳に残る。七海が誠を見つめる。その目が、涙を含んだまま、まっすぐに彼の心を映していた。誠は、何かを決意するように、そっと七海を引き寄せて抱きしめた。
「……七海」
「……誠さん」
名前を呼び合うたびに、唇が触れた。最初は確かめるように、次第に、言葉のかわりになっていった。呼吸と鼓動が混ざり合い、それぞれの胸の奥で、同じ想いが響いているのが分かった。
***
布団の中、まだ手をつないだまま。涙のあとが乾いて、代わりに微笑みが戻ってくる。七海が、少し照れたように言った。
「……卒業までに決めるって、なんだか恋愛ゲームみたいですね、最後は伝説の樹の下で、誠さんに告白されるんです」
「え、ちょ、急にそこ?」
誠が思わず笑ってしまう。
「さっきまでシリアスだったのに!自分からそれ言います?」
「うふふ。冗談ですよ。あまり湿っぽくなるのもあれかなーって」
七海が小さく肩をすくめて笑う。その笑顔があまりに優しくて、誠もつられて笑った。しばらくふたりでじゃれ合うように布団の中を転がって、静かだった空気がまた、いつもの柔らかさを取り戻す。誠が、若干落ち着いた声で話題を変えた。
「そういえばさ、七海が前に言ってたよね。小説、書いてネットに投稿してるって」
「……あ、はい」
途端に、七海がほんのり頬を染めた。
「そろそろ教えてくれない?」
「ダメです」
即答。
「またかよ!なんで!」
「まだ自信がないので……」
七海は布団の端をいじりながら、苦笑いを浮かべた。
「いま長いのを書いているんです。もうすぐ最終回で、それが完結したら……そのとき、読んでもらいたいです」
誠は少し目を細めた。
「……わかった。楽しみにしてるよ」
「ふふ、ありがとうございます。半分ぐらいはえっちしてる小説なので、そこは覚悟してくださいね」
「どんな話なんだそれ……」
ふたりの笑い声が、布団の中に小さく溶けていった。夜は深く、でももう、悲しみは宿っていない気がした。




