七(アヴェリノ視点)
婚約破棄事件の翌朝、アヴェリノは息子であるジェラルドを呼び出した。
「……来たか」
アヴェリノの声はいつも通り固く、疲れを隠せなかった。
しかし、いつもと違うのはその空気だ。常に自分を律しているアヴェリノらしくない、怒りを堪えたようなピリピリとした雰囲気。
ジェラルドはごくりと生唾を飲み込んだように見えた。
「単刀直入に聞く。昨日の夜会でヴィクトリア嬢に婚約破棄をすると言ったのは事実か」
「……はい」
ジェラルドの声は震えていたが、視線は逸さなかった。
「なぜ、そのようなことを」
その問いに、ジェラルドはすぐには答えられなかった。その沈黙に限界が来たアヴェリノは口を開く。
「あの婚約が、どれほどの意味を持つか。お前は知っているはずだ」
「……はい」
「セナレム公爵家から事実確認の書状が届いている。それだけではない。話を聞きつけた保守派貴族らからも、朝から絶え間なく……っ、この忙しい時期に!」
机に広がる手紙の山。
今回の件でジェラルドは不適格ではないか、皇太子教育はどうなっているのかと、格好の批判材料になっていた。
「申し訳、ございません」
「謝罪は事情を説明してからにしろ。もう一度聞く、なぜあのようなことをした」
もう、後戻りはできないのだと悟ったらしいジェラルドは、今度こそ覚悟を決め口を開く。
「衝動に、任せてしまいました。気がついたら、口から。後先考えずに」
アヴェリノは愕然とした。あるいはやむにやまれぬ事情だとか、何か真っ当な理由があると期待していた。それが。
「衝動的に……後先考えずに……あの婚約を、保守派との、五公との繋がりを全てダメにしたと……?」
生まれてこのかた、まともに暴力を振るったことも、振るわれたこともないというのに、アヴェリノは咄嗟にジェラルドの胸ぐらを掴み上げそうになった。
寸前のところで思いとどまり、拳を握りしめる。
そこでアヴェリノはふと気づく。少し前、ジェラルドが執務室にやってきた時のこと。
「……婚約破棄自体は衝動的だとして。そこに至るまでに、何かあったのではないか。前に、私のところに相談があると来ただろう。なにか……なにか、関係があるのではないか」
最後の希望とでも言うように、アヴェリノはジェラルドを見据えた。
ジェラルドは再び躊躇ったが、今度はアヴェリノも急かさなかった。
「……ヴィクトリアが不貞を働いているという噂が、まことしやかに流れていました」
「信じたのか」
「まさか。ですが、火のないところに煙は立ちません」
噂自体はアヴェリノも耳に挟んだことがあった。だが、皇太子の婚約者に選ばれたものが気に食わないが故の、根拠のない流言だと思っていた。
「ヴィクトリアは、確かにユリウス・ウカーシュと近い距離にありました。事実確認は怖くてできませんでしたが、部屋に二人きりで長時間篭っていたとすら、やけに詳細に広まりかけていました。そういったものを私は必死に……誤解だと、広めるなと、言い含めて回っていました」
ジェラルドは一度決壊すると、止まらなかった。まるで懺悔するように言葉が次々と溢れ出る。
「何度も、ヴィクトリアにも言いました。距離感を考えて欲しいと。ですが、嫉妬しているのかと笑われ……彼女の周囲にいる者たちは、“高尚な学術討論を邪推する不純な心の人”の言うことに耳を貸す必要はないと。改善など見られず」
アヴェリノは唖然とした。そんなこと知らなかった。なぜ、相談しなかった。
そこで思い出す、あの日の顛末。火急の用でないのなら後にしろと追い返した、自分の声を。
「私は自分が情けなかった。なぜ、私が不用意なヴィクトリアの行動が起こした噂の火消しをして回らなければならないのかと。ユリウス・ウカーシュは事態を把握しているようだった。彼にだって注意をした。そうしたら……」
『殿下、恐れながら申し上げます。ヴィクトリアは才ある女性です。ですが、結婚し皇太子妃になれば、これまでのような研究も難しくなるでしょう。婚約期間の今が最後の機会なのです。多少はお目溢しいただきたい』
「せめて、距離感だけでも考えて欲しいとも言いました。ですが……」
『申し訳ありません。気をつけてはいるのですが、幼馴染なもので。昔からのことなので、つい』
婚約者の軽率な行動。婚約者の幼馴染は慇懃無礼で挑発してくる。
下手に大事にするわけにもいかず、父親に相談しようとしても追い返される。
八方塞がりと感じ、衝動的になるかもしれない。それを、アヴェリノは否定できない。
「だが、それでも……あのような形だけは、とって欲しくなかった」
「はい、どれだけ謝罪しても足りませんが、申し訳ありませんでした」
そのとき、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
「は、失礼致します。離宮より急ぎの書状をお届けに上がりました」
アヴェリノは目を見開くと、即座に書状を受け取り自らの手で開く。
ジェラルドが恐る恐る尋ねてきた。
「お祖母様……皇太后陛下、からですか」
「ああ。今日の夜に時間を作れるか、と。ジェラルド、お前も一緒に」
ジェラルドの目が揺れる。同時にアヴェリノもまた動揺していた。その証明のように、アヴェリノの手にはじっとりと汗が滲む。
「恐らくだが……この問題は解決する。解決、できてしまえる。だからこそ、やり方を見誤ってはいけない」
アヴェリノは自分に言い聞かせるように、そう唱えた。




