プロローグ:護衛任命式の夜
中断された護衛任命式を無事に終え、私はクリス様の命令通りにお部屋を訪ねた。
「……クリス様、アデル……です」
コンコンとノックし、中にいるであろうクリス様に声をかけた。部屋の中からは時計の針が進む音と、わずかだが何かがこすれる音が聞こえてきた。その音に耳を傾けながら、じっと待っていると、クリス様から入室の許可が出る。
「待たせてごめんなさいね、入っていいわよ」
ゆっくりとドアを開き、部屋の中を見る。そこには、初めて見るクリス様のお姿があった。いつもは結い上げられているプラチナブロンドの長い髪が、シルクのパジャマの肩にかけられている。頬はわずかに赤く染まり、窓から差し込む月明かりがクリス様の白い肌を照らしている。
ベッドに腰かけているその姿を見て、美しいと、心からそう思った。
「そんなとこで固まってないで、早くこっちへいらっしゃい」
「……は、い」
なんとか声を絞り出し、言葉通りクリス様のもとへと向かって歩き出す。一歩近づくたびに、なぜだかドキドキしてくる。ゆっくりと進んでいたせいだろうか、時計を見ると数分たってしまっている。やっとクリス様のもとへたどり着くと、クリス様は無言でベッドをポンポンと叩き始める。
「あ、あの、クリス様……これは……」
「……座りなさい」
どうやら座れということらしい。クリス様の横へ少し離れて座ると、ふわりと甘い匂いがした。
――クリス様、いい匂いがする
思わずスンスンと嗅いでしまった。
「あまり、人の匂いを嗅がないで」
「ご、ごめんなさい……いい匂いがして、つ、つい」
思わず正直に言ってしまうと、クリス様から少しあきれた声が返ってきた。
「そんなに嗅ぎたいなら、もっと近くに来てもいいわよ」
その言葉と同時に、クリス様は私の肩を抱き寄せ、私の頭をご自分の膝にのせてしまった。そのまま私はクリス様に撫でられてしまう。
「きれいね、あなたの髪。さらさらで、きれいな銀色」
「……」
きゅ、急に褒められると、どうしていいか分からなくなる。胸の奥がうるさいくらいに波打って、うれしいのに、心がちっとも落ち着かない……
そのドキドキとうれしさも、クリス様に撫でられると次第に治まっていく。この人の手は温かくて、触れていると勝手に眠くなってしまう。帝都までの旅で、眠れないときは何度も手を握ってもらった。
「……クリス様」
つい言葉がこぼれてしまう。
「私を、拾ってくれて、あ、ありがとうございます。……クリス様に、拾ってもらえなかったら、私、あそこに、ず、ずっと一人ぼっちで……だ、だから、えっと、あの……」
あふれてしまう。クリス様、あなたへの感謝が。記憶のない私を拾って、専属護衛の立場をくださって、一人じゃなくしてくれた。名前をくれた。自分が何者かもわからず、恐怖していた私を安心させてくれた。
でも、それを言葉にすることができない。どんな言葉を言えばあなたに喜んでもらえるのか、あなたに拾ってよかったと思ってもらえるのか。記憶のない私にはわからない。わからなくて、すごく怖い――――
ぐるぐると頭を悩ませていると、クリス様の手が私の頭にふわりと触れた。
「大丈夫よ、アデル。あなたの気持ちは伝わっているわ」
いつもよりも柔らかい声が上から降ってきた。
「あなたが何者でも、私は手放さないわ。だから、ずっと、私のそばにいなさい」
頭を上に向けると、クリス様が笑顔を浮かべている。
“手放さない”この言葉がどれだけうれしいことか、この人はわかって言っているんだろうか。その言葉一つで、さっきまでの怖さがなくなってしまう。胸には温かさが広がって、安心する。
「ありが、とう、ございます……ずっと、います。クリス様のおそばに……ずっと」
安心したからか、少し眠くなって……
手に、温かいものが触れている……クリス様の手だ……そうだ、クリス様に、おやすみなさいって……言わな……いと
私の小さな誓いを聞いたクリス様は、私の手をきゅっと握りしめた。
「まったく、主人より先に寝る護衛がどこにいるのかしら……」
その言葉を最後に、私の意識は眠りへと落ちていった。
◇
これは、記憶喪失の私が激つよ皇女様のクリス様と出会ってから、少しだけ時間がたってのお話。
すべてはあの日、花畑に満ちた“聖域”での出会いから始まったのです。




