十
帝国五公。それは帝国において最も重要な五つの公爵家である。
その五公の当主がこの日、皇太后の離宮に一堂に会していた。
ボンフォール公爵は、涼しい顔をしながらも内心珍しく緊張していた。
ある筋からジェラルド皇太子が突如、婚約破棄をしたと聞いたのは四日前。
宮廷からの召喚状が届いたのは二日前。
そして今。ボンフォール公爵は気になっていた離宮に、足を踏み入れていた。
ずっと白大母と呼ばれる皇太后の現状について知りたかった。
十九年前、先帝ジョヴァンの退位に伴い表舞台から姿を消しながらなお、彼女の噂は絶えなかったからだ。
案内された部屋に入ると、そこには先客がいた。
まずカークレット公爵。別名、白大母の犬。この離宮に前々から出入りしていると噂の男は、わけ知り顔で余裕のある雰囲気で奥の方に陣取っている。
エデルシュト公爵は相変わらずの仏頂面。帝国最古参貴族の威厳か圧か。じろりとボンフォール公爵を見ると、目礼だけした。
そしてセナレム公爵。明らかに不機嫌が滲み出ている。当然だろう。自分の娘が婚約破棄されたかもしれないのだから。
最後にプラト公爵。何やら落ち着きのない様子。だが、だからこそどこまで把握しているのか不明瞭だ。
「宰相閣下がご到着です」
侍従の声と共に入ってきたのは疲れた顔の壮年の男。
彼は困惑した顔で室内を見回し、五公が揃っていることをみとめると固まった。さもありなん。
これで役者は揃ったとばかりに、隣室から声がした。
「皇帝陛下のおなりです」
現れたのは皇帝アヴェリノだ。
一瞬、ボンフォール公爵は困惑した。皇太后は来ないのか。
そんな不安を置き去りに、一人一人の顔を見て皇帝が口を開く。
「まず……突然の招集、すまない。揃ってくれて何よりだ。さ、座れ」
許しが出てようやく椅子に腰を下ろす。さて、いったい何が始まるのか。
と、皇帝がおもむろにセナレム公爵に向き合った。
「それから、セナレム公爵。先日は我が愚息が大変失礼した。非公式な場ではあるが、謝罪させてくれ。誠に、申し訳ない」
瞬間、空気が凍った。国の頂点に立つ、女神の血を引く最も尊い人間が、頭を下げた。
流石のこれは誰もが予想外で、狼狽えた。
「か、顔をお上げください、陛下!分かりましたから!謝罪を受け入れますから!ですから、そのような……そのような……っ」
セナレム公爵も、皇帝が素直に頭を下げるとなれば意地を張ることもできない。あっさりと引き下がった。
「……謝罪を受け入れてくれたこと、感謝する。では、本題に入る」
その言葉に、ようやく空気が戻り始める。ここからは政治の時間だ。
「先日、我が息子ジェラルドが夜会の場にて婚約破棄をしたことは、そなたらの耳にも入っていよう。あの件に関し、私は事前に把握していなかった。完全なる、監督不足だ」
皇帝が非を認める。それもまた、ここが非公式の場だからだろう。
「その上で、なぜあのようなことに及んだか説明しよう」
一拍おき、皇帝は深呼吸して続けた。
「ジェラルドに、病が見つかった」
ボンフォール公爵の背中に、ヒヤリとしたものが走った。
「陛下、発言の許可を」
いの一番にそう言ったのは、エデルシュト公爵。
皇帝は頷いた。
「構わない」
「その病は、次期皇帝として障りのあるものですか」
率直な問いだった。普段のエデルシュト公爵なら絶対にしないようなことだった。
だが、皇帝は怒るでもなく頷いた。
「ああ、故に動転したジェラルドはまず婚約者であるヴィクトリア嬢のことを考えた。だが、感情が先走りあのような愚行に及んでしまった」
つまり、ジェラルド皇太子は皇帝の後継者として問題のある病を発症したため、気が動転し婚約破棄に及んだらしい。一応、辻褄は合っている。
ボンフォール公爵は、皇帝が帝国中枢の者たちとの間にわだかまりを残さないという意思を感じた。
同時に、エデルシュト公爵を恐ろしく思った。彼は、この場では率直な問いが許されると即座に理解し、その方向に舵を切ったのだ。
「事情は、納得いたしました。ですが、その……」
言い淀むセナレム公爵に代わり、カークレット公爵が口を開いた。
「ジェラルド皇太子殿下の処遇はいかがなさるおつもりで?」
空気が張り詰める。けれど皇帝はここまで踏み込まれても、怒りの片鱗も見せなかった。
「病であることを公表し、皇籍を離脱させる」
つまり、皇太子の座が空白になる。どうなるというのか。
ボンフォール公爵はチラリと周囲を盗み見る。誰も彼も、同じことを考えているようだった。
「新皇太子には、プラト公爵の弟であるオルベール・プラトを考えている」
「えっ」
咄嗟に声を上げたのは、プラト公爵だ。
まさか、皇帝は事前の根回しをしていなかったのか。
そこでボンフォール公爵は思い至る。
根回しをしていたら、自分はどう見た。プラト公爵は自分の弟を次期皇帝に据えた野心家と、見做さなかっただろうか。
「わ、私の弟ですか?その、陛下。理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
皇帝が頷くと、控えていた侍従が動き出す。そして、一人一人の手元に封筒が置かれた。
「拝見します」
宰相が先陣を切り、中身をあらためる。
続くようにボンフォール公爵もそれを見た。そして、息を呑んだ。
「なるほど、これは」
ボンフォール公爵は感心した。
「これなら、確かに……」
「いつの間に、こんな」
宰相は納得し、プラト公爵は困惑した。
「……」
カークレット公爵だけは事前に把握していたのか、大した反応はなかった。
「これならば私は賛成です」
エデルシュト公爵が頷いた。
それはこの非公式な場で、何より意味を持つことだった。
「書類を見るに我が娘オベリアと、新皇太子となるオルベール……様の婚約は継続されるということで、間違いありませんか」
セナレム公爵は震える声で尋ねた。
「ああ、そのように考えている」
皇帝が首を縦に振ると、セナレム公爵は目に見えて歓喜に震えた。
「素晴らしいお考えだと、思います……っ」
けれどボンフォール公爵の目は別の方向を捉えた。一人、納得していない者がいたのだ。
正確には、感情が追いついていない者。
「……弟に、務まるでしょうか。それに、本人の意思は」
プラト公爵だ。
皇帝はピシャリと言い放つ。
「律令院長たる者、法に反さない限りは中立であるものと思っていたのだが」
プラト公爵の肩が分かりやすく跳ねたが、彼は引き下がらなかった。
「はい、公人としては申し上げることはございません。これは、私人としての私の懸念です」
皇帝はため息をついた。
「弟思いだな、いいことだ。だが、帝国は優秀な人材を遊ばせておくほどの余裕はない」
そうしてもう一枚、紙が配られる。
オルベール・プラトのものと思われる『バザン王国併合論』の個人的見解。
そこには確かに、皇帝に必要な資質の片鱗が見え隠れしていた。少なくとも、ボンフォール公爵にはそのように感じられた。
「私も賛成です」
ボンフォール公爵はようやく発言した。
その後を追うように、宰相も頷いた。
もはや、帝国の未来はこの場で決められたも同然だった。
そしてボンフォール公爵は理解した。まんまと嵌められた、と。
離宮に呼ばれたからには、皇太后が出てくるものと確信していた。だが、あの女は出てこなかった。
つまり、今回の決定に関して皇太后は関与していない姿勢を表向きは貫くらしい。
場所だけ貸した、というわけだ。この事実は社交界で再び絶妙な均衡を保つだろう。
非公式の離宮会議はお開きとなり、皇帝が退室した。ようやく歓談の時間になり、ボンフォール公爵もまた情報を集めようとプラト公爵に話しかけた、その時。
視界の端で、セナレム公爵が見覚えのある女……おそらくは皇太后の侍女について行くのが見えた。個別で話があるらしい。
内容を知るのは無理だろうが、呼び出しという事実をボンフォール公爵は忘れず記憶した。




