十五(ブリジット視点)
婚約破棄事件から一週間後。
ブリジットはなぜか、女学校の先輩に呼び出されていた。
先輩の名はロマリア・ネヘム。彼女は良くも悪くも有名人である。
まず、美しい。社交界においてはそれだけで価値がある。
だが同時に、浮名が多いことでも知られていた。身持ちが悪い、貴婦人らしからぬ女だと。
実際、聖マーロナ女学校でのロマリアの評判はあまり良くない。
そんな彼女の呼び出し。ブリジットは緊張しながら、寮内にあるサロンに足を踏み入れた。
「ごきげんよう、ブリジット嬢」
「……ごきげんよう、ネヘム先輩」
ロマリアは艶然と微笑んだ。
「あら、ふふ。あなたにはぜひ、ロマリア先輩と呼んで欲しいわ」
ブリジットは頬が引き攣るのを咄嗟に手で隠した。
「で、ではそのようにいたします。ロマリア先輩。その、それで……ご用件は、なんでしょう」
ブリジットの問いに、ロマリアは考えの読めない目で紅茶を一口飲む。
もったいつけるその姿にブリジットはモヤモヤしたが、焦ったところで会話の主導権は握れないと諦め、ただ耐えた。
仕方がないのでブリジットも茶菓子をつまむと、存外美味しかった。
その味に少しだけ頬が緩んだところで、ようやくロマリアが口を開いた。
「あなたにね、縁談を紹介したいの」
「……それは、光栄なお話ですが。なぜ、ロマリア先輩から?」
ロマリアとの間にこれといった接点はこれまでない。ブリジットは困惑した。
「先方の強いご要望でね。私は、言ってしまえば仲介役」
先方、気になる物言いだ。だが同時に納得もした。ロマリアはあくまで誰かの使い走りに過ぎない。
「先方、というのは」
恐る恐るブリジットが尋ねると、ロマリアはわざとらしく体を寄せて、声を潜めた。
「さる高貴なお方、と言ったら……あなたは、信じる?」
瞬間、息が止まった。
さる高貴なお方、この帝国においてそれは皇族を連想させる。
それが、ただの子爵令嬢であるブリジットの縁談をまとめたがっている。
その理由など、ひとつしか考えられない。
あのお忍びの、一日限りの出会いが帝国の上層部に知られている。そして、ブリジットはその当事者として扱われている。
俯き震えるブリジットに、ロマリアは目を瞬かせた。
「あら、あなたは想像以上に頭の回転が早いみたい。安心して、誰も罰する気はないわ」
その言葉を額面通りに受け取れるほど、ブリジットは素直ではない。今すぐににでも逃げ出したかったが、それでは状況が悪化するだけだとも理解していた。
だからこそ、尋ねる。
「……お相手の候補は、決まっているのですか」
ロマリアはブリジットの耳元に口を寄せて、囁いた。
「ジェラルド・ヴァロニア」
今度こそ、ブリジットの頭の中が真っ白になった。
だって彼は皇太子のはずだ。それがなぜ。どう考えても理屈が通らない。
「今日のところはひとまず帰りなさいな。詳しいことは来週以降に伝えるから」
こんなの生殺しだ。一番嫌なところで情報を遮断された。
だが、ブリジットはもはや従う他なかった。ロマリアの目が、これ以上何も教えてくれないとまざまざと理解させられたから。
翌週……婚約破棄事件から二週間後。帝国政府から公式発表がなされた。
ジェラルド皇太子に疾患が見つかったこと。それゆえに皇籍離脱し、臣籍降下すること。
新たな皇太子はオルベール・プラトとなること。オベリア・セナレムとの婚約は継続されること。
そして今日。ロマリア・ネヘムからの2回目の呼び出し。
ブリジットは顔面蒼白だった。
「失礼します」
ブリジットが入ったサロンは、前回と空気が異なっていた。
そこには、ロマリアともう一人、壮年の見知らぬ女がいた。
女はブリジットをみとめると、恭しく貴族としての礼をとった。
「ごきげんよう、ザノルベ嬢。私はゾーイ。ロマリアの母親にして、皇太后陛下の侍女を務めております」
全ての点が、線で繋がった。ブリジットはもはや避けようがない事態だと悟った。
だからこそ次の瞬間、ゾーイの放った言葉に困惑した。
「ブリジット・ザノルベ。今から話すことは一度に限り“聞かなかったこと”にできます。それを念頭において、お聞き願いたいのです。構いませんか」
要は、断る余地があると言っているらしい。ブリジットは気づく。
そも、はなから臣籍降下するジェラルドをブリジットの婿に据えたいのなら、わざわざこんな遠回しなことをする必要があるのか。まさか。
「私個人の意思を、尊重してくださるとでも?」
思わずこぼれた言葉に、ゾーイは感嘆した。
「なるほど、ロマリアから聞いてはおりましたが。これなら問題なさそうですね。話を進めても?」
ブリジットは恐る恐る頷いた。
そこでようやく、ロマリアが意気揚々と立ち上がる。
「ではまず、これをご覧になって」
差し出されたのは一枚の書類。そこにはいくつかのことが書かれていた。
「ジェラルド・ヴァロニア婿入りに際した契約案……?」
ブリジットの口から素っ頓狂な声が漏れた。
内容を要約するなら、こうだ。
まず、帝国法に基づき元皇族の格を保つため、ザノルベ子爵家は皇族結婚の最下限である伯爵家に陞爵。その場合の伯爵家当主はジェラルドとなること。
そしてジェラルドとブリジットの社交活動の制限。
二人の間に男児ができた場合、その子は原則として皇籍ではなくザノルベ伯爵家の家籍に置くものとすること。
また、女児であっても場合によってはその婚姻相手に帝国政府が介入する可能性があること。
ジェラルドを受け入れてくれた場合その対価として、望むならばブリジット・ザノルベの弟ジョンの進学先について口利きすること。
ブリジットが一通り目を通すと、ゾーイが口を開いた。
「公式発表されたジェラルド様の疾患に関しては婚姻成立後に説明があるため、今この場では説明を控えさせていただきます」
つまり、それに関してだけは“聞かなかったこと”にできないらしい。
「それからこれ、ジェラルド様からのお手紙よ」
ロマリアはおもむろに封筒を差し出した。
ブリジットは震える手で受け取り、視線で確認を取って封を切った。
それはただの恋文ではなかった。ひたすら、感謝とブリジットの身を案じる言葉が綴られていた。
『突然の話で困惑しているだろう。本当に申し訳ない』
『この手紙は読み終えたら処分してもらって構わない。君には重荷になるだろうから』
『まず、婚約破棄の件に関しては私が独断で暴走した結果だ。君は関係ないことを理解してほしい』
『その上で私はあの日、君と出会って救われた。君の見せてくれる世界に魅了された。君の言葉が、私にとって特別だった。ありがとう。心から感謝している』
『たとえ今回の話を断ったとしても、君に不利益がないことを私の名前でもって保証する』
『だがもし君がこの話を受け入れてくれるのなら、私は生涯をかけて君を愛し、守り、大切にすると誓う』
ブリジットには選択肢がある。この手紙を処分して、全部聞かなかったことにして、ただの子爵令嬢に戻る道。
そして……手紙を信じ、全てを背負う覚悟でジェラルドを受け入れ、伯爵夫人となる道。
そしてふと気づく。契約項目に子供についての記載がある。つまり、疾患は少なくとも不妊に関することではない。ザノルベ家の後継は望める。
「……期限は」
ブリジットの問いに、ゾーイは答えた。
「この部屋を、退室するまでです」
ブリジットは生唾を飲み、一拍置いて頷いた。
「……この話、お受けします」




