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紗綾お姉ちゃんは私が守る

 月日が経ち、お姉ちゃんは無事桜明女学園に合格した。そしてその頃には、ポーカーフェイスが得意だったお姉ちゃんも、自然に笑うようになっていた。


「真綾、まだ勉強すんの?」


「うん。だって、私も桜明女学園行きたいから」


「ふーん。どれどれ」


 お風呂上がりのお姉ちゃんが、私の机に広がった問題集と丸の少ないノートとを見比べる。そして小さく鼻で笑った。


「これじゃあ何年かかるかわかんないね」


「ひっどーい! 確かに紗綾お姉ちゃんみたいに頭は良くないけど、人間やればできるんだから。今鼻で笑ったこと、合格発表の時後悔させてやる」


「はいはい、せいぜい楽しみにしてまーす」


 そう言って、お姉ちゃんは隣に並んでいる自分の机に向かう。綺麗に整理整頓されたその場所には、難しそうな本や参考書がびっしり並んでいた。それだけで、桜明女学園に合格したお姉ちゃんのすごさを感じる。


「お母さんが心配してたよ。真綾がいつか倒れるんじゃないかって」


「大げさだなぁ。でも、これくらいしないと桜明なんて行けないもん」


「……桜明なんて、そんなに大したとこじゃないのに」


 ボソリとお姉ちゃんが呟く。この時の私には、なんでお姉ちゃんがそんなことを言うのかわからなかった。


「紗綾お姉ちゃんがそこにいるってだけで、私にはとても価値のある、魅力的な学校だよ。だから絶対合格するの」


 本心でそう答える。すると、お姉ちゃんは目を見開いた後、机に突っ伏して盛大にため息をついた。


「なんであんたは、そういうことを恥ずかしげもなく言えるんだか」


「だって本当のことだもん。紗綾お姉ちゃん、だーい好き」


「……付き合ってられん。寝る」


 お姉ちゃんはそう言い捨てると、部屋にある二段ベッドの階段に足を掛けた。それを見て、私は慌てて待ったをかける。


「待って、お姉ちゃん。今日一緒に寝よう?」


「だって、あんたまだ勉強すんでしょ?」


「するけど。一緒に寝たいの」


「なに、そのワガママ。いい? 二段ベッドはそんなに広くないの。いっつも朝起きたら身体バッキバキなんだから、たまには一人で寝させて」


「わかった。じゃあ勉強が終わったら、紗綾お姉ちゃんのベッドに潜り込むね」


「人の話を聞け、このバカ真綾」


 最後のお姉ちゃんの言葉は無視して、私は顔を机に戻す。お姉ちゃんはまだ何か言いたそうだったけど、結局何も言わず上のベッドへ潜り込んだ。どうやら抵抗するのを諦めたらしい。


 いつもああ言っているけれど、なんだかんだで結局お姉ちゃんは一緒に寝てくれる。私が机で居眠りしていると、そっと毛布をかけてくれる。


 そう、お姉ちゃんは私に優しくなった。出会った頃とは比べものにならないくらいに。それを感じるたび、心のどこかに針で刺されたような小さな痛みが走る。なんでそう感じるのかはわからない。それでも、苦しい反面、その優しさは嬉しかった。


 死に物狂いで勉強して、両親やお姉ちゃんの助けもあって。その年、私はなんとか桜明女学園に補欠合格した。そして、春には無事新入生となった。


「まさか、真綾が桜明に受かるとはねぇ」


「私の底力を見たか」


「補欠合格のくせに」


「紗綾お姉ちゃん、頭が高い」


「くっ……鼻で笑ってすみませんでした」


「よろしい」


 真新しい制服を着て、姉妹二人で可笑しくて笑い合う。お姉ちゃんは二年生に、私は新一年生として同じ学校に通えるのだ。嬉しくて胸がワクワクする。


「色々と面倒見てくださいね、紗綾先輩」


「お手柔らかにどうぞ」


 そうして始まった桜明女学園での生活。私ははなから楽しもうなどとは思っていなかった。


 同じ小学校だった子が合格していたから、私達姉妹の噂はあっという間に広がり、私は早い段階で孤立した。でも、それは想定の範囲内で、べつに痛くも痒くもなかった。


 どうせ理解できないんだ、だったら初めから友達なんて作らない。いらない。私には、楽しくおしゃべりする相手も、その時間も必要ない。いや、あってはいけない。紗綾お姉ちゃんが私のために失ってしまったものを、その私が得ていいはずがない。


 幸せと名の付くものは全部捨てて、私は紗綾お姉ちゃんのために生きる。それがせめてもの紗綾お姉ちゃんへの償いだから。そう思って日々を過ごした。


 そして、私は知ってしまう。お姉ちゃんが学校でいじめられていることを。


「これって……」


 蛍光ペンを貸してほしくて、お姉ちゃんがお風呂に入っている間に勝手にカバンを開ける。そして、筆箱を取ろうとした時、派手な落書きをされた教科書を目にしてしまった。


「何やってんのっ」


 その声に思わずカバンから離れる。すると、お風呂から上がってきたお姉ちゃんが慌てて駆け寄ってきた。そして、カバンを私から乱暴に引き剥がす。


「紗綾お姉ちゃん、今のって……」


「ああ、これ? クラスメイトの悪戯だよ。加減を知らなくて困るよね」


 悪戯? 「死ね」とか「ウザい」って書いてあったのに?


 芽生えた疑惑を確かめるように、その日から休み時間や昼休みになると、二年生の教室のある階を見張るようにした。そして私は目撃してしまう。三人の女子生徒が笑いながらトイレから出てきた後、しばらくしてずぶ濡れのお姉ちゃんが出てきたところを。


「紗綾お姉ちゃん!」


「真綾……っ?」


 私は慌てて駆けつける。すると、お姉ちゃんはこれ以上近付かないよう手を挙げた。


「あんたまで濡れるよ」


「紗綾お姉ちゃん、いじめられてるの?」


 お姉ちゃんは何も答えない。でも、もうそれが答えだった。自分でも今まで感じたことのない激しい怒りが身を焦がす。


「私、あの人達に抗議してくる」


「いいよ、真綾。あんたまでいじめられる」


「でもっ」


「私は慣れてるから平気。さあ、自分の教室に戻んな。あ、両親には言わないでね。心配させたくないから」


 慣れてるから平気。その言葉を口にした時の、お姉ちゃんの悲しげな笑顔を見て思い出した。出会った頃の、お姉ちゃんの人を憎んでいるかのようなあの冷めた目。そう、私は何も知らなかった。お姉ちゃんの過去も、その苦しみや悲しみも。それなのに、お姉ちゃんは私のそばにいてくれることを選んだ。何も知らない、ただの愚かな私のそばに。私は、何もしてあげられていないのに。


 歯を食いしばった後、私は濡れたままのお姉ちゃんの制服の袖を掴んだ。


「安心して。紗綾お姉ちゃんは私が守るから」


「真綾、あんた何言って……」


 紗綾お姉ちゃんは、命をかけて私を助けてくれた。だったら、今度は私がお姉ちゃんを守る番だ。お姉ちゃんを傷付けるものは、私が絶対に許さない。どんな手を使ってでも、絶対守ってみせる。


 それから、私はお姉ちゃんをいじめていた人達への報復を始めた。教室に水をぶちまけたり、制服を燃やしてみたり。お姉ちゃんを守るために、本当にいろんなことをした。こうしておけば、いつか怖がってお姉ちゃんへのいじめを止めるだろうと思って。でも、それでもなかなか収まらなかったので、私はとうとう最終的な結論に至った。


 これだけしてもわからないなんて。だったらもういっそ、二度とまとわりつけないよう消してしまえばいいんじゃないか。お姉ちゃんを傷付けるものは、全部私が排除すればいい。


 そう決意して、私はソフトボール部の部室から金属バットを取り出すと、お姉ちゃんが連れていかれた体育倉庫へと向かった。扉を開けると、泥だらけのまま座り込んでいるお姉ちゃんの周りを、例の三人の女子生徒が取り囲んでいる。激しい怒りが込み上げてきて、私は感情のままに金属バットを振り回した。


「きゃあぁ!」


 悲鳴を上げて逃げ惑う女子生徒の一人が、転倒して逃げ遅れる。私はその一人を標準に捉えた。


「紗綾お姉ちゃんを傷付けるものは許さない」


「や、やめて……っ」


 泣いて懇願する彼女を冷たく見下ろして、私はバットを掲げる。そして、彼女の頭めがけて勢いよく振り下ろした。


「いやあぁ!」


 彼女の悲鳴と、木を叩いた時のような鈍い音が倉庫内に響き渡る。私のバットは、彼女を庇うように間に入ってきたお姉ちゃんの右腕に直撃していた。


「紗綾お姉ちゃん、なんで……っ」


 私がそう呟く間に、涙でぐちゃぐちゃになった顔の彼女が慌てて逃げていく。お姉ちゃんは右腕を押さえつつ痛みに顔を歪めていた。


「なんであんなやつ庇ったの! あいつは、紗綾お姉ちゃんをいじめてる最低なやつなんだよ!」


「そうだよ、あの子は最低なやつだ。だから、私が庇ったのは彼女じゃない」


「何言って……」


「あんたならわかるでしょ。私が本当は誰を庇ったのか」


 そう言って、痛みに耐えながらお姉ちゃんは微笑む。それを見て、私はやっと我に返った。そして、自分がしようとしていたことに対する恐怖がどっと身体中に押し寄せる。手に力がはいらなくなって、金属バットは私の手を離れ力なく地面に倒れた。


「ごめ……っ、私、私……っ」


「バカ真綾、あんたが謝る必要ないでしょ。謝んなきゃいけないのは、いじめられる情けないお姉ちゃんの方。あんたに怖い思いさせちゃってごめんね」


 そんなことはないと、私は首を横に振って否定する。そんな私を、お姉ちゃんは片手で優しく抱きしめてくれた。


「こんな、自分、いるなんて……っ。怖かっ……」


 こんな自分がいるなんて知らなかった。お姉ちゃんを守るためなら誰かを傷付けても良いと、本気でそう思って行動に移せてしまう自分が怖かった。もしあのまま彼女の頭をバットで殴ってしまったら……そう思ったら恐怖で身体が震えだす。それを感じ取ったお姉ちゃんは、抱きしめる腕にさらに力を込めた。


「怖い思いさせてごめん。お姉ちゃんがいるから、もう大丈夫だよ」


 お姉ちゃんがいるから。その言葉に甘えながら、私はしばらくお姉ちゃんの腕の中で泣いていた。


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