取引
「この提案は、あなたにとっては大変失礼なことなのかもしれないけれど。私達は本気なの」
「それはつまり、私に紗綾の代わりになれと、あなた達家族の人形になれと、そういうことですか?」
「そうは言ってないだろ。君にとっても悪くない話なはずだ」
「養子話をちらつかせれば、私が尻尾振って喜んで食いついてくるとでも? バカにしないでいただきたい」
お姉ちゃんの目に、よりいっそう憎悪の感情が込められる。
「施設に捨てられた天涯孤独な私が、そんなに可哀想ですか? 同情しますか? そういうの、差別って言うんですよ。反吐が出るほど大嫌いな言葉です」
施設の職員や両親の話を聞いていて、なんとなくお姉ちゃんに家族がいないのは知っていた。そんなお姉ちゃんへの養子話。確か養子って、お姉ちゃんみたいに身寄りのない子が、他の誰かの家族の一員になる、ということだったはず。つまり、もしかしたらお姉ちゃんが本当にうちに戻ってきてくれるかもしれないということ。そう思い至った時、期待に胸が膨らんでドキドキが止まらなかった。
「結局のところ、あなた達は妹が、娘が一番大事なんですよね。あのまま放置してたら、彼女はいつか壊れる。だから、私を身代わりにして守ろうとしてるんだ。最低ですよ、あなた達」
「私達は何と言われてもけっこう。あなたには綺麗事は通じないと思うからはっきり言うけど、確かに真綾を守りたいというのは本音よ。あなたがうちに来てくれれば、真綾は以前よりも落ち着きを取り戻すでしょうから」
「ほら、やっぱり」
「でも、あなたがうちに養子に来るというのなら、私達はあなたを本当の家族として受け入れるわ。真綾や紗綾と同じように、本当の娘として育てる」
「私がその言葉を信じるとでも?」
「信じる信じないは、実際に家族になってみて、時間をかけてあなたが見極めて。それでもし施設に戻りたいという結論に至ったのなら、私達はあなたの意見を尊重するわ」
「上手く丸め込んだつもりですか? 子どもだと思って甘くみてるんでしょ」
「そんなこと……っ」
「冗談じゃない! あなた達は今どれだけ私を惨めにさせているかおわかりですか? 結局、身寄りのないただの貧乏人は、金持ちのオモチャにされるだけなんだって、あなた達はたった今それを私に再確認させたんですよ!」
お姉ちゃんは立ち上がってそう怒鳴り散らすと、駆け足でリビングを飛び出していった。途中私とぶつかったけれど、キッときつく睨むとそのまま階段を上がって部屋へと入っていく。その時のお姉ちゃんの目には、涙が溜まっているように見えた。
「紗綾お姉ちゃん?」
部屋の扉をノックしてそう声をかけるが、返事は返ってこない。この部屋は私と紗綾お姉ちゃんの共同部屋だから、べつに許可なく入ってもいいんだけれど。さきほどのお姉ちゃんのただならぬ雰囲気に、なんとなく気軽に入ってはいけない気がした。
「私バカだから、紗綾お姉ちゃんがなんで怒ってるのかよくわかんない。でも、紗綾お姉ちゃんが家族に……私達の家に戻ってきてくれるかもって思った時、私すごく嬉しかったよ。また一緒に暮らせるって思って」
「それは、紗綾の身代わりとしての私に対してであって、私自身じゃない。あんただって、私が紗綾に似てなかったら、赤の他人を家族になんか招き入れたくないでしょ。それくらいわかれよ」
「んー、どうだろ。想像したことないからわかんない」
「はあ?」
「ただね、私はまた紗綾お姉ちゃんとこうして話ができたり、一緒に寝たりすることができて、とっても嬉しいの。これが毎日続くかもって考えてみただけで、胸がワクワクして楽しみで仕方ないの。それは本当だよ」
本当は、何故お姉ちゃんが怒っているのか、なんとなくわかっていた。でも、それをわかってしまったら、お姉ちゃんは紗綾お姉ちゃんじゃなくなってしまう。だから、知らないフリをした。都合の悪いことは全部わからないフリをして、蓋をして心の奥深くに沈めて。そうすれば、いつも私の目の前にいるのは紗綾お姉ちゃんになる。また会えた喜びでいっぱいになる。だから、今のこの気持ちはウソじゃない。
「そんなに紗綾のことが好き?」
「うん、好き。ずっと一緒にいたいくらい大好き。だから紗綾お姉ちゃん、うちに戻ってきて。もう二度と、私から離れていかないで」
残酷な願い。それでも、私は言わずにはいられなかった。紗綾お姉ちゃんと離れて過ごす地獄を、もう味わいたくはなかった。すべては保身のため。この時はそれしか考えられなかった。
部屋の中がしんと静まりかえる。私のこの気持ちは伝わらなかっただろうか。そう不安がっていると、ガチャリとノブの動く音が聞こえた。そして、ゆっくりとその扉が開いていく。立っていたのは、目を充血させたお姉ちゃんだった。
「……入れば? もう寝る時間でしょ」
「うん、今日も紗綾お姉ちゃんと一緒に寝る」
「ウザい……」
嫌そうな顔をしながらも、お姉ちゃんは今日も同じベッドで私と一緒に寝てくれた。
それから数日後。お姉ちゃんは両親の提案した養子話を受け入れた。
「一つだけ条件があります。私を桜明女学園に行かせてください。もちろん、試験を受けて合格したらの話ですが。そしたら、養子話を受け入れます」
「それはべつにかまわないけれど。急にどうして?」
「あなた達が私を利用するのなら、私も利用すればいい。そう考え直しただけです」
「そう。でも、ありがとう。受け入れてくれて」
母のその言葉に、お姉ちゃんは下を向いたまま何も言い返さない。そして、晴れてお姉ちゃんは私達家族の元へ戻ってきたのだった。




