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第22話 想像するにしえない真実

 ――父親は、前国王。


 その事実を知った瞬間から、世界の見え方がほんの少しだけ変わってしまった。


 地下室から持ち出した母の日記と、あの肖像画は、今も私の机の上に置かれている。何度見返しても、そこに描かれた二人の姿が消えることはない。若き日の母は、今まで私が知っていたどんな肖像画よりも穏やかな顔で笑っていて、その隣には、まだ王冠を戴いていない頃の前国王が立っていた。


 そして、その二人の間に生まれた子どもが――私。


「……どうして、もっと早く教えてくれなかったのでしょう」


 誰に向けるでもなく呟いた私の声に、向かいに座っていた伯母が静かに目を伏せた。


「教えれば、あなたは殺されていたかもしれないからよ」


 あまりにも淡々とした答えだった。


 だからこそ、胸に重く落ちた。


「前国王には正妃がいた。それだけなら、まだ話は単純だったでしょう。でも、彼には王位を巡る敵も多かったし、あなたの存在を利用しようとする者もいた。王の血を引く子どもというだけで、あなたは祝福される存在にも、同時に王座を奪うための道具にもなり得たのよ」


 伯母はそこで一度言葉を切り、私の顔をまっすぐ見つめた。


「だから、お母様はあなたを公爵家へ預けた。あなたを愛していなかったからではないわ。むしろ逆よ。母親として、自分の娘にできることをすべて考えた結果だった」


「……その結果が、五年間のあの生活ですか?」


 自分でも驚くほど、声は冷静だった。


「硬いパン一枚を与えられて、北棟の物置部屋に押し込められて、それでも私は自分がなぜそんな扱いを受けるのかさえ分からなかった。母が私を守ろうとした結果が、あの五年間だったというのなら……少しばかり、皮肉が過ぎませんか?」


 伯母は何も言わなかった。


 代わりに、隣にいたヴァイスが静かに口を開く。


「……それでも、君が生きていた」


「え?」


「それが、お母上が選んだ答えだったんだろう」


 ヴァイスは机の上の日記へ視線を落とした。


「人は、誰かを守るために最善を選べるとは限らない。時には、その時点で選べる中から一番ましな道を選ぶしかないこともある。結果だけを見れば間違いだったように見えても、その選択をした人間まで愚かだったとは限らない」


 その言葉に、私はしばらく黙り込んだ。


 母を恨んだことは何度もある。


 なぜ私を置いていったのか。なぜ何も教えてくれなかったのか。なぜ私だけが、あの家で孤独に耐えなければならなかったのか。


 けれど――。


 今なら、ほんの少しだけ分かる気がする。


 母は私を捨てたのではない。


 自分がいなくなった後も、私が生きていけるように、最後まで手を尽くしていたのだ。


「……馬鹿な人」


 私は日記にそっと指を添えた。


「そんなに大切だったのなら、せめて一度くらい、私に直接そう言ってくれればよかったのに」


「きっと、お母上もそう思っているだろうな」


 ヴァイスが苦笑する。


「だが、人間は生きている間には言えなかったことを、死んでから残そうとすることがある。言葉にできなかった分だけ、手紙や記録や思い出に託してな」


「……随分と詩的なことを言うようになりましたね」


「国境で暇な時に本を読んでいたからな」


「四年間ずっと戦っていたのでは?」


「……本も読んでいた」


「では、柱にぶつかったのは本の読みすぎで周囲が見えていなかったからでしょうか?」


「それは関係ない」


「そうですか」


 思わず笑ってしまった。


 こんな状況なのに、少しだけ胸が軽くなる。


 すると、伯母が呆れたように肩をすくめた。


「あなたたちは、本当に緊張感がないわね」


「緊張し続けていても、真実は勝手に片付きませんから」


 私はそう答え、母の日記を閉じた。


 そして、もう一度だけ肖像画を見る。


「……王宮へ行きます」


 今度は迷いのない声だった。


「私の出生を公表し、財務局の不正と、父やヴィオラ様たちが隠していたことをすべて明らかにします。私が王家の血を引いていることを利用されるのなら、その前に私自身がその事実を受け入れてしまえばいい」


 伯母が驚いたように目を見開く。


「あなた……王位を求めるつもり?」


「まさか」


 私は即答した。


「私は五年間、王族としてではなく、一人の令嬢として生きてきました。今さら王冠を頭に乗せて、『私は特別な人間です』などと言われても困りますもの」


 少しだけ笑ってから、私は続ける。


「私はただ、自分の人生を自分で選びたいだけです。誰かに守られるために秘密を抱えるのではなく、誰かの都合で身分を決められるのでもなく、私自身が何者なのかを知った上で、これからどこへ進むのかを決めたい」


 ヴァイスが、静かに私を見つめていた。


「それでいい」


 短い言葉だった。


 けれど、その声には一切の迷いがなかった。


「人間の価値は、どんな血を引いているかで決まるものじゃない。王の娘だから君が価値を持つんじゃない。五年間誰にも知られないところで領地を立て直し、困っている人間に手を差し伸べ、それでも自分の足で立ち続けた――その積み重ねが、リーシェという人間の価値だ」


 胸の奥が、静かに震えた。


「だから、明日王宮へ行く時も胸を張ればいい。『王の娘だから』ではなく、『リーシェだから』ここに立っているんだと、そう思えばいい」


「……ヴァイス様」


「何だ?」


「そういう格好いいことを言った直後に柱へぶつかるのだけは、やめてくださいね」


「……善処する」


「善処ではなく確約してください」


「…………努力する」


「駄目ですね、この人」


 私がため息をつくと、伯母がとうとう吹き出した。


 張り詰めていた空気が、少しだけほどけていく。


 けれど――。


 翌朝。


 王宮から届いた一通の封書によって、その空気は再び一変した。


「リーシェ様」


 マーサが青ざめた顔で部屋へ駆け込んできた。


「王宮から緊急の使者が参りました」


「こんな朝早くに?」


「はい。それと……」


 マーサが震える手で封書を差し出す。


 封蝋には、王家の紋章。


 私はそれを受け取り、ゆっくりと封を切った。


 中に入っていたのは、王からの正式な召喚状だった。


 ただし、そこに書かれていたのは私一人への呼び出しではない。


 ――リーシェ・フォン・アーレンス嬢。


 そして――。


 ――ヴァイス・アードラー騎士団長。


 両名に対し、明日正午、王宮大広間への出頭を命ずる。


 理由。


 ーー前国王の隠し子に関する重大な証言が確認されたため。


「……随分と早いですね」


 私が呟くと、ヴァイスが封書を覗き込んだ。


「王宮側も動いたということだろう」


「ええ。でも、少し気になります」


「何がだ?」


 私は召喚状の最後に記された一文を指でなぞった。


「『重大な証言』と書いてあります」


「それが?」


「私の出生についてなら、母の日記と肖像画だけでも十分な証拠になるはずです。それなのに、わざわざ『証言』と書いている」


 私は顔を上げた。


「つまり――私の出生を知っている人物が、まだ生きているということです」


 その瞬間、ヴァイスの表情から笑みが消えた。


 伯母も、息を呑む。


 そして私は、ある人物の顔を思い浮かべていた。


 前国王の側近。


 母が亡くなる直前まで、その傍に仕えていたという男。六年前に突然王宮から姿を消し、誰にも行方を知られていない人物。


 ――もし、その男が生きているのなら。


 母が残した秘密は、まだすべて明らかになっていない。


「……面白くなってきましたね」


 私は思わず笑った。


「五年間も私を蚊帳の外にしておいて、最後の最後だけ私に選択肢を与えるつもりでしょうか」


「リーシェ」


「大丈夫です」


 私は召喚状を丁寧に折り畳み、胸元へしまった。


「明日、全部聞きましょう。母が何を守ろうとしたのか。父が何を恐れていたのか。そして――私が生まれたことで、誰が何を失うことを恐れているのか」


 窓の外では、朝日が王都を照らし始めていた。


 五年間、私を閉じ込めていた屋敷の北棟にも、同じように光が差し込んでいる。


 かつての私は、その光をただ眩しいと思っていた。


 今は違う。


 どれだけ長く閉ざされた部屋にいたとしても、夜が永遠に続くわけではない。


 そして、光の中へ踏み出すのは、誰かに手を引いてもらわなければできないことではない。


 ――自分で扉を開けばいい。


「行きましょう、ヴァイス様」


「ああ」


「明日は、私の人生で一番忙しい一日になりそうですわ」


「なら、俺も一日中君の隣にいる」


「……それでは仕事にならないのでは?」


「構わない」


 ヴァイスは真っ直ぐに私を見る。


「君の人生が大きく変わる日に、隣にいない理由なんて俺にはない」


 その言葉に、私は小さく笑った。


「本当に……ずるい人ですね」


「君にだけは、そう言われても悪い気はしないな」


 こうして私たちは王宮へ向かう準備を始めた。


 まだ私は知らなかった。


 明日の大広間で待っているのが、単なる出生の確認ではないことを。


 そして――。


 そこには、私の母が最後まで守り抜いた「もう一つの真実」が、すでに誰かの手によって持ち込まれていることを。


 五年間の沈黙は、明日、ようやく終わる。


 けれどその先に待っているのは、私が想像していた「真実」よりも、遥かに大きなものだった。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


 もし少しでもスカッとしたり、ニヤッとしたりしていただけましたら、評価ポイントとブックマークをいただけると、次の話を書く一番の励みになります!


 まだまだ書きたいことがございますので、よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!


 それでは、また次のお話でお会いしましょう!

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