ぎこちない笑顔
いつからだろう。お姉ちゃんのことを「紗綾お姉ちゃん」と呼ばなくなったのは。もしかしたら、Marching Little Monsterが動き始めてからかもしれない。
文化祭でのライブは無事成功し、私が理央ちゃんに海に沈められることはなかった。その後で、市内でライブハウスを経営している花さんから声をかけられ、ライブイベントなんかにちょくちょく出させてもらえるようになった。でも、ライブの予定はそうそう入らない。
「はあ、ダメだ。ライブしたい……」
「二週間前にやったばっかでしょ」
「次の予定は?」
「まだ未定」
「やーだー。足りないよぉ」
「また出たね、真綾ちゃんの禁断症状」
机に突っ伏して駄々をこねる私を、花凛ちゃんは苦笑しながら、理央ちゃんはため息をつきながら見つめる。二人が呆れるのも仕方のないことで、ライブが終わってからずっと私は「ライブがしたい」と駄々をこねていた。
早く紗綾お姉ちゃんに会いたい。笑ってる紗綾お姉ちゃんに。みんなでバンド活動している時だけは、東京でのことを忘れていられた。歌っている間だけは、純粋に紗綾お姉ちゃんのことだけ考えることができた。
麻薬のような中毒性。ひとときの安らぎと快楽。今思えば、私は音楽に逃げていたんだと思う。その間だけは、嫌な現実から目を逸らすことができていたから。だから、少しでも間が空いてしまうと不安になる。禁断症状が出る。早く逃げたいと。
「ねえ、理央ちゃん。花さんに頼んでさ、ライブ入れてもらおうよぉ」
「バカか、お前は。私達だけでライブハウス満杯にできるならまだしも、結成したばかりの殻付きのヒヨコが単独ライブしたって大赤字だっつの」
「花さん企画ならいいじゃん」
「なおさら悪いわ! 客入らなくてごめんなさい、じゃ済まされないんだから」
「あ、あのぉ……」
「じゃあ、路上ライブやろうよ。そしたらお金かかんないでしょ」
「こんなとこでライブしたって、見てるのは鹿か猪くらいよ」
「あ、あのね……」
「じゃあ、市街でやればいいじゃん」
「誰が楽器やアンプその他一式持って行くの。それに、あれ一応違法行為だからね。私は嫌よ」
「理央ちゃんのケチ、堅物、音痴!」
「誰が音痴だぁ!」
「二人とも聞いて……っ」
『なにっ?』
私の胸倉を掴んで殴ろうとしている理央ちゃんと、それを防ごうとする私が、同時に花凛ちゃんに鋭い視線を向ける。花凛ちゃんはというと、あまりの二人の剣幕に、「ひっ」と小さく叫んで怯える小動物のように両腕で顔と頭を隠してしまった。それを見て、私達二人の頭に上った血が徐々に落ちていく。
「あー、ごめん。べつに花凛に怒ってるわけじゃないから」
「そうそう。怯えさせちゃってごめんね。それで、何か話したそうだったけど、なに?」
優しくなった私達の声音を聞いて、花凛ちゃんがそろりとその両腕を下ろす。そして、落ち着かなげにその手を動かし始めた。
「あのね、母の知り合いに福祉関係で働いてる人がいて。ボランティアをしたい人に、ボランティア先を紹介したりしてるんだって」
「へえ、ボランティアね。それで?」
「母がその人にマチモンのこと話したら、興味持ってくれたみたいで。私達さえよければ、施設やイベントなんかで歌を歌ってみないかって」
「本当っ?」
「でも、ライブハウスとかじゃなくて高齢者施設とかそういう所でだから」
「ライブとはちょっと違ってくるよね」
「でも、私やりたい!」
勢いよく立ち上がると、私は気持ちを拳に込めて力強く握った。
「場所なんて関係ない。観客が誰でもかまわない。この三人で演奏がしたい。私達の奏でる歌を、音楽を、少しでもいいから聴いてくれる人達のために歌いたい」
「真綾……」
「歌う場所が無いんなら、自分達で作ればいいんだよ」
「……なんか、真綾ちゃんらしいね」
「ダメかな?」
すがるような気持ちで、リーダーの理央ちゃんを見る。理央ちゃんは私を見つめた後、微笑む花凛ちゃんを一瞥し、そして仕方ないなという風に笑った。
「真綾には負けたよ。そんな風に言われたら断れないじゃない」
「やったー! 理央ちゃん愛してるー」
「バカ、やめろ、くっつくな!」
「じゃあ、オッケーってことで伝えとくね」
「花凛ちゃん、よろしくー」
やった、これで歌える。三人で音楽ができる。練習している時は現れない紗綾お姉ちゃんも、聴いてくれる誰かがいるなら顔を見せてくれるに違いない。だったら、私には歌う場所なんて関係ないんだ。
実際、私のその読みは当たった。高齢者施設で歌ってみても、子ども達の前で歌ってみても、紗綾お姉ちゃんはいつも笑顔で現れてくれた。そうして活動していくうちに、私達のことを噂で聞いた町内の人達からもお声がかかるようになって。夏は夏祭り、秋は収穫祭、そして冬は自分達で企画した、子ども向けのクリスマス会をした。幼児から小学生までが地域の公民館に集まり、一緒にクリスマスソングを歌って過ごす。子どもからも大人からも大好評だった。
その間も、花凛ちゃんのお母さんの知り合いさんが市の中心部にも話を持っていってくれたらしく、市内あちこちの施設や小さなイベントにも顔を出すようになり、土日はおろか夏休みや冬休みまでもが予定でいっぱい。いつの間にか私達は歌う場所に困らなくなっていた。
「はあ、楽しいねえ。理央ちゃん、花凛ちゃん」
「真綾、あんたは幸せそうでいいわね。この疲れ知らず」
「理央ちゃんは、相手側との連絡交渉を全部してくれてるからしんどいよね」
「私が代わりにやろうか?」
「あんたや花凛に任せたら、とんでもないことになりそうだからいい」
「なんかごめんね、役立たずで」
「ち、違っ……! そういう意味で言ったんじゃなくて。これはリーダーの仕事だから、二人は気にしなくていいの」
「理央ちゃんさ、なんか花凛ちゃんに甘くない?」
「あんたはバカだから、それなりの対応をしてるだけよ」
「理央ちゃん、ひどい!」
私と理央ちゃんのやりとりを見て、花凛ちゃんが可笑しそうに笑う。忙しくても、疲れていても、マチモンのいつもの光景。それが嬉しくてホッとする。
「でも、ありがたいね。こうして必要とされるのって。私、今までこういう経験なかったから、なんか嬉しい」
そう言って、花凛ちゃんがふふふっと笑う。その後で、少し寂しそうな顔をした。
「私、人見知りで内気だから。今まで友達とかできなくてずっと一人だったの。だから、今こうしてみんなとバンドできてるのが嬉しい」
「私もこのキツい性格が災いして、前のバンドメンバーとも距離あったからなぁ。それを思うと、今はありのままの自分を受け入れてもらえてるから、一緒にいて楽しい」
「へえ、みんな色々あるんだね」
「真綾だってそうでしょ。そういえば、あんたの東京での話、聞いたことないわね」
「え?」
「東京でもそんな風だったの?」
二人にそう聞かれ、咄嗟には何も答えられなかった。
東京での私。それは今の私とはあまりにもかけ離れていて。もし二人に私の過去を話したら、いったいどんな反応をするだろうか。冗談でしょ、と笑ってあしらわれるだろうか。それとも、軽蔑されるだろうか。どちらにしても、マチモンに自分の過去を持ち出すのは、何故かひどく嫌だった。
「そうだね、あんま変わんないかも」
「やっぱりね」
「真綾ちゃんらしい」
ぎこちない私の笑顔に、二人は気付かない。そんな様子が心に痛かった。




