十三(ルーファス視点)
「よくやったわ」
ジェラルドが婚約破棄事件を起こした翌朝。
朝早くから離宮に呼びつけられたルーファスに、皇太后は開口一番にそう言った。
「……ええと?」
ルーファスは本心と演技を半々で困惑して見せた。けれど同時に理解した。
昨夜の婚約破棄事件でのルーファスの働きを、皇太后はこの上なく評価しているらしい。
「知らせを聞いた時ほど、あなたを配置しておいて良かったと思ったことはないわ」
微笑みを浮かべる皇太后は一際麗しく、七十手前とは信じがたい。
が、ルーファスにとってはもっと信じがたいことがある。
「……どこまで予想なさっていたのですか」
皇太后は珍しくとぼけて見せた。
「あら、私は神ではなくてよ」
「なら、未来視の悪魔の部下でもいるのですか」
皇太后は今度こそ笑った。
「ふふっ、まさか。けれど、ええ、ジェラルドが何かしでかす可能性は見ていたわ」
ルーファスは頭を抱えた。
「夜会での公開婚約破棄までは読んでいなかったと?」
「最悪の未来の一つとして想定はしていたわ。だからあなたに命じた。そしてあなたは見事、その期待に応えて見せた」
本当にそこまで読んでいたのか。それとも、起きた後から“想定内だった”ことにしているだけなのか。彼女なら、どちらもあり得る。だが、尋ねたところでこの女ははぐらかすだろう。
ルーファスは諦めて、ため息をついた。
「知らぬ間に重責を背負わせないでいただきたい。あの時は流石の私も冷や汗が……いえ、で、どうなさるおつもりですか」
ルーファスの問いに、皇太后は淡々とした口調に戻っていくつかの書類を差し出した。
「これをご覧なさい」
「……まさか」
ルーファスは慌てて書類に目を落とした。
「男系男子の継承案と、それに付随する問題点。そして……女系男子一世の皇籍移籍案?これは」
「男系男子は不安要素が多いの。でも、女系男子なら一人、適任がいる」
そこに書かれている文字に、ルーファスは戦慄した。
「オルベール・プラト」
父親は先代プラト公爵。母親はベアトリーチェ皇姉。つまり。
「私の孫のひとり」
皇太后の言葉に、ルーファスは書面の文字を追う。
「彼は三男ですから、公爵家の継承に横槍を入れることなく。尚且つ」
続きの文に、ルーファスはもはや平静を保てなかった。
「“セナレム公爵家次女オベリアの婚約者”」
「これなら、セナレム公爵家の面子も保たれる。本来はオベリアにオルベールが婿入りしてセナレムを継ぐところを、ヴィクトリアが継げばいいだけ」
再配置、あまりに整いすぎている。いつからこの盤面を想定したのか。あるいは、念のための度が行きすぎているのか。
「ですが、ジェラルド皇太子は?」
最大の疑問に、皇太后は視線を逸らした。
「……ロヴィアス帝の治世を支え、ジョヴァン帝の治世で実権を握り。アヴェリノ帝の治世を静観した私だからこそ言えることだけど」
ルーファスは緊張から、無意識に拳を握り締めた。
「感情そのものは悪ではないわ。けれど、感情に任せて衝動的な選択をする人間を、未来の皇帝として据え置くには、あまりに恐ろしい。だからこそ、皇太子には向かないと考えるわ」
ルーファスは目を見開いた。
「ですが、それは……」
「勘違いしないで。私はあくまで一案として皇帝陛下に提案するだけよ。今の治世で最終決定権を持つのは私ではない」
「ですが仮に皇籍を離脱して、その後は?」
皇太后はここで初めて、祖母の顔になったように見えた。
「あの子が望んだ相手と。望む形かは分からないけど」
「っ……城下町のお忍び、事実だったのですか」
ルーファスも情報網から耳には挟んでいたが、まさか皇太后がそこまで考えているなどとは想像もしていなかった。
皇太后は曖昧に微笑んだ。
「前は、うまく片付けるのに苦労したから。今回はちゃんと綺麗にやりたかったの」
ルーファスは首を傾げた。それに構うことなく、皇太后は誰に言うでもなく呟いた。
「帝国の青年たちよ、どうかこの亡霊を成仏させてくださいな」
その言葉の意味をルーファスが知るのは数日後。
離宮での非公式会議で、ジェラルドの婚約破棄理由についての説明を受けてからだった。
“疾患”、それは皇太后の案には一言もなかった。
ああ、なるほど、本当に皇帝陛下がご決断なさったのか。ジェラルド皇太子……いや、ジェラルド様が、受け入れられたのか。
ルーファスはそう、得心した。無論、驚きはおくびにも出さなかった。




