十四(ブリジット視点)
ブリジットはため息をついた。
憂鬱な人生は、この頃ますます拍車をかけていた。
数年前、父親に無理やり入れられた聖マーロナ女学校の空気はどうにも肌に合わない。微笑みを貼り付け、腹の探り合いをするのはずっと慣れない。それでも生き残るため必死に学んだ。
そもそも本当は、子爵家の後継者として帝国立女学校に入る予定だったのだ。だが、あまりの難しさに普通に落ちた。あんなの受かるわけがない。
ブリジットの家は複雑だ。
まず、ブリジットの母親は正妻ではない。子爵の妾だ。
子爵と正妻の間には子が望めなかった。それゆえ子爵は、貧乏な男爵令嬢だった女を妾にした。
そうして、ブリジットが生まれた。
そのうえ妾は愚かにも間男との間に男児をもうけた。
子爵は怒り、妾は追い出された。残ったのは子爵の庶子であるブリジットと、種違いの弟ジョン。
しかしブリジットの嘆願によりなんとか生活が保障されている。そんな綱渡りの日々。
だからこそブリジットは、聖マーロナ女学校での生活を投げ出すわけにはいかなかった。
ここで貴族夫人としての礼儀作法を修め、子爵家に婿入りしてくれる優秀な男を捕まえる。
その上で、ジョンにも教育を受けさせ、未来を作る。
ブリジット・ザノルベ、十六歳。その年齢に見合わない、やけに重たいものを背負っていた。
そんなブリジットの息抜き。月に一度の外出日。
寮制の女学校から抜け出せる合法的な機会。
ブリジットは質素なワンピースに身を包み、城下町へと飛び出した。
それは、偶然の出会いだった。
屋台飯に戸惑うやけに上等な外套を纏った青年と、そのお付きと思しき少年。
ブリジットは一目で理解した。いいところのボンボンと、その従者だろうと。
もし婚約者がいないなら、ここで顔繋ぎしておけば後々社交界で再会した時、“いいご縁”になるかもしれない。
そんな打算まみれで声をかけた。
「ねぇ、見ない顔だね。よかったら一緒に回らない?案内してあげる」
青年は驚いた顔をしながら、恐る恐る頷いた。彼は“ラルド”と名乗った。ゆえにブリジットも、“リジー”と名乗ったのだ。
従者らしき少年はいつの間にか消えていた。気を利かせて、少し離れたところから見守ったらしかった。
世間知らずの男に下町を見せるのは存外楽しかった。何に対しても驚き、目を輝かせ、その新鮮さにはしゃぐ。
気が付けばブリジットも打算など忘れて笑っていた。
だから、少し期待したのだ。もし本当に、当初の目論見通り社交界で再会できたら。彼との将来を考えたりできるのか、と。
その夢見がちな考えは、あっけなく粉砕された。
ある日の夜会。若い貴族が集まるそこに、彼はいた。
見た瞬間、ブリジットは理解した。あれは関わってはならない存在だと。
最高級の素材、最上級のあつらえ、最高位の紋様。
あの年齢であの装いが許されるのは、五公ですらない。
帝国の皇太子、ジェラルド・ヴァロニア。
咄嗟に合いそうになった目を逸らしたことに、胸が痛まなかったと言えば嘘になる。
だがブリジットは己と弟の保身が一番だった。
だからこそ、次の瞬間に耳を疑った。
「ヴィクトリア・セナレム。君との婚約を破棄する」
ブリジットはただひたすら困惑し、そして思った。巻き込まれたくない。
この場を収めたカークレット公爵には、心底感謝した。
彼のおかげで逃げるように会場を後にする人々の波に紛れることができたから。
だから、それで終わりだと、自分には関係のない話だと、ブリジットはこの時、本気でそう思っていたのだ。




