二(ヴィクトリア視点)
見慣れた大きな門を馬車が潜る。
着いたのは古さを感じさせるものの隅々まで手入れがされた屋敷。
セナレム公爵家のタウンハウスだ。
「……ただいま戻りました」
ヴィクトリアの声は掠れていた。
出迎えた使用人たちがうっすら困惑したのがヴィクトリアには伝わった。
特に家令は、即座に屋敷の奥に向かったようだった。
「帰ったか、ヴィクトリア」
ほどなく現れたのはヴィクトリアの父、セナレム公爵。彼は努めて平静を保っていたが、その足取りはやけに早かった。
談話室で向かい合って座る。空気はいつになく重い。
「それで、何があった」
ようやくセナレム公爵が切り出す。
ヴィクトリアは少し躊躇ってから、包み隠さず話した。
「ジェラルド皇太子殿下が、婚約を破棄すると仰いました」
「……なに?」
セナレム公爵は目に見えて動揺した。
目が揺れ、生唾を飲み込み、指先が震えた。
少なくとも彼にとってそれは、単なる婚約破棄ではなかった。
「理由は。我が家には何の通達もないぞ。公的な取り決めなら、皇帝陛下が把握しておられないはずがない。まさか……」
ヴィクトリアも薄々感じていた。そう、これは。
「やはり、ジェラルド皇太子殿下の独断、なのでしょうか」
セナレム公爵は震える頭をゆっくりと縦に振った。
「決めつけるには早計だが……そう考えるのが、自然だろう」
ヴィクトリアは拳を握りしめる。皇太子の独断で婚約破棄。
想定される政治的な理由はあまりに多い。多すぎる。
憶測で発言することには注意しなければならない、ヴィクトリアは己を戒めた。
「それで、その場は誰が収めたのだ」
「カークレット公爵閣下が」
その名前を聞いたセナレム公爵は、顔を歪めた。
「……あの男が?まさか。いや、だが」
「お父様?」
セナレム公爵は何かを言いかけたものの、口篭る。
「ひとまず、明日の朝一番で宮廷に書状を送る」
「内容は、どうされますか」
「明確な抗議文は避けたい。あくまで事実確認だ。構わんな」
それは確認の形をとった決定事項だった。
このセナレム公爵は、しばしばそういうところがあった。
ヴィクトリアは素直に頷き、退室する。自室に戻る途中、ヴィクトリアは自分より少し低い影を見た。
「……オベリア」
ヴィクトリアの二つ下の妹。
ヴィクトリアとあまり似ていないこの娘は、ヴィクトリアとは対照的に大した才能もなく、容姿もパッとしない。
それでもヴィクトリアにとっては大切な家族だ。
「どうしたの、こんな時間に」
ヴィクトリアは取り繕うように微笑んだ。
オベリアは何か言おうと口を開き、結局何も言わずに頭を下げて通り過ぎていった。
事実確認の書状の返事が来たのは、夜会から数えて三日目の昼のことだった。
屋敷の執務室で読み終えたセナレム公爵の拳は、怒りに震えていた。
「お父様、お返事にはなんと?」
ヴィクトリアは薄々分かっていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「婚約破棄は……事実である、と」
瞬間、ヴィクトリアの視界が揺れた。
崩れそうになる膝を必死で堪えた。それがヴィクトリアの矜持だった。
「理由は、記載されておりますか」
「いいや、だが……」
セナレム公爵が言い淀む。
ヴィクトリアは急かしたい気持ちを必死にとどめ、続きの言葉を待った。
「二日後、非公式の会議があるそうだ。そこで詳細を話す、と」
「非公式の……どちらで?」
セナレム公爵は震える口を開いた。
「……離宮だ」




