音楽との出会い
「よし、じゃあいっそみんなであっちに移り住むか」
そんな父の号令で、お姉ちゃんが他県の高校に合格したタイミングで一家もろとも田舎の祖父母がいる県に引っ越した。私のせいで桜明女学園には居づらくなっていたし、ご近所でも噂になっていて住みづらくなっていたから。祖父母との同居は断られたらしいので、せめてもと同じ市内に移り住み、私達大塚家は再スタートを切ることになった。
「通学に一時間以上かかるとか、マジでありえない。しかも電車が……汽車が一時間に一本とか、乗り遅れたら終わりかよ。マジでありえない」
「なんか大変だね」
「真綾はいいよね、近くの中学校で」
「……ごめん、私のせいで」
私が素直に謝ると、お姉ちゃんはじっと私を見つめた。そして、私の頭をくしゃりと撫でる。
「あんたが謝る必要ないでしょ。ここを選んだのは私なんだから。確かに市内の外れのど田舎にある高校だけど、それくらい静かでのどかな方が、たぶん私には合ってるよ」
「でも、桜明女学園は……」
「あー、それはもういいの。ここからだっていい大学に行けないわけじゃないし。ようは本人のやる気次第だから」
「でも……」
「でもでも、うるさい」
そう言うと、お姉ちゃんは私の両頬をつねった。
「いたい、いたいーっ」
「ほら、あんたもそろそろ支度しな。いくら近いからって、のんびりしてると遅刻するよ。転校初日に遅刻とか、教師の印象最悪だからね」
そうは言われても、まだ早朝と呼ばれる時間帯で。桜明にいた時はまだ寝ていた時間だ。お姉ちゃんはこれから毎日、こんな朝早くに家を出ないといけなくなってしまった。
「おっと、そろそろ行かないと遅刻する」
お姉ちゃんは腕時計に視線を落とすと、靴を履いて立ち上がる。しかし、「あ、そうだ」と言って何かを思い出し、ポケットからリストバンドを一つ取り出して私に手渡した。
「お姉ちゃん、これって……」
「これなら、左手首の傷隠せるでしょ。せっかく知り合いのいない所に来たんだし、無駄に騒がれても面倒くさいし。つーことで、じゃ、いってきます」
「あ、ありがとうっ……いってらっしゃい」
パジャマのまま手を振ると、静かに玄関の扉は閉められた。それを確認して、私はリストバンドを握りしめつつその場にしゃがみ込んだ。
お姉ちゃんは謝る必要ないって言ってくれたけど。そんなはずはない。だって、あんなに嫌がってた養子になるたった一つの条件が、桜明女学園に行かせることだったのに。それくらい、お姉ちゃんの中で重要だった桜明を、私は自分のワガママで奪ってしまった。お前のせいだと罵ってもいいはずなのに、お姉ちゃんは愚痴ることはあっても怒ることはしない。そんな優しさが、逆に私には辛かった。
「ちょうど入学式のタイミングで転校できて良かったわね」
「はあ、まあ」
「三年生からのスタートだから、馴染むまでちょっと大変かもしれないけれど。みんな良い子達だから、すぐに溶け込めると思うわ」
「そうですか」
転校初日。クラス担任と廊下を歩きながら、私は適当に相槌を打っていた。今さら誰かと仲良くするつもりはない。ただ、お姉ちゃんがここにいない分、桜明にいた時ほどの険な気持ちは湧いてこなかった。
「そうだ、部活紹介見ていく? 今新入生向けに体育館でやってるはずだから」
「はあ」
どうせあと数ヶ月で部活は引退になるけれど、この学校自体が部活強制らしいので、とりあえず何かに所属はしないといけないらしい。案内された体育館の隅に座りながら、私はステージ上で繰り広げられている部活紹介を、ただぼんやりと眺めていた。
「部活なんて……」
空虚な時間だった。紗綾お姉ちゃんが事故に遭ってから、部屋に引きこもっていたあの時と同じ。何もする気が起きず、ただ砂のように無意味に流れ落ちていくだけの時間。無機質な景色、感情を失った世界。
私は何をやっているんだろう。お姉ちゃんの自由を奪って、私から逃げられるチャンスまで潰して、そして束縛して。お姉ちゃんに紗綾お姉ちゃんを押し付けたまま、私自身は何も変わろうともしないで、ただ生きていて。
これで本当にいいんだろうか。もし紗綾お姉ちゃんが今の私を見たら、どんな顔をするだろう。仕方ないなって笑ってくれるだろうか。それとも、それはダメだよと泣いてしまうだろうか。今の私には、夢に出てくる泣いている紗綾お姉ちゃんしか見えない。
「紗綾お姉ちゃん……」
私はこれからどうしたらいい? どうしたら、紗綾お姉ちゃんは喜んでくれる?
返ってくるはずのない問いかけに、透明な雫が目に溜まっていく。
そんな絶望しかけた時に出会ったのが、音楽だった。
「なに、これ……」
目の前で繰り広げられる、バンドパフォーマンス。歌が、音が、リズムが、そのすべてが鮮やかに私の心を奪っていく。周りの景色が色付き始め、死にかけていた感情が一気に息を吹き返す。そのたった一瞬で、私の世界は躍動を始めた。こんな感覚は初めてだった。
「私達は、軽音同好会です。本気でバンド活動する気のある人だけ来てください」
バンドの代表らしき生徒が、マイクとギター片手に挑戦的な挨拶をかます。他の三人はというと、どこかつまらなそうに目を逸らしていた。
軽音同好会。もしかしたら、ここにならあるかもしれない。紗綾お姉ちゃんに対する質問の答えと、これからの私が生きていくための理由が。お姉ちゃんだけに頼らないで、自分の足だけで立っていられる、そんな場所が。
演奏を聴いてから、ずっと胸がドキドキする。ワクワクが止まらない。紗綾お姉ちゃんが事故に遭ってから、こんなこと一度もなかったのに。
はやる気持ちを押さえながら、放課後、私は軽音同好会の部室の前まで来ていた。耳をすますと、中でメンバーが何やら話し込んでいる。そのうち、一際大きな声がしたかと思うと、扉が開いて三人の女子生徒が連なって出てきた。
「理央には悪いけど、私達バンドやめるって決めたから」
「受験もあるしね。でも、けっこう楽しかったよ」
「安心して。名前だけは貸しといてあげるから」
そう口々に言うと、三人は笑いながら部室を後にする。そうっと中を覗くと、一人の女子生徒が悔しそうに机を叩いていた。あの子は確か、部活紹介の時に挨拶してた子だ。
「なんなの、あいつら。はじめから遊びのつもりだったんなら、バンドなんか組むな!」
怒りも露わに、その子はもう一度机を思いっきり叩く。そして一息つくと、やっと私の存在に気づいた。
「なに、あんた」
「えっと……入部希望者、です」
「新入生?」
「いえ、三年生です。今日転校してきて」
「三年生? 冷やかしならとっとと帰って。言ったでしょ? 私は、本気でバンド組む気のある人にしか来て欲しくないの」
「私、本気です」
「はあ?」
「あなた達の演奏を聴いて、なんていうか……ずっと胸がドキドキしてるんです。世界がキラキラ輝いて見えるんです。こんな気持ち久しぶりで。私もバンドすれば何か変わるんじゃないかって、そんな気がするんです。だから、入部させてください!」
「ダメ」
頭を下げる暇も与えないほどの即答だった。
「大概みんなバンド始める時って、そんな綺麗事言うの。でも、そのうち現実見てやめていくんだから。さっきの子達みたいに」
「そんなことっ」
「いいから出て行って」
こちらに反論させる隙を与えず、私はぐいぐい押されて部室の外へ押し出される。そして、「じゃ、さよなら」と冷たくそう吐き捨てると、彼女は部室の扉を閉めてしまった。
わかりやすい拒絶。どうやら私の気持ちは彼女に伝わらなかったらしい。
どうしよう、せっかく見つけたのに。自分のやりたいこと、私の止まったままの心を動かす何か。それなのに、目の前の扉は固く閉まったまま、私の前に立ちはだかる。
でも、何故だろう。それでも諦めたくはなかった。
「私、諦めませんから。何度でも何度でも、オッケーもらうまでここに来ます」
「勝手にすれば?」
部室の中から面倒くさそうな声が返ってくる。私は両手の拳を握りつつ、彼女に向かって一礼した。
あの心の奥底から沸き立つような感情を、もう一度味わいたい。そして、そこに紗綾お姉ちゃんへの答えがあるのか確かめたい。それができるまで、私は絶対に諦めない。
その日から、私は毎日軽音同好会の部室へ通った。昼休みも、放課後も。そして何度も彼女に頭を下げた。その度に軽くあしらわれて終わったけれど、私はめげなかった。
紗綾お姉ちゃんがいなくなってから今までのことを考えれば、これくらいのことではめげないしへこたれない。彼女に私の本気が伝わるまでは、何度でもお願いしに行ってやる。
そんなやり取りが一週間続いたある日。ようやく彼女が私を部室に通してくれた。




