九(アヴェリノ視点)
婚約破棄事件から二日が経った。
アヴェリノは夜、誰もいない寝室で頭を抱えていた。
「……なぜだ」
思わずこぼれ出た疑問。
なぜ、このようなことに。いつから間違えた。できるならやり直したい。
……そんなことを考えるなんて皇帝失格だ。今できる最善を考えなければ。
そう煩悶するたびにひとつの問題にぶち当たる。
「ジェラルドを、切り捨てるなんて。私には」
できない、と言えば父として正しく、皇帝として失格だ。
できるのなら、皇帝として正しく、父として失格だ。
どちらを取るかは決まっている。
だが、感情の整理が追いつかない。事態は一刻を争うというのに。
今すぐにでも、妻に縋りたかった。悩みを共有し、苦悩を分け合い、共に決断を背負いたかった。
だが彼女は国外だ。これ以上、戦争をしたくないというアヴェリノの意を汲んで、帝国の対外関係改善に向けて奔走してくれている。
全て、アヴェリノが望んでいたことだ。
顔を上げ目に映るのは、忙しい合間を縫って描かせた一枚きりの家族の肖像画。
ジェラルドを腕に抱いた日の重み。
立ち上がり駆け寄ってきた小さな頭を撫でたこと。
時には皇太子のあり方を律したこともあった。
いつからだろう、忙しさが極まり会話もろくにしなくなったのは。
アヴェリノはジェラルドとの日々が走馬灯のように思い出され、己の手を見た。
なんの意味もないように見える、どこにでもある平凡な手。けれど、この国においてはこの手で書いた署名で勅書ができるのだ。
ようやく感情の向きが安定してきた。
皇帝として、アヴェリノはジェラルドを切り捨てる。だからといって、ジェラルドを愛した過去が嘘になるわけではない。
そして、父親としてどれだけ失格でも、これまでもこれからも、愛し続けてしまえる。
ジェラルドはアヴェリノのたった一人の息子だから。
翌朝。アヴェリノはジェラルドと朝食の席を共にした。そして、言った。
「ジェラルド、私はお前を愛している」
「……へ?」
「だが、皇帝としてお前を切り捨てる決断をする。恨むなとは言わない。だが、覚えておけ。私は……私の息子がお前でよかったと、そう思っている」
ジェラルドはしばらく呆然としたのち、ようやく言葉を飲み込んだのか、潤んだ目で頷いた。
「……はい、父上」
震えた声は、悔しさと情けなさと、そしてどうしようもない嬉しさが滲んでいた。
この日、ジェラルドの婚約破棄が正式に受理された。同時に婚約破棄事件から五日目に、非公式の会議が執り行われると決定、通達された。
あの白大母と呼ばれる皇太后がいる、離宮で。
離宮での非公式会議に向けて、アヴェリノは説明の最終調整に行き詰まっていた。
すなわち、ジェラルドの廃嫡理由を素直に話すべきか否か。
上層部にだけ伝え、政府としての公式発表では明かさないという手もある。だがその場合、ヴィクトリア・セナレムとユリウス・ウカーシュの関係にまで言及する必要が出てくる。
そんな中、皇太后から連絡があった。
『ウカーシュ侯爵夫人、メルヴィーナより私信。ユリウス・ウカーシュは謹慎のち勘当処分にするゆえ、当家はこの件に一切関わらないものとさせていただきたい』
アヴェリノは頭を抱えた。そして一つの大きな嘘をつく決断をする他なかった。
その最後の一歩のため、ジェラルドを呼び出した。
「……失礼します。父上、お話とは例の件ですか」
現れたジェラルドの目元にはクマがあり、やつれていた。
だがもはや、前置きも必要ない。アヴェリノは言った。
「お前の能力不足を理由に廃嫡したと知られるのは、障りが大きい。もっと穏便な理由が必要だ。それで……お前に、病が見つかったことにしようと、考えている」
「病、ですか」
ジェラルドは驚いた様子を見せなかった。あるいは、本人も薄々考えていたのかもしれない。
アヴェリノは頷き、続けた。
「病が見つかったお前は気が動転し、早とちりをしてヴィクトリア嬢に婚約破棄を突きつけた」
「そうすれば、彼女の名誉は守られる……」
ジェラルドの目に光が宿った。ずっと後悔していたのだろう。理由がなんであれ、公の場で彼女を辱めたことを。
「病の内容は伏せる。具体的な内容を公表すれば、矛盾が生じたときに辻褄を合わせるのが難しくなる」
「……臣籍降下後は、皇領の静養地で大人しく隠遁生活をするのがいいかもしれませんね」
自嘲気味に呟くジェラルドに、アヴェリノは何も言えなかった。
こうしてジェラルドの疾患が生まれた。




