八(オベリア視点)
「来たよ、オベリア」
穏やかで優しく、いつも通りの声。
オベリアは応接間に現れた男、オルベールを見ると立ち上がり、淑女の礼をした。
「ようこそお越しくださいました、オルベール様」
「うん、楽にして」
許しを得たオベリアは素直に、いつも通り席につく。
そう、いつも通りだった。それが何より異常だった。
「僕が新たに皇太子に選ばれた話は、もう耳に届いているね」
彼の問いかけに、オベリアは頷いた。
「はい。オルベール様ならば、何も問題はないかと」
オルベールは否定も肯定もしなかった。
代わりに、じっとオベリアを観察しているようだった。
「……いかがなさいましたか?」
オベリアは不安になり尋ねる。
オルベールはわざと少し間を置いてから口を開いた。
「目の下に隈がある。睡眠が足りていないね」
「あ……申し訳ございません。このようなみっともない顔をお見せして……」
俯くオベリアに、オルベールは揶揄うように言った。
「まったくだ。君のところの化粧係は何をしているのかな」
その言葉に、オベリアは呆けた。てっきり、自分の自己管理の甘さを叱られると思っていたのだ。
「……私をお叱りにならないのですか」
オベリアが恐る恐るそう聞くと、オルベールは穏やかに微笑んだ。
「叱るって、なぜだい?僕は図太い人間だから平気だけど、君のように繊細な人間が皇太子の婚約者だなんて重責に、最初から順応できるなんて思っていないよ」
オベリアは得心した。やはりこの人は異世界人だ。
そして少しずれているけど、これはきっと彼なりの優しさだ。
「私を不適格とは思われませんか」
その問いに、オルベールはあっさりと答えた。
「思うよ。だけど、それはこれから補っていけばいい」
不適格とは思わない、と言われたらそんなはずないと反発できた。
不適格だと断言されたら、諦めもついた。
だがオルベールは、今は不適格だからこそ努力しろと言ったのだ。
オベリアは気分が沈む。
「……どれだけ努力しても、お姉様のようにはできません」
思わず本音がこぼれた。慌てて口を塞ぐが遅い。
オルベールは呆れたように言った。
「ヴィクトリア嬢は元々ジェラルド様の婚約者だったろう。仮に努力によって彼女のようになったところで、僕とは根本的に噛み合わないよ」
オベリアは困惑した。ならばオルベールは何を求めているのだろうか、と。
そんな疑問が顔に出ていたのか、オルベールは笑った。
「君が努力してなるべきなのは、この僕の隣で僕を支えられる存在になることだ。そのやり方を今から一つずつ教える」
「……一つずつ」
オベリアはオルベールの言葉を繰り返す。何もかも完璧にしようとしていた。だが、そうでなくてもいいと彼は言う。
むしろ、教える通りに一つずつやれと。焦るなと。
それならオベリアにも少しだけ、できる気がした。
「私は、何をすれば良いでしょうか」
「まずは僕が言う通りに微笑んで。基本はそれを崩さないこと。辛くても、悲しくても、僕と二人きりの時以外は微笑むこと。なに、今すぐにじゃない。少しずつ、慣れたらいい」
笑うだけ。それは一見簡単に聞こえた。
けれど、本当にできるだろうか。不安に顔を曇らせるオベリアに、オルベールは箱を手渡した。
「これは僕から君への贈り物だ、オベリア」
恐る恐る開くと、そこには品のいい手鏡があった。
裏返すと百合の意匠。オベリア好みの一品だ。
「毎日、この鏡に向かって微笑んで、自分がどう見えているかを把握しなさい。まずはそこからだ」
オベリアは頷いた。不出来な自分にここまで手を尽くしてくれる彼の期待に応えたい、そう思った。
少しだけ気持ちが上向く。
そんなオベリアを見て、オルベールは満足げに帰って行った。
オベリアは手鏡を見下ろす。少しだけ自然に微笑めた気がした。




