十三(オルベール視点)
オルベールは困惑した。
軍務院のレヌマ副院長が、タカ派を実質的に降りたのだ。
ルルニア院長からその知らせを聞いた時、オルベールはなぜそんなことになったのかと頭を抱えた。
オルベールはただ、時間稼ぎをしたかったのだ。
現状、オルベールはただの皇太子だ。政策の提言はできても決定権は持たない。
そんな中で専守防衛路線をとる皇帝アヴェリノと軍務院の直接対立は避けたい。
だからこそ、オルベールがまだ皇太子であるうちはタカ派に大人しくしていてほしかった。それだけだった。
オルベールの背中にじっとりと汗が滲む。
ああなるほど、これが政治か。なんでも思い通りにはいかないらしい。
レヌマ副院長があまりに声を小さくするのは、別の問題があるのだ。
真の過激派、つまりは戦争によって帝国の版図を広げることこそ正義と信じる、強い思想を持つ若い軍人が公の立場を、発言権を失う。
そうなれば彼らは地下に潜り、陰謀を企てるかもしれない。把握は困難になる。
オルベールがしたいのは、それぞれの派閥に首輪をつけておくことだ。
弾圧して見えなくなったとして、それは解決とは言わない。
難しい、純粋にそう思った。だが同時に高揚もしていた。
自分はまだ成長の余地があることを。慢心し切ってはいないことを。
若輩は若輩らしく、先人に教えを乞うべきである。
オルベールは躊躇いなく、離宮……祖母である皇太后が住まう場所に手紙をしたためた。用件は、そう。
『地下化する派閥の管理について』
数日後、オルベールの元を訪ねたのはカークレット公爵ルーファスだった。
一部では、白大母の犬と呼ばれている彼は、慇懃無礼に貼り付けたような笑みを浮かべて頭を下げた。
「お会いできて光栄です、皇太子殿下」
どう見ても光栄とは思っていなさそうだが、別にいい。
オルベールはひとまず様子見をすることにした。
「来てくれて嬉しいです。カークレット公爵殿」
「ルーファスで構いませんよ、皇太子殿下」
「ではそのように。ルーファス殿は紅茶はお好きですか」
侍女が無駄のない動きで用意をする。ふんわりと品のいい香りが部屋に広がった。
「ボンフォール公爵殿が贈ってくれた一品です。よければ」
そう差し出すと、ルーファスの眉がぴくりと跳ねた。分かりやすい男だ。オルベールは警戒を少しだけ緩めた。
「いただきます……おお、これはなかなか」
ルーファスはわざとらしく感心して見せた。
ルーファスが治めるカークレット公爵領は、島にある。そして、海を挟んで大陸側にあるボンフォール公爵家とは犬猿の仲と言われる。
つまり、オルベールはわざとらしい挑発をした。そしてルーファスはそれにまんまと引っかかった。
オルベールは首を捻る。こんな分かりやすい男を、本当にあの皇太后は使っているのだろうか、と。
そんな疑問はおくびにも出さず、下手に出る。
「実は先日、初めて明確な挫折をいたしました。やはり若輩は先達の教えに従うべきと痛感しましたよ」
「ああ、私にも経験がございます。ですが皇太子殿下は優れたお方だ。そのお歳で挫折を自覚するのは、なかなかできることではないですから」
わざとらしいお世辞、わざとらしい態度。何もかもわざとらしい。
……何か、おかしい。オルベールはいつもの微笑みを止める。
しかし、ルーファスは相変わらず軽薄な笑みを貼り付けていた。
オルベールが真顔になることは、まずない。それを見た者は大抵、何か粗相をしたかと焦るか、困惑するのだ。
だが、ルーファスは動じなかった。
「……ルーファス殿には是非とも学ばせていただきたいものです。色々と」
オルベールの言葉に何を思ったのか。ルーファスはおもむろに手紙を取り出した。
「私から学ばれることはないでしょう。皇太子殿下はすでに、見抜いておられる」
「……なんのことでしょう」
ああ、これはイタチごっこだ。“見抜いていること”がバレている。これではキリがない。
「皇太子殿下、あなたは賢いが、若い。だからこそ知るべきです。相手の手札が欲しいなら、まずは自分が開示しなければならないということを」
オルベールは悩んだ。どこまで見せたらいいのだろうか。この仮面の下は、相手にどう見える。
そこまで考えて気づく。皇太后の狙いは、これか。
「やっと気づかれたようで何よりです。さて、では私はこれで」
ルーファスは長居は無用と、手紙を机に置くと躊躇いなく立ち上がる。
「……大変勉強になりました。ルーファス殿、またご教授いただきたい」
「素直に振る舞って見せるのは、あなたの美徳ですね。では私も一つだけ種明かしを」
そう言うと、ルーファスはおもむろに黒の手袋を片方外した。
そこにはベッタリと手汗が滲んでいた。
「私がこうなったのは、人生で二度目です。一度目は白大母様に初めてお会いした時。二度目が今日です。私はあなたに、期待していますよ」
そうして去っていくルーファスの背中を見送り、オルベールはいつぶりかに脱力し、椅子に体を預けると項垂れた。
「……僕は、本当に若輩だな」
ふらつきながら立ち上がり、机の上にある手紙をゆっくりと手に取る。皇太后からの助言の内容は、至って簡潔だった。
『鼠を仕込め』
これはまた難儀だと、オルベールはため息をついた。




