十二(ルーファス視点)
婚約破棄事件の半年ほど前。
皇太后の住まう離宮の客間へと通された赤毛の男は、入室早々に慇懃に口を開いた。
「と、いうわけで。亡き父から引き継ぎまして、新たにカークレット公爵家当主となりました。ルーファス・カークレットと申します。まぁ、ご存知でしょうけど」
下手をすれば、帝国法に触れかねないほど無礼な物言い。
しかし、部屋の奥に佇む白銀の髪を結った女は微笑んだ。
「ええ、知っているわ。あなたの顔を最後に見たのは、一昨年の園遊会」
ルーファスの表情に動揺はない。けれどわざとらしく目を見開き、両手を上げた。
「これはこれは。流石は皇太后陛下」
「ふふ、あなたのそれ、便利ね」
皇太后の微笑みに、今度はルーファスの右頬がほんの少しだけ引き攣った。あるいは、そう見せた。
「よくてよ。気に入ったわ。本題に入りましょう」
皇太后は窓から離れて席につく。
その足取りは七十手前とは思えぬほどしっかりとしたものだった。
それどころか、彼女の肌艶も、髪の生え際も、指先の皺の数もおおよそ、世にいう老人の姿とはかけ離れたものだ。
けれど、ルーファスはそれらのことには一言も触れずに皇太后に向き合うように座った。
「それで……本題、とは?」
「ヴィクトリア・セナレム。知っているでしょう」
当然だ。
最近決まった、皇太子ジェラルドの婚約者。才色兼備の才媛と名高い美しい女。
「彼女がどうかしましたか?」
ルーファスは白々しくそう尋ねた。
しかしすでに、皇太后の言いたいことに察しはついていた。その証明のように、彼は品のない笑みを浮かべた。
「彼女の噂についてはご存知かしら」
「ああ、皇太后陛下のお耳にも届いておりましたか。ですが、意外です。あのような低俗な話を信じていらっしゃると?」
不遜な物言い。しかし皇太后は不快の色の一つも見せない。
「何の噂かまでは言っていないはずだけど」
「これはこれは。一本取られてしまいました」
「取らせてやった、の間違いでしょう」
淡々とした指摘。
今度こそルーファスの眉がぴくりと動いた。
「念の為しばらく、ジェラルドの出る夜会にはあなたも全て出席なさい」
皇太后のその言葉に、ルーファスは目を瞬かせる。
ルーファスとて暇な身ではない。それは皇太后も重々承知のはずだ。にも関わらず命じるということは相応の事情があるのだろうか。
「理由も知らぬまま動けと?」
相変わらずの慇懃無礼な口調。
しかし、今はどこか焦りが滲んでいた。
この皇太后が皇太子ジェラルドの監視をルーファスに命じるほど追い詰められているのだとしたら、それはどういった事態なのか。
「……ヴィクトリア・セナレムは優秀な娘ではあるけれど、皇太子妃としては不適格の可能性が高い。それだけの話なのよ」
「ならば婚約解消を?セナレムにはどう説明するおつもりですか」
「……随分と踏み込むわね」
「帝国と己の未来がかかっておりますから」
ルーファスの手のひらには汗がじっとりと滲んでいたが、幸いにも黒手袋のおかげでバレなかった……はずだ。
皇太后は涼しげな顔で、けれどどこか憂いを帯びて視線を落とす。
「私は亡霊、本来は表に立つべきではないの」
「おや、自覚がおありでしたか」
「もう、まったく……はぁ、けれどね、出なければならなくなったら。完璧にことを収める準備をしておかなければならないの」
「私はその布石だと?」
皇太后は顔を上げ、ルーファスをまっすぐ見据えた。
「信用しろとは言わないわ。けれど、タダで動く気がないのなら。私の手札を一つ見せます」
「もったいなきお言葉」
皇太后は一枚の書類を取り出した。
「私の部下の一人よ。あなたも知っている顔のはず。好きに使いなさい。彼女の使い勝手の良さは……説明するまでもないでしょう」
そこに書かれていた名は、ポニー・テッド・マージス。華やかな美貌をもちながら、社交界で奇天烈な魔術具を披露する変人だ。
「……ははっ」
ルーファスの口から乾いた笑いが出た。素だった。咄嗟に取り繕おうとして、今度は下手くそに笑って見せた。
この日、ルーファスは“白大母の犬”となった。




