第9話 変化の時.......!?
そう思った、その時だった。
突然、執務室の扉が勢いよく開かれた。
「リーシェ様!」
入ってきたのは、見覚えのある王宮司法官だった。その背後には数名の王宮騎士まで控えている。
「王宮より正式な調査命令が下りました。北東部における税務不正について、関係者を含めた全面調査を開始いたします」
「……予定より早いですね」
「ええ。ヴァイス卿から事前に報告を受けておりましたので」
私は隣を振り返った。
「……ヴァイス様?」
「念のためだ」
「いつの間に王宮へ連絡を?」
「昨日の夜だ」
「昨日の夜……?」
「ああ」
「ということは......」
「......君が寝たあとだな」
私は眉を寄せた。
「……まったく、しっかり寝てくださいよ.......」
「君もだろう?」
「.......私は当主ですので」
「俺は君の婚約者だ」
「それは理由になっていません」
「俺にとっては十分な理由なのだよ」
「…………」
また、それだ。
この人は時々、本当にずるい。
私が何も言えなくなったのを見て、ヴァイスは満足そうに微笑んでいる。
「……本当に、敵に回すと厄介な方ですわね」
「敵に回るつもりはないぞ」
「知っています」
むしろ、この人が味方でいてくれることが、今は何より心強かった。
◇
それからの調査は、驚くほど早かった。
王宮の調査官が入ったことで、これまでローデリックが『存在しない』と言い張っていた書類が次々と見つかり始めたのである。
領主館の地下倉庫からは、提出用とは別に保管されていた帳簿の原本が発見された。
そこに記されていた数字は、公爵家へ提出されていた帳簿とはまるで違う。
税収、商会への支払い、領民からの徴収額、そして、それらの差額として消えていた莫大な金額.......
五年間で積み重なった不正の総額を目にした私は、さすがに言葉を失った。
「……これほどまでに」
思わず呟く。
「ええ。ですが、まだ終わりではありません」
司法官は淡々とした口調で答えた。
「ローデリックの私室から、さらに証拠が見つかっています」
「何が?」
「こちらです」
差し出されたのは、何通もの手紙だった。差出人の名前を確認した瞬間、私は目を細める。
「……グスタフ・ベルンハルト」
「はい」
手紙には、金銭の受け渡しについて具体的な指示が書かれていた。
それだけではない。
どの村から、どれだけ徴収するのか、どの商会を経由するのか、そして、誰にどれだけ分配するのか......
ーーすべてが記録されていた。
「これなら言い逃れはできませんね」
「ええ。筆跡鑑定と印章の照合も進めますが、現時点でも十分に立件可能でしょう」
ローデリックは、もはや何も言わなかった。
先ほどまでの威勢は完全に消え失せ、椅子に座ったまま俯いている。
「……終わった」
かすかな呟きが聞こえた。
私はその言葉に、怒りよりも奇妙な感覚を覚えた。
ーー五年間。
私が夜中に一人で帳簿を見つめていた時間は、決して無駄ではなかった。
誰にも褒められなかった、誰にも知られなかった、それでも、私は領地を見捨てなかった。
領民が少しでも楽に暮らせるように、明日の食事を心配せずに済むように........ただ、それだけを考えていた。
ーーその結果が、今ここにある。
「リーシェ様」
司法官が、さらに一枚の書類を差し出してきた。
「……こちらは?」
「これが、今回の件で最も重要な証拠になる可能性があります」
私は受け取った書類へ目を落とした。
そこに記されていた日付は――六年前。
私がまだ、この不正の存在すら知らなかった頃だった。そして......
書類の一番下には、見慣れた署名があった。
「……お父様?」
そこにあったのは、父――アルフレート・フォン・アーレンスの署名。
しかも、そのすぐ下には。
「……ヴィオラ様」
二人の名前が並んでいる。
私はしばらく、何も言えなかった。
「これは……」
「六年前の財務処理に関する承認書です」
司法官が慎重に説明する。
「つまり、当時の公爵家当主と夫人が、この資金移動を把握していた可能性があります」
「可能性……」
私は書類をもう一度見つめた。
ーー六年前。
まだ母が亡くなって間もない頃、私が何も知らずに屋敷で暮らしていた時期。
父は知っていた、ヴィオラも知っていた、それでも、何も言わなかった......
そしてその後、私は北棟の物置部屋へ追いやられた。領地の財政がおかしくなっていくのを見ながら、父は何もせず、ヴィオラは私を遠ざけ続けた。
すべてが一本の線で繋がっていく。
「……そういうことでしたのね」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
怒りはなかった。悲しみも、もうあまり感じなかった。ただ、妙に納得してしまったのだ。
どうして父が、あれほど何も見ようとしなかったのか、どうしてヴィオラが、私を領地のことから徹底的に遠ざけたのか、どうして私が口を出そうとするたびに、決まって『子供には分からない』と言われたのか。
――知られたくなかったのだ。
私に領地の実情を.......
そして、自分たちが何をしていたのかを。
私はゆっくりと書類を机へ戻した。
「リーシェ」
隣から、ヴァイスの静かな声がする。
「大丈夫か?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「少し驚いただけです」
「無理をする必要はない」
「無理などしていませんわ」
そう答えながら、私は書類の端を指で軽く叩いた。
「むしろ……ようやく理由が分かった気がして、すっきりしております」
「理由......?」
「ええ」
私は顔を上げる。
「五年間、私が何をしても邪魔者扱いされた理由です」
そして、静かに笑った。
「私が知らないままでいてくれた方が、都合がよかったのでしょうね」
ヴァイスは何も言わずに、ただ、私の肩へそっと手を置く。その温かさが、今はありがたかった。
「.......でしたら」
私は一枚の書類を持ち上げた。
「五年間分、まとめて精算していただきましょうか」
司法官が目を丸くする。
「精算……ですか?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「領地から消えたお金も、私が受けた損害も、そして何より――」
一度、言葉を切る。
「私が五年間、見ないふりをしてきたものも」
机の上に書類を重ねる。
「全部、明らかにしていただきます」
ヴァイスが苦笑した。
「君は........本当に容赦がないな」
「五年分ですもの」
私は堂々と胸を張った。
「利息まで、きっちりいただきますわ」
「……ちなみに、利息はいくらだ?」
「知りません」
「知らないのか......?」
「今から計算します」
「俺も手伝おう」
「では、まず寝てください」
「…………」
「五年間分の精算をするのに、寝不足で計算を間違えたら笑えませんでしょう?」
「……分かった」
ヴァイスは渋々頷いた。その横では、司法官が小さく笑っている。どうやら私たちのやり取りが、少しだけ緊張を和らげたらしい。
――しかし。
その頃、王都では。
「なぜだ……!」
豪奢な執務室の中で、一人の男が声を荒らげていた。
ーーグスタフ・ベルンハルト。
王宮財務局次官補。
これまで誰にも知られることなく、莫大な金を懐へ入れてきた男だった。
彼の机の上には、一枚の報告書が置かれている。
『リーシェ・フォン・アーレンス、北東部へ到着』
「なぜ、あの娘が北東部へ行った……?」
グスタフは報告書を握り潰す。
「ローデリックは何をしている? まさか、何か喋ったのではないだろうな……?」
焦った彼は机の引き出しを開け、いくつもの書類を取り出した。
そして、暖炉へ放り込む。
紙が燃え、灰へ変わっていく。
これまでなら、それで証拠は消えた。
誰も彼を疑わない.......そう思っていた。
だが。
「……どうしてだ」
グスタフは震える手で、最後に残った一枚の書類を見つめた。
そこには、六年前の日付。
そして――アルフレート・フォン・アーレンスとヴィオラ・フォン・アーレンスの署名がある。
「この書類だけは……絶対に見つかってはならない」
彼は知らない。
その書類と同じものが、すでに北東部の領主館で発見されていることを。
そして何より、リーシェが、ただ不正を暴くだけでは終わらせるつもりがないことを。
五年間。
誰にも知られずに領地を支え続けた少女は、もう虐げられていただけの令嬢ではない。
自分の手で、公爵家を立て直すだけの力を持った当主になったのだ。
「……グスタフ・ベルンハルト」
リーシェは、王都にいる男の名前をもう一度口にした。
その声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、静かな決意だけが宿っていた。
「あなたが隠した六年間分の帳簿――」
リーシェは微笑む。
「一冊残らず、私が見つけて差し上げますわ」
そして、この日。
五年間にわたって続いた小さな不正の調査は――王宮を巻き込む、巨大な財務不正事件へと姿を変えた。
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