第7話 ここからが私の腕の見せ所ですわね!
翌朝。
私たちは、北東部の中心都市にある領主館へと向かっていた。
昨夜、少女から渡された一枚の紙。
そこに書かれていた名前は、王宮財務局の次官補――グスタフ・ベルンハルト。
王宮の財務を扱う人間でありながら、なぜか六年前からアーレンス公爵領北東部の税務記録に頻繁に名前を残している。
しかも、その金額は決して小さくない。
最初は僅かな誤差だった。
けれど年を追うごとに少しずつ増えていき、五年前には領地の年間収益のおよそ一割、昨年には二割近くが帳簿上から消えていた。
それだけの金額が、偶然消えるはずがない。
「……ところでヴァイス様」
「なんだ?」
「どうして昨日からずっと、その帽子を被っていらっしゃるのですか?」
向かいに座るヴァイスは、昨日と同じ商人風の服装をしていた。
丸い眼鏡。
茶色い帽子。
そして、どう見ても似合っていない立派な髭。
「変装だ」
「それは見れば分かります」
「なら問題ないだろう」
「大問題ですわ」
「なぜ?」
「昨日より髭が三センチほど長くなっています」
「……気づいたか」
「気づかない方が難しいです」
しかも、その髭はどうやら本人が自分で付けたものらしいのだが......妙に誇らしげに撫でているのがとても腹立たしい。
「商人というのは、こういう立派な髭を生やしているものなんだろう?」
「どこの商人なんですか、それ。王都の商人にそんな決まりはありませんよ」
「そうなのか?」
「そもそも昨日、宿屋の主人に『随分と立派な髭ですね』と言われて、『騎士団長としての威厳が出ているだろう』と答えていましたよね?」
「……」
「商人として潜入する気、最初からありませんでしたよね?」
「…………」
ヴァイスは気まずそうに窓の外を見た。
「俺は、変装が苦手だったんだな」
「でしょうね」
私はため息をついた。
どうやら我がスーパーダーリンには、剣術以外にも致命的な弱点が存在するらしい。
――変装。
「それにしても、昨日の少女は大丈夫でしょうか」
「問題ない。俺の部下に見張らせている」
「......ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。君が心配しているなら、当然のことだ」
「……そういうところですよ」
「何が?」
「そういう何気ない一言を平然と言うところです」
「.......?」
本当に分かっていない顔をしている。私は小さく笑ってから、再び帳簿へ目を落とした。
今は恋愛に浮かれている場合ではない。目の前には、もっと大きな問題がある。
「今日、領主館にいる代官へ話を聞きます」
「ああ」
「ただし、最初から追及はしません」
「なぜだ?」
「犯人が分かっていると思わせれば、証拠を消されますから」
私は一枚の紙を取り出した。
「ですから、まずは何も知らない顔をして、向こうから話させます」
「なるほど」
「そして、最後に全部ひっくり返します」
「……君、以前よりも強くなったな」
「五年間も硬いパンを食べさせられていたんですよ?」
「それと強さに何の関係が?」
「.......分かりません」
「ははっ! 分からないのか.....なら仕方がないな!」
「ですが、腹が減っている人間は強くなれないと思いますので、きっと関係ありますわ」
「……そうか、確かに.....!」
ヴァイスは真面目な顔で頷いた。
「では今後、君には絶対に硬いパンを食べさせないようにしよう」
「そこは最優先でお願いします」
馬車が領主館の前で止まった。
◇
「これはこれは、リーシェ様! わざわざこのような場所までお越しいただき、誠にありがとうございます!」
出迎えたのは、北東部の代官を務める男だった。
名前はローデリック。
五十歳ほどの、腹の出た男である。
顔には愛想笑いを浮かべているものの、目だけが妙に忙しく動いている。
「こちらこそ、突然の訪問で申し訳ありません」
「いえいえ! 新しい当主様に直接お会いできるなど、こちらとしても大変光栄でございます!」
「ありがとうございます」
「ところで……そちらの方は?」
ローデリックがヴァイスを見る。
「私の護衛です」
「護衛……?」
「ええ」
ヴァイスが胸を張った。
「腕には自信がある」
「……」
私は思わず頭を抱えた。
商人風の変装をしているのに、自分から「腕に自信がある」と言う護衛がどこにいる。
ローデリックも若干引いている。
「そ、そうですか……頼もしいことで.....」
「よく言われる」
「誰にですか?」
「部下に」
「それはもう変装する気がないですよね?」
私が小声で突っ込むと、ヴァイスは黙った。
「では、こちらへどうぞ」
通された執務室には、北東部の税務記録が大量に並べられていた。私は椅子に座ると、わざと何気ない調子で尋ねる。
「今年の北東部は、例年と比べて少し税収が少ないようですね」
「ええ、残念ながら今年は天候に恵まれませんでして」
「......そうですか」
「農作物の出来もあまり良くなく、領民たちも苦労しているようです」
「なるほど」
私は頷いた。
けれど、その説明は昨夜見た現地の畑とは完全に食い違っている。
「ちなみに、収穫量そのものはどの程度だったのでしょう?」
「……それは、まあ……例年並みかと」
「例年並みなのですね?」
「はい」
「では、なぜ税収だけが減ったのでしょう?」
「……」
ローデリックの笑顔が固まった。
「そ、それは……農民たちの生活を考慮して、徴税額を調整したからでございます」
「まあ」
私はにっこりと笑った。
「優しいのですね」
「は、はい! 領民あっての領地ですから!」
「では、その減額分はどこへ行ったのでしょう?」
「え?」
「減税したのであれば、公爵家が受け取らなかっただけですよね?」
「そ、それは……」
「ところが、商会の記録を見る限り、農民たちは例年とほぼ同じ額を支払っています」
ローデリックの額に汗が浮かんだ。
「……」
「不思議ですわね?」
「そ、それは商会側の記録が間違っているのでしょう!」
「なるほど」
私は頷いた。
「では商会の記録を確認しましょうか」
「え?」
「すぐ近くにあるそうですから」
「い、いえ! その必要は――」
「必要があります」
私は笑顔を崩さなかった。
「だって、間違っているのなら訂正しなければいけませんもの」
ローデリックの顔が引きつる。
そして、ヴァイスが無言のまま彼を見つめた。たぶん本人は睨んでいるつもりなのだろう。
しかし、変装用の髭を付けたまま睨んでいるせいで、迫力が半減している。
「……何か?」
ローデリックが恐る恐る尋ねる。
「いや」
ヴァイスは腕を組んだ。
「お前、さっきから汗をかきすぎじゃないか?」
「……!」
「暑いのか?」
「そ、それは……」
「この部屋、かなり涼しいぞ」
「…………」
ローデリックの顔から、さらに汗が流れた。
「ヴァイス様」
「.......なんだ?」
「追及が雑です」
「そうか?」
「ですが、効果はあるようですね」
「なら問題ない」
この人、本当に騎士団長なのだろうか。
いや、騎士団長だった。
間違いなく。
私は小さくため息をつきながら、持参した帳簿を開いた。
(さてさて、ここからが私の腕の見せ所ですわね)




