私を置いていかないで
この事件をきっかけに、お姉ちゃんへのいじめはなくなった。退学も覚悟していたけれど、両親の説得やそれに至る経緯なども考慮され、私は停学処分で済んだ。
さすがにこの一件は、エリートの全校生徒達には刺激が強すぎたらしい。私が学校に戻って来た時には、私達姉妹には誰も近付かないようになっていた。それは私達が進級した後も続く。
「人付き合いしなくていいから楽」
お姉ちゃんはそんな風に言って笑う。私も孤立したことに対しては、何とも思ってない。ただ、気分は浮かなかった。
あの一件以来、お姉ちゃんが私と距離を取っているような気がする。極端にではない。いつも通り登下校も一緒だし、寝るのも一緒に寝てくれる。一見すれば何も変わっていない。それでも、ふとした拍子の仕草や表情から、なんとなくそれは伝わっていた。
そして、私のその不安は的中する。
「ねえ、本気なの?」
お姉ちゃんが中学三年の冬。夜リビングで両親とお姉ちゃんが何やら話しているのを見かけた。養子話の時と同じシチュエーションに、私はとりあえず扉の隙間から様子をうかがう。
「本当にこの高校受験するの?」
受験? 桜明は中高一貫校だ。だから、高校受験なんて単語が出てくるのはおかしい。母の質問に、お姉ちゃんは静かに頷いた。
「本気だよ。私は東京を、この家を離れる」
そのあまりに衝撃的なお姉ちゃんの一言に、私は思わず絶句した。
お姉ちゃんが、この家を離れる? なんで? 私を置いて行くの?
「この家が嫌になった?」
「そうじゃない。ただ、このまま私といると、真綾がダメになると思って」
「真綾が?」
「真綾はもう壊れかけてる。せっかく桜明に入ったのに、私に固執するあまり、その人生を狂わせ始めてる。だから、一回冷静に戻してあげないと。それには、私がそばにいちゃいけない」
「なんで……」
お姉ちゃんの告白に、気付けば私はリビングに入っていた。
「真綾っ」
驚いて三人が一斉に私を見る。その間に、私は距離を一気に縮めた。
三人のいるテーブルの上には、とある高校のパンフレットと募集要項が一冊ずつ置いてある。それは都内ではなく、田舎の祖父母のいる他県のものだった。
「なんで桜明を離れるの? お姉ちゃんがこの家に戻る条件は、桜明に行くことだったじゃない」
「それは……」
「それなのに、なんで他県の高校受験するの? なんで私のそばにいちゃいけないの。わかんない……わかんないよ、お姉ちゃん!」
「これは全部真綾のためだから!」
お姉ちゃんが立ち上がりながらそう叫ぶ。その目は怒っているというより、とても悲しそうに私には見えた。
「私だって真綾のそばにいてあげたい。でも、それじゃ真綾がダメになる。私は、これ以上あんたが傷付くところを見たくはないの」
私の両肩を掴みながら、お姉ちゃんはとても辛そうな顔をする。でも、それよりも辛い顔をしていたのは私の方だった。お姉ちゃんの言葉が霞となって消えていく。
「私のこと、嫌になった? 怖くなった? だから私から逃げるの? 離れていくの?」
「違う。そうじゃない」
「やだ……私を一人にしないで。私を見放さないで。私から離れていかないで。お姉ちゃんまで……お姉ちゃんまで私を置いていかないで。お願い、お願い……っ」
「真綾……」
私はお姉ちゃんにしがみつきながら、必死にそう懇願した。
また紗綾お姉ちゃんが私の前からいなくなる。また一人になってしまう。そんなのは嫌だ。今お姉ちゃんが私の前からいなくなってしまったら、私は生きるためにすがりつく依り代を失ってしまう。もがいて、もがいて、やっと見つけた希望の光なのに。それが今、吹いたら消えてしまうロウソクの灯火のように、弱々しく私の目の前から遠ざかっていく。
暗闇の恐怖。何もない闇の中で、ただ一人取り残されるという絶望。わかっている。私はそんなに強い人間じゃない。火が消えれば、いとも簡単に闇に飲み込まれてしまう。だから、だからこそ、私はお姉ちゃんを失うわけにはいかなかった。
「……わかった。ずっと真綾のそばにいてあげる」
お姉ちゃんは、そう言って優しく私を抱きしめてくれた。訪れる安心と、そして罪悪感。そうしてまた、私はお姉ちゃんから自由を奪った。ただ自分を守るためだけに。卑怯で狡い自分。こんな醜い私のために、お姉ちゃんはその人生を狂わせていく。その歯車の止め方を、お互いわからないままに。




