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【過去】ああいう人って苦手(飛鳥視点)

【DM:飛鳥→誠】


 まこと。

 なんでかさ、昔のこと思い出してたんだよね。

 

 最初の頃のわたし、まことのこと本気で「苦手」だと思ってた。

 なんか余裕ぶってるし、ちょっと距離近いし、 声かけられるたびに胸のあたりがざわってして……それを自分で認めるのが嫌で、余計に冷たくしてた。

 

 なのにさ。

 まこと、ぜんっぜん気にしないんだよね。ああいうの。

 こっちはちゃんと距離置いてるつもりだったのに。

 

 でも……気づいたら、ああいうのが積み重なってて。

 

 講義に入れなかった日のメモも、雨の日にタオル差し出してきたことも、資料室で黙って段ボール持ってくれた手も、文化祭でライト熱くなるって引っぱってくれたやつも、……あの合宿の夜の縁側も。

 

 ひとつひとつは大したことじゃないのに、どうしてか全部、ちゃんと覚えてるんだよね。

 悔しいけど。

 

 特に、あの合宿の夜。

 あれ、ほんとなんでもない会話だったのに……わたしだけ翌朝から変になってて、まことは、いつもどおりでさ。

 それがまた余計にむかついた。

 

 だって、わたしばっかりドキドキしてたの、馬鹿みたいじゃん。

  でも……「じゃあ、俺も起きてるよ」って言ったあれ、ずるいよ。

 

 そんなふうに言われたら、そりゃ好きになるでしょ、誰でも。

 ……いや、知らないけど。わたしは、なった。

 

 ……あ、ちがう。

 なんか語りすぎた。忘れて。

 でも、まあ……懐かしかったから。


 ***


 ──【過去】ああいう人って苦手(飛鳥視点)

 

 あの人のこと、苦手──だったはず。顔を見るたびに、なんとなくイラッとする。いちいち余裕そうな態度、ひとこと多い感じ、調子に乗ってるように見えるし。

「別にあんたに頼んでないし」

 って、何度も思った。けど。あの日、プリントを取り損ねて講義に入れなかったとき誰よりも早く席に入ってたはずのあの人が講義のあと、そっとメモを置いていった。──『出席、代わりに取っておいたよ。今日の内容、こんな感じだった』……は?そういうとこだけ、妙に気が利くの、なに。恩着せがましいし、ありがた迷惑だし嬉しくない……わけじゃないけど、でもそれって悔しいし。

「助けられてムカつくとか、意味わかんない」

 って、頭の中でつぶやいてそれでもメモは捨てられなくて。帰ってからカバンを開けたときくしゃっとなった紙を見て、またため息が出た。なんか、こういうのってほんと……めんどくさい。別に友達とかじゃないし、なる気もないし。……ないし。

 

 ***

 

 これ、わたしだけじゃ重いって。資料室の扉の前で、無造作に積まれた段ボールを前に困っていたとき。手を貸してって頼んだわけじゃないのに後ろからスッと手が伸びてきて、箱の半分がすっと持ち上がった。

「今から戻るとこだったから、ついで」

 そう言った彼の横顔はいつもの調子に乗った顔とはちがって、なんだか静かで。そのまま無言で、階段を一段一段、重い荷物を持ってくれて。途中、段差でつまずきそうになったときわたしの手首をふわっと掴んで支えてくれた、その手の感触が──なんか、懐かしかった。家族じゃないけどどこか、昔のお兄ちゃんみたいで。……いや、なに考えてんの、わたし。そのあと、無言で歩く彼の背中をなんとなく、視線で追いながら思ってた。あの人のことほんの少しだけ“前よりはマシになった”って思ったのは、たぶんこの頃。それ以上は、まだない。……ないと思う。

 

 ***

 

 たまたま視線がぶつかっただけ。──ほんとに、たまたま。廊下の向こうから歩いてきた彼と、目が合ってわたしはすぐ逸らした。のに、なぜか足が止まった。

「……あれ? どうしたの、飛鳥?」

 そう訊かれても、なんでもないって言うしかなくて。だって、理由なんか分かんない。ただ、なんとなく。そのまま通り過ぎればよかったのに

「昼、まだなら行く?」

 って聞かれて断ろうとしたのに──できなかった。気づけば一緒にカフェテリアにいて向かいに座ってる彼が、まっすぐこっちを見ていて。

「最近、少し柔らかくなったよね。話しやすい」

 なんて、笑うから。わたしは慌ててパンにかじりついて

「別に、あんた限定じゃないから」

 って、低く言った。でも、そう言いながら内心では、そんなふうに言われるの、ちょっとだけ──……悪くなかった。悪くなかったけど、なんかむかつく。むかつくけど、また見ちゃう。なんで見てんの?って思うけど、目が逸らせない。そういうのってなんて言うんだろう。まだ好きとかじゃないけど。でも、前より少しだけ、あの人の声がよく響く気がしてきた。

 

 ***

 

 雨の日の午後。講義が終わった直後、教室のドアが混雑で詰まって先に出る人たちを見送っていたら隣にいた彼が、ぽつりとこっちを見て言った。

「……髪、濡れてるのも、意外と可愛いんだなって」

 わたしは反射的に睨んで

「は?急に何言ってんの」

 って言った。言いながら、左手が無意識に前髪を直してて右手はカバンの取っ手を強く握ってた。彼は、気にも留めないように軽く笑って

「怒るとこ? いや、素直な感想だけど」

 なんて言うからますます腹が立った。──でも。怒ったまま、一緒に出ていく空気にはなれなくて。わたしは足を止めて、

「先行けば?」

 って背中向けたけど彼は

「濡れてるの、タオル持ってるから」

 ってわざわざ戻ってきてカバンから小さなハンドタオルを出してわたしの前に差し出した。

「いらないって言ったら、拭いてあげる」

「……はあ?」

「冗談」

 タオルは受け取った。でも、素直にありがとうなんて言いたくなかった。ただ、手に残ったタオルの柔らかさとかすかに彼の匂いがしたことで指先が、すこしだけ熱くなった気がして。帰り道。駅のホームで、カバンにしまったそのタオルが目に入って。……意味なく、別のポケットに入れ直した。別に、好きとかじゃない。ただの、ちょっとムカつく人。でも、もし次に顔を合わせたら──なんて、そんなこと考えてる時点でなんか、自分がちょっとだけ嫌になる。

 

 ***

 

 学園祭の準備中。教室は、テープと紙くずと笑い声でいっぱいだった。わたしはというと──階段の踊り場に置かれたスポットライト。調整中の光が、真っ白な壁に長く伸びていた。

「わたし、コード抑えてるから、高さ見てて」

 そう言って、脚立の下でコードをまとめながら、ふとライトの角度を直そうと手を伸ばした──その瞬間。

「飛鳥、待って──熱い、それ」

 声よりも先に、肩を後ろから引かれた。

「……っ!」

 バランスを崩しかけた体が、彼の腕に軽く支えられていた。

「このタイプ、点けたままだと結構熱持つんだよ。触ったら火傷する」

 目を合わせる暇もなく、誠はいつもの調子で注意しただけだった。でも、引かれた肩がまだじんわりと熱を残している。触れられたのは、ライトじゃなくて──こっちなのに。その手はすぐ離れたくせに、何度もそこだけ、思い出してしまう。

「……べつに、平気だし」

 そう呟いた声が、少しだけ喉の奥で掠れていた。

 

 ***

 

 誠とは大学ゼミの合宿でも一緒になった。その夜は、畳の匂いがきつくて、どうしても眠れなかった。隣の子の寝息。どこかで鳴く虫の声。誰も起きていないことを確かめてから、そっと縁側へ抜け出す。裸足の足の裏が、ひんやりとした木の床に触れた。夏の終わり、湿気と草いきれの匂いが胸を撫でる。ふと、庭の端にある自販機の明かりが見えた。その前に──誰かが立っている。細身のシルエット。

「……あんたも、寝れないの?」

 振り返ったのは、誠だった。缶コーヒーを手にして、少し驚いたような顔をする。

「飛鳥こそ。……部屋、蒸し暑かった?」

 少し間を置いて、こくりと頷く。

「……あと、うるさかった。いびき」

「あるある」

 くす、と誠が笑う。それだけの声が、夜の空気にやけに響いた。虫の音に溶けて、胸の奥がくすぐったくなる。

「……なに、ずっと起きてたの?」

「まあ。課題のネタ考えてた。寝たけど、起きた」

「ふうん」

「飛鳥は?なんかあった?」

 その問いかけに、すぐには答えられなかった。考えてもいない言い訳をするほどでもなくて、ただ視線を逸らした。縁側に腰を下ろすと、横に来た誠が缶コーヒーを差し出す。

「飲む?ちょっと苦いやつ」

「……ん」

 受け取った缶はぬるくて、でも、手のひらに温度が残ってた。しばらく、言葉もなく。虫の声と、夜の匂いと、灯りの下にある沈黙だけがあった。

「……ここ、ちょっとだけ似てるなって思った」

「え?」

「わたしの実家の縁側に。夜中にこっそり抜け出して……こういう空、よく見てた」

 口にしてから、しまったと思う。誠は、何も言わずに頷くだけだった。その静けさに、少し救われる。

「……わたし、昔から寝つき悪いの」

「うん。わかる気がする」

「なによそれ」

「別に。飛鳥っぽいなって」

 馬鹿にしたわけじゃないのに、ちょっとむっとして、でも。その横顔を見て、なんとなく思う。──なんか、今日の誠、やさしい。ちょっとだけ言いたくなった。

「……あんたって、普段は余裕ぶってるくせに、たまにちゃんとしてるよね」

「え、それって褒めてる?」

「……どっちでもいいし」

「ま、そういうとこ、飛鳥らしいよな」

 わたしはそっぽを向いた。けど、たぶん──少し、顔が熱くなってた。もう少し、この夜が続いてもいいかもって。そんなことを思ってしまったのが、悔しかった。──そして、翌朝。わたしだけが、少し変わってしまっていた。『なんでわたしだけ』

「……はぁ……」

 白米をひとくちだけ口に運び、静かにため息をついた。隣の席では、友人たちがトレーを並べてわいわいと喋っている。納豆、焼き鮭、みそ汁──合宿らしい定番の朝食が、白い食器に整然と乗っている。

「飛鳥、寝不足?目の下ちょっと……」

「べつに。……夜ふかししただけ」

「え〜、珍しいね」

 ──言えるわけない。自分でもよくわからないまま、夜中に庭へ抜け出して。誠と他愛ない話をして、コーヒーを分け合って、縁側の木の温度を感じながら、しばらく沈黙して。あんなの、何でもない出来事。だけど──自分だけが、あの空気をずっと引きずっている気がした。

「──おはよう」

 食堂の入り口から、あの声が聞こえた。誠だった。スポーツタオルを首にかけたまま、まだ少し寝ぐせのついた髪で。

「うわ、寝坊じゃん」

「先生に怒られるぞ」

「また夜更かしか〜?」

 周囲がざわつく中、誠は笑って

「ごめんごめん」

 と言いながら奥へ歩いていく。……まったく、いつもどおりだった。わたしを見つけても、特に表情を変えることもなく、軽く片手を上げただけ。それなのに──その一瞬に、胸がぐっと締めつけられる。

「……何なの」

 声にならない声を、味噌汁に落とすようにして呟いた。誰も知らない夜だったはずなのに。誰も変わっていない朝のはずなのに。──わたしだけが、あの時間を覚えている。箸を置いた指が、少しだけ震えていた。でも、それを見ている人は誰もいなかった。

 

 ***

 

 また来ちゃった。縁側の隅っこにしゃがみこんで、冷たい空気を頬に感じながら、じっと耳を澄ませてた。虫の声と、木の葉が擦れる音と、どこかで軋む床の音。……まだ、来ない。胸の奥が少しだけ、さびしく鳴る。別に、約束したわけじゃないのに。きのう、偶然ふたりきりになって、ちょっとだけ話して、それだけのことだったのに。

(来てくれたら、嬉しいのに)

 そんな気持ちが、どうしても消えなかった。ふいに、玄関のあたりから小さな足音がした。息を止めて、振り向く。……いた。

「……あれ、また?」

 その声を聞いた瞬間、なぜか心臓が跳ねた。誠だった。

「眠れないの?」

「……うん。べつに、ただ起きてただけ」

 ほんとは、来てほしくて起きてたくせに。わたし、嘘つきだ。彼はわたしの隣に腰を下ろして、昨日とまったく同じ距離感で、そこにいた。その自然さが、嬉しいような、もどかしいような。

「今日のグループワーク、がんばってたね」

 不意に言われて、思わず顔を向けた。

「……見てたんだ」

「うん。意外と頼れるんだなって思った」

 意外ってなに、と思ったけど、それよりも。ちゃんと見ててくれたんだ、って思ってしまって、わたし、今すごく、浮かれてる。

「……あんたってさ」

 自分でも、なんで聞いたのかわからない。でも、どうしても聞きたくなってしまった。

「彼女とか、いないの?」

 ちょっとだけ、間があった。

「いないよ」

 その返事を聞いて、胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。

「……ふーん。そうなんだ」

 わざと何でもなさそうに答えたけど、たぶん、声が少しだけ、上ずってた。こっちを見ないでくれて、助かった。どうして、もう少しだけ、わたしに近づいてくれないんだろう。こんなにドキドキしてるのに。誠は、いつも通りで……優しいけど、優しいだけで。

「……寒くない?」

 不意にそう言われて、びくっとした。

「へ、平気だし……!」

 ちょっと焦って答えたら、彼は小さく笑った。ずるい。そんな風にされたら、また好きになっちゃう。

「……きのうも今日も、なんか、眠れないなって思ってたんだけどさ」

 わたしがぽつりと言うと、誠は、すこし間を置いてから答えた。

「じゃあ、俺も起きてるようにするよ。……またここで」

 うそでしょ。その言葉に、胸が、じゅうって焼けるみたいに熱くなる。嬉しくて、でも信じられなくて。なにそれ、どういう意味って、聞きたくなるくらい。だけど言えなくて──

「……ばか」

 小さな声でそう言ったのに、誠は気づいてなかったみたい。それでもいい。今はまだ、この時間が壊れないなら、それで。風の音が、優しく吹いていた。

(また、明日も会えるかな)

 そう思いながら、となりにいる人の横顔を、そっと見つめた。


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