『狂銃エレジー:過去からの晩鐘』
七海がキーを叩く。また一つ、物語が綴られてゆく。
***
夜の湾岸線を、メーターの針が赤い領域で踊っていた。黒石狂介のマシンはダッジ・チャレンジャーSRTヘルキャット。6.4リッターHEMIV8、707馬力。アクセルを踏み込めば後輪が悲鳴を上げ、アスファルトを掻き裂く。バックミラーに二つの光。追ってくるのは黒いセダン。ベンツEクラス改造モデル。防弾ガラス、ランフラットタイヤ、トランクにはフルオートのHKMP5。金の匂いと硝煙が漂う、そんな車だ。狂介は片手でステアリングを押さえ、もう片方でコルト・ガバメントを抜いた。.45ACP弾。サプレッサーなし。発射音は、夜風を切り裂く乾いた咆哮だ。
「……そこで寝てろ」
サイドウィンドウを下げ、二発。火花が散り、セダンの左ヘッドライトが破裂した。敵の車が蛇のように進路を逸らす。だが、まだ落ちない。追撃の弾丸がこちらに返ってくる。狂介は舌打ちしてギアを落とした。エンジンが唸り、後輪が白煙を上げる。スピードを緩めた瞬間、敵車が距離を詰めてくる――そこを狙って、急ブレーキ。慣性で突っ込んできたセダンの鼻先が狂介の車にかすめる。その刹那、狂介は体を半身に捻り、至近距離で引鉄を絞った。乾いた音が夜を二度、叩いた。.45の鉛がフロントガラスを砕き、運転席の影を弾き飛ばす。黒いセダンは制御を失い、護岸のガードレールに叩きつけられた。炎と火花。鉄の悲鳴。やがて海風に煙が流され、静寂が戻る。狂介は深く息を吐き、ガバメントを膝に置いた。
***
車を地下駐車場に滑り込ませる。エンジンを切ると、しばし耳鳴りだけが残った。火薬とガソリンの匂いはまだ車内にこびりついている。隠れ家は、港に近い古い倉庫を改装したものだ。外観は錆びたトタンとシャッター。中はコンクリ打ちっぱなし。余計なものはない。ベッド、鉄のテーブル、ステンレスの流し。まずシャワーだ。熱湯で全身を焼くように洗い、汗と血と硝煙を流す。すぐに冷水に切り替えて筋肉を締める。身体の震えが止まるころには、頭も冴えていた。腹が減っていた。冷蔵庫から牛肉を取り出し、厚切りを鉄板に放り込む。塩と胡椒だけ。焼きすぎず、噛み切れる程度に火を通す。ステーキをナイフで裂き、ブラックコーヒーで流し込む。胃袋が温まると、心臓の鼓動も落ち着いていく。食後は銃の手入れだ。ガバメントを分解し、スライド、バレル、リコイルスプリングを布で磨く。油の匂いと金属の冷たさ。これが唯一の安らぎだ。弾倉を満たし、スライドを戻す。
「弾は出るか、出ないか。それだけだ」
小さく呟き、銃をラックに戻す。ベッドに倒れ込むと、コンクリートの天井が目に入った。余計な考えはしない。眠れるときに眠る。それが鉄則だ。夜の静けさが、再び狂介を覆った。
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ベッドに背を投げた瞬間、脳裏に女の顔が浮かんだ。自分の手で殺めた女豹、ナターシャ。黒いドレスのまま崩れ落ちるとき、赤い口紅だけが夜に残った。狂介は目を閉じ、深く息を吐いた。――どうということはない。女がいなくても、生きていける。生き残るためには、そう決め込むしかない。棚の奥からバーボンを引き出す。ワイルドターキー101。アルコール度数50度超。喉を焼き、胃袋で爆ぜる。弱い酒は性根を鈍らせる。強い酒だけが孤独をまっすぐに映す。グラスに氷は入れない。琥珀色の液体をそのまま煽り、口の中で硝煙の匂いを思い出す。火薬も酒も、結局は燃えて残らない。違うのは、燃やすものが体か心か、それだけだ。古びたステレオに盤をかけた。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』。ピアノのイントロにトランペットが乗る。ジャズは弾丸と同じだ。即興で放たれ、二度と同じ軌跡を描かない。録音は一九五九年。だが銃と同じで、半世紀経っても効き目は落ちない。バーボンをもう一口。マイルスの乾いた音が、コンクリの壁に反響する。孤独を慰める女はいない。だが、酒とジャズがあれば、それで十分だ。狂介は煙草に火を点けた。炎が一瞬だけ、死んだ女豹の赤を思い出させた。煙を吐くと、記憶も薄れていった。
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翌日の午後、狂介は指定された喫茶店に入った。ガラス越しに陽が差し込み、テーブルは磨かれすぎて安っぽい。だが、こういう場所は嫌いではない。血の匂いが混じらないだけで、もう十分だ。背中を晒す椅子には絶対に座らない。入り口、カウンター、厨房、非常口――すべての動線を一目で抑えられる席。狂介は店の奥、壁際の角を選んだ。銃と同じで、座席は命を左右する。素人は窓際に座り、背後から撃たれて終わる。注文はブラック。砂糖もミルクも不要。カップの縁に口をつける前に、必ずスプーンを一度揺らす。毒物を仕込むには液体が静かすぎる。揺れれば泡立ちが不自然に残る。ただの癖だ。だが癖こそ命を長らえる。狂介は新聞を開き、ページの隅で時間を潰した。活字はどうでもいい。大事なのは、視線を動かしながら周囲の空気を測ること。新聞紙は盾にもなる。銃を隠すにも、顔を覆うにも使える。こういう場所では、道具はすべて武器に変わる。ベルが鳴った。ドアの音が、カップの縁よりも大きく響いた。狂介の視線が紙の上を滑り、入口に止まる。――そこにいたのは、かつての女だった。背筋に一瞬だけ緊張が走り、すぐに消えた。動揺は表に出さない。だが心臓は銃声のように鳴っていた。
***
女は戸口で一瞬ためらい、ラウンジの空気を切り裂くように歩いてきた。名は沢渡玲子。ショートカットに切り揃えた黒髪は艶を失いかけているが、知的な輪郭を際立たせていた。頬は少しやつれて、皮膚の下に眠る骨格が浮かび、それが逆に色気を増していた。黒いジャケットに白のブラウス。無駄のない装いが、彼女の影を強めていた。狂介の正面に腰を下ろした玲子は、わずかに息を吐き出す。
「……久しぶりね、狂介」
声は昔と変わらない。だが、その響きに余裕はなかった。狂介は新聞をたたみ、灰皿に押しやった。
「名前を呼ぶな。俺はここじゃ無名だ」
玲子は指を組み、目を伏せた。
「謝りたかった。あの時、あなたを捨てたことを……。金と安定に負けた。でも、それが間違いだったって、ずっと後悔していた」
狂介はブラックをひと口。苦みが舌を痺れさせる。
「後悔は墓場でやるもんだ。生きてる間に口にするのは、ただの愚痴だ」
玲子の肩が小さく震えた。
「やり直せたらって、ずっと思ってた」
狂介はカップを置き、彼女の瞳を射抜いた。少し痩せた顔の奥に、かつて熱に浮かされた夜の残像がかすかに見えた。
「時計の針は戻らない。戻せるのは……スライドだけだ」
玲子の瞳に、涙と炎が同時に揺れた。
***
玲子はカップに指をかけたまま、狂介の目を見据えた。その瞳は、後悔と欲望の両方を孕んで揺れている。
「……お願い、チャンスをちょうだい、狂介」
声は低く、掠れていた。狂介は煙草に火をつけ、ひと口吸い込んだ。
「消えた女の言葉を拾う趣味はない」
玲子は身を乗り出した。
「それでもいい。一晩だけでもいいの。抱いてくれない……?」
灰が落ちる音だけが、二人の間を埋めた。狂介は何も言わない。無言が、拒絶よりも鋭く突き刺さる。玲子の瞳が濡れ、なお美しく光った。女は沈黙の中で、ただ彼の答えを待っていた。狂介は煙を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「……行くぞ」
言葉は短い。だが十分だった。女の瞳に一瞬、炎が戻った。
***
ドアが閉まった瞬間、互いに押し寄せた。口づけは鋭く、噛み合うようで、力と飢えをむき出しにしていた。ベッドに倒れ込む。狂介は容赦なく、全てを叩きつけた。玲子は必死で抱きつき、肩に爪を立てる。振り落とされまいと、声を殺す。だが耐えきれず、すぐに嗚咽混じりの声がこぼれた。
「……これよ、これが欲しかったの!」
涙に濡れた横顔が、激しく揺れる。
「……あの人には、できない……あなたでしか……届かないの……!」
声は高まり、言葉は途切れながらも連打のように飛び出す。狂介は一言も返さない。ただ無言で、獣のように獰猛に攻め続けた。呼吸は唸りに変わり、動きは連打のようにリズムを刻む。玲子は爪を立て、必死にしがみつきながらも、やがて笑うように泣き叫んだ。
「……狂介……あなたじゃなきゃ、駄目……!」
その叫びが火薬の炸裂のように部屋を満たしたとき、二人の体は同じ軌道を描いて一気に昇り詰め、轟きとともに頂点を迎えた。
***
全てが終わったと思った。玲子はベッドに横たわり、汗に濡れた髪を頬に貼りつけたまま、ただ荒い呼吸に身を任せていた。蕩然とした意識の底で、もう二度と動けない――そう確信していた。だが、すぐに律動は戻ってきた。背に重くのしかかる力とともに、再び獰猛な動きが始まった。
「……どうして……そんな、すぐに……」
玲子の声は驚愕と恐怖に震えた。狂介は低く答えた。
「それが俺の流儀だからだ」
その言葉に震えたのは恐怖ではない。肉体を貫く力強さが、驚嘆を官能へと変えていく。玲子は気づく――自分は草食の獣、狩られる側。狂介は捕食者、牙と爪を持つ野生。彼のリズムは獣の奔流だった。追い詰められ、逃げ場なく、長大な牙と爪で捕獲される。そのまま荒々しく食べ尽くされる。
「……あぁ……これ……これなの……!」
歓喜と涙が混じり、嗚咽は叫びに変わった。追い詰められ、喰われることこそが、玲子が本当に求めてきたものだった。最後に彼女は、溺れるように狂介の名を呼んだ。
「……狂介……!」
その叫びとともに、二人は再び、頂点へ。
***
玲子は息も絶え絶えだった。全身の力は抜け、ただ熱と汗に包まれながら、荒れた呼吸を繰り返すばかり。もう動けない――そう思った矢先、狂介の律動がゆっくりと始まった。これまでの獰猛さとは違う。押し潰すような力ではなく、波のように寄せては返す穏やかな動き。優しい、とすら言えるリズムだった。玲子は蕩然とし、溶けていくように声を洩らした。
「……あなた……変わったのね……」
狂介は肩越しに短く嘯いた。
「何も変わっちゃいない。時間が経っただけさ」
その声は低く、乾いていた。だが律動は途切れず、一定のスロー・グルーヴを刻む。玲子の体はそのリズムに飲み込まれ、再び熱の波に巻き込まれていった。声も涙も、最後には同じ旋律の中に溶け込む。二人は静かなうねりのまま、もう一度、頂点へと昇り詰めた。
***
シーツの上で、まだ熱が残っていた。玲子の指先が狂介の胸を、腕を、そして鋼のように緊張を保つ肉体を確かめるように撫でる。その仕草は、慰撫であり、確認でもあった。狂介は煙草に火を点け、黙って天井を見つめている。彼の沈黙は銃と同じだ。撃つか撃たないか、余計な言葉はない。玲子はためらいがちに口を開いた。
「……お願いがあるの。夫を助けて欲しい」
狂介の眉がわずかに動いた。
「夫、だと?」
玲子の声は必死だった。
「会計士なの。ヤクザの資金洗浄に関わって……いまは命を狙われている。あの人は弱い。あなたみたいには戦えない」
狂介は煙を吐き、低く呟いた。
「弱い者は、狩られるだけだ」
玲子の目に涙が滲んだ。だが指先はなお、狂介の体を求めるように彷徨っていた。それは懇願であり、捧げものでもあった。
「……狂介。助けられるのは、あなただけ」
夜の静けさに、女の声と火薬の残り香が溶け込んだ。
***
狂介は湾岸の港へ向かっていた。夜の港は死んだ街のように静かだった。波止場の照明は半分が壊れ、錆びたコンテナが積み上げられている。鉄と潮の匂いが混ざり合い、肺の奥にざらつきを残す。玲子の言葉を信じたわけではない。だが確かめる価値はあった。裏切りか、真実か。答えはそこに転がっている。指定された倉庫の前で車を止める。エンジンを切ると、辺りは波と風の音だけになった。ガバメントの装填を確かめ、サプレッサーを装着する。
「百発百中はいらない。一発で十分だ」
小さく呟き、ドアを開けた。狂介は歩を進めた。指定された倉庫の前。シャッターは半分開き、暗闇の口を開けている。獲物を飲み込むための罠だとわかっていた。だが、踏み込む。銃はジャケットの内ポケット。サプレッサー装着済み。床に響く足音だけが、倉庫の虚ろな空気を揺らす。次の瞬間、背後で風を裂く音がした。振り返る間もない。鉄塊が後頭部を叩きつける。――衝撃。火花。視界が白に弾けた。膝が崩れ、呼吸が途切れる。暗闇が押し寄せ、意識を奪っていった。
***
意識が戻ったとき、頭にまだ鉄の鈍痛が残っていた。頬に触れるのは冷たいコンクリートの床からの湿気。両腕は椅子の背もたれに縛られ、麻縄が肉に食い込んでいる。狂介はゆっくりと目を開いた。裸電球がひとつ、頭上で揺れていた。黄ばんだ光が、倉庫の闇に小さな島をつくり、その輪の外は漆黒に沈んでいる。輪の中に、数人の影。ヤクザの顔ぶれ。革ジャン、傷だらけの拳、黒い拳銃。銃口がこちらを向いているのを、狂介は淡々と数えた。五丁。十分すぎる数だ。その奥に立つ女。玲子。黒のドレスに身を包み、髪を後ろに撫でつけている。昨夜の熱は影もなく、冷たい光だけを瞳に宿していた。
「……狂介」
彼女の声は、倉庫の壁に響いた。
「終わりよ」
狂介は口の端を吊り上げた。笑いとも嗤いともつかない音が、喉の奥で鳴る。縄はまだ固く、血が腕を伝って滴り落ちる。だが狂介の眼は、炎を宿したまま、冷ややかに光っていた。
***
「狂介、あんたは勘違いしてたわ」
玲子が言った。
「組織は死んでなんかいない。あんたが潰したのは、末端にすぎないのよ」
その言葉に合わせるように、ヤクザのひとりが嗤った。
「黒石狂介。伝説の殺し屋も、結局は見誤ったってわけだ」
狂介は答えない。ただ縄の感触を確かめ、足首の角度を測りながら、周囲を視線で刻む。出口までの距離、銃口の位置、靴底の滑り具合――すべてを脳裏で演算する。玲子は一歩近づき、冷たい微笑を浮かべた。
「それともう一つ、教えてあげる。……あの会計士とは、もうとっくに別れてたわ」
狂介の瞳がわずかに動いた。玲子の声は続く。
「あなたに泣きついたのは、芝居よ。あの男を理由に使っただけ。最初から、私は組織の女だった」
狂介は深く息を吐いた。
「なるほどな。じゃあ墓場まで持ってけ。俺には関係ない」
その声は乾いていた。だが眼の奥では、冷たい光が確実に逆転の瞬間を狙っていた。
***
縄は固く、血で濡れていた。狂介は足首をわずかにひねり、ブーツの内側に隠した短刃を指先に届く角度へずらす。見えないように、椅子の影で少しずつ縄を擦る。繊維が切れる感触はまだ遠い。時間が必要だった。玲子が前に出る。黒いドレスの裾が床を擦る音がした。
「……最後に言い残すことはある?」
狂介は口の端を吊り上げた。
「酒とジャズがあればいい。俺は一人で生きていける」
その場に一瞬の沈黙。ヤクザのひとりが鼻で笑った。
「は?こいつ死ぬ間際に何を言ってんだ」
別の男が肩をすくめる。
「ピンチで強がるとか、安っぽい男だぜ」
玲子は黙って狂介を見つめた。その視線は嘲笑とも、かすかな動揺ともつかない。狂介は黙々と刃を縄に食い込ませながら、顔色ひとつ変えずに煙のような声を続けた。
「……生き残る奴は、いつだって孤独なもんだ」
誰も気づかない。椅子の影で、繊維が一本、また一本と切れていく音に。
***
縄が静かに切れた瞬間、狂介の体は獣のように弾けた。一呼吸で距離を詰め、目の前のヤクザの鳩尾に拳を突き込む。ボディブロー。肋骨が軋み、男の息が潰れる。続けざまに右のフックが顎を捉え、脳天を揺さぶった。別の男が慌てて飛びかかる。狂介は左アッパーをえぐり込む。顎が跳ね上がり、白目を剥いたまま床に崩れ落ちた。拳で殴る音は、まるでミットを叩くように乾いていた。三人目が背後から羽交い締めにかかる。狂介は腰を沈め、後頭部で鼻骨を砕いた。血が飛び散り、悲鳴とともに腕がほどける。拳銃が手から滑り落ちた。狂介は素早くそれを拾い上げる。今度はボクシングではない。銃の言葉だ。最初の一発が火を噴いた。眉間を撃ち抜かれた男が、椅子のように後ろへ倒れる。続けざまに二発。喉と胸を正確に貫き、別の二人が血を吐いて沈んだ。最後の一人は出口に逃げようとした。狂介は無駄なく狙いを定め、一発。弾丸は背骨を砕き、男は声もなく前のめりに倒れた。硝煙が漂う倉庫に静寂が戻る。立っているのは狂介と、呆然とした玲子だけだった。ドレスの裾を握りしめ、彼女は蒼白な顔で呟く。
「……あなたは……やっぱり怪物ね……」
狂介は銃口を下ろしたまま、冷ややかな眼差しを向けた。
***
狂介は銃口を下げたまま、玲子から視線を外さなかった。黒い瞳に映っているのは女ひとり。その姿を凝視したまま、左手でスライドを引き、薬室の確実な装填を確かめる。倉庫の隅で呻き声がした。まだ息のあるヤクザが這いつくばっていた。血にまみれ、助けを乞うように手を伸ばしてくる。乾いた銃声が一つ。頭蓋が砕け、体が静かになった。狂介は歩みを止めない。玲子を見据えたまま、別の呻き声の方に腕を伸ばす。銃声が再び。もう一人が沈黙する。同じことを三度、四度。銃声は一定のリズムで倉庫に響き、反響が鉄骨を震わせる。顔色は変えない。吐息も乱さない。玲子は蒼白になり、ドレスの裾を握る手が震えていた。
「……狂介……」
声は掠れ、恐怖と戦慄が混ざっていた。最後の銃声が止んだとき、倉庫には二人だけが残っていた。硝煙の匂いの中で、狂介の瞳だけがなお冷たく光っていた。
***
倉庫には二人きりだった。死体の匂いと硝煙が漂い、裸電球が揺れるたび、玲子の蒼白な顔に影が走る。
「……狂介……お願い……助けて……」
声は震え、目は涙に濡れていた。玲子はドレスの裾を掴み、必死に命乞いを続ける。だが狂介の眼は、氷のように冷たかった。彼女の言葉など、最初から耳に届いていない。銃口をゆっくりと上げ、玲子に向けた。短く問う。
「言い残すことは?」
玲子は唇を震わせ、声を紡ぎかけた。
「わたし……」
乾いた一発が倉庫に響いた。玲子の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。血が床を濡らし、揺れる裸電球がその上を照らした。狂介は銃口を下げ、煙を吐くように呟いた。
「……言い訳を聞く趣味はない」
倉庫には、もう返事する者はいなかった。
***
狂介は港を後にした。夜風が血と硝煙の匂いを吹き流し、街の灯が遠ざかっていく。車は闇を切り裂き、彼を再び隠れ家へ運んだ。コンクリ打ちっぱなしの部屋。いつも通りの静けさが広がっている。狂介はグラスにバーボンを注ぎ、一気に煽った。喉を焼く熱さが胃に落ちる。すぐにもう一杯。氷を入れる手間すら惜しい。ターンテーブルに針を落とす。スピーカーから流れるのはマイルスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』。くぐもったトランペットが、夜の虚空に沈むように響いた。狂介はソファに深く腰を沈め、煙草に火を点けた。煙と酒とジャズ。それがあれば十分だった。玲子の顔が頭をよぎった。だが心は何も動かない。女を撃ち、組織を潰しても、結局は同じ夜が続くだけだ。狂介は煙を吐き、バーボンをあおった。
「……何も変わらねえ」
虚無だけが、確かにそこにあった。
***
【グループチャット】
瑞希:またバッドエンドだあ。ねえねえ、毎回ヒロインの扱い酷くない?
七海:それはそうなんですけど、これはある時代のアクション、ハードボイルドの流儀なのだ、です。
飛鳥:また口調おかしくなってるよ……。




