二(セリーム視点)
アドー軍務総監セリームは応接間で頭を抱えた。
面倒が多すぎる。
今からおよそ十年ほど前。第二次西大陸戦争の敗戦国でありながら、唯一帝国支配圏に取り込めていないバザン王国の存在を疑問視する声が上がり始めたことは記憶に新しい。
第二次西大陸戦争は未だ終わっていないとの言説……すなわち、バザン王国併合論だ。
軍務院は今、大きく三つに分かれていた。
ルルニア軍務院長を筆頭とする慎重派、レヌマ副院長を筆頭とするタカ派、そしてアドー軍務総監セリームを筆頭とする併合反対派である。
慎重派はまだいい。戦争が目的ではなく、戦争により武功を立てることで軍務院の発言力や利権を拡大させることが目的だ。つまり、交渉の余地がある。
だがタカ派、あれはいけない。戦争し、勝つことが目的だ。その後の面倒など知ったことではない。それは巨大な帝国を運営する上で、あまりにも視野狭窄である。
と、そこで思考を止める。足音がしたからだ。
セリームは今日、一人の男を個人的に招いていた。
「よくぞお越しくださった、カルーシ侯爵閣下」
現れたのは黒髪を後ろになでつけた壮年の男。
「堅苦しいのはいい。気楽に、セリーム殿」
その言葉にセリームは肩の力を抜く。
セリームが治めるアドー伯爵領とカルーシ侯爵領は帝国南部に隣り合って位置している。セリームとカルーシ侯爵もまた、古い付き合いで親族でもある。なにより、同じ思想を持つ同志だった。
「それで、セリーム殿。軍務院内部に動きはあるかな」
「皇太子が変わったことで波紋が広がっております。ですが、新皇太子オルベールの婚約者が保守派筆頭の娘オベリア・セナレムということもあり、様子見の声が多い」
カルーシ侯爵は頷いた。想定の範囲なのだろう。
「問題はオルベール皇太子殿下の方針だ。何か情報は」
「五公は何やら知っている様子ですが、公式には何も」
セリームの息子ムラートが、皇太后の侍女にしてセリームの姉であるゾーイの“おつかい”をしていることは聞き及んでいる。だからこそあえて、公式という言葉を使った。非公式の情報をセリームは今、握っている。
「……セリーム殿、貴殿の知っていることを教えてほしい。無論、事実と憶測は分けて考えると約束する」
その言葉にセリームは満足して口を開いた。
「新皇太子はどうやら、軍事力による強引な併合は望んでおられない」
「確かな筋からの情報か」
「息子がオルベール皇太子本人に直接聞いたようです」
その話をしたのはオルベールが皇太子に選ばれる前であるが、そこは伏せた。皇太后との繋がりをあまり深入りされたくなかったのだ。
カルーシ侯爵は目に見えて安堵した。
「では、スラトニアを刺激することはひとまず避けられるか」
セリームもまた気を抜いて目を細めた。
「ええ、セルニアが出張ってくるような事態には、すぐにはなりますまい」
そう、スラトニアとセルニアである。
セリームは改めて確認のために地図を広げ、カルーシ侯爵と共に現状の認識を共有する。
「セリーム殿の治めるアドー伯爵領は、スラトニア王国と国境を面している。我がカルーシ侯爵領もまた、海を挟んで目と鼻の先」
「対してバザン王国は国境の大部分がスラトニア王国と面していますから……」
「バザンを強引に帝国に併合すれば、スラトニアは二方面から帝国の圧力を受けることになる」
二人は頷く。
そして、視線を南に移した。
「スラトニアの背後には海洋国家のセルニア王国があります」
「セリーム殿は常々この国の存在を危惧しておられる」
それも当然だった。第二次西大陸戦争、敗戦国ガゼルスへの包囲網たる秘密同盟の盟主だったのは、帝国ではない。セルニア王国だ。
「彼の国は、自国が脅威に晒される“可能性”を見た時点で先手を打ちます。周辺諸国を巻き込み、包囲網を形成する。無論、帝国軍は負けません。が、複数の戦線を抱えて長期戦に持ち込まれれば、国内は疲弊します」
カルーシ侯爵は神妙な顔になる。
「問題は、それを軍務院内部に周知できていないことだな」
「お恥ずかしい限りです」
セリームは俯いた。が、すぐにぱっと顔を上げる。
「ですが、オルベール皇太子の言ならあるいは耳を貸しましょう。彼は白大母の離宮にて選ばれた、いわば白大母の“お墨付き”」
「ああ、あの政府公式発表の内容は、非公式の離宮会議で決まったと聞き及んでいる。白大母がもしこちら側であれば……」
二人は期待を込め、交錯させた。
「時間は我らの味方。焦る必要はない」
「では、情報共有は今後も」
互いに信頼の握手を交わし、カルーシ侯爵は部屋を後にした。
「……さて、どうなるか」
セリームの不安の呟きは、誰にも聞かれずかき消えた。




