15
「……」
「私たちが、あの子たちと似ているってことはわかります。……でも、だからって、そんな幽霊でも見たような顔をするのは、やめてくれませんか」
それまで保たれていた平穏な空気に、ぴしりと亀裂が入った。父は突如として喉を詰まらせたのか、激しく咳き込み始めた。顔が張り裂けそうなほど真っ赤になる。父は椅子から立ち上がり、シンクの前まで行くと、胸を叩きながらしばらくの間、苦しげに咳き込んだ。
母が慌てて駆け寄り、「大丈夫?」と水を差し出す。父はそれを受け取るなり、一気に飲み干した。
ようやく落ち着いたのか、顔の赤みが引き、咳も止まった。父はシンクに向かって長く重いため息を吐いた後、食卓へと戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
芽生が、心配というよりはどこか冷ややかな、情けないと言いたげな口調で尋ねた。父は幾度も頷いた。
「……ああ、もう大丈夫。ちなみに……」
父はまだ咳の余波が残っているのか、しばらく胸に手を当てて黙っていた。やがて、静かに言葉を継いだ。
「俺が怖がっていたのは、君たちじゃない」
「じゃあ、何なんですか?」
芽生が問い返すと、父はしばらく躊躇った末に手を離し、答えた。
「昨日、君たちを初めて見て……圧倒されてしまったんだ。あの子たちとの思い出が押し寄せてきて……身動きが取れなくなるほどだった。そこで気づいたんだ。自分はまだ、あの子たちとちゃんとお別れができていなかったんだな、と」
父は低いため息を漏らした。その瞬間、彼が十歳ほど老け込んだように見えた。父は独白を続ける。
「それが怖かった。七年という歳月では、まるで足りなかったという事実が。このままずっと、あの子たちを忘れることができないのではないかと思うと……。忘れたくはないが、もう忘れなければならないから。……ああ、もちろんすべてを消し去りたいという意味じゃない。言いたいこと、わかるかな」
「……はい」
蒼大が先に答え、芽生も頷きながら言った。
「よく、わかります」
「だから……」
父は締めくくった。
「君たちが怖かったんじゃない。君たちを通して、芽生と蒼大を見ようとする自分自身が、怖かっただけ。誤解させてすまなかった」
「へえ……」
母が、意外そうな表情で父を見つめた。
「お父さんが、本音を言うこともあるのね」
「まあな。妙に口が軽くなってしまった。まるで……」
父は芽生と蒼大を見やり、冗談混じりの口調で答えた。
「本当に、幽霊にでも取り憑かれたような気分だよ」
食卓に、軽い笑いが浮かんだ。父も微かに微笑み、止まっていた食事の手が再び動き出す。
「じゃあ、こうしたらどうかしら?」
ふと、母が提案した。
「いっそのこと、この子たちに『取り憑かれて』しまいましょう」
他の四人が、同時に母を見つめた。全員の困惑を代弁するように、父が訊ねる。
「……どういう意味だ?」
「蒼大と芽生への思いを、ハルちゃんとアキちゃんにそのまま重ね合わせるの。そうして、あの子たちの不在を塗りつぶしてしまう。……ねえ、どうかしら?」
「お母さん……」父がわずかに眉をひそめた。「また酔ったのか?」
「違うわよ。一口も飲んでない。私は本気で言っているの。ねえ、考えてみて」
母は両手を広げ、食卓に並んだご馳走を誇示するようなジェスチャーをして見せた。
「もし蒼大と芽生が今まで生きていたら、まさにこんな感じだったはずだと思わない?」
一同が沈黙すると、母は声を弾ませた。
「ほら、家族五人が揃っているみたい。何の違和感もないわ」
父は、幻滅か哀れみか判然としない複雑な表情で母を凝視し、ぶっきらぼうに言った。
「ばかげたことを言うな。みんな戸惑ってるだろ」
「いいですね!」芽生が唐突に割って入った。「亡くなった人への思いを、見た目の似た人にかぶせる……。私は、すごくいいアイデアだと思います。そう思わない? お兄ちゃん」
「あ、ああ……。えっ?」
蒼大の曖昧な反応を無視して、芽生は言葉を重ねた。
「そうでなくても、このまま居座ってばかりいるのは申し訳ないと思っていたので、ちょうどよかったです。そうやって利用してもらえるなら、私たちの気持ちもずっと楽になります。ぜひ、思う存分使ってください」
「本当? ありがとう、アキちゃん」母は勢いづいて父に詰め寄った。「お父さんはどう? ほら、お互いの利害も一致したじゃない」
「……」
父が押し黙ると、母は真剣な顔つきになった。
「お父さん、さっき言ったでしょ? あの子たちとはもうお別れしたいって。ならこの機に試してみましょうよ。何もしないまま耐えるのはやめて、少し無理をしてでも変化を取り入れた方がいいと思わない?」
「かぶせるったって……」父が抗うような口調で訊く。「どうしろと言うんだ」
それは方法を問うたのではなく、「ふざけるな」という非難の意味であることは明白だった。にもかかわらず、芽生はあえて空気を読まず、正面突破を試みた。
「まずは『呼び方』から始めるのはどうですか?」
今度は全員の視線が芽生に集まった。彼女は堂々と言い切る。
「例えば……おじさん、おばさんではなく、これからは『お父さん』『お母さん』と呼ぶ、とか」
「それいいわね!」母が目を見開いて相槌を打った。「ええ、そうしましょう」
「しかし……」
父が口を開きかける前に、母が畳みかけた。
「ただの愛称みたいなものよ。実を言うと、私も『おばさん』と呼ばれるのは気に入らなかったの。そう呼ぶようにさせてあげましょうよ。深く考えずに、軽い気持ちで」
それでも父は、依然として承服しかねる様子だった。そこで芽生は、不意を突くように言い放った。
「お父さん」
茶目っ気のない、普段から父を呼ぶときと同じ、あまりに自然な口調。事実上の実父でもあるため、芽生にとっては少しの違和感もなかった。
「お父さん。どうですか? 嫌ですか?」
視線が再び父へと移る。父の顔には、もはや感情を読み取ることすらできない無表情だけが浮かんでいた。彼は母をちらりと見やり、やがて力ない声で答えた。
「……好きにしろ」
許可というよりは、諦めに近い返答だった。一方、母はすっかり浮き足立った顔で芽生にねだった。
「私にも呼んでくれる?」
「お母さん」
芽生が快く応じると、母は蒼大にも同じことを頼んだ。蒼大も「お母さん」と呼ぶ。母はうっとりとした表情で呟いた。
「……あまりにも自然に聞こえる。本来の、五人家族の姿に戻ってきたみたい」
本来の五人家族。
その言葉が、リビングにこだまのように響いた。少なくとも芽生には、そう聞こえた。
彼女は二人の兄と視線を交わした。あえて言葉にしなくてもわかった。悠人も蒼大も、芽生と同じことを考えているに違いなかった。
――あとは、本物の家族になること。それだけだ。




