4の魔法 戦え、私の未来のために
☆
正直、我が目を疑った。
たぶん目は点になっていた。
私が目にしたもの。それは──
一匹の、ネコ。
土手の上の道。
白いネコが歩いている。
こちらへ向かっている。
……いやまぁネコはいい。
あいやどうでもいいことはないんだけど、これはこれで大事なファクターに違いないのだけれど、肝心なのはそこじゃない。何やらエンブレムみたいなものがついたちょっと変わった首輪をしてるけど、別に何がどうってわけでもない。恐らくはただのネコだ。特に珍しいものでも驚くようなことでもない。
問題なのは……その動線上。
彼が歩み進んだその先。そこの土手を下って……川原近くの草むらの陰。
蠢くものがある。
気のせいか?
一瞬そう思った。
目の錯覚か?いや錯覚であってくれ。
だけど──
……あダメだ。
今度こそはっきり見えちゃった。
やっぱり間違いない。
ほんの小さな、
うねうねと細長い、糸くずかミミズか何かみたいな、
そこに細い足みたいなものがいくつも生えた、
真っ黒いもの。
知ってる。
それが何なのか。
──“悪夢のタネ”。
それが正式な名称なのかは知らない。私たちがそう呼んでいたもの。
悪夢使いたちがこの世界にバラまいた、悪夢と災いと……その他諸々やっかいごとを生み出す、まさしく文字通りの種子。
たぶん生き物だ。どれくらい自我や意思があるのかは判らないけど。
こいつは他の生き物──人間や動物の気配を察知しそれに近づいて……取りつく。
寄生する。
悪夢のタネに取りつかれた相手は、心に悪夢を宿す。いわゆるマイナスエネルギーというか邪な負の感情というか、要するに良からぬものが心に湧き出すようになる。
そして凶暴になったり卑劣になったり悪質になったり……要するに周囲に対して迷惑を及ぼす、困った存在になる。
さらにそいつは、そうして周りから生まれたマイナスのパワーを喰らって、成長していく。
そしてやがて……完全に成長しきったタネは、宿主を支配し、変貌する。
ワルユメデスと呼ばれる怪人と化す。
とてもよく知ってる。
この1年間、私がさんざん戦ってきた相手だ。
かれこれもう何体ブチのめしたことか。
……誤解のないように一応言っておくけど、もちろんブチのめしたのは怪人化したタネであって、取りつかれた宿主の方はちゃんと無事である──無事だったはずである。倒して元の姿に戻った人を何人も見たけど、明らかにやっちまった的なヒドい顔になってたりはしなかったはずだ。
確か。たぶん。
全員をちゃんとチェックしたわけじゃないから断言はしかねるけども。
既に悪夢の一派は倒したわけだけど、彼らが無作為かつ大量にバラまいたこのタネまで全て回収することは不可能だった。
そりゃそうだ。そもそも数がとんでもない上に総数も不明だし、ちょっと物陰に隠れようものなら気づくことすら難しくなる代物である。全回収なんて最初からどだい無理な話なのだ。
だったらマズいじゃないか、何も解決なんてしてないじゃないか。平和な最終回なんてまだまだ先の話だろ、なんて思うかもしれないけど……
これが案外そうでもない。
今はざっくりシンプルに説明したけど、実は悪夢のタネが成長するにはものすごく時間がかかる……らしい。周りに迷惑をかけながら、そこに生まれた負のエネルギーを少しずつ、少しずつ喰らって成長していくので。
しかもタネ自体はかなり弱い……って聞いた。完全に成長しきる前に力尽きてしまったり、ちょっと強い衝撃を受けただけで宿主から分離してしまったりもするみたいだ。
悪夢使いたちは、タネに悪夢エネルギーを与えて一気に急成長させる不思議な力を持っていた。だからこそ、毎週のようにこんな怪人なんてものを生み出すことができていたわけだ。何てご都合主義──あいや、便利なもんである。
くらやみ魔女も悪夢使いもいなくなった今、悪夢のタネが放っておいて自然に生き物をワルユメデスにまで成長させる、なんてことは……たぶんほぼほぼあり得ないと思う。
まぁもちろん、完全成長しなくたって十分に迷惑な存在には違いないのだが、そもそも人間って奴はそれほど善良な存在でもないわけで。タネが宿ろうと宿るまいと、周囲に害を及ぼす迷惑なものなんていくらでもいる。それが何人か増えたり減ったりしたところで、別に世の中が突然滅びたり平和になったりするわけじゃない。
いずれにせよ、魔法少女の力が必要ってほどの話ではない。
コンビニ前の酔っ払い相手に、なんとかレンジャーだのなんとかライダーだのがわざわざ出動したりはしないのと同じ理屈だ。
やはり戦いは終わっているのである。
魔法少女の物語は、ここで最終回を迎えて何の問題もないのである。
ただし──
それはあくまで理屈の上でのお話で。
実際に、この悪夢のタネが、目の前で生き物に取りつく場面なんてものを、
生真面目な上に話まで長いこのプルルさんが目にしちゃったりなんかしたら、
さて、どうなるか。
『──やっぱりダメだ』
『ボクはまだ帰るわけにはいかないよ』
『ルリちゃん。もう少しだけ、ボクに力を貸してほしい』
『さぁいくよ。変身だ!』
……うわ。
言いそう。すごく言いそう。
そうなったらおしまいである。
エンディング目前まできて、栄光に満ちた私の未来は一瞬でパーである。
気づかれてはいけない。
絶対に。
「──ボクはてっきり、キミがもうあきらめてしまったんじゃないかと思ったんだ。だけどそうじゃなかった」
幸いなことに、当のプルルは今なお想い出にどっぷりひたりまくっている。
背後で──しかもちょっと離れた場所で起きているこの光景に気づく、なんて可能性はほとんどない。
私が黙ってさえいれば。
問題は……ネコだ。
そう。ここであいつの存在がカギになってくる。
悪夢のタネがあのネコの存在に気づき、近づいて取りついたとしたら──
その瞬間、ある種の魔法的なパワーが発生する。
“アクム反応”と私たちは呼んでいた。
そのアクム反応が起きたとしたら──
たぶんプルルは気づく。
気づいて後ろを振り返る。
そして目にする。悪夢のタネが一匹のネコに取りついた、その光景を。
そして──
『ルリちゃん、大変だ!』
大変だ。
絶対ダメだ。大問題だ。
絶対に阻止しなければならない。
絶対に。
「まさかキミの本当の狙いが──」
だが。
困ったことに、それが判っていながら、私にはどうすることもできない。
行動どころか何のリアクションも起こすことが許されない。そんなことすれば、気づいてくれと言ってるようなものである。
黙って見守るしかないのだ。
何とか、
全てが無事に、
何事もなく終わってくれることを期待し、ただただ祈るほかない。
可能性は2つ。
① 悪夢のタネがネコに気づかず、あるいは無視してどこかへ行ってしまう。
いずれまたどこかで何かに取りつく可能性はあるけど、その頃にはプルルもランドセルもとっくに魔法の国だ。彼らがいなくなった後ならば、何のタネがどこの誰に寄生しようと何の問題もない。
② タネに取りつかれる前に、ネコがどこかへ行ってしまう。
これも同じことだ。パッと見たところ人気もないので、ネコさえいなくなればこの場に生き物なんて私たちくらいである。もちろん私がタネに取りつかれるなんてヘマをするはずはないし、いずれ他の何かが来る可能性はあるけれど、その頃にはプルルもランドセルも以下略。
要するに。
今ここで、あのネコと、あの悪夢をタネとが、接触さえしなければいい。
それだけでいい。
逆に、接触したらその瞬間アウトである。
祈るしかない。
奇跡を。
ミラクルを。
さぁ──どうだっ?
「ボクはルリちゃんを甘く見ていたのかもしれない。キミはやっぱり本当は──」
──ネコは?
歩いている。のんびりこっちに向かってきている。平和な顔してホントまぁ。
来なくていいのに。
いや来ないでくれ。こっちには何もないから。どっか行ってくれ。頼む。
──タネの方は。
うねうねと動いている。
ネコには……まだ気づいてないっぽい。
いいぞその調子だ。そのまま気づくな。
何もいないから。
ネコなんていないから。
……あ。
今、一瞬ピクッてなった。
うねうねとゆっくり動き出す。
気づいたっぽい。
何で気づくかなお前はもう。
ネコはっ?
……気づいてない。のほほんと歩いてる。
お前は気づけよっ!
危機だ危機。今お前に危機が迫っている。
逃げていい。お前にはその資格がある。
逃げよう。いや逃げて。
早くっ。
ネコ立ち止まった。
……座り込む。
軽くあくびなんかしてる。
ふわあぁ、じゃない!
のんびりしてるな。急げ早くっ。
タネはっ?
動いてる。少しずつ近づいている。
お前は気づくなよっ。
気づかなくていい。無視しろ無視。
今からだって間に合う。全然遅くない。
気のせいだ気のせい。全部お前のカン違い。
ネコなんていないってば。
いないってのに。
ネコはっ?
……寝るんじゃないっ。
ここで寝るんじゃない。いつどこでどう寝ようとお前の勝手だけど、今ここでだけは寝るんじゃない。どっか行ってからにしろっ。
そんな眠いなら寝とけよな昨夜のうちにもっとっ。ネコだろうが。時間なんていくらだってあったろうが。山ほど持ってるだろうが。
時間はもっと有効に使わないと。
時は金と同じだぞ。
タイムイズマネー!
タネはどうしたっ。
……あぁもう。近づいてるよどんどん。
来るな来るな来るな。
人の話を聞けよ少しはっ。ネコなんていないって言ってるだろ。
百歩譲ってネコがいたとして、何も今それ狙わなくたっていいじゃないか。
もっと良さげな相手がいくらだっていると思うぞ。よく探せ。他に何もないからって、目の前の獲物に安易に飛びつくんじゃない。ちゃんと考えろよ。慌てるなんとかチューバーはいいねが少ないって、偉い人も言ってたぞ。よくないぞそういうとこっ!
ネコっ!
あ。起きたっぽい。いいぞ。
それでいい。あとはそのままとっとと急いでどっか行ってくれ。早く。
……のんびり道端の雑草なんて眺めてんじゃないっ。
面白くも何ともないからなそんなもん見たって。食べられもしないから。
もっと他のどっかに行けば、何かもっと面白いものがあるから。世の中面白いものだらけだぞ。この世はきっとワンダフルだ。たぶん。知らんけど。
タネはっ?
お前はもう少し、遠回りとかしていいんじゃないかな。そういうの覚えろよ。
もしくはいったん止まれ。休憩。人間働きづめはよくない。休みが必要だぞ。
動くなだからもう。
そっち行くなって。
行くなよ。
ネコはっ?
お前は早くどっか行けってのっ!
危機感が足りない。
自覚しろ。お前に生命のピンチが迫ってるんだよ。絶体絶命なんだよっ。
……いやまぁ別に死ぬわけじゃないんだけど、それくらいの気持ちで対しろって話だ。
常に命がけで生きろよ。
ネコだろうが仮にも。
野生動物の端くれじゃないのか。
意地を見せてみろっ。
タネはっ。
どんどん近づいている。
あわてるな。落ち着け。
いいかげん止まれっ。
ネコはっ。
相変わらずのほほんとしてる。
落ち着くんじゃないよ。
お前はあわてろっ!
早くしろ。早く。
早くっ!!!
近づいていく悪夢のタネ。
近づいてくるネコ。
私の心の叫びはまったく届かない。
全然聞きゃしない。
まったくこいつらはホントにもうっ。
両者の距離はどんどん近くなる。
「ルリちゃんは他にもたとえば──」
プルルが話を終えて帰る様子もない。
時間がない。
もう本当に時間の問題だ。
このままでは──最悪の事態が訪れる。
どうする。
どうする?
どうするっっ?
私は──
意を決した。
こうなったら……イチかバチかだ。




