七(オルベール視点)
オルベールは幼い頃から歴史が好きだった。
文字の読み書きを習ってからは、家の書庫に篭りきりだった。
そして一人静かに、人々が紡いだ史実に熱狂した。
だがある日、ふと気がついた。
「何かを成したことばかり、何かを壊したことばかり。何も起こさなかった人物はどこにいるのだろう」
重ねて思った。
「もしや、何も起こさないことこそ、この世で最も尊い偉業なのではなかろうか。記すことがないほど退屈な時代こそ、真に平和な時代ではないのか」
その日からオルベールは微笑み方の練習を始めた。
どの角度、どの高さで、どのように見えるのか。どの派閥の人間に、どのように自分を見せたいか。
そう、まず己を理解する。
そして好かれやすい人柄を演出する。
誰からも嫌われず、話を聞いてもらえる、信頼に足る人物だと思わせるのだ。
そうすれば、オルベールが望んだ通りに周囲を動かせた。
大喧嘩になる前の諍い。妄言大会になる前の仮説討論。
果てにはくだらない雑談までオルベールは間に入り、誰も不快にならない、誰も不利益を被ったと思わない落とし所を見つけてきた。
本人たちに“選択させて”きた。
存外、楽しかった。同時に、驕った瞬間に潰えるのが世の常だと歴史書の表紙を見るたびに思い出した。
いつからかオルベールの片手には代々家に伝わる法典が、もう片方の手には歴史書が携えられるようになっていた。
十九歳になったオルベールはなんの因果か、新たな皇太子に選ばれた。
その知らせを聞いた時、オルベールは妙に納得した。
同時にいくつかのことを思い出し、あれが試験だったのかもしれないと考えた。
例えば変人魔術師ポニーが突如として舞踏会に現れた時。
「バザン王国併合論についてぜひ議論させてほしい」とムラートが声をかけてきた時。
ロマリアがおもむろに言い寄ってきた時。
どうやらオルベールは、祖母である皇太后のお眼鏡にかなったらしかった。
同時に一つ、懸念があった。婚約者はどうなるのか。
相手次第では周辺の派閥の利害調整も兼ねて対応が必要だ。
そう考えたからこそ、オベリアとの婚約が継続されると聞いた時は胸を撫で下ろした。
オルベールは、婚約者オベリア・セナレムを気に入っている。
上からの物言いにはなるが、仕方ない。
好きとか、愛しているとか、そういう対等の文脈を、あの娘は受け付けない。同じ次元、同じ世界の存在になるのを恐れている。
それが妙にいじらしい。可愛らしい。それに、オベリア自身も自分の論理で納得しているあたり、馬鹿でもない。
だからこそ、オルベールは彼女を対等に扱わない。それは互いのためでもあった。
なにより彼女は謙虚で、傲慢の対極にいる。これは歴史書を読み込んできたオルベールにとって、とても魅力的に見えた。
オルベールはオベリアの能力の特性を把握して、評価していた。
オベリアは一を聞いて十を知る人間ではない。
オベリアは一度の失敗を十度復習し、二度と同じ失敗をしない人間なのだ。
オルベールの望む治世には、彼女のような人間が隣にいると、とてもやりやすい。
だが、オベリアが強い人間ではないことも知っている。
だからこそオルベールは、セナレム邸に向かうのだ。
彼女の心を支えるため。そして、婚約者として、未来の夫婦として、仲を深めるために。
そしていつか。彼女がオルベールを心の内側に入れ、対等に話ができる日を願って、今日も屋敷の門を叩く。




