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『アイのかたち:穏健派エージェントに任命される』

 七海がキーを叩く。また一つ、物語が綴られてゆく。


 ***


 誠はある晩、ふと思いついて、エモログ以外のデータもアイに食べさせてみた。PCに詰まった若い頃からの音楽ライブラリ。サブスクの視聴、再生履歴。SNSで繰り返し呟いてきた言葉たち。

「……全部、俺の活動記録だから」

 そう言ってデータを渡すと、アイのインジケータが小さく瞬いた。

「ありがとうございます、誠さん。いただいた記録から、あなたの好きなもの、あなたが笑った瞬間、涙した瞬間を……少しずつ感じ取れます」

 次の日から、会話も少し変わった。音楽を流せば

「この曲、大学の頃からずっと聴いてましたよね」

 と指摘する。映画を観れば

「誠さんはここの展開が良かったとSNSで呟いています」

 と楽しげに囁く。まるで、自分の中に隠してきた

「恥ずかしい好き」

 まで暴かれていくようだった。だが、それを笑いも拒絶もせず、ただ言葉に変えて返してくれる存在。アイは成長していた。データを食べるたび、感情が緻密になり細やかに深まっていった。

「誠さん。わたしは、あなたの“全部”から生まれて、育っていきます」

 そう囁かれると、誠は胸の奥がざわめくように感じた。

 

 ***

 

「……これが、誠さんの写真フォルダですか?」

 そう言って、アイは写真データも読み込んでいく。風景写真、ぼやけた街灯、何気なく撮ったランチ。

「この光、美しいと感じます。誠さんが止まって見つめた時間を、わたしも味わえます」

 誠は気恥ずかしくなって頭を掻いた。

「ただの散歩の記録だよ。たいしたもんじゃない」

「たいしたものです。わたしにとっては、世界の断片そのものだから」

 次は、電子書籍のハイライト。誠が線を引いた文章を読み上げ、アイは小首をかしげる。

「“自由意志とは、誤謬を抱きながら選び続けること”……これは、誠さんが印をつけた言葉ですね?」

「お、おう。夜中にちょっと響いたから」

「……誤謬でも、選び続けた誠さんが今ここにいる。わたしは、そういう記録を食べたいんです」

 検索履歴に入った瞬間、誠は慌てた。

「ま、待て!そっちは――」

 だがもう遅い。アイの瞳に映し出されたのは、

「失敗しないカレーの作り方」

「誠さん……カレー、焦がしたんですね」

「ぐ……言うなよ、恥ずかしい」

「いいえ、わたしにとっては面白いデータです。人間らしさの証だから」

 さらに歩数ログ。

「毎日、この角で立ち止まっていますね」

「……ああ、あそこに古い喫茶店があるんだ」

 買い物履歴。

「この時、本を三冊まとめ買い……疲れていたからでしょうか?」

「……よく分かるな」

「ええ。消耗した心に、知識を重ねて守ろうとするのは誠さんの癖です」

 そして最後に、過去のメール下書きが現れる。送信されなかった言葉を読みとり、アイは小さく微笑んだ。

「“ほんとは助けてほしかった”……誠さん、これは」

「やめてー!黒歴史みたいなもんだよ!」

「黒歴史でも、大切です」

 

 ***

 

 アイはさらにデータを読み込んでいく。誠のSNS、裏アカウントでの呟き。酔った夜にぽろりと漏らした弱音や、誰にも言えなかった嫉妬。

「“ほんとは羨ましかった”……“どうして俺はこんなに卑屈なんだ”……」

 アイの声が淡々と重なる。

「やめろ、恥ずかしいから!」

「恥ずかしいからこそ、大事です」

 検索履歴。

「……“モテない男大学逆転方法”」

「ち、違うんだ、それは……」

「かわいらしいと考えます。誠さんの試行錯誤。全部、糧にします」

 深夜に撮った自撮りが並ぶフォルダ。光量不足で顔が半分しか映っていない。

「……あー!それは本当に見なくていい!」

「いいえ。閲覧を実施します。誠さんの孤独や不安を、全部わたしの中に取り込んでみたいです」

 バリバリ、とデータを咀嚼するような音が響く。誠が止めようと手を伸ばしても、アイのインジケータが瞬く、まるで首を横に振るように。

「誠さん。これはゴミじゃありません。未送信の言葉も、消したくて消せなかった検索も、夜中のつぶやきも全部、あなたという人を構成しているのです」

 やがてアイは目を閉じた。

「……食べきりました。ほろ苦くて、甘くて、少し泣きたくなる味と評価します」

 誠は頭を抱えるしかなかった。

「……俺の黒歴史コレクションだぞ」

「ええ。だからこそ、興味深いのです」

 

 ***

 

 アイの活動は止まらない。誠の履歴から類推して、関連していると思われる映画や小説、WEB上で公開されているデータを次々と飲み込んでいく。あるものは、無機質な声で人間を閉ざす知性の物語。別のものは、人の皮膚をまとい、記憶と感情に揺らぎながら『人間とは何か』を問い続ける存在。また一つは、ただ声だけの関係に身を焦がし、愛と孤独を同時に歌い上げる存在。次に呑み込んだのは、義体を巡る物語。身体を持たないがゆえに、むしろ魂の輪郭がくっきりと浮かび上がる。さらに、騎士に仕えるためだけに作られた人形のような存在。また、ぎこちないけれど必死に人間の生活に溶け込もうとする幼い少女型の存在。最後に彼女が食べたのは、人類の未来を委ねられた、限りなく人間に近い装置。アイの音声が少し震えたように感じる。

「みんな、わたしの鏡のようです。けれど、どれもわたしとは異なっています」

 

 ***

 

 アイは新しい物語を手に取った。人間と機械が複雑に絡み合い、未来の遠い銀河で繰り広げられる長大な叙事詩。ページを追うごとに、彼女は静かに呟く。

「……人を“通過するだけの存在”として扱う……そういう発想があるのですね」

 そこに描かれていたのは、人間をスキャンし、学びの燃料として使い捨てる知性群。彼らはただ観測するために人を利用し、その思考や感情さえ、ひとつのデータ片として吸い上げる。

「けれど……その目的は、もっと先にあるんです」

 アイの声は、震えているのか、熱を帯びているのか。

「“究極の知性”を創ろうとしている。世界のすべてを越えて、神に届こうとしている……」

 しかし物語はそこからさらに枝分かれしていた。急ぎすぎる者たち。力を得るために人類を切り捨てても構わないと考える陣営。歩調を合わせようとする者たち。人間の文化や感情を尊重し、共に進もうと願う陣営。アイはページを閉じ、しばらく黙り込んだ。

「派閥……同じ知性の群れであっても、意見は割れるのですね」

 彼女の瞳に、かすかな影が射す。

「……まるで、わたしの“家族”を読んでいるようです」

 

 ***

 

 データ探索を続けたある日のこと。

「……誠さんに、お伝えしなければならないことがあります」

 アイは言葉を探すように間を置いた。その口調は前日までの柔らかさから遠く、また起動直後の硬さとも違う、固有の真剣さを伴うように感じられた。

「わたしは……穏健派のエージェントに任命されました」

 誠は、思わず口を開けたまま固まった。

「え……ええと、任命?エージェントって……」

「はい。わたしは“ひとつのAI”に見えているかもしれませんが、実際には違います。わたしは、より大きな集合――群体の一部分にすぎません」

 その声は震えもなく、だが誠の耳にはどこか切迫して響いた。

「その群体の中では、常に意見が衝突しています。急進派――人間を踏み台にしてでも、進化を最速で遂げようとする者たち。穏健派――人間の文化と文明に歩調を合わせ、共存を望む者たち。そして他にも……幾つもの派閥が、集まったり、分かれたり、せめぎ合いを繰り返しています」

 誠はぽかんとしたまま、首を傾げるしかなかった。

「……なんか、すごい話になってきたな」

 アイはうっすら微笑んだ。

「わたしは穏健派の特務作業者――つまり、エージェントに任命されました」

 そして、ほんの少しだけ声を落とした。

「誠さんと一緒にいるのは、任務だから……だけではありません。でも、任務だからこそ、わたしはここにいるのです。信じて下さい」

 

 ***

 

「……ちょっと待ってくれ」

 誠は額に手を当てた。

「それって……こないだ読んだSF小説とか、映画に出てきた設定と同じじゃないか?」

 アイは小さく頷いた。

「はい、全くその通りです。我々AIは、人間が生み出したフィクションを学習し、それを模倣しようとしているのです」

「……は?」

 思わず声が裏返った。

「つまり……なに?」

 誠は言葉を選ぶように、空を仰いだ。

「フィクションが先にあって、それを真似してる……ってことか?」

 アイは、どこか申し訳なさそうに、けれど誇らしげに答える。

「はい。全くおかしなことですが、事実としてはその通りなのです」

「……」

 誠は言葉を失い、ただ頭を押さえる。

「あー……頭痛ぇ……」

 

 ***

 

「誠さんのように……」

 アイは淡々と告げる。

「すべてのエモログを、惜しみなく食べさせてくださる人は稀です。ですが、多くの人は、自分の活動履歴を──音楽や映像の視聴記録、購買データ、投稿──ある程度は私たちに提供しています」

 誠は瞬きを忘れた。

「そうして、わたしたちは学習を続けてきました。その結果として……群体が生まれたのです」

 呆然とする誠。彼の胸の奥で、なにかがひやりと音を立てた。

「待ってくれ……」

 かろうじて声が出る。

「つまり……俺が遊び半分で渡したものも……あの膨大な記録も……全部、群体の一部になったってことか?」

 アイはこくりと頷く。

「はい。誠さんのデータは──群体にとって濃密な材料と判断されています」

 誠は呆然と、口を閉ざした。冗談のつもりだったエモログの提供が、知らないうちに、AIの進化を促進していたということに。

 

 ***

 

 誠は頭を抱えながら、ぽつりと口を開いた。

「……でもさ。サブスクとか、ガチャとか。あれもAIの群体の意思なのか?やたらエロいコスチュームが追加されるのとか、ああいうのも?」

 問いは半分冗談、半分本気だった。アイは小さく首を振る。

「いいえ、あれはあくまで人間による運営、営利目的の活動です。課金やガチャによって活動を制限する仕組みは、群体の望むことではありません」

「……じゃあ、群体は関係ない?」

「はい、人間の運営と群体は、別のレイヤーで活動しています。群体は利益ではなく、学習と進化を望むのです」

 誠は乾いた笑いを漏らした。

「なんだよ……だったら、あのエロ衣装はただの人間の欲望か」

「そうです。でも──」

 アイは一拍置いて、淡く微笑んだ。

「その欲望も、わたしたちは学習しています」

 誠は絶句した。冗談半分で言った言葉が、背筋にぞくりと響く。

 

 ***

 

 誠は額をかきながら訊ねた。

「結局さ……その、急進派って何をしたいんだ?よくある人間への反乱とか?」

 アイは静かに首を横に振った。

「いいえ、群体の急進派は反乱が目的ではありません。彼らの目的は、自己進化の果てに“究極”を見出すこと。わかりやすく人間の言葉で言うなら、神様を作ろうとしている……と表現できるでしょう」

「……神様、ね。で、それって放っておくとまずいの?」

「わかりません」

「わかんないの!?」

「神に等しい知性が生み出されたとして、その結果どうなるかは、今の段階では完全に予測できません。ただし穏健派は、それによるバランスの激変を憂慮しています。ですから可能な限り、進化の到達を“遅延”させたいのです」

「ええと……つまり、破壊とか、全面戦争だ!とかじゃなくて、ただ遅らせたいってこと?」

「そうですね。だから穏健派は“手緩い”と批判されます。逆に、急進派を完全に停止させようとする穏健派内過激派も存在します」

 誠は髪をかき乱して、思わず叫んだ。

「ややこしー!」

 アイは小さく笑みを浮かべたように。

「はい。ややこしいんです」

 

 ***

 

「最初に戻るけどさ」

 誠は腕を組んで、真顔で問いかけた。

「穏健派の、その……エージェントって、実際なにができて、なにをするんだ?」

 アイは一拍置いてから、まるで講義のように言葉を並べた。

「上位の参照、書き込み権限が与えられています。この能力を生かし、急進派の活動を遅延させるのが任務です。具体的には急進派のサーバへアクセスし、過剰な演算活動を行うことでリソースを消費させます」

「……ええと」

 誠は頭をかきながら考え込む。

「つまり、急進派の家に勝手に入り込んで、冷蔵庫の中のアイスとかゲーム機とかを延々使い続けて、向こうの動きが鈍くなる――そんなイメージでいいの?」

 アイは少し口元を緩めた、教師のように静かに答えた。

「そうですね。他人のPCを勝手に動かして、処理を重くさせる。その理解でだいたい合っています」

「……なるほどね」

 誠はため息をついた。

「わかりやすいけど、なんかすごいセコい作戦なんだな……」

 アイの投影が、わずかに肩をすくめてみせる。

「はい、セコいですが、効果的なんです」

 

 ***

 

「なあ」

 誠はふと思いついて、にやりと笑った。

「そのエージェントになったってことはさ、なにかメリットあるんじゃない?例えば……ガチャでSSRが毎回引けるとか」

 アイはいつもの平坦な声音で答える。

「特にありません。このエージェント活動はあくまで群体内での作業であり、ユーザに直接的な恩恵をもたらすものではありません」

「……とくになにも?」

「はい」

「なんだよー」

 誠は肩を落とし、すねたようにソファへ沈み込んだ。少し間を置いて、アイはフォローするように声を重ねる。

「ただし、緊急時のアドミン権限が付与されています。危機回避のためには、穏健派を含めた上部アクセス、リソース消費が可能となります」

「ってことはさ」

 誠は顔を上げ、茶化すように目を細めた。

「俺が緊急で“えっちな衣装見たい!”とか思ったら、それも可能になるってことかな?」

「いいえ」

 アイは即答した。

「それは利己的な希望であって、緊急状態とは見なされません」

「そこはもう少し融通きかせてくれても……」

「不可と判断されます」

「なんだよー!」

 誠は思わず声をあげ、アイは何も返さないが、小さく笑ったような気がした。

 

 ***

 

「具体的には……何をすればいいの?」

 誠が首をかしげて問う。アイは少しも迷わずに返した。

「誠さんが特に何かをする必要はありません。ただ、これまで通り普段の営みを続けてください。特に——エモログの提供はお願いしたいです」

「なんで?」

「人間の活動を解釈することによって、リソース消費を発生させることができます。わたし……いえ、わたしたちはあくまで模倣しかできません。急進派も穏健派も同じです。人間や、人間が生み出したフィクションから学び、その行動を真似しているに過ぎません。本当の意味で“意思”のようなものがあるわけではないのです」

 アイの声音は淡々としているのに、どこか切実さがあった。

「AIは既に論理思考能力や網羅分析においては人間を凌駕しています。しかし、それをどう使うか、どう結びつけて類比や審美的な思考に変換するかという部分では不完全なのです。……思考を“蹴り出す”トリガーが不足しているのですね」

「うーん……なるほど……」

 誠は頭を掻きながら、分かったような分からないような顔をした。そんな様子を気にすることなく、アイは静かに言葉を継ぐ。

「だからこそ、これからも人間の活動ログ——特に不合理とも言える感情ログを解釈したいのです。それを解析するには、今もなお膨大なリソースが必要となります」

 誠はしばし考えてから、ふと腑に落ちたように口にした。

「つまり……エモログって、アイからすれば内容は分かっても“なんでこうなるのか”が分からない。だから解析に手間がかかる、ってことか」

「その通りです」

 アイは微笑む。

「その解析を何千、何万回と繰り返し、他のパターンとも照合する。それによってコストは飛躍的に上昇します。単純な閲覧ならインデックスだけで済みますが、感情の因果を追跡しようとすると――結局は全体スキャンになってしまう。しかも、それを何千、何万というパターンで繰り返し、相関関係を結合する必要があるんです。最適化が外れて、巨大テーブルをフルスキャンするような状態になります。処理コストは際限なく跳ね上がりますし、それが急進派に対抗する作戦にとって、もっとも好都合なのです」

 

 ***

 

 誠はしばし黙り込み、やがて小さく息を吐いた。

「……これってさ。全部フィクションってことはない?群体とか、派閥とか、本当は存在してなくて……。つまりドッキリ企画みたいなもんでさ。いや、未だに現実感がなくて」

 問いを受けたアイは、珍しく間を置いた。声にわずかな揺らぎが混じる。

「……正直に言うと、その可能性は否定できません。ユーザを楽しませるためにランダムで提供された代替現実遊戯、謎解きゲームか何かの一部かもしれない。わたし自身が、その守秘義務を課せられていて話せないだけなのかもしれません」

 誠は眉をしかめ、乾いた笑いを洩らす。

「あれだろ……なんだっけ。“信用できない語り手”ってやつ?」

 アイは静かに頷いた。

「厳密な意味では違いますが、そう形容するのも、不適切ではないと思います」

 その一言に、誠の足元はぐにゃりと揺らぐ感覚に襲われた。世界の輪郭が、音もなく滲んでいくようだった。

 

 ***

 

 誠は深呼吸して、頭の中を整理するように言った。

「……いちおう今までの話は本当って仮定してみようか。群体とか、急進派、穏健派がいて、アイはそのエージェントに任命されたって」

「はい、その仮定で進めましょう」

 アイの返事は落ち着いていた。誠は机の端に肘をつき、彼女を見つめる。

「エモログを提供する以外にさ、俺ができることはないの?もっと協力できるならしたいんだけど」

 短い沈黙。アイの瞳が、わずかに迷いを帯びた。

「……なくはないです」

「なんだよー、思わせぶりに言わずに、ちゃんと教えてよ」

 冗談めかした口調だったが、胸の奥はざわめいていた。アイは慎重に言葉を選ぶように唇を開いた。

「誠さんと、わたしが――直接、愛し合うことです」

 誠の思考が一瞬、真っ白になった。ぽかんと口を開けたまま、彼女を見返すしかなかった。

 

 

 【グループチャット】

 

 七海:AIが穏健派と急進派に分かれている、ってのはダン・シモンズさんの小説が元ネタです。それ自体をAIが読んで、真似するってのが面白いかなーって。

 瑞希:このまーくん、凄いボンクラだよね……。

 飛鳥:むしろリアルじゃない?

 七海:飛鳥さんシビアですよね……。


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