第26話 本当の終わり......!?
「……ならば、そなたの選択を待とう」
その言葉に、私は深く頭を下げたその直後だった。
「捕らえました……!」
大広間の外から、複数の騎士の声が響いた。
ーーー扉が開く。
そこにいたのは――両腕を騎士に掴まれたグスタフだった。
衣服は乱れ、髪も崩れ、先ほどまでの王宮財務局次官補としての威厳など、見る影もない。
「離せ! 私は王宮財務局の人間だぞ! こんな無礼が許されると思っているのか!」
「……残念だったな」
ヴァイスが冷たく言い放った。
「今のお前は王宮財務局の人間ではなく、逃亡中の容疑者だ」
「黙れ! 騎士風情が私に命令するな!」
「その威勢を取調室でも保てるといいな」
グスタフが私を見る。その顔から、一瞬で血の気が引いた。
「……お前……!」
「お久しぶりですね、グスタフ様」
「なぜ……なぜお前がここにいる!?」
「私が呼ばれたからですが?」
「そういう意味ではない!」
グスタフが叫ぶ。
「なぜお前が、そこにいる! なぜ王宮の中心で、私よりも高い場所に立っている!」
「それは簡単です」
私は微笑んだ。
「私がここへ立つことを、あなたよりも多くの人間が認めたからでしょうね」
「ぐっ……!」
グスタフは歯を食いしばった。
「私は何もしていない! すべてローデリックが勝手にやったことだ!」
「では、こちらの書類について説明していただけますか?」
司法長官が帳簿を掲げる。
「これを見ていただけたら分かる通り、ここにはあなたの署名があります」
「偽造だ!」
「こちらにも」
「それも偽造だ!」
「では、こちらの手紙は?」
「……!」
「あなたからグスタフ様へ送られたものではありませんか?」
「…………」
グスタフの口が閉じる。私は思わず微笑んだ。
「どうやら、帳簿よりもご本人の記憶の方が先に壊れてしまったようですね」
ヴァイスが小さく吹き出す。
「リーシェ……」
「なんでしょう?」
「あまりに容赦がなくてな、つい笑ってしまった」
「五年間分の仕返しですわ。まだまだ足りないくらいですけれどもね」
「まだ利息が残っているのか?」
「当然です」
私はグスタフへ向き直った。
「それに、私だけではありませんもの」
私は机の上の書類を指差す。
「あなたが奪った税は、領民の生活を支えるためのお金でした。あなたが着ている服も、乗ってきた馬車も、毎晩の食事も、そのお金の上に成り立っていたのでしょう?」
「……」
「なら、今日から返していただきましょうか」
グスタフの顔が歪んだ。
「私一人に返せるわけがないだろ!」
「ふふふ、随分と開き直りますのね。まあいいですわ……私たちとて、あなた一人から回収し切れるとは思っていません。ですから、あなた“一人に”だけ返せとは言いません」
私は静かに告げた。
「あなたと一緒に利益を得た人たちにも、同じように責任を負っていただきます」
その言葉に、グスタフの顔から完全に表情が消えた。
ーー逃げ道がない。
自分一人が罪を被れば済む話ではない。むしろ、ここで何かを隠せば、自分より上にいる人間まで巻き込むことになる。
「……やめろ」
「何をですか?」
「それ以上、調べるんじゃない……」
「なぜ?」
「お前にも分かるだろう! 王宮の中まで敵に回せば、お前だって無事では済まない!」
私は、少しだけ目を細めた。
「それは脅しですか?」
「違う! 忠告だ!」
「でしたら、私は一つだけ忠告を返しましょう」
私はグスタフを真っ直ぐ見据えた。
「権力とは、人を黙らせるために使うものではありません。守るべきものを守れない権力なら、それは権力ではなく、ただの恐怖です」
グスタフは何も言えなかった。
「そして――」
私は続けた。
「恐怖で築いたものは、恐怖を失った瞬間に崩れます」
その言葉を最後に、私は彼から視線を外した。騎士たちがグスタフを連れていく。その背中が扉の向こうへ消えた時、私はようやく長い息を吐いた。
「……終わりましたね」
「いや」
ヴァイスが答えた。
「まだ一つ残っている」
「……?」
彼が私の手を取る。
「君自身のことだ」
私は目を瞬いた。
「俺は、君が王になるか、公爵として生きるか、それとも別の道を選ぶかに口を出すつもりはない」
ヴァイスは、私の手を包むように握った。
「ただ、一つだけ約束してほしい」
「何でしょう?」
「どんな道を選んでも、俺を隣に置いてくれ」
胸が、ほんの少しだけ熱くなる。
「……それは、お願いではなく命令ですか?」
「いや」
彼は笑った。
「俺にそんな権利はない。君の人生は君のものだからな」
そして、少しだけ真剣な顔になる。
「だから、これは俺からの人生を賭けたお願いだ。俺は君を守りたい。君が王冠を選んでも、公爵家を選んでも、ただ一人の女性として生きることを選んでも、俺は変わらない」
「……ヴァイス様」
「君が五年間一人で耐えてきたことを、俺はなかったことにはできない。だからせめて、これからの人生では一人で耐える必要がないと、何度でも伝えたい」
私は、しばらく何も言えなかった。
そして。
「……ずるい人ですね」
「そうか?」
「そんなことを言われたら、断れるわけがないでしょう?」
ヴァイスの顔が、少しだけ嬉しそうに緩んだ。
「では――」
彼が私の手をもう一度、しっかりと握る。
「これからも、俺が君の隣にいてもいいか?」
「……ええ」
私は笑った。
「私の隣は、もう空いていませんもの」
「そうか……なら、安心だな」
「ただしーー」
「む? 何だ?」
「柱にはぶつからないでくださいね」
「……」
「王宮の騎士団長ともあろう方が、婚約者の前で毎回柱と戦っている姿を見せるのは少々恥ずかしいですから」
「……善処する」
「善処ではなく、努力してください」
「分かった……、」
思わず笑いがこぼれる。
けれど、その笑い声を聞きながら、私はふと大広間の窓へ目を向けた。夕暮れの光が、王宮の床へ長く差し込んでいる。
ーー五年前。
私は、自分が何者なのかすら知らなかった。誰にも必要とされていないと思っていた。硬いパン一枚を渡され、それを黙って受け取りながら、ただ毎日を生き延びることだけを考えていた。
けれど今は違う。
私は自分の過去を知った。
母が私を守ろうとしていたことも。
父が真実を知りながら目を背けていたことも。
ヴィオラとセレナが私を排除しようとしていた理由も。
王宮財務局が領民から税を奪っていたことも。
そして――自分が、前国王の娘であることも。
すべてを知ったからこそ、私はようやく、自分の未来を選べる。
「……リーシェ」
「はい?」
ヴァイスが、優しく私を見つめていた。
「これからの俺の頼みと目標は、君が笑っていられる時間を増やす、ということかな」
「それは、なかなか難しい注文ですね」
「なぜ?」
「あなたが毎回、変なところで柱にぶつかるからです」
「……それは努力するとさっき言っただろう」
「ふふっ」
私は笑った。
そして思う。
血筋が私の人生を決めるわけではない。
過去が私の未来を決めるわけでもない。
誰かに虐げられた五年間でさえ、私の人生のすべてにはならない。
――人は、奪われたものではなく、その後に何を選ぶかで、自分の人生を取り戻せる。
私は、そのことを五年間かけて知った。
「さて!」
私はヴァイスの手を握り返した。
「帰りましょうか」
「どこへ?」
「“私の”屋敷へ!」
私は窓の外を見ながら、静かに笑った。
「これから、公爵家を立て直さなければなりませんもの。それに――」
「それに?」
「明日の朝食が楽しみなのです」
「……結局そこか」
「当然でしょう?」
私は胸を張った。
「五年間我慢した分、これからは毎日ふかふかのパンを食べるのですから」
ヴァイスが笑う。
私も笑った。
そして私たちは、大広間を後にする。
――この時の私は、まだ知らなかった。
今日の一連の出来事によって、王宮そのものが大きく変わろうとしていることを。そして、前国王が残した最後の文書には、もう一つだけ――誰にも明かされていない一文が存在していたことを。
その一文が、私のこれからの人生を大きく変えることになるとは。
この時の私は、まだ知る由もなかった。
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